トーマス・モアが「ユートピア」を書いたのは、
1516年のことだから日本では戦国時代の初めごろに当たる。
今では一般名詞になっている「ユートピア」はトーマス・モアが作った言葉で、
古代ギリシャ語で「どこにもない場所」という意味である。
(略)
クリスチャンのトーマス・モアは「国家は文明的な戦争を行なうべきだ」と説いたが、
その理想が欧州で広がるのは、彼の没後二世紀余り経った十九世紀になってからである。
ナポレオン戦争を契機として、ヨーロッパでは「近代戦争論」が生まれる。
その最初の提唱者はプロイセンのクラウヴィッツで、
彼は「戦争は他の手段による政治の継続である」という有名なテーゼを掲げた。
これを平たく言い換えれば、ソロバン勘定の合わない戦争をするな、
冷静に戦争をやれ、である。
ところが、この「近代戦争」の理想を一世紀も経たぬうちに反故にされる。
反故にしたのは、アメリカのウィルソン大統領である。第一次大戦のとき、
アメリカが参戦する理由をウィルソンを「デモクラシーを守るための戦い」とした。
さらにそれを「正義の戦争」と言った。ウィルソンは理想に燃えて、
自分は立派なことを言っている、時代の先端を行なっていると思ったのかもしれない。
しかし、「正義の戦争」は実はモアやクラウヴィッツが何よりも否定した戦争であった。
そもそも「合理的計算に基づく近代戦争」という概念が生まれたのは、
ヨーロッパで散々「正義の戦争」がやり尽くされた反省からだった。
(略)
第二次大戦中の1943年に開かれたカサブランカ会談でルーズベルトは
「連合国は正義であり、ドイツや日本は邪悪である。
邪悪な連中と同じテーブルで座って講和交渉などできない」として、
ナチス・ドイツに無条件降伏を求めると言い出した。
これを聞いて仰天したのがチャーチルである。
「そんなことしたら、世界はモンゴルや宗教戦争の時代に戻ってしまう。
相手を全部ぶっ潰してしまうまで戦争を止めないというのでは、
人類の歴史を1000年逆戻りさせてしまうようなものだ」と、
チャーチルは抵抗するが、ついに負けて連合国の名前で
ドイツへの無条件降伏要求を発表した(ただしこの話は真偽不明で、
チャーチル自身がそう書いているだけらしい。イギリス国会への報告が不評だったので、
こんな言訳を作って友人への手紙に残したのである)
ともあれこれを聞いてヒトラーは絶望して、無条件降伏するくらいなら
ドイツ国の名誉を守って最期まで徹底抗戦をしようと覚悟を決める。
分かりやすく言えば、破れかぶれになった。絶望したのは
ドイツの国内のヒトラー暗殺派も同じであった。
彼らはヒトラーを暗殺したのち、連合国と講和を結ぼうと考えていたが、
連合国に講和の考えがないと分かっては暗殺する意味がなくなったのである。
ドイツは1945年5月に敗戦になるが、ある歴史家によれば、
もし連合国が無条件降伏を言い出さなければドイツの降伏は
一年ほど早かっただろうという。つまり、ドイツ降伏直前の一年前に死んだドイツ人、
それからドイツ軍の銃弾で死んだアメリカ人は恨むなら
ルーズベルトを恨めということになる。それからチャーチルも。
理想主義とはまことに残酷で無慈悲なもので、それがもたらす災厄は大きいのである。
戦争は双方とも「政治の延長」程度に止めておかねばならない。
「闘え、日本人 外交とは『見えない戦争』である」日下公人 著
-------------------------------------------------------
まさにその通りですね。
理想主義だったり、神の名の元に行動されてはたまった物ではありません。
特に一神教は他を排斥する性質があるので「絶対な正義」を基準にされる事ほど
困ったものはありません。特にそれが力のある国家だと影響力はデカイですから。
米国は建国300年ほどと言うことで、まだ若い出来あがってない国だから、
という意見もありますが、そうなんですかね。
1516年のことだから日本では戦国時代の初めごろに当たる。
今では一般名詞になっている「ユートピア」はトーマス・モアが作った言葉で、
古代ギリシャ語で「どこにもない場所」という意味である。
(略)
クリスチャンのトーマス・モアは「国家は文明的な戦争を行なうべきだ」と説いたが、
その理想が欧州で広がるのは、彼の没後二世紀余り経った十九世紀になってからである。
ナポレオン戦争を契機として、ヨーロッパでは「近代戦争論」が生まれる。
その最初の提唱者はプロイセンのクラウヴィッツで、
彼は「戦争は他の手段による政治の継続である」という有名なテーゼを掲げた。
これを平たく言い換えれば、ソロバン勘定の合わない戦争をするな、
冷静に戦争をやれ、である。
ところが、この「近代戦争」の理想を一世紀も経たぬうちに反故にされる。
反故にしたのは、アメリカのウィルソン大統領である。第一次大戦のとき、
アメリカが参戦する理由をウィルソンを「デモクラシーを守るための戦い」とした。
さらにそれを「正義の戦争」と言った。ウィルソンは理想に燃えて、
自分は立派なことを言っている、時代の先端を行なっていると思ったのかもしれない。
しかし、「正義の戦争」は実はモアやクラウヴィッツが何よりも否定した戦争であった。
そもそも「合理的計算に基づく近代戦争」という概念が生まれたのは、
ヨーロッパで散々「正義の戦争」がやり尽くされた反省からだった。
(略)
第二次大戦中の1943年に開かれたカサブランカ会談でルーズベルトは
「連合国は正義であり、ドイツや日本は邪悪である。
邪悪な連中と同じテーブルで座って講和交渉などできない」として、
ナチス・ドイツに無条件降伏を求めると言い出した。
これを聞いて仰天したのがチャーチルである。
「そんなことしたら、世界はモンゴルや宗教戦争の時代に戻ってしまう。
相手を全部ぶっ潰してしまうまで戦争を止めないというのでは、
人類の歴史を1000年逆戻りさせてしまうようなものだ」と、
チャーチルは抵抗するが、ついに負けて連合国の名前で
ドイツへの無条件降伏要求を発表した(ただしこの話は真偽不明で、
チャーチル自身がそう書いているだけらしい。イギリス国会への報告が不評だったので、
こんな言訳を作って友人への手紙に残したのである)
ともあれこれを聞いてヒトラーは絶望して、無条件降伏するくらいなら
ドイツ国の名誉を守って最期まで徹底抗戦をしようと覚悟を決める。
分かりやすく言えば、破れかぶれになった。絶望したのは
ドイツの国内のヒトラー暗殺派も同じであった。
彼らはヒトラーを暗殺したのち、連合国と講和を結ぼうと考えていたが、
連合国に講和の考えがないと分かっては暗殺する意味がなくなったのである。
ドイツは1945年5月に敗戦になるが、ある歴史家によれば、
もし連合国が無条件降伏を言い出さなければドイツの降伏は
一年ほど早かっただろうという。つまり、ドイツ降伏直前の一年前に死んだドイツ人、
それからドイツ軍の銃弾で死んだアメリカ人は恨むなら
ルーズベルトを恨めということになる。それからチャーチルも。
理想主義とはまことに残酷で無慈悲なもので、それがもたらす災厄は大きいのである。
戦争は双方とも「政治の延長」程度に止めておかねばならない。
「闘え、日本人 外交とは『見えない戦争』である」日下公人 著
-------------------------------------------------------
まさにその通りですね。
理想主義だったり、神の名の元に行動されてはたまった物ではありません。
特に一神教は他を排斥する性質があるので「絶対な正義」を基準にされる事ほど
困ったものはありません。特にそれが力のある国家だと影響力はデカイですから。
米国は建国300年ほどと言うことで、まだ若い出来あがってない国だから、
という意見もありますが、そうなんですかね。