「天狗の中国四方山話」

~中国に関する耳寄りな話~

No.313 ★ なぜTSMCは半導体トップ企業になれたのか? 微細化で世界最先端を 独走することになった本当の理由 TSMCが糧に変えた「2つの失敗」とは

2024年05月09日 | 日記

JBpress (湯之上 隆:技術経営コンサルタント、微細加工研究所所長)

2024年5月8日

中国・南京にあるTSMCの工場(資料写真、2023年8月1日、写真:CFoto/アフロ)

 

台湾のジャーナリストとの対談

 PHP研究所の主催で、『TSMC 世界を動かすヒミツ』(CCCメデイアハウス)という書籍を出版した台湾人ジャーナリストの林宏文(リン・ホンウェン)氏と4月24日、TSMCをテーマに対談を行った。

 TSMCが微細化で世界最先端を独走しており、受託製造(ファウンドリー)の分野で世界シェア約60%を独占する巨大で偉大な半導体メーカーであることについては、議論の余地はない。

 そして、TSMCがそのような地位に上り詰める過程において、林氏は著書の中で、「0.13μmにおいてCu配線で成功したこと」、および「28nmで世界市場の8割を独占したこと」など、重要なターニングポイントがあったことを挙げている。

 筆者も、上記については賛同する。ただし、これら2つの出来事については、もう少し深い事情がある。実際は、TSMCはこの2つの出来事で大失敗をした。ところが、TSMCは、その失敗を糧として乗り越えた。そしてこれが、現在のTSMCの強さの礎になっていると思う。

 そこで本稿では、TSMCが過去に、どのような失敗をし、それをどのように乗り越えてきたかを論じる。林氏風に書けば、「TSMCの強さのヒミツは、失敗を乗り越えてそれを糧にする能力にある」といえるだろう。

TSMCの第1のターニングポイント~銅(Cu)配線技術の開発

 林氏は『TSMC 世界を動かすヒミツ』の中で、台湾のもう1つのファウンドリーのUMCについて、2000年を境にTSMCとの差が広がってしまった理由を、以下のように記述している。

<まず、両社とも、2000年から0.13μm 銅(Cu)配線プロセスの研究開発に入ろうとしていたが、TSMCは自社開発の道を選び、UMCはIBMとの技術提携を選択した。最終的にTSMCの方が先に開発に成功し、UMCはIBMと提携したために、かえって完成がTSMCより2年も遅れてしまった。1世代の遅れがその後の顧客の発注意欲に影響したため、UMCとTSMCの差がこのときから開き始めた。>(カッコ内は筆者)

林氏は、本書内の別の章でも、TSMCがCu配線技術を開発したことが、その後のTSMCの躍進につながっていることを次のように述べている。

<TSMCの0.13μm 銅(Cu)配線プロセス技術は、2000年に研究に着手してから1年半で開発に成功した。この技術でIBMに追い着くと、TSMCは世界の半導体業界で一躍注目の存在になった。>(カッコ内は筆者)

 確かに、0.13μm(130nm)におけるCu配線技術の開発は、TSMCの第1のターニングポイントとなったと筆者は考えている。ただし、そこには、もっと奥深い事情があった。

 その説明の前に、なぜ130nmからCu配線が必要になったかを振り返る。

なぜ130nmからCu配線が必要になったのか

 半導体は、毎世代70%ずつ微細化する。そして微細化すると同時に、高集積化、高速化、低消費電力化、低コスト化が同時に実現できる。ところが、130nmより微細化すると、高速になるどころか、信号遅延が起きることが予測されていた(図1)。

図1 なぜ、Cu / Low-k配線が必要なのか?


【本記事は多数の図版を掲載しています。配信先で図版が表示されていない場合はJBpressのサイト(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/80867)にてご覧ください。】

 その理由は、微細化により、配線断面積が小さくなるため配線抵抗(R)が大きくなること、および、配線と配線の間が狭くなることから容量(C)結合が大きくなるためである。ここで、配線の信号遅延は、抵抗(R)×容量(C)に比例する。そのため、この遅延をRC遅延と呼んでいる。

 このRC遅延は130nmより微細化すると非常に大きくなる。つまり、微細化するほど、半導体チップの動作は遅くなってしまう。

そこで、このRC遅延を回避するために、より抵抗率の小さな配線材料を使い、より容量結合の小さな絶縁膜を使うことが必要となった。そのため、配線材料は従来使っていたAl(アルミニウム)から抵抗率の低い銅(Cu)へ、絶縁膜はSiO2(シリコン酸化膜)から誘電率が低いLow-k膜へ変更されることになった(誘電率εを小さくすると容量Cが小さくなる)。

 さらに、AlからCu配線への変更は、製造プロセスを大きく変えなければならない事態になった。

Al配線からCu配線へ

 Al配線の形成とCu配線の形成プロセスを比較してみよう(図2)。

図2 Al/SiO2とCu/Low-kのプロセスの違い

 まず、Al配線は次のように形成される。

①Al膜を成膜する
②リソグラフィで配線パターンのレジストマスクを形成する
③このレジストマスクに従ってAlを直接ドライエッチングする
④酸素プラズマで余分なレジストを除去する
⑤最後にSiO2でAl配線を埋め込む

 一方、Cu配線においては、Cuの直接加工が困難であるため、次のような方法で配線を形成する。

①絶縁膜としてLow-k膜を成膜する
②リソグラフィで配線パターンのレジストマスクを形成する
③このレジストマスクに従って、Low-k膜にドライエッチングで溝を形成する
④酸素プラズマによるアッシングで余分なレジストを除去する
⑤Low-k膜に形成した溝をCuメッキで埋め込む
⑥最後に、余分なCuを化学的機械研磨(Chemical Mechanical Polishing、CMP)で削る

上記のように、Al配線はAlを直接加工することにより形成していたが、Cu配線はCuの直接加工が困難なため、Low-k膜に溝を形成し、これをCuで埋め込む方法を取る。これを、ダマシン(Damascene)法と呼んでいる。

 このように、配線材料だけではなく、製造プロセスの変更も余儀なくされるCu配線について、世界の半導体メーカーは、どのような行動を取ったのだろうか?

1997年に起きたIBMショック

 AlからCuへというように、半導体の材料を変更するというのは大変なことである。また、この配線材料の変更においては製造プロセスも変わる。このような状況の中で、当初、世界の半導体メーカーは様子見をしていたと思う。

 ところが、1997年9月末、米IBMが世界で初めてCu配線を使った半導体チップを発表した(参考:高辻博史「Cu配線の軌跡・奇跡」まてりあ第38巻 第1号、1999)。半導体業界ではこの出来事を「IBMショック」と呼んだ。

 そして、これをきっかけとして、世界中の半導体メーカーがCu配線の開発に突入していった。当時、日立製作所のデバイス開発センターに在籍していた筆者も、1998年からCu配線の開発に従事することになった。

 しかし、日立の総力を挙げてもCu配線の開発は困難を極めた。例えば、180nmのパターンでCu配線が形成できたとしても、微細化を進めた130nmではCu配線がうまく動作しなかった。ダマシン法でCu配線をつくっても、Cuが腐食したり、Cuがマイグレーション(移動)してボイド(空間)ができたりと、さまざまな不良が発生した。

 筆者は2000年2月に、日立とNECのDRAMの合弁会社エルピーダに出向することになったため、Cu配線の開発から離れたが、恐らく日立は2002~2003年頃まで、Cu配線の開発がうまくいっていなかったと思う。

 これは日立だけではなく、世界中の半導体メーカーも、事情は同じだった。もちろん、TSMCも2000年までにCu配線の開発は完了していなかったはずである。

TSMCに起きた事件

 130nmでAl配線を使えば信号遅延が起きる。もし、半導体を高速に動作させたいのなら、Cu配線を使うしかない。しかし、Cu配線の開発は非常に難しい。

 そのような中で事件が起きた。筆者の記憶によれば、2002~2003年頃だったと思う。携帯電話用のプロセッサを開発していた設計専門の半導体メーカー(ファブレス)が、TSMCに生産委託をした。その際、プロセッサの高速動作のために、Cu配線を使うことを求めてきた。

 ところが、TSMCの半導体工場では、Cu配線を使った半導体の歩留りが上がらず、ほとんど良品が取れなかったため、ファブレスが2~3社倒産してしまった。これは、訴訟問題に発展したと記憶している(正確な結果は知らないが、恐らくTSMCが賠償金を支払うことになったのではないか)。

 つまり、TSMCは、Cu配線で手痛い失敗をしてしまったと言えるだろう。ところが、TSMCは、この失敗を糧として乗り越え、より強力なファウンドリーとして成長していくことになるのである。

量産できるように設計してもらう

 TSMCがCu配線で失敗した2002~2003年以降、大量の設計技術者を雇用し始めた。TSMCは本来、シリコンウエハ上にチップをつくり込む前工程が仕事のはずである。そのTSMCが、なぜ大量の設計技術者を雇用し始めたのか? その理由は次の通りである。

 TSMCが新たに雇用した、設計が分かる(プロセスも分かる)技術者を、顧客のファブレスに派遣した。そして、その技術者は、「TSMCの工場では、現在プロセスはここまでできる、しかしここから先はできない」ことをファブレスに伝え、量産できるように設計してもらうよう依頼(というか指導)したという。

 そして、このことを「Design for Manufacturability(DFM)」と呼んだ。

ファウンドリーのTSMCが設計を制した

 さらに、TSMCは、ファブレスのために、次のようなSOCの設計のプラットフォームを構築した(図3)。なお、SOCとは、System on a Chipの略で、スマホ用プロセッサなどの大規模なロジック半導体を意味する。

図3 TSMCが構築した大規模なロジック半導体(SOC)のプラットフォーム

 TSMCは、プロセッサならARMのIP(intellectual property)、アナログデータをデジタルに変換するデジタルシグナルプロセッサ(Digital Signal Processor、DSP)ならテキサス・インスツルメンツ(TI)のIPというように、必ず動作する機能ブロックのIPを集めたセルライブラリを用意した。

 ファブレスは世界標準の設計ツールを導入し、TSMCが準備したセルライブラリを使って、“まるでIPを並べるように”設計することができるようになった。すると、世界中のファブレスは、TSMCのセルライブラリとつながってさえいれば、「いつでも、どこでも、誰でも、同じ設計が可能」になった(図4)。

図4 いつでも、どこでも、誰でも、同じ設計が可能
(九州工業大学・川本教授の設計勉強会資料を基に筆者作成)

 そのため、ルネサスなど垂直統合型(Integrated Device Manufacturer、IDM)の半導体メーカーですら、増産する際にTSMCに生産委託できるように、最初からTSMCと互換性のある設計を行うようになったのである。

 これらのことを筆者に教えて下さった、九州工業大学の川本洋教授(当時)は、「まるで熊手で掻き集るように、世界中からSOCビジネスがTSMCに集まってくる」と説明された(図5)。

図5 まるで熊手で掻き集めるように世界中からSOCビジネスがTSMCに集まってくる
(九州工業大学・川本教授の設計勉強会資料より)

 要するに、TSMCは製造専門のファウンドリーであるにもかかわらず、ある意味で設計を制したと言ってもいいだろう。そして、そのきっかけは、Cu配線の失敗に端を発している。

このように、TSMCはCu配線の失敗を糧として、DFMを実行に移し、SOCのプラットフォームを構築し、それが現在のTSMCの強みとなっているのである。

TSMCの第2のターニングポイント、28nmで世界を独占

 次に、もう1つ、TSMCが失敗を乗り越えた事例を紹介する。

 林氏は、『TSMC 世界を動かすヒミツ』で次のようなことを書いている。

<2009年6月に再びCEOに就任したモリス・チャンは、サブプライム危機の景気低迷に乗じて大規模な投資を行った。このことは、TSMCがその後トップ企業に一気に駆け上がって、競合他社を振り切るための重要な布石だった。

(中略)

 TSMCが行った資本的支出の大規模な追加に、資本市場もアナリストも驚愕した。2009年の上半期は、市場がまだサブプライム危機による殺伐とした雰囲気に包まれており、多くの企業で閑古鳥が鳴いていた時期であったため、モリス・チャンがそのタイミングで大胆な賭けに出たと知り、海外企業は度肝を抜かれた。

 まさか、2010年が世界的な好景気に沸き、半導体業界もそれに伴って31.8%という過去最高の成長幅を記録することになるとは、誰も予想していなかったのだ。モリス・チャンの先見性のある決断によって行われた、28ナノメートルプロセスの生産能力の大幅な拡充が早くに終わってこの好景気に間に合ったため、TSMCは28ナノメートル市場の8割を一挙に手に入れるという、会心の一撃を放ったのだった。>

 結果から言うと、TSMCは28nmのビジネスで確かに世界をほぼ独占した。したがって、上記に書いてあることは、あながち間違いではない。しかし、正確でもない。

 実は、モリス・チャンCEOが28nmに大投資を行ったのは、ある事情(しかも不都合な事情)があったからだ。それはどんなことか?

28nmの不調とモリス・チャンCEOの決断

 2010年と言うと、TSMCが、米アップルのiPhone用プロセッサの生産委託を受け始めていた頃である。アップルは、新型iPhone用プロセッサに、当時最先端だった28nmプロセスを使うことを要求してきた。

 ところが、TSMCでは、28nmの歩留りがあまり上がらず、50%程度に低迷していた。このままでは、iPhone用プロセッサについては、要求されたチップ数の半分程度しか生産することができない。

 そこで、モリス・チャンCEOは、「歩留りが50%しかないなら、28nmの工場をもう1つつくれ」と命じるのである。これが、上記の中の<TSMCが行った資本的支出の大規模な追加>であろう。そして、それによって、<資本市場もアナリストも驚愕>することになっただろう。

 このようにして、TSMCは28nmの工場を当初の2倍の規模で建設した。その歩留りは、最初は50%程度だったが、次第に向上していき、最終的には80~90%以上となって、28nmで世界市場を独占することになったのである。

 この28nm以降、TSMCは先端プロセスで世界を制するようになっていった。つまり、28nmの歩留り低迷が、その後のTSMCの強さに繋がっていったと思われる。

失敗を糧として成長してきたTSMC

 ここまで、TSMCが失敗を糧として、その後飛躍した事例を2つ紹介した。

 1つは、2002~2003年頃のCu配線の歩留りが上がらなかった失敗で、これを契機に、DFMを実行し、ファブレス用に設計のプラットフォームを構築した。このプラットフォームは非常に強力で、世界中から「熊手で掻き集めるように」TSMCにSOCビジネスが殺到することになった。

 もう1つは、28nmの歩留りが50%程度に低迷していたことから、アップルのiPhone用プロセッサを要求通りの個数つくるために、28nmの工場をもう1つ建設したことである。それによって、28nmのビジネスで世界を制覇してしまった。

 冒頭に書いた通り、現在、TSMCは世界の最先端の微細化を独走しており、ファウンドリービジネスの世界シェア約60%を独占している。しかし、このような世界トップ企業に成長する過程には、失敗も多数あったということである。しかし、TSMCの強みは、失敗を失敗として終わらせることなく、それを糧として飛躍していくことにある。

 このことは、世界の半導体メーカーのみならず、あらゆる企業がお手本にすべきことであるように思う(人間の成長もまた同じようなものかもしれない)。

湯之上 隆(ゆのがみ たかし)

1961年生まれ。静岡県出身。1987年に京大原子核工学修士課程を卒業後、日立製作所、エルピーダメモリ、半導体先端テクノロジーズにて16年半、半導体の微細加工技術開発に従事。日立を退職後、長岡技術科学大学客員教授を兼任しながら同志社大学の専任フェローとして、日本半導体産業が凋落した原因について研究した。現在は、微細加工研究所の所長として、コンサルタントおよび新聞・雑誌記事の執筆を行っている。工学博士。著書に『日本「半導体」敗戦』(光文社)、『電機半導体大崩壊の教訓』(日本文芸社)、『日本型モノづくりの敗北』(文春新書)。
◎公式HPは http://yunogami.net/
Wikipedia

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No.312 ★ 中国 住宅需要は30年までずっと横ばい、専門家

2024年05月09日 | 日記

NNA ASIA

2024年5月8日

中国の著名エコノミストの任沢平氏は7日、中国の住宅需要は2024年から30年まで年間約9億平方メートル余りで推移するとの予測を示した。23年とおおむね同じ低水準が少なくとも30年まで続くとの見方。かつての旺盛な需要が戻ることはないとみている。

過去の住宅需要については、国家統計局の住宅販売面積に独自の調整を加えた値を「需要」として算定。23年は9億5,000万方メートルだったと説明した。14年と15年は16億平方メートルに迫る水準で、23年はこれらの時期を6億平方メートル以上下回ったことになる。

任氏は、住宅需要を「剛性需要」(都市化によって発生する需要)、「改善性需要」(都市部住民がより良い家に住もうとすることで発生する需要)、「更新需要」(都市更新によって発生する需要)の3種類に分けている。

これまでは剛性需要がけん引役だったが、今後は改善性需要が中心になると予測。都市化のペースが落ちていることを理由に挙げた。24~30年の総需要は65億平方メートルで、改善性需要が約4割、剛性需要と更新需要が約3割になるとみている。

中国の住宅市況は長年好調が続き、家計の住宅投資は経済成長をけん引してきた。だが、20年代に入ってからは市況が悪化している。

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NO.311 ★ 中国EC大手SHEIN、有名ブランド誘致で品揃え拡大図る

2024年05月09日 | 日記

日経ビジネス (By Reuters

2024年5月7日

写真=ロイター

この記事の3つのポイント

  1. 中国ECサイト「SHEIN(シーイン)」が有名ブランドを誘致
  2. 信頼を構築して最大手アマゾンに対抗する狙い
  3. ブランド各社は売上拡大が期待できるが、対応は割れている

 中国発の電子商取引(EC)サイト、SHEIN(シーイン)がプラットフォームに米日用品大手コルゲート・パルモリーブや玩具大手ハズブロのような有名ブランドを誘致し、取り扱う家庭用品の品揃えを拡大しようとしている。

 シーインは安価なプライベートブランドの衣料品やアクセサリーで知られるが、他の分野にも進出しつつある。昨年の米国、ブラジル、メキシコに続き、今年に入って英国、ドイツ、フランスなど欧州9カ国で各種ブランドや小売業者に同社プラットフォームへのアクセスを提供している。

 こうした戦略は、信頼を構築して最大手アマゾンに対する競争力を高める取り組みの一環であり、今年に予定されている株式上場を前に事業の拡大と新たな販売手法の開発を可能にするものだ。

 シーインは先月、コルゲート・パルモリーブ、ハズブロ、サントリー食品インターナショナル、スペインの化粧品ブランドのベラ・オーロラも参加したマドリードでのイベントで、「マーケットプレイス」サービスについて説明した。

 シーインの欧州・中東・アフリカ担当ブランド・オペレーション・シニア・ディレクター、クリスティーナ・フォンタナ氏は4月17日にパリで開催されたイベントで「シーインといえば誰もがファッションを思い浮かべるだろうが、われわれはあらゆる(商品を販売するための)段階を手がけている」と述べた。取り扱う商品の幅を広げたのは顧客がシーインのサイトを開いて他のブランドを探していることが分かったことがきっかけで、「消費者が求めているなら、その商品を提供する」と胸を張った。

 シーインは以前アリババで働いていたフォンタナ氏を含め、中国の巨大EC企業などからマーケットプレイスの専門家を何人か引き抜いた。

 こうした人材獲得が事業の急速な拡大を後押しし、1月31日までの半年間に欧州連合(EU)加盟国の月間アクティブユーザー数は平均1億0800万人に達した。

 しかしシーインの成長は、違法または有害な商品への対策を求めるEUの新しい規制という波紋ももたらした。

 シーインのマーケットプレイスが成功を収め、アマゾンやアリエクスプレスと競合できるかどうかはどのようなブランドを誘致できるかにかかっている、と専門家は指摘する。

 シンガポールのフォーレスタ―のアナリスト、シャオフェン・ワン氏は「シーインが信頼できる、評判の良いマーケットプレイスのプラットフォームとして競争したいのなら、欧米の有名ブランドからの支持が絶対に欠かせない」とくぎを刺した。

熱心な売り込み

 4月25日に米国で開かれた、潜在的な出店業者を対象としたオンラインセミナーで、シーインの出店業者マーケティング責任者のクレア・リン氏は、何百万人もの買い物客にアクセスし、売上を 「急増」させる機会だと熱心な売り込みを展開。「当社のショッピング体験は(顧客がくっついて離れなくなる)粘着性が極めて強く、ゲーム的な要素が非常に多く盛り込まれている。当社のサイトでの買い物は楽しいため、最短の買い物時間は約8分と業界平均を大きく上回っている」と説明した。顧客は「Z世代」と「ミレニアル世代」で、女性と男性の比率は約80対20で女性が圧倒的に多いという。

 リン氏によると、現在、家庭用品などの「ホーム」、「エレクトロニクス」、「ビューティー&ヘルス」が最も好調なカテゴリーで、扱っていない唯一のカテゴリーは食品・飲料。

 オンラインセミナーで上映されたスライドによると、「ホーム」カテゴリーは販売された商品の総額が2023年に3倍に増加。エレクトロニクスとビューティー&ヘルスもそれぞれ2.5倍、2.1倍に増えた。

 ブランド各社はマーケットプレイスを通じた直接販売によって売上高を大きく伸ばすことができる。ただ、こうした販売方式に踏み切る前に、そのマーケットプレイスが商品を売りたい顧客層に適していることや、価格設定とプロモーションをコントロールできることを保証するようECサイト側に求めるのが普通だ。

 シーインのプラットフォームは多くのサードパーティー小売業者を引き寄せている。

 コーダリー、セラヴィ、ラ・ロッシュ・ポゼ、資生堂、ジ・オーディナリー、リンメル、ヴェレダといった美容・スキンケアブランドは現在、サードパーティーの小売業者を通じて、米国、英国、ブラジル、メキシコのシーインのプラットフォームで販売されている。

 しかしヴェレダの英・アイルランド・マネージャーであるジェイン・スターランド氏は、シーインでの直接販売は考えていないと述べた。マーケットプレイスを評価する際には評判、認知度、環境問題への取り組みが重要な要素だと述べ、ヴェレダが直接販売を行っているアマゾンのサステナビリティーへの取り組みを指摘した。

 コルゲート・パルモリーブはコメント要請に応じなかった。ハズブロの広報担当は、マドリードのイベントに参加したのは「マーケットプレイスの長所と短所について一般的に話すため」だと述べた。

 サントリーの広報担当者は 「シーインのマーケットプレイスで当社の飲料を販売することはないし、その予定もない。今回は単にベストプラクティス(最善の方法)を共有するための機会だった」と述べた。

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