DIAMOND online (ふるまいよしこ:フリーライター)
2024年2月28日
中国発のSF『三体』は、アジア圏作品として初めてヒューゴー賞の長編部門を受賞。全30話でテレビドラマ化された。日本でもWOWOWなどで視聴できる。(C)TENCENT TECHNOLOGY BEIJING CO.,LTD
大ヒットした『三体』をきっかけに、この10年で急激に世界的に存在感を増した中国SF。2023年10月には、「SF界のノーベル賞」と言われるヒューゴー賞の授章式を含む世界SF大会が四川省で開かれた。しかしそこで同賞史上最悪なスキャンダルが起きたのだ。SFファンたちが「中国政府の介入だ」と激怒した事態とは?(フリーランスライター ふるまいよしこ)
「SF界のノーベル賞」ヒューゴー賞の最優秀長編小説賞をアジアで初めて獲得した『三体』
中国語版『三体』(全3巻)
あなたはもう『三体』を読んだだろうか? 中国のSF作家、劉慈欣(りゅう・じきん)による作品で、2015年に「SF界のノーベル賞」とも形容されるヒューゴー賞の最優秀長編小説賞を受賞した。アジア人初の快挙である。
日本でも2019年に邦訳版が刊行され、中国小説のファンのみならずSFファン、さらにはSFファンですらない人たちにまで絶賛され、シリーズ売り上げ90万部を超えるベストセラーとなっている。そのヒットは日本における中国作家に対するイメージを完全に塗り替えたといえるだろう。中国では昨年、アニメとテレビドラマがそれぞれ制作されて話題を呼び、さらに米Netflixも数年かけて制作したドラマを配信した(日本では3月配信予定)。間違いなく、中国の現代小説として世界的な影響力を持つ作品である。
『三体』が受賞した翌年の2016年には、中国人作家、郝景芳(ハオ・ジンファン)の『折りたたみ北京』がヒューゴー賞の最優秀中編小説作品賞に輝いている。
中国人作家から次々と素晴らしいSF作品が生まれ、それが世界的に読まれ始めたことが、中国の文学界にも自信をもたらしており、次なる劉慈欣や郝景芳を目指して、多くの若手作家が育ちつつある。
もちろん、そこで自信をつけたのは文学界や作家だけではなかった。中国政府も、である。
四川省成都市が第81回世界SF大会を主催することに
まず、『三体』を連載していたSF雑誌「科幻世界」が本拠地としていた四川省成都市を「科幻之都」(SFの街)と命名。続いて「科幻世界」の出版社と成都市共産党機関紙発行元などが「成都市科幻(SF)協会」を設立し、2023年度のヒューゴー賞発表授賞式を含む第81回世界SF大会(以下、ワールドコン)イベント主催権を獲得した。同市ではそれをきっかけとして、2025年までに1500億元(約3兆2000億円)規模の「メタバース産業チェーン」を作る開発計画を発表した。
そして昨年10月、その第一歩として落成した成都科幻館でワールドコンが行われ、第81回ヒューゴー賞の各受賞作品と受賞者が発表された。そこでは中国人作家、海漄(ハイヤー)作の『時空画師』(時空の絵師)が最優秀中編小説作品に選ばれ、明るい話題を振りまいた。
ところが、いつもなら受賞式後数時間以内に公開されるはずの投票経過報告が遅れに遅れたのだ。ヒューゴー賞の規約が定めた期限「90日以内」のギリギリ、2024年1月20日にやっと投票経過報告が公開された。
待ちわびたファンたちはそこで、昨年度の有力候補と見なされていた幾つかの作品が、なんと途中でノミネート資格を剥奪されていたことを知らされた。その結果、SFファンの間から「ヒューゴー賞に、中国政府の政治介入が行われた」と激しい怒りの声が上がり、同賞史上最悪のスキャンダルに発展している。
複数の有力作品が、投票対象から外されていた
問題となったのは、R.F.クアンの長編小説『バベル』、ニール・ゲイマン原作で制作されたNetflixのドラマ作品「サンドマン」および最優秀新人作家部門に名前が挙がっていたシーラン・ジェイ・ジャオ、そして最優秀ファンライター部門で有力視されていたポール・ワイマーが、それぞれ次の段階に進むことができる得票数を集めていたにもかかわらず、途中で「Not eligible」(ノミネート資格なし)と判断され、次のラウンドの投票対象から外されていたことだった。
ヒューゴー賞は英語で出版された作品を選考対象としており、上記の作品はどれも日本語に翻訳されていない。作品及び作者も日本人にはあまり馴染みがないと思うので、以下、資料を基に簡単にご紹介する。
『バベル』はニューヨーク・タイムズ紙でベストセラー大賞に選ばれた一冊で、イギリスでも2023年度フィクション大賞を受賞した。さらに2023年にはヒューゴー賞と並ぶSF大賞の双璧「ネビュラ賞」の最優秀小説賞にも選ばれている。作者のR.F.クアンは1996年中国広州生まれ、4歳の時に家族で米国に移住した。前作の『ポピー・ウォー』『イエローフェイス』も高く評価されており、『バベル』は彼女の中国名「匡霊秀」で中国国内でも翻訳出版されている。
「最優秀新人賞」部門に名前が挙がっていた、シーラン・ジェイ・ジャオも中国出身。小学生のときにカナダに移住している。注目のデビュー作『アイアン・ウィドウ』(邦題は『鋼鉄紅女』)はすでに日本でも翻訳出版されており、やはりニューヨーク・タイムズ紙上でベストセラー大賞に選ばれ、2021年の英国SF協会賞の若年読者向け作品部門を受賞した。彼女自身はコスプレーヤー兼YouTuberとしても活動中だ。
ニール・ゲイマンはイギリス人コミック作家、脚本家、劇作家で、これまでにヒューゴー賞、ネビュラ賞など多数の受賞経験がある。今回対象となった「サンドマン」はアメリカで出版されたコミックをゲイマン自身が総指揮をとり、Netflixが映像化した。
そして最優秀ファンライター(アマチュアライター)部門に名前が挙がっていたポール・ワイマーは、過去何度も同部門の最終候補にノミネートされてきた著名アマチュア作家。彼が編集者として参加しているSFファン雑誌「Nerds of a Feather」も昨年度の最優秀ファン雑誌賞の次点だった。
この4人は、多くの人たちが最終ノミネートまで歩を進めるだろうと予測していたにもかかわらず、途中で「ノミネート資格なし」として排除されていた。また、その理由も、また誰が判断したのかも、投票統計(PDF)には書かれておらず、SF関係者の間から大会運営者に対して説明を求める疑問の声が巻き起こった。
2023年10月、四川省成都ワールドコン 決定のドタバタ舞台裏
ヒューゴー賞は、長編、中長編、中編、短編のそれぞれの小説部門だけでなく、シリーズ部門、関連書籍、編集者など小説出版のほか、ドラマや映像、グラフィック、さらにはセミプロやアマチュア(「ファン」と呼ばれる)など、SF出版に関わる裾野の広い17の賞が設けられている。
運営統括はワールドコンの運営母体である非営利団体の世界SF協会(WSFS)が行い、毎年の地区主催者と協力して運営が行われている。受賞の選考は、日本の芥川賞や直木賞のような選考委員によるものではなく、全ての賞は授賞式に先立って開催されるワールドコン参加者の投票によって決定する。
投票の手順は、例年1月から3月にかけて予備投票が行われ、そこでは前年のワールドコン参加者が投票する。そして選出された最終ノミネートが4月に発表され、その年の夏に行われるワールドコン参加者が最終投票を行うことになっている。
だが、昨年のワールドコンは例年より遅い10月に開催された。それは、会場となる予定だった成都科幻館の竣工(しゅんこう)が間に合わなかったからだとされている。
ただ面白いことに、2021年の米ワシントンで開かれたワールドコンで成都市SF協会が2023年度の主催申請をしたものの、ライバルのカナダ・ウィニペグが有力視されており、「彼ら自身もまさか獲得できるとは思っていなかったようだ」と多くの人たちが証言している。というのも、本来なら主催権獲得後すぐに発表される大会委員名簿や、参加者のためのホテル情報や会員価格などの発表が行われなかったからだという。
さらに今回のトラブルの後に噴き出した、ワールドコン関係者たちのブログや記事を読むと、この開催地決定時の投票では、通常の投票とは違い、住所や所属が書かれていない「出どころ不明」の票が大量に出現したらしい。だが世界SF協会がそれを受け入れた結果、成都に決まったということだった。
その後、開催までの21カ月の間、実際にトラブルも起きた。主催者である成都側が発表した大会ゲストに、劉慈欣とともに、西洋社会ではほぼ無名の、ロシアの体制派SF作家の名前が書かれていた。プーチン大統領の熱狂的な支持者であり、ウクライナ侵攻に関しても扇動的な発言をするこの作家をゲストに招いた成都ワールドコンに抗議し、ノミネートへの辞退を発表した作家も出ている。
だが周囲の不安をよそに、昨年10月18日にどうにか成都ワールドコンが開幕。それと同時に世界から集まってきたSFファンを狙って、中国当局は「SF産業発展サミット会議」を主催し、「SFの街成都」の紹介や、SF産業関連事業契約の締結式などを開催した。この様子を中国共産党の機関紙「人民日報」では、「成都は『SF産業チャンスリスト』を発表し、40もの重大プロジェクトを明らかにし、総額約380億元(約8000億円)を投資するとした」と報道している。
資格剥奪された4人は、中国政府から見て「危険人物」?
だが、その裏でヒューゴー賞にも「中国らしい」事態が起きていた。
実は資格剥奪された4人には、周囲が「中国政府が介入した」と考える理由がそれぞれあった。
まず、R.F.クアンはアヘン戦争を題材にしたデビュー作『ポピー・ウォー』で、毛沢東を10代の女性に見立てて描いている。また、今作『バベル』も、アジアの孤児院からイギリスに引き取られた子どもが、言語を媒介にした国際的スパイ訓練機関へと送り込まれるというあらすじで、中国にとってあまり気分の良いものではなかったようだと指摘されている。
シーラン・ジェイ・ジャオも話題のデビュー作『鋼鉄紅女』で武則天を主人公に描いた。つまり、クアンもジャオも、中国的にいえば「歴史的修正」を行ったことになる(もちろん、SFだが)。また父親が中国の少数民族・回族であることを明らかにしているジャオはさらに、英『ガーディアン』の取材に対して「過去わたしが中国に対して行った批判的な言論も問題視されたのだろう」と述べている。
また、ニール・ゲイマンはペンクラブのメンバーであり、これまでも中国政府の言論統制や報道規制に対する批判をたびたび口にしてきたり、言論罪で逮捕された作家たちの釈放を求める請願書にも署名したりしたことがあった。ポール・ワイマーも成都ワールドコンへの支持を表明しつつも、SNS上で香港問題や天安門事件について述べたことや、中国人LGBTQ作家を称賛したことが引っかかったのではないか、とみられている。
ヒューゴー賞に起きた「中国らしい」事態
「中国政府の介入」疑惑に対して、2023年度ヒューゴー賞運営責任者であるデイヴ・マカーティは、SNS上で「ヒューゴー賞運営委員会と中国政府との間に、公的なやり取りはなかった」と述べ、そのコメント欄では大議論が巻き起こった。また、同賞運営委員会は、「我々が従わなければならない原則とルールを再確認した結果、当該作品や人物はノミネート資格なしと判断された」とコメントしている。
しかし、その結果に納得しない業界関係者およびファンたちの間では次々に独自調査が行われている。自らもニュースジャーナリストであるクリス・バークレイとジェイソン・サンフォードの二人は舞台裏について詳細な調査を行い、その結果を公開している。
『時代の行動者たち 香港デモ2019』(白水社)李立峯 編、ふるまいよしこ 訳、大久保健 訳
それによると、運営委員会のメンバーの一人が今回の出来事に関わったことを「恥ずべきこと」とファンに謝罪し、中国側主催者ではなく世界SF協会側の委員会内部でやり取りされたメールを公開した。その中には、マッカーティ自身が運営委員に向けて「中国、台湾、チベット、そしてその他中国に関わる問題について触れた内容をピックアップすべし……我々運営側がそれに対して法に照らして判断する必要がある」などと書いた内容も含まれていた。
この報告書では、中国政府が作品選定に具体的に影響を与えたという証拠は現時点ではまだないとし、「経済利益を鑑みた運営者側の自己規制だった可能性もないとはいえない」と論じている。が、SFファンたちにとって、暴露された委員会内のやりとりとともにかなり衝撃的な事実が詰め込まれている。
この事件はすでに、「ヒューゴー賞の歴史と権威を貶めるもの」として業界関係者およびファンたちの激しい怒りを引き起こしており、世界SF協会トップらの退任を求める声も巻き起こっている。「SF界のノーベル賞」が今後いったいどうなっていくのか。多少でもSF小説に関心のある身としては、やきもきさせられる事態である。
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