「天狗の中国四方山話」

~中国に関する耳寄りな話~

No.320 ★ 中国で夢敗れ貧困に陥った70代日本人男性、アジアを漂流する高齢者が求める居場所

2024年05月11日 | 日記

DIAMOND online (姫田小夏:ジャーナリスト)

2024年5月10日

多文化共生の素地があるマレーシアは、日本人にとっても居心地のよさがある(著者撮影)

428日、フジテレビ系列の番組『ザ・ノンフィクション』で、フィリピンに渡った日本人男性の末路が放送された。題して「私の父のなれのはて~全てを失った男の楽園~」。実は筆者にも、彼のような生き方をしている人たちに心当たりがある。2000年代、世界の中心として脚光を浴びた中国・上海で商売を当て、現地女性と深い関係になり、その土地の人と化して日々を送る。そんな日本人男性は一人や二人ではなかった。あれから約20年がたち、今や後期高齢者となる人もいる。彼らは今、どこでどうしているのだろうか。(ジャーナリスト 姫田小夏)

2000年代に「一獲千金」を夢見て中国へ渡った一匹狼の男たち

 近年、サプライチェーンの再編とともに、中国からヒト・モノ・カネの脱出が加速している。工場や商売だけではない。人の流れもまた、中国から東南アジアへと南下をたどる傾向が見て取れる。

 2000年代前半の上海には、さまざまな背景を持つ日本人が集まっていた。企業の駐在員や出張者もいたが、発展途上の上海で商機をつかもうと、うごめく“一匹狼”たちもいた。たいていのことは金銭で解決できるという“規制の緩さ”に引き寄せられる40~50代が、単身で乗り込むケースが多かった。

 そんな上海の日本人コミュニティーの片隅に、“一匹狼たち”が冗談半分で組成した「マイコツ(埋骨)会」という集まりがあった。

 日本に帰る場所がある駐在員とは異なり、“片道切符”同然で上海にやってきた日本人には、一種の覚悟があった。「骨を埋める覚悟でやろうじゃないか」――と夜な夜な飲食店に集っては、ビール片手にもうけ話に花を咲かせていた。

 単身で乗り込む“一匹狼”の中には「知らない間に孫ができていた」という人もいた。日本に残してきた家族との疎遠ぶりは、表向きの“辣腕商売人”の顔とは裏腹に、哀愁漂うものがあった。

 しかし、上海経済の隆盛期に活躍していた日本人も、今では雲散霧消した。2000年代の後半にはカンボジアへ、2010年代初頭にはバングラデシュへ…。人件費や賃料などのコスト高騰を主な理由に、かなり早い段階から中国を脱出する“一匹狼”が目に付くようになった。

 こうした時代の風雲児たちの中には、現地で所帯を持った人もいるが、終の棲家(ついのすみか)を考える時期、彼らは今どこでどうしているのだろうか。

加齢とともに見放された日本人男性が行き着いた先

 フジテレビ系列で放送された『ザ・ノンフィクション』(「私の父のなれのはて」)が追ったのは、2024年時点で74歳の平山さんという男性だった。友人から誘われ2004年にフィリピンに渡り、日本料理店開業を計画したが、知人が開業資金をカジノで使い込んでしまい無一文に。帰国の道を絶たれた平山さんは、日本では行方不明とされながらも、フィリピン人女性との間に子をもうけ、貧しさの中で生きていた。

 筆者は今春、取材先のマレーシアの首都・クアラルンプールで、上海から渡ってきて最期を遂げたある日本人男性の遺品に接した。家族も持たず、「風の向くまま」に生きてきた日本人男性(享年76)の客死だった。
 
 この男性を石田さんと呼ぶことにしよう。一時代を上海で過ごした石田さんが、上海からクアラルンプールに南下してきたのは2018年のことだった。ほぼ無一文といった状態の石田さんを救ったのは、クアラルンプール在住歴12年になる斉藤さん(仮名)だ。

 石田さんと斉藤さんは、上海で共に生きた仲だった。習近平政権が発足した2012年以降、上海ではビジネスのやりづらさに悲鳴を上げる日本人が増加するが、斉藤さんは時代の変わり目に早くもクアラルンプールに拠点を移していた。

「石田さんが上海から出ざるを得なかったのは、ビザの取得が困難になったこともあると思いますが、誰も面倒を見てくれなくなったことが大きいと思います。上海在住の単身の日本人男性の中には、身の回りの世話をしてくれるシャオジエ(小姐)と呼ばれる女性の存在があり、見返りに金銭やマンションを買い与えたりして深い関係になる人もいます。けれども、年を取るとともに見放されてしまう日本人男性が少なくないんです」(斉藤さん)

 後期高齢者への突入を目前にした石田さんの居場所は、すでに上海にはなくなっていた。ましてや日本にも頼れる家族や友人はいない。石田さんが選択したクアラルンプール行きは、そういう意味を含んでいた。そんな石田さんに、情の厚い斉藤さんは仕事と住まいを与えた。

 ある日、石田さんは心臓の痛みを訴え、救急車で搬送された。しかし、石田さんはマレーシアに流れ着いたときには預金やクレジットカードもなく、海外旅行者保険にも加入していない状態だった。こうした理由から早々に退院させられた石田さんを、再び斉藤さんが引き取り面倒を見た。

 近くのマンションに住まわせ、朝9時と夕方5時に定期的に食事を出す。そうやって日課を作り、斉藤さんは毎日石田さんの安否を確認した。

「私の父のなれのはて」の最後のシーンでは、フィリピンの平山さんは車いすに乗っていた。時々刻々とその日が近づいていることは本人もわかっている様子だった。

 一方、筆者が取材で知ったマレーシアの石田さんの、「その日」の到来は、想像以上に早かった。事態が急変したのは、退院した矢先のことだった。

ソファで横たわるランニング姿の石田さんの最期

 ある日の夕方から、斉藤さんは石田さんと電話の連絡が取れなくなった。悪い予感がしたので警察に連絡し、駆けつけた警察が蹴破ったドアの背後から部屋の中をのぞいた。

 すると、そこには、ソファの上でランニングとパンツ一丁で動かなくなった石田さんの姿があった。あっけない最期だった。

 1990年代後半から続く石田さんとの関係について、斉藤さんは「腐れ縁」だと言うが、その縁はすぐには切れなかった。石田さんの遺体をどうしたらいいのか――。その後、斉藤さんは四方八方、手を尽くすことになる。

 真っ先に電話をしたのは、マレーシアの日本大使館だった。石田さんが親族の電話番号のメモを持っていたため、斉藤さんは大使館に連絡を願い出たが、大使館員からは「それ以上は何もできません」と告げられる。つまり、必要な手続きや金銭の負担は斉藤さんがやってください、という意味だ。

 邦人の遺体への対応について、外務省OBに尋ねてみると、確かに「ご遺体の搬送などの支援はしますが、金銭的な負担を大使館が行うのは難しいかもしれません」ということだった。

クアラルンプールで荼毘(だび)に付す

 立っているだけでも汗がしたたり落ちるマレーシアだが、斉藤さんは、石田さんの親族がクアラルンプールに到着するまでの1週間、火葬場を探したり、遺骨を日本に持ち帰るための手続きを調べたりと、連日奔走した。

 マレーシアでは、遺体は親族でないと引き取ったり火葬をしたりすることができず、その間、遺体は警察が預かるということで、大学病院の遺体安置所に移送された。石田さんの体は袋状のもので包まれ、銀色の扉が付いた冷凍庫の中に入れられた。

 連日気温30℃を超えるマレーシアでは、通夜などの儀式はなく、火葬はその日に短時間で行われる。順番が来ると、ひつぎはベルトコンベヤーに乗せられて暗いトンネルに入っていく。その茶色いひつぎを、斉藤さんは静かに見送った。

「ひつぎはトンネルの入り口でいったん止まりました。この世とあの世の境となるトンネルの入り口上には仏像があり、額(ひたい)の白毫(びゃくごう)から、無数のレーザービームが出て、石田さんのひつぎを照らしていました」(斉藤さん)

 マレーシアは人口の約3割が華人系といわれており、仏事での葬儀も執り行われているようだ。荼毘に付した後、斉藤さんは骨つぼを日本大使館に運んだ。そこで見たのは「骨つぼのふたの固定」という意外な作業だった。

「骨つぼのふたを赤い蝋(ろう)で封印するんです。ここに麻薬を入れて日本に持っていこうとする人もいたからだそうです」と斉藤さんは話す。

 マレーシアで客死した石田さんの遺骨は遺族に引き取られ、海を越えてようやく日本に戻ることができた。

日本に居場所がないと感じるのは石田さんだけではない

 遺骨を見送り、肩の荷を下ろした斉藤さんだったが、気持ちの中には小さなモヤモヤが残っていた。

「骨つぼは、日本の空港からゆうパックで実家へ送ったそうなんです」と斉藤さんがつぶやく。遺族にとって、石田さんは歓迎される人ではなかったことがわかる一言だった。遺族は遺品も引き取ろうとはせず、斉藤さんに処分を委ねたという。

 深い事情はわからない。推察できるのは、何十年か前にあったかもしれない家族との意見の対立や考え方の食い違いだが、それは骨になっても許し難い深刻なものだったということなのだろう。日本では核家族化がさらに進行して、個人と個人のつながりさえ維持できないような状況にある。そんな日本に居場所がないと感じるのは、故人となった石田さんだけではないかもしれない。

 やっかみや足の引っ張り合い、古い価値観や不寛容さ――、そんな日本社会からアジアに目を向ければ、貧しくとも寛容さや温情に満ちた社会がある。そこに居心地のよさを感じ長い間滞在する日本人がいても不思議ではない。だが、いつまでも若い自分ではいられない。

『ザ・ノンフィクション』の中で、フィリピンに流れ着いた平山さんは、自身の寿命が尽きるのを待っているかのようだった。金もなくその日暮らし、身なりもボロボロのシャツ姿だ。けれども不幸せではなさそうだった。フィリピンには「糸の切れたたこ」同然になった平山さんを受け入れる現地の家族があり、また平山さんが言葉を交わすことができる“ご近所”という空間もあるようだった。

 アジアを漂流する日本の高齢者の意外な一面に、一言では語り尽くせない複雑な因果関係を見た。「私の父のなれのはて」は衝撃的なタイトルだったが、むしろその選択は、日本の社会が生んだ必然の結果だと思えてならない。

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No.319 ★ 中国 「デジタルビジネス3年行動計画」発表、デジタル消費の活性化を促進

2024年05月11日 | 日記

JETRO北京事務所

2024年05月10日

中国商務部は4月28日、「デジタルビジネス3年行動計画(2024~2026年)」を発表した。同計画では、デジタルビジネスのエコシステム構築、ビジネスのデジタル化、ネットワーク化、スマート化のレベルアップを図るとしている。

計画では、2026年までの目標として、ネット通販の市場規模世界1位(注1)を維持するほか、一般貿易の伸び率が越境EC(電子商取引)のそれを上回ること、デジタル貿易の規模(注2)の持続的成長を実現させることなどを挙げている。

計画では、(1)デジタルビジネスの基盤強化、(2)デジタル消費の拡大、(3)デジタル貿易の振興、(4)デジタル産業チェーン・サプライチェーンの強化などによる現代化産業体系の整備、(5)デジタルエコノミーの国際協力深化といった5つの面から20項目の取り組みを盛り込んだ。

(2)のデジタル消費の拡大では、次の5つに取り組む。

  1. 新商品の体験、文化・娯楽・観光、スポーツ大会、ヘルスケアなどについて、リアルとデジタルを融合させた新たな消費シーンを作り、一連のデジタル消費ブランドを育成する。
  2. ビジネスサービス業のデジタル化を奨励し、商品市場のデジタル化・スマート化を指導し、生活サービスのデジタル化・スマート化のレベルアップを加速させる。
  3. 農村部でライブコマースを展開し、農産品の産業チェーンのデジタル化を推進し、農村の物流体系の整備もさらに進め、農村の消費潜在力を引き起こす。
  4. 国内市場と国外市場のマッチングを促進する。
  5. スマート倉庫・物流設備の無人化を推進し、ECプラットフォームと宅配業者の連携とデータ共有を指導するなど、具体的な措置が打ち出された。

(3)のデジタル貿易の振興では、貿易分野のデジタル化のレベルアップ、越境ECを通じた輸出の促進、デジタルサービス貿易のコンテンツの充実、デジタル貿易の推進に取り組む。

(4)のデジタル産業チェーン・サプライチェーンの強化などによる現代化産業体系の整備では、デジタル産業での外資系企業の参入を拡大させるほか、越境サービス貿易ネガティブリスト制度の実施や(2024年4月2日記事参照)、条件を満たす外資系企業のデータ越境移転の利便性向上、デジタル分野の対外投資の拡大などを提唱した。

(注1)商務部電子商取引司によると、中国のネット通販市場規模は11年間連続で世界1位となった。

(注2)商務部が発表した「中国デジタル貿易発展報告(2022年)」によると、中国の2022年のデジタル化が可能なサービスの輸出入額は前年比3.4%増の3,727億700万ドルで、過去最高を更新した。

(張敏)

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No.318 ★ 中国知的財産権侵害・模倣品摘発活動年度報告書(2023)」を発表

2024年05月11日 | 日記

JETRO上海事務所

2024年05月09日

中国の国家質量強国建設協調推進指導グループ弁公室は4月27日、「中国知的財産権侵害・模倣品摘発活動年度報告書(2023)」を発表した。

報告のポイントは次のとおり。

(1)インターネット上の権利侵害などの摘発活動

  • 国家版権局、工業情報化部などはインターネット上の権利侵害・海賊版対策のための特別プロジェクトを共同実施。2023年に権利侵害品などに関連するリンク244万件、関連アプリ2,390個を削除した。
  • 市場監督管理総局は同年に実施した特別行動を通じ、インターネット上の違法・規則違反案件2万7,000件に対処。また、プラットフォーム企業に対し、法律・法規への厳格な適合を促し、854社に累計3,680項目の是正が行われた。

(2)その他の摘発活動

  • 市場監督管理総局はブランド品の模倣品や悪意の商標出願(注1)などを対象とした大規模な取り締まりを実施。対象案件とその金額はそれぞれ56万5,000件、28億1,000万元(約590億1,000万円、1元=約21円)に上った。うち、商標および専利(注2)に関する違法案件は4万4,100件、8億3,900万元だった。また、同局は不正競争案件1万2,496件に対して、5億8,000万元の罰金を科したほか、143種の製品に対して国家レベルの抜き取り検査を実施。2万6,472社が生産する2万8,265ロットを検査し、3,302社の3,476ロットの不合格製品を検出。うち172ロットは模倣品の疑いがあった。
  • 同局と国家質量強国建設協調推進指導グループ弁公室は、2023年模倣品全国統一廃棄活動を実施。防疫物資、食品・医薬品、アパレル製品、たばこ、酒類、化粧品、海賊版出版物など計200種類以上の模倣品を22省(区、市)で一斉に廃棄した。廃棄物は4,734トン、8億3,000万元相当に上った。

(3)貿易、輸送時の監督強化

  • 税関総署は同年、権利侵害の疑いのある貿易貨物累計6万2,000ロット(8,288万9,000件)を差し止めた。
  • 国家郵政局は郵送企業に対して、「実名制による集荷」「荷物受送時の点検」「機器による安全検査」の3項目の徹底を命じ、模倣品の郵送ルートへの侵入防止を図っている。地方各レベルの郵便管理部門は延べ3万4,000人に対して行政執法検査を行い、6,606件を行政処罰とした。

(注1)一般的に、他人の商標が当該国・地域で登録されていないという事実を利用して、不正な目的で当該商標を出願する行為を指す。

(注2)「専利」とは、日本の特許(発明)、実用新案、意匠に当たる。

(陳貝蓓)

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No.317 ★ 中国・北京の賃貸オフィス「空室率20%」の憂鬱 賃料下げても企業は借り増し・借り換えに慎重

2024年05月11日 | 日記

東洋経済オンライン (財新 Biz&Tech)

2024年5月9日

北京市の賃貸オフィスは需要の弱さを背景に空室が増え続けている。写真は同市の中央ビジネス地区(イメージ)

中国の首都の北京市で、賃貸オフィスビルの空室率上昇と賃料下落が続いている。ビルオーナーは既存テナントの引き留めと新規テナントの勧誘に必死だが、それがさらなる賃料下落を招く悪循環に陥っている。

不動産サービス大手のジョーンズ・ラング・ラサールがまとめた2024年1~3月期のデータによれば、北京市のAクラスオフィスビルの平均賃料は1平方メートル当たり月額287元(約6069円)と、直前の2023年10~12月期より4.3%下落した。

過去13年で最悪の空室率

北京市のオフィス賃料は5年前の2019年をピークに下がり続けており、2022年から下落のペースが加速した。それまで様子見していたビルオーナーの間でも、賃料値下げを自ら顧客に提示する動きが相次ぎ、テナント争奪戦が過熱している。

背景には(需給バランスの悪化で)高まり続ける空室率がある。不動産サービス大手のサヴィルズのデータによれば、北京市のAクラスオフィスビルの空室率は2023年末時点で20.4%と、過去13年間で最悪を記録した。

空室率の上昇に歯止めがかからないのは、賃貸オフィスの新規供給よりも需要縮小の影響が大きい。

サヴィルズのデータによれば、2023年10~12月期に新たに貸し出された面積から退去により返却された面積を差し引いた「純吸収面積」は、北京市内の5大オフィス街でも北京市全体でもマイナスだった。

賃貸オフィスの空室率が上がり続ける中、北京ではなお大規模開発が進む。写真は北京市政府が建設を進める副都心地区(北京市通州区政府のウェブサイトより)

なお、一部の企業がオフィスの借り増しや引っ越しを2024年1~3月期に実施したため、同四半期の北京市の純吸収面積は3万1000平方メートルのプラスに転じた。

これは主に国有企業を中心とする中国資本の動きだ。ジョーンズ・ラング・ラサールの調査によれば、1~3月期に成約した賃貸契約の9割以上が中国資本によるもので、外資系はごく一部だった。

需要不足で停滞が長期化

サヴィルズのデータによれば、1~3月期の純吸収面積の増加により、北京市のAクラスオフィスビルの3月末時点の空室率は(2023年末時点より)0.2ポイント改善して20.2%となった。とはいえ、20%を超える空室率が歴史的高水準であることに変わりはない。

中国の景気の先行きが不透明な中、企業は総じて賃貸オフィスの新規契約や借り増し、借り換えに慎重だ。不動産サービス大手のコリアーズ・インターナショナルで調査部門の責任者を務める陸明氏は、財新記者の取材に対して次のような見方を示した。

「賃貸オフィスに対する有効需要の不足が、今後も長期にわたって北京のオフィスビル市場を停滞させるだろう。空室率は20%を超える状況が当分続きそうだ」

(財新記者:牛牧江曲)
※原文の配信は4月12日

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