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サワノのお気に入りだけで構成するブログ

TRUCK nest

2016-09-11 | 木工・家具(全般)

TRUCK nest」、読み終えるのにもっと時間が掛かると思っていたのに なんと ひと晩だった。

おもしろかった、想像以上に。

そしてカッコ良かった、想像以上に。

 

「工場を大きくして店も増やし、スタッフも増える。

それによって売り上げを作らないといけなくなって、売るための商品作りをする。

数字が先にくるもの作りが一番コワイ。」

 

やっぱり同じ様にこの壁にぶつかり 日々 戦う。

私達は 一体 どれだけの戦友を失っただろうか。

ふっと旋盤の写真が出てきた。

しかも「KERV」じゃないスか!笑

 

 

 

 

オークションでイギリス製チャーチチェアを入手。

なんと 本体価格3000円(+静岡までの送料2000円)。

       

届けられたチャーチは 梱包の仕方が明らかに家具屋の仕事。

念入りにチェックしてみる。

グラつきなし、ガタつきなし、パーツの欠損なし、ムシクイなし、ワレなし。

驚くほど 出番がない、笑。

本当に驚いた。

職場でコトの詳細を話してみた。

世の中 どうなっているのかと木工と塗装で しばし雑談。

どうしたものかね、笑。

 

 

 

        

「 作業台をこう置いて、ココに テーブルと椅子」

「何するの? あー打ち合わせしたりお昼ご飯食べたり?」

「そう。それでテーブルの真ん中にサワノさんが作ったうつわを置く」

「なに?おやつ入れ?」

「うん」

きゃははは....最高っ! 

 

 

 

…カッコ良い家具屋って どうあるべき?

 

 

 


アンティーク家具屋巡り。

2016-06-12 | 木工・家具(全般)

仲間内で アンティーク家具屋巡り、してます。

時には所要時間17時間を記録!

好きなこととなると 集中力ハンパなく 見境がなくなる人種。笑。

でもこれが 想像以上に楽しい時間になっている。

毎日毎日、仕事で向き合っているモノなのに 他社のショップ巡りがこんなに楽しいとは。

良い家具を より良く魅せる姿勢は どこの家具屋さんにも圧倒される。

もっとカッコ良いことがしたい。

もっとカッコ良くならないのか。

       

好きなモノ見て 美味しいモノ食べて 素敵カフェで一服。

       

もともと現地の美術館やかわいい雑貨屋さん、素敵なカフェを探してから旅行に出掛ける派なので

家具屋さん周辺のランチのお店選びや 行ってみたい素敵カフェを探す計画を立てるのも楽しい。

一緒にいる時間を楽しんでくれる仲間に感謝。

       

そんなことをしていたら、個人的にいろいろ研究してみたい気持ちがもくもくと湧いてきた。

メタノールの代用品を 絵画系の方のブログで見つけたので これは是非 実験してみたいなぁ

こちらはサスガ!mina perhonen ↑↑

アンティークではないけれど ヨハンナグリクセンを使っている家具屋もあった。

独自の新しい視点で成功してこそ。

高いアンテナと広い視野と確かなセンス。

artekもARABIAのヴィンテージ食器も気になった。

ですが実はワタクシ、23日からの現地入りを決めてます。 

そう、フィンランドです 

行っちゃいます、念願のフィンランド。 

 

ちなみに 私のフィンランド名は、オーロラちゃんだそうです ↓↓ よろしくお願いします  笑。

        

 

 

 


kitani

2012-09-22 | 木工・家具(全般)

滞在したホテルアソシアの 少し先にあるキタニのショールームに行ってきました。

トップの写真は キタニでもらったポストカードを額に入れてみた図 ↑

 

フィン・ユール邸が話題ですね ↓

もっと近づいて撮れば良かった  ↑↑

外見だけでも すごく素敵空間 

なんか、ここを取り巻く空気が(行ったことないけど、勝手に想像する)北欧です、笑。

公開日が限られているので 今回は見学出来ませんでしたが

見学された方の写真(中は撮影可能な様です!素晴らしい!)を見ると

本当に素敵で これは少し高めの入場料を支払っても 行ってみたい!という気持ちになります。

実際、その価値も充分にある様です。

しかし 何故 公開日を家具見本市に合わせなかったんだろう....  ?

 

すぐヨコに 邯鄲亭(かんたんてい)という北欧家具美術館がありました ↓

ここも時間の都合で見送り 

いつか フィン・ユール邸と合わせて来ます。

両方の見学で4500円て ちょっと尻込みしてしまうけど「その価値はある」様です。

誰もが自由に学べる場、過去を未来に繋げていく場、を一般に提供するという

これだけのプロジェクトを推進している家具メーカーはとても少ないし、

向かっている先がブレてない、何より、センスが良いです。

その「協賛金」と考えれば 決して高くないのでしょう。

 

で、その奥に続く キタニのショールーム(無料!)に行って来ました。

で、写真を撮り忘れました 

ガラス張りで開放的、木が効果的に使われていて 心地良いショールームでした。

加えて 営業さんがとても親切丁寧に 

いろんな抽き出しから話題を広げて 惜しまずに提供してくれます。

これは キタニを訪れた他の方も言っているので 間違いないと思います。

そういう社員教育なのか、そういうひとが集まった企業なのか、

会社全体の姿勢も含めて素晴らしい  と思います。

 

 

そんなこんなで いまから静岡市美術館で開催されている

「フィンランドのくらしとデザイン展」の関連イベント、

島崎信さんの講演会「北欧デザインの中の フィンランドモダンデザイン」に

行ってきます 

 

 

 

 

 


飛騨の匠と家具の歴史

2012-09-17 | 木工・家具(全般)

ちょいちょい追記してます。ご了承下さい 

 

 

 

「飛騨の匠と家具の歴史」....、偉そうなタイトルですが

「2012 飛騨高山 暮らしと家具の祭典」が行われた 飛騨・世界生活文化センター ↓↓ に

同タイトルの展示室があり そこから拝借しました。

決して 私が語るワケではありません、笑。

その「飛騨の匠と家具の歴史」という展示室に入って

展示品(トップの写真 ↑ )を見た瞬間 テンションマックス!!

これはヤバい。ドンピシャだ!

「落ち着け 私!」と心の中で繰り返しながら すぐさま入口に引き返し

案内係のおばさんにダメもとで 写真を撮りたい と(出来るだけ可愛く )訴えてみた。 

返ってきた答えは意外にもあっさり「どこにもダメって書いてないものね、まぁいいわ 」。

....やった !! 小さくガッツポーズ !!

ちなみに トップの写真 展示物ヨコにて禁止しているのは手を触れることのみ。

確かに 写真については何も書かれていない。

落ち着いて見てみると 飛騨の家具=飛騨木工(現在の飛騨産業株式会社)の歴史らしい。

まぁ歴史から言えば そうだろうね。

        

        

個人的には こういうの もうたまらんのです ↓ 

「日満華親善を真の目的とせる 東亜新秩序の共同建設に貢献をめざす」

「依然世界的に独歩して 光輝を保有する 飛騨木工折畳椅子(日満国 新案意匠特許)」

「魂を打込める製品は 工芸美の絶大と耐久堅牢の責に任ず」

いやー、すごい。

(余談ですが 日本語を横書きするの際 左から右に向かって書く様になったのは

アメリカの文化が入ってきた戦後だと思っていましたが 

これって ↑ 戦前・戦中のカタログですよね?その辺り どうなんでしょう?)

そして それがこの ↓ 折り畳み椅子の現物なのが もっとすごい。

        

戦中の高山高等女学校、戦闘機用 燃料補助落下タンク製作風景 ↑

昭和17年 夏頃から 浜松の河合楽器の指導にて 落下タンクの製作を開始、

(むむ、家具屋はやはり曲面に弱いのか? 解説によると 合板を使用したらしい。)

昭和18年に入り 飛騨木工に隣接していた高山高等女学校を工場化し

生徒を動員して 簡易的な木工技術を指導していった。

この頃の飛騨木工は 弾薬箱や要具函なども製作している  関連記事「写真に見る家具百年史」

名機と言われた(らしい )陸軍4式戦闘機「疾風(はやて)」↑

コイツの模造機、いわゆる「木製戦闘機」の製作も行われた(実機は当然 金属製)。

昭和19年には 飛騨木工を中心とした「高山航空工業株式会社」が誕生し

終戦までに10機の試作機が完成しているが 期待された性能に及ばず 終戦を迎える。

終戦後 木製の試作機は全て 宮川の川原で焼却されたとのこと。

ちょっと調べてみたら 北海道 北日本製紙(旧王子製紙から分離した王子航空機が全身。

1970年に王子製紙に合併)呉羽紡績、立川飛行機が この模造機(キ106)を作っている。

飛騨木工は立川飛行機の流れをくんでいた模様。

木工屋のみならず 紙屋や布屋まで木製戦闘機を作っていたことになる!

ちなみに当時 既に イギリスのモスキート、

ソビエトのミグ、ヤグと言われる木製戦闘機が 実際に飛んでいたらしい

(何故イギリスに出来て 日本に出来なかったのか?← 単純に技術面での疑問です!)。

日本はそれらを参考に 研究とテストを繰り返し 設計していった。

木製戦闘機生産のための資料 ↓↓

そして 戦後は 進駐軍の家族用住宅に置く家具の生産が始まる。

 関連記事「進駐軍家族用家具の生産」

秋岡芳夫によるカードチェア ↓ 飛騨木工とマルニ木工で製作された。 

        

           

 

高度成長期の飛騨産業は 葭原基さん一色(笑) ↓ 原寸図面も展示されていました。

手前から3脚目の ↑「EIGER(アイガー)」は創業90年の記念で復刻され

4脚目でスタッキングされた「CASCADA(カスケード)」はリ・デザインされている様です。

すごく充実した展示、これらは常設展示だろうか?

飛騨で家具に関わるというのはやっぱりすごい環境なんだろうな。

そのまま「日本の家具(木工)の歴史」でもあるからね。

本当は高山滞在中に飛騨産業のショールームに行こうと思っていたけれど

ショールームで写真撮影は出来ないだろうし この展示で充分こと足りてしまった。

これだけで高山に来た価値があったー 

 

 

そしてここから「日本の美 飛騨デザイン」の展示 ↓ 照明は全てイサム・ノグチ。

        

飛騨産業の佐々木さん ↑ と 柏木工の岩倉さん ↓ 

        

日進木工の矢島さん ↓ (奥は柏木工)

        

大学の卒業制作、続く展示会に出品する作品の製作をお願いしたことで

実はすごくお世話になった 中村さん ↓ お元気だろうか?

        

飛騨産業を退職後、曲げ木工房を構え 主に椅子の製作をされていた。

塗装と椅子の張りは違えど コレ ↑ 我が家のダイニングチェアなのです 

奥の赤い座面の「チューリップ」は 製作当時 嬉しそうに見せて下さったのを覚えている。

なんて 懐かしいんだろう!

しかし  驚いたのはコレ ↓ 原研也さん。

これはカッコイイ。これには完敗。

グラフィックデザイナーにここまでされちゃったら

プロダクトデザイナーは明日から何をしたら良いのか(笑)?

グラフィックデザイナー、と、言えば とあるスツールのデザインに

「松永真」とあったけれど あの松永さんだよね?

同姓同名かな?いや 松永さんだよね?

松永真さん、プロダクトもやるの?

やるなぁ。

やるなぁ 松永さん。

やるなぁ 飛騨高山。

....そんなことを考えながら また日常へと戻っていく次第です。 

 

 

久し振りにFBに連携してみよう  

 

 

 


シェーズロングの復刻。

2011-11-05 | 木工・家具(全般)

旅行中 すっかり世間の動向と離れていましたが

河井寛次郎記念館(京都)で、

シャルロット・ペリアンと日本」展(~2012.1.9)のチラシをもらいました。

河井寛次郎も、民芸運動の推進者 柳宗悦とともにペリアンと交友があった人物。

 

シャルロット・ペリアンは学生の頃からとても好きなデザイナーで

こんな機会が日本であるのなら 是非 行ってみたいと思っています。

鎌倉なんてパリの装飾芸術美術館に比べたら近いモンです。

(パリでペリアンの竹製シェーズロングを見ることが出来なかった私。

この辺りを参照リ・デザイン」)

 

これに伴い あちこち調べていたら

CASSINAが竹製シェーズロングを復刻していたんですね!

驚きました。

いえ、個人的にも「リ・デザイン」の意味を教えられた名作椅子でありますが

「今」CASSINAが復刻することに驚いた。

何故「今」だったんだろうか?

神奈川県立近代美術館(←ペリアンと親交の深かった坂倉準三設計)で開催中の

「シャルロット・ペリアンと日本」展に合わせてのこと?

私はもう所謂デザイナーズチェアを「これが欲しい!!」とは思えないけれど(

とりあえず驚いたのでブログ書いてみました、笑。

 

トップの写真は「竹」繋がりで 京都は嵐山のー....と言いたい所ですが

一乗寺 詩仙堂の北側にある「圓光寺」、境内山上に向かう途中の竹林。

 

 

 


マイスター

2011-09-25 | 木工・家具(全般)

簡単な作業をしようとインパクトドライバーを借りたら

まさかのバッテリー切れ....あわてて借りて来たから仕方ないか。

そんなワケで作業は来週に延期。

あっさり。

 

 

気分を変えて 天童木工の永沢義男さんが若手を育成する様子を紹介した

「現代の名工・木工マイスターの挑戦と継承」を見ました。

マイスター永沢さん(左)↓と 入社8年の佐々木さん(右)↓

永沢さんはとても優しそうなオジサンでしたが

若手の職人さんが「職人気質で厳しいです」と言ってましたね....、

そりゃそうですよね

「木工マイスター」とは一級技能士の資格を持ち、実務経験を20年以上積み

その技術を伝承していく高い志を持った人に与えられるらしいです。

(日本に8人....って、一体どこから与えられるのでしょうね?)

 

栗原はるみさんから依頼され 組み立て式のテーブルを作ってました。

(タイトル通りですが)マイスターと若手による特注家具製作って感じでした。

工場でじゃんじゃんバタフライが出来ていく様子や

天童木工さん自慢の3次元プレス機なんかも見てみたかったなぁ

工場の床が木で体育館みたい、広くって羨ましい。

しかし天井が高くて冬は暖房が効かなそうです、雪国なのに(←心配)。

こんな空間があの近未来的なトンネルの向こうにあるんだね。

 

 

本日は 金沢 諸江屋さんの落雁をいただきました

器は飛騨高山 小糸焼きです。

さて、今朝 工房悠さん(←木工&Macマイスターですわ)からご指導いただいた

Webサイト作成について 早速 あちこちクリックしてみる。が、しかし、

考えてみたらブログカスタム機能も使いこなせていない私....。

今更どうかと思うけど やっぱり基本的にパソコン作業は苦手です。

専門用語をほとんど知らないので説明がちんぷんかんぷんな上、

2~3時間で 軽く乗り物に酔った時の様な感じがしてきて 気分が悪くなります

加えて 何かしようとする度に 確認されるIDとパスワードが

(メモとってますが)もう管理しきれません←キャパの問題。

それでも私に指導して下さる方がいるってすごいことだ。

マイペースだけど 出来ること やって行こう。

さすがにこう涼しいと あたたかいお茶が美味しいです。

器は森正洋の醤油差しで有名な白山陶器。

お揃いのお茶碗とともにお気に入り。

 

 

 


家具職人て?

2011-09-06 | 木工・家具(全般)

ものすごく長い、サワノのつぶやき↓みたいな文章です。

興味のある方だけ どうぞ

 

 

 

ホント偶然ですが 。

普段は滅多に見ないチャンネルで(←いや「2」しかないけど

「家具職人になりたいけど どうすれば良いのか」という質問を発見!

ながいながーい、様々な人からの回答を 食い入る様に読んでしまった。

 

まず、回答者から「何故 家具職人になりたいのか」と逆質問(笑)。

これに対して質問者が「世の中に いい家具がないから」と答えてました。

当然 回答者からは「いい家具がない」のはつまり

「その程度の家具しか見ていない」からだ、と避難されてました。

ワタクシゴトですが、家具に限らず 何かを目指そうとするなら

誰かや何かに憧れて「いつか自分も!」という思考回路を持った方が

断然いいと思う、精神衛生上。

もっといい家具作る!という意気込みはとても大事と思いますが

今を生きる人は 長い長い歴史の最先端に立っている、

そこに立てるのは 先人の知恵のおかげなんだという感謝も大切かと思います。

 

次に木工や家具について学ぶ場の問題。

「大学ではデザインや歴史など 講義だけで技術がともなわず、

かといって訓練校は技術だけな気がする」という

「訓練校か、専門学校か、大学か」の質問の回答は

「大学出てから訓練校に行く人が多い」(←私もこのコース

「学校では基礎の基礎しか習わない。技術は現場で働いて体得する他ない」

「専門学校を出ても訓練校に行き直した」

「学校なんか行かなくていい。

同年代のいる、最後の工程まで任される木工所に入り

人に頼らず出来る様になるまで辞めないこと」から始まり

「家具職人になりたいのではなく 家具作家になりたいのでは?

家具職人=家具作家ではない」

「技術だけでなく感性はもちろん営業のセンスも必要」

「家具をデザインし、作り、売ることは 膨大な勉強が必要」

「(いい家具がない発言に対して)人の仕事に敬意を払ってこそ一人前」

「家具職人になっても 思う様な家具を作らせてくれる職場はない」

「脱サラして手に職を付けてのんびり家具職人して暮らしたい....、

家具でスローライフ↑なんか出来ません。仕事中心の貧乏生活」

「どんどん条件の良い所に移って技術を盗み 最終的に独立する」まで、

家具を作る、売るとは何か に至るまでの様々な意見が寄せられていました。

大抵の場合、人は誰でも自分の通ってきた道が正しいと思っていて

訓練校を卒業している人は 訓練校を勧めるし

直接 現場で仕事を覚えてきた人は

学校なんて出てもたいして意味はない という人が多い気がします。

何処に身を置こうと 結局の所は自分次第な面もありますが

例えば 私の通っていた大学の図書館は 他の大学に比べたら

多少 デザイン関係の資料が充実していたかもしれないし

国会図書館や他の美大の図書館も行ける距離にありました。

その後 歴史ある家具メーカーが頑張っている飛騨で木工を学んだことは 

今となれば とても特別な空間だった気がしていて

そういう"環境"を選択することの重さはあると思います。

ただ、進学の時点で ここまで考慮するのは かなりの視野を必要とします。

私の場合も 結果論でしかないです。

 

話しを戻して、ココからは回答者による木工業界の厳しさが続々....。

すでに最初の質問者の質問の答を離れて 回答者さん達の掲示板化していました。

コレがまた 考えさせられる発言もあり 読み進めるのを止められなくなってしまった

「自分で工場を借りて独立して

友人・知人・身内に一通り家具売った後の販路が築けなくてバイトして

そのバイトが忙しくて家具作る時間が無くなる」

「同じ職人でも 大工・左官・塗装よりも独立にお金のかかる職業」

「作る能力と売る能力は別!作りたいモノと望まれるモノも別!」

「技術だけでなく"商売"を覚えないと完全下請けになって苦労するだけ」

「訓練校止まりの技術ではお客さんの望むモノを作れない人が多い」

「いろんな現場で勉強した人の方が

技術力も営業力も身に付いていて 自分のテイストを持っていて

なおかつ お客さんの要望にも応えて成功している人が多い気がする」

「お金に換えられなければ 結局 行き詰まることになる」

「木工は馬鹿には出来ない。人柄や経験はそのまま家具に表れる」

「時代とともに求められる仕事は変わってゆく。

それに応えられなければ家具職人ではない」

「腕よりも 継続して仕事を受けられる人間関係の構築が全て」

「食っていくことを考えるならば 鉋の仕上がり云々よりも

木工機械、電動工具を使いこなすことが大事」

「ずっと木工に関わっていくと 指がそろっている人も珍しくなる」

....いやー、全て その通りでございます。

ホントに厳しい世界です....

 

ついには職場の愚痴(?)まで。

しかしこれも共感できる点が多くて なかなか興味深かった(笑)。

まずは雇い主側の意見↓

「新人が一ヶ月もたなかった。職人には忍耐力も必要」

「給料要らない、は、熱意がありますのポーズだろうけれど

"勉強"ではなく"仕事"をしてもらわないと」

「パクリも作りこなせない」

「どんな職業も、やる気や思いの強さなんて 持っていて当たり前」

「雇う方は 学校出たばかりの人に技術的な期待はしていない。

学校を出ていっぱしの職人気取りでいる人が多すぎる」

「1年そこそこで仕事覚えた気になって辞めるんだったら

最初から就職しなければいい。職場は学校ではない」

「熟練者の生産性を落としてまで新人育成している

有り難味が理解できないうちは独立なんて無理」

「仕事を教えてもらうことを当然だと思っている。

その上 給料は拘束時間の対価だと思っている」

「仕事を教えてもらうのは 生きていくことを教えてもらうこと」

「新人育成に苦労している所は多い」

「"修行"とかいう割には 人の仕事にてんで興味がない。マイペース」

 

「なんとか一年もっても 建築現場に造作モノの取り付けにいって

他の職種の事情が分かってくると 簡単に独立できる異業種に転職する」

 

「作業スピードを意識する様に と言うと

"丁寧なモノ作りをしていない"と勝手に幻滅する。

スピードは丁寧さとは別次元の問題」

「腕のある職人が限られた時間の中でキレイな仕事をする姿はいい」

「就業時間以外は自由に工場を使っていいのに

ほとんどの人が定時で帰るし 休日はしっかり休む。

結局 そこまでの情熱がない、技量を身につけようとしない」

 

雇われる側の言い分は↓とにかくひとつ!! ひとつです!!

「安月給で使い捨て」

「職人の仕事をさせるのに 普通はバイトなんかで雇わない」

「社会保険があるだけマシ」

「会社の負担になるからと 社保厚年だけでなく雇用保険や労災にも入ってない」

「保険なし、ボーナスなし、残業手当なし、有休なし、通勤手当なし」

「バイトより給料安い。正直 転職を考える」

「生活できない様な薄給で人の足元見る会社は辞めた方がいい」

「女性はさらに不利。まだまだ厳しいのが現実」

「離職率の高い所はハローワークの常連で 通年で求人を出している」

「人気の職業ではあるけれど現実にはかなり厳しい世界。

最低賃金に近い給料じゃ面接止まり。

それでも!って入社しても半数は数ヶ月で辞める」

「給料、休暇の待遇面で最低」

「まず、現実に打ちのめされる。仕事を覚えるのに10年。

その間にもらう給料では開業資金は用意できない」

「カッコいい、オシャレな家具に憧れる人には向いていない」

「DIYで満足していた方がシアワセになれる」

 

.....もう言葉もありませんね

「仕事を覚えるのに10年。その間にもらう給料では開業資金は用意できない」や

「DIYで満足していた方がシアワセ」については本気で共感するものがあります。

木工屋のブログと 趣味で木工やっている人のブログを比べてみたりすると

後者の方が 給料や休暇の待遇面で圧倒的に有利なのは一目瞭然。

先日覗いた趣味木工家さんのブログでは ほとんどの工具をFESTOOLで揃えてました

そんなこと、フツーの木工屋にはできません。

 

 

 

でもね。

それでもみんな一様に、

踏ん張って喰いしばって逆らっては打ちのめされて

今日も明日も 家具製作の現場に向かうんだろう。

私は最高にカッコいい職業だと思っている。

ホントに ね

 

 

 


CH23とCH24

2011-08-26 | 木工・家具(全般)

Hans J.Wegner の「 CH23」(左)と「CH24」(右)↑

ペーパーコードを使った座編み講座に参加した時 撮らせていただいた。

おそらく....いや間違いなく、TassのE先生の私物。

 

1951年、一般の家庭用に と シンプルなデザインで設計され

ウェグナーの椅子の中でも不動の人気を誇るダイニングチェア。

「CH」は 「カール ハンセン社」の頭文字。

 

今はもう生産されていないCH23の

座面から貫にかけて張られたペーパーコード↓

見た目の美しさはもちろん 強度の役割も担っている。

ぎしぎし締め上げるから ね。

座面の形状は手前から奥に向かって幅が狭くなっている台形なので

経糸は 手前の方が巻きが多くなっています。 

チーク材(背板)とオーク材(後脚)による ジョイント部分↓

隠すことが常識とされたいた接合部を あえて見せた

当時としては斬新なデザインだった様です。

しかし チーク×オークの組み合わせってすごいな、私ならやらない....(笑)。

ひっくり返して座面裏↓

座枠に釘を打ち込んでペーパーコードを折り返し 

裏面の編み込みを端折っています。

そしてこの焼き印↓

「カール ハンセン&サン オーデンセ デンマーク」の、文字。

オーデンセは 童話作家アンデルセンの故郷でも知られるデンマーク第三の都市で

旧市街の可愛らしい町並みは観光地として有名です。

そんな町から名作椅子が生まれるのだなぁ、

この焼き印だけで 相当カッコいいっ

右側の椅子は メジャーすぎる程メジャーなCH24、ウィッシュボーンチェア。

背板の形状から 通称「Yチェア」と呼ばれる。

すでに著作権が切れているそうですね。

ネット上で ジェネリック商品と言われるリプロダクトが氾濫していて驚きました。

その多くが中国などでコストを抑えて大量生産される為に 驚きの価格です。

カールハンセン社のオリジナルは9万~15万円(木の材質で異なる)であるのに対し

ジェネリック商品は2万でおつりが来る感じ。

あくまでもオリジナルに忠実に再現するのが「ジェネリック」なのだと思いますが

ほとんどのモノは技法が(木工屋、家具マニアから見れば明らかに)違う様です。

まぁ当然ですよね。

他のメーカーが簡単に低コストで作ってしまえるなら

それは名作椅子にはならなかったでしょう。

家具としての問題は無い とはいえ、「ニセモノ」(←この表現は やはり違うのか?)

だと分かっていながら 誰が買うんだよ、と、思っていたら

意外なことに、このジェネリック商品を購入している人も少なくない。

ウェグナーの「Yチェア」を知っていながら あえてこれらを選んでいたりする。

....うーん、あり得ないな。

 

ところでジェネリックといえば「ジェネリック薬品」。

もし病気になったとき「毎日飲む薬が一粒10円、

ですがジェネリック薬品ですと一粒2円で 効能は同じですヨ」なんて言われたら

迷わず 「ジェネリック薬品でお願いします!!」と答えますね....

 

....ジェネリックなYチェアに救われる人もいるということか。

北欧家具、というか、ウェグナーの椅子に魅せられたのは 椅子に興味を持ったハタチ頃。

今回のブログを書くにあたり

学生の身としては清水の舞台から飛び降りる様な勢いで買った本を

久し振りにぱらぱらめくってみたら これがやっぱりいい

当時は学びきれなかったことも、今なら学ぶことが出来るかもしれない。

キタニの美術館でも行こうかなぁ....

そうそう、国際工芸学園(行ったことありませんが)の跡地が 飛騨産業の工場になるらしい!

同じように地場産業であるはずが、静岡あたりに暮らしていると

地域をあげて めまぐるしく(?)進化する高山がチョットうらやましい。

 

 

 

 


座編み ワークショップ

2011-05-21 | 木工・家具(全般)

OFF CORPORATION主催の

ペーパーコードによる座編みワークショップに参加してきました

 

講師はスウェーデンのカペラゴーデンで木工を学び

清水に工房を構えるtassのEさんです。

この清水のマイスターに会ってみたくて 講座に申し込みをしたも同然、

動機は不純(?)ですが やる気はちゃんっと伴ってますからご安心を!

↑まずはtassのオリジナルスツールを講座用にサイズ直しした枠を選びます。

ナラかウォールナット。

私はオーソドックスにナラにしてみました。ロシア産だそうです。

そしてペーパーコードの色を選びます。

生成りはデンマーク産の4ミリ。黒は国産で3ミリ。

つまり黒の座にしたい場合、巻く回数がぐっと多くなります。

休憩時間はこの枠↓をビスケットで組んであるというお話しを聞きました。

講師のEさんを質問攻め。さすがみなさん木工関係者です。

この時 いかに木の繊維を残しながらホゾ穴を掘るか という話になり

工房悠さんから「繊細な人ですから先生を悩ませないようにね」

と忠告されていた意味が分かった気がしました。

ホゾ穴ひとつ取っても 本当に繊細なお仕事をされています。

出来るだけ木の繊維を残したい為、

二枚ホゾの要領で入れてあるビスケットの外側と内側では サイズが違うそうです!

うううーん、すごい。

↑経糸から横糸に入った劇的な瞬間!

ペーパーコードのツギメは見えない所に隠します↓

コレがツギメの結び方↓

ここでランチタイム

左の列、奥から三番目が私のスツール。なかなか良いペースです。

ランチタイムを利用して ペーパーコードの参考作品をチェック。

私達は裏面も編み込む手法を習いましたが

左側の椅子は↓枠にL字の釘を打ち込んで 裏面の編み込みを端折っています。

カールハンセン社の CH23とCH24 ↓

道具も撮影してみました。

タッカーがシンプルでかわいい↓

↓医療器具みたいなハサミ型のクリップ、カッコいい

↓こちら第一回目の講座ではなかった(らしい)今回の秘密兵器!

これのお陰でだーいぶ助かりましたなんとお手製だそうです。

いよいよ横糸も半分↑ココまで来るともう右手が痛い痛い

店長さんが何度もコーヒーを入れて下さいました。

なんとクッキーやお煎餅のおやつ付き!癒しです

そして ついに完成!!↓ わー達成感!

ちょっと歪んでる?でもこれは微調整です

裏面もしっかり編み込んであります↓

最後にまたコーヒータイム

講師のEさん、店長さん、参加したみなさんすごく良い方で 

達成感に満ちた楽しい一日を過ごすことが出来ました。

休憩時間にEさんに聞いた高岡の大学やスウェーデンのお話しも

みなさんの木工のお話しも とても興味深かったです。

「これで家具修理の幅が広がるね」と言って下さる方もいて嬉しかった。

ふわっ....と、私の中に北欧の風が吹いた日でした

 

 

 


ホタテのなぞ。

2011-04-20 | 木工・家具(全般)

初めて社会人になったのは 静岡県内の量産家具屋。

 

まだ慣れない現場で「ホタテの幅と長さを決めたら....」

「ホタテを加工する時には....」「ホタテとシキリを合わせた寸法を....」

と頻繁に「ホタテ」いう単語が飛び交っていたけれど

当時、そのホタテが何を指すのか 全く見当がつかなかった。

あまりにも頻繁に登場するそのホタテの正体を

私はついに誰にも聞くことが出来なかったのを覚えている。

幸い、配属された部署が 材料の幅・長さ決めからNCボーリングまでだったので

理解するまでに時間はかからなかった。

つまり、私が飛騨高山の訓練校で習ったところの「側板」のこと。

側板は側板でしょう?

なんだ?ホタテって。

ぷぷ、笑っちゃうー

 

....なんて言おうモノなら 工場全員を敵に回したでしょう。

そのくらい、毎日毎日「ホタテ」「ホタテ」とよく聞いた。

そして新参者の私は 腑に落ちないながらも その「ホタテ」に従った。

しかし気になるのです。

「ホタテ」なんて学校では一切 使わなかった。

おもむろに教科書を読み返してみる←結構 真面目(笑)。

と、それらしき言葉が出てくるのは組み立ての際に

「帆を立てる」という「作業」だった。

ん?そこから側板を帆立と呼んだのか?

この「ホタテ」、松本の訓練校を卒業したKちゃんに聞いてみても

私と同じ高山の訓練校を卒業したS氏に聞いてみても

「そんな言い方は しなかった」とのこと。

社会人になってからもうずーーーっと、長い間

静岡独特の表現ではないのかと 疑いながら本気で悩んでいますが

いまだ解決の糸口が見えません。

静岡の人に聞くと「静岡だけじゃないっしょー」と静岡弁で返ってきます。

 

どなたかご存知ありませんか??

どうしても知りたい

 

 

 

追記します。

是非 コメント欄までお読みください。

よく調べもせず 我が故郷 静岡を疑ったこと、深く反省しています。

 

 


森平製材所 訪問。

2010-10-24 | 木工・家具(全般)
灯台下暗し、とはこのことか?

古材を扱っているとの情報を入手して
近所過ぎるほど近所にある「森平製材所」さんを訪問してきました!
トップの写真↑はアメリカンチェリーの木口。
ああ、アメリカンチェリーほしい!
なんと言っても名前がいい、美味しそうだもの←そこ?

古材部門は「Antique Wood」という名前で
古材を使った店舗の施工はもちろん 家具の製作や
古民家の解体、そこから出た古材の買い取り、再生なども対応しているそうです。
板材一枚からでも販売して下さることを確認した後 在庫を見せていただきました。

↓この在庫!



特別アンティークにこだわって家具をしてきたつもりは無かった私ですが
この在庫を見て うきっとした自分に気付いてしまった。
写真左側、棚の上に積まれているのは時代箪笥。
基本的に静岡県内からの仕入れらしいです。
あれはケヤキ、こっちはスギ。
ひとつずつ説明して頂きながらお話を聞きました。
棚の下には建具類。
板戸、格子戸、障子戸、簾戸、硝子戸、天・地袋の戸、種類も大きさも様々。
びっくりするほど厚みのある蔵の戸も見せてくださいました。
日本の家ってこれだけの「戸」があったんだなぁ。
見て↓この格子!
きれいー



真っ先に感じたのは状態の良さでした。
障子紙すら破れていない。
日頃 なかなかスゴイ状態のアンティークの在庫もみているせいかな

↓こちら今回のお目当て板材。



畳の下に張られていた材が主で 厚みがだいたい15ミリ前後なんだそうです。
15ミリ....は、薄い。
板材が欲しかったけど ちょっと薄いよな....。
そう思っていると 手前に見慣れた感じの厚みの材が。



↑こちら長さ4000ミリ、幅200ミリ、厚み35ミリ。
今 大人気の「足場材」なんだそうです。
おお、いい感じ。
これなら等身大の おぉーっきな鏡の枠にもできそう!←作りたい。
「アンティーク」の部類ではないけれど このペンキ感がたまらない!!
ほしいーっ!!
っという↑この感覚は 解らない人には全く解らないと思います。
何故ならかつての私がそうだったから(笑)。



他にも梁や柱だった丸太材や角材もありました。
必要に応じて板に挽いて下さるそうです。
これだけの材、ちょっともったいない気もしますが
実際に挽いてもらっているお客様もいらっしゃるそうです。



私のような およそ木工に携わる人間には見えない者にも
「これだけあれば お好きな材が見つかるでしょう?」と
写真撮影もブログ掲載も快く承諾、
親切・丁寧にお話を聞かせて下さった森さんには本当に感謝です。
もちろん古材だけでなく 私が想像出来る範囲の材なら揃いますでしょう。
お忙しい中を1時間半ほど滞在してしまいましたが
次回はちゃんと買いに行きますっ
ありがとうございました。



旧 山形県庁舎

2010-09-27 | 木工・家具(全般)
重要文化財 旧山形県庁舎↑
山形県庁舎は明治10年に建設されましたが44年に火災により焼失。
ただちに同じ場所での復興が計画され
私達が実際に見ることが出来るのは大正5年に完成した2代目にあたります。
初代県庁が明治に建てられた擬洋風建築だったのに対して
2代目はイギリス・ルネッサンス様式の本格的な洋風建築となりました。

現在は山形県郷土館「文翔館」として一般に公開され、
郷土の歴史や文化を紹介したり 会議室やギャラリーとして貸し出したり
幅広く親しまれている様です。
半年前の話デスが 山形滞在の初日に自力で行くことが叶わず
(カワイイ雑貨屋さんとか美味しいお菓子屋さんめぐりで精一杯だった....
出発時間直前に滑り込みで連れて行ってもらいました。
ココは行っておいて良かったです。

何故 今頃になってまた山形関連記事なのかって?

実はココも、隣接する旧議事堂とともに
小泉和子さんが家具の復元と製作で関わっているのです。
残念ながら先日の修復講座では その名前が出るだけに留まりましたが
これを機会に撮影してきた写真を載せようと思います。



建物に入るとまず現れる中央階段。
今では到底できそうにない手の込んだ階段の装飾には驚かされます。
リーフレットにはひと言も書かれていませんでしたが
これ程の木製装飾、国内でもなかなか無いのではないでしょか??



↓正庁。
外観写真で 正面玄関上のバルコニーを有する部屋にあたります。
県庁の中でも特に豪華な内装が施され重要な会議などに使われていました。
家具は当時一流の東京の家具屋によるもので、
幾つか残っていた椅子や、仕様書、図面などから復元されている様です。
「西洋家具ものがたり」の中で小泉さんが
「これらの家具を並べた時の格調の高さ、華麗さ、まさに西洋の王宮である」
と書かれているけれど、本当、ちょっと金箔の足りないウィーンの王宮って感じ(笑)。



ちなみに壁に掛けられた絵↑は「鮭」で有名な高橋由一のもので
この絵の中央に初代、擬洋風の山形県庁が描かれています。
え?ココでなぜ高橋由一が??
と思ってしまいましたが
当時 山形県の要請で数々の土木工事の記録画を描いていたらしいです。

↓こちら貴賓室。
肘掛け椅子や衝立、花台、暖炉はオリジナルのモノが残存していたそうです。
当時の写真や調査資料によって漆喰天井、絨毯、カーテンが製作されました。
正庁とともにフランスの新古典様式、という様式だそうです(笑)。
とても綺麗な空間です。





↑当時のものだと思われる床の寄せ木細工と
↓復元された(おそらく知事室の)壁紙。



確か昭和天皇が訪れた際に気に入っていたという時計塔。
これも戦時中の金属供出により代用されていたモノをはずし
創建当時の形を写真や資料から再現したそうです。



ココは表向き白を基調にしたモノトーンの建造物なのに
中庭に面した壁はガラッとイメージの変わる赤れんがでした。




さて、こちらは小泉さんとは無関係ですが
夏の札幌滞在では重要文化財 北海道庁旧本庁舎、通称「赤れんが庁舎」に行きました。



これを「アメリカ風のネオ・バロック様式」.....と言うらしい。
家具の様式すら覚えきれない私には 建築様式は到底手に負えないです。
人生全てつぎ込んだって とても勉強しきれない。

明治21年に建てられた当時は 国内有数の巨大建築だったそうです。
明治42年に火災により内部を焼失していますが
赤れんがの壁は損傷が少なく 同44年には復旧工事が完了。





玄関を入ってすぐ 目の前に現れる装飾的な中央階段。
これを見てすぐに山形の旧県庁舎を思い出しましたが
似た様でいて違うところが面白いです。
これが「イギリス・ルネッサンス」と「アメリカ風ネオ・バロック」の違いでしょうか。
洋風建築の階段マニアになりそうな気分デス。

ここで見られる家具は気にならなかったのか、あまり写真がありません(笑)
いかにも北海道、寒さ対策の二重窓が非常に印象的でした。




家具修復講座

2010-09-26 | 木工・家具(全般)
家具道具室内史学会の家具修復講座に参加しました。

その学会の会長を勤める小泉和子さんは
大田区の「昭和のくらし博物館」の館長でもあり
主な著書に「家具と室内意匠の文化史」「箪笥」「和家具」
「占領軍住宅の記録」「ちゃぶ台の昭和」などなどなどなど、
日本の家具の歴史を学ぶにあたって決して避けては通れない方。
そんな小泉さんに直にお話を聞ける機会をいただいただけでもラッキーでした

会場は小泉さんが家具の修理と復元を指導したひとつである重要文化財 明治生命館。
昭和9年の創建。
設計はクラシック建築の奇才、東京美術学校教授だった岡田信一郎で
昭和初期におけるオフィスビルの最高峰だそう。
その歴史をひと言でいえば、戦後GHQに接収された際には
米・英・中・ソ、4カ国による対日理事会の会議に使用されるなど
激動の昭和を耐えた記憶が刻まれている。



小泉さんによる講座の様子↓



過去の遺産をゴミの山として廃棄してきた私達は
もっと 文化財としての家具の価値を知らなければならないこと、
それにはまず家具屋が率先していかなければならないこと、
修復の仕事は これから重要なものになるだろうこと。
これまでに ご自身が修復・復元に関わってきた
函館区公会堂、旧名古屋高等裁判所、札幌の豊平館を例に
破損している家具を修復するケース、
家具は紛失しているが資料をもとに復元するケース、
資料集めから始めて家具を製作するケースについてお話を聞きました。
これらは著書の「西洋家具ものがたり」でも写真を見ることが出来ます。

その興味深さを全てここに書ききることはできない。
例えば函館区公会堂。当時の函館市からしてみれば
捨てるばかりの壊れた古い家具にわざわざ予算を投入して復刻することには意味がない。
小泉さんはその文化財的価値を行政に認めさせるため四苦八苦した様です。
女性が一人、男社会の行政と戦うことは
それだけで相当大変なことだったに違いありません。

そういえば日本の家具の歴史を知りたいが為に
犬山の明治村、松本の開智学校、沼津の御用邸などにも行っておいたことが幸いした。
修復作業の講座を聞きながら 実際の感じをイメージしやすかった気がします。



↓そして家具修復家の黒瀧道信さんによる実際の修復についてのお話。



ところで私の日頃の仕事はアンティーク家具の「修理」ですが
今回は家具「修復」講座です。
黒瀧さんによると「修理」とは実用品としての機能を復活させること。
「修復」とは 様々な情報を調査し元々の状態に一番近い健全な状態に戻すこと。
(ただし新品同様にすることではない)
直そうとする家具に対するアプローチが全く違うのです。
修復方法を聞きながら、まるで絵画の修復の様に繊細な印象を受けました。

講義のあと、明治生命館の内部を見学。
↓この本棚はオリジナルだそうです。古いガラスでした。



この様な大きな家具は 部屋の壁から壁の中心に置くのが
洋家具を配置する上での基本なのだそうですが
たまに部屋の隅に寄せられて 間違った展示をしている所もあるそうです。
日本人の感覚としたら背の高い大きな家具は部屋の隅、なので分かる気がします。
所有者にもまた 文化財的家具を展示、保存する知識が必要なんですよね。





↓コチラが対日理事会に使用された会議室。





資料室にあった当時の写真を撮ってみました。
昭和21年に始まり、昭和27年にGHQが廃止されるまで
164回にも及ぶ対日理事会が開かれたそうです。



見学ゾーンから見た1階へ降りる大理石の階段↓とてもキレイ



↓見学ゾーンの回廊を歩いていると何やら不思議なモノが。
写真中央に注目。
木製ドアの左側にあるモノ、一体なんだろう???と思って近づくと





な、なんと。
これがメールシュートというモノです。
ここに郵便物を入れると 下の階にある郵便箱に落ち
まとめて郵便局員さんが回収するというシステム。
レトロなエレベーターや各部屋の明かりのスイッチ、消火栓、
オリジナルで残されていた梶田恵の家具など、見学の見所は尽きません。

2階から見える吹き抜け部分の 漆喰と石膏彫刻の天井↓





この花飾り、ヨーロッパの美術館でもよく見ます。
なんて繊細でキレイな
まったく引けを取らないじゃないか。
この様な重要文化財の中で 家具に関する興味深い貴重なお話を聞けたことは
それに携わる一人として とても良い経験で刺激でした。
参加出来て本当に良かったです
ココで書ききれなかったコトは 何かの機会にまた関連させていこうと思います。