ブログ見て下さっているみなさま、覚えていらっしゃいますでしょうか?
この読書(が「苦手」の領域を越えてもはや)嫌いな私が
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み始めて もう一年半ほどになります。
途中 宮本武蔵を描いた「バガボンド」にハマってたり(むーさーしーすきー )
新選組の「燃えよ剣」を読んだり、会津 松平容保の「王城の護衛者」を読んだり
いろいろしてましたが 先日の京都旅行を目前にして いよいよ8巻、最終巻に入ってました!!
さて 今回の京都旅行の関連記事は これで最後。
老舗の喫茶店でホットケーキ(あくまでも カフェでパンケーキではない )なモーニングをしつつ
ちょっとだけゆったりした気分で「竜馬がゆく」を読んでみました。トップの写真参照。
本の中の舞台も京都。竜馬と中岡が 大政奉還の為に奔走を始めたところ。
その後に訪れる「酢屋」(海援隊屯所ス)↓↓ なんて なんだかドキドキでした。
朝 早かったので開いてませんが、当時は材木屋、現在は木工工芸品を扱うお店だそうですね。
昭和に入ってから ここ酢屋さんの梁の上から 海援隊日誌が見つかり
そこには龍馬暗殺から中岡の死、実葬、犯人の情報集めをする様子などが書かれていたそうです。
維新後、ここを訪れた睦奥宗光は 感慨にむせんだ、とか.... むつー。
龍馬の仇討ちとされる 天満屋事件の史蹟にも行ってきました。
龍馬と中岡の暗殺犯を いろは丸事件で多額の賠償金を払わされた紀州藩だと疑い
交渉の中心人物を狙う海援隊 陸援隊の15人。
一方で紀州藩側は 会津藩を通して新選組を護衛に雇う。
直接対決ではないと思いますが 睦奥宗光 VS 斉藤一 なんであります!
すごー。ホントすごー。
でも、思うんですヨ。陸奥や隊士の気持ちはよく分かりますが
龍馬は決して 仇討ちを望むタイプじゃないですよね....(完全な司馬史観デスが)。
武市半平太が京都にいた際に使っていた料亭「丹虎」の跡地 ↓↓
ココは池田屋事件の際に 二手に分かれた土方隊が御用改めに入った方なんだとか....!!
実際の位置関係も、池田屋の角を曲がってすぐです。
武市半平太がいた頃は ここに来なかった尊王攘夷派の志士はいない と言われたほど
そっち系の来客が多かったそうだから そりゃ新選組も真っ先に目を付けるよね。
でも今は料亭も閉鎖されて かなりさみしー感じになってました
残して欲しいなぁ。誰か 料亭を開いて下さい。
そこいくと コチラさすがデス ↓↓
酢屋さんが開いてないほど朝早かったのに もう打ち水されてて(←合ってるかなこの表現 )
チリひとつ落ちてない感じ。じゃじゃーーん、幾松っ ↓↓
桂を逃がすために あの近藤にタンカをきった幾松が 最高にカッコいいです
参考までに、ランチが14000円でした ってゼロ1個違う....一体どんなヒトが食べるのか?笑。
この辺りは 高瀬川がめっちゃキレイ 癒されます!
しつこい様ですが 朝早くてカフェとか開いてない....。
可愛いカフェ 幾つかありました!昼間は混むんだろうけど 行ってみたいです。
そして ついに来ました!!近江屋跡地 ↓↓
先読み禁止の「竜馬がゆく」8巻を ぎゅっと握りしめる私。
で 最後に ↓↓ 締めくくりにふさわしい場所へ。
土佐に行っても会津に行っても お墓っつう場所の観光だけは なんとなく避けてきたのだけど
ここだけは行ってきました。
お墓って ヤバくない?あんまり良くないって言うよね。って話してる観光客とすれ違いながら、
いっそのこと 龍馬なら乗り移ってしまえ、そして社会を変えてしまえ、とか思う私。
ふたりのお墓が見守る京都の町並み ↓
....っと、まぁ、龍馬龍馬 言うほど 龍馬が飛び抜けて好きなワケでもなく
史蹟が多いので自然とこういうカタチになるだけなのですが
土佐も薩摩も長州も会津も、みんな好きです
そんな平和な世の中になって、ホント良かったヨね