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サワノのお気に入りだけで構成するブログ

伊予松山 散歩 2

2014-01-24 | 国内旅行

宿泊先のホテルにチェックインした際のウエルカムドリンクがポンジュースだったり

ミュージアムに入ると「おふたつどうぞ」とか言ってみかんをくれたりする愛媛 松山。

マチナカにはみかんのジューススタンドが幾つもあって

1月の寒空に 観光客が何人も みかんのソフトクリームをほおばっている。

そんな松山を散歩していて見つけた みかんカフェ

(と、いう呼び名が適当かどうかは分かりませんが)

10 FACTORY」↓↓

旅に出る以前から こういう雰囲気を求めていたこともあって ドンピシャな感じ 

みかんの品種から選べる生ジュース、ジェラート、ゼリーなどが可愛く(←ここポイント)並ぶ。

とっても寒かったので ホットみかん ↓↓ 頼んでみました。

ホットみかんは 何故か品種が選べないとのこと。少々がっかり。

ほっこり 焼きみかんの味がした....笑。

 

静岡だって みかんの有数な産地のはず。

しかし 「清見」とか「はるみ」とか「いよかん」とか「温州」とか「はれひめ」とか

品種で選べるみかんジュースのスタンドなんて見たことないし、

こんなにカワイイみかんカフェなんて知らないし、

蛇口からみかんジュースも出てこないし!

(愛媛の空港には ポンジュースが出て来る蛇口が存在する!らしい!)

静岡はもっと勉強すべきだ!と思った。

東京と大阪の間にあって 新幹線も高速もあって 何もしなくてもヒトやモノの往来があるのに比べて

ヒトやモノを呼ばなければならない立地条件を持つ四国の努力を もっと勉強すべきだ!

 

 

以上をもちまして建白書とかえさせていただきます。

 

 

 


伊予松山 散歩 1

2014-01-12 | 国内旅行

写真は 松山城に咲いていた 桜 ↑ ニキザクラ...シキザクラだったかな。

 

昨年 岡山から「南風」に乗って 土佐(高知!)旅行に行ったので

今年は 同じく岡山からですが「しおかぜ」↓↓ に乗って 伊予松山へと行ってみました 

岡山って スゴイ数の路線が乗り入れているンですねー、改めてびっくり 

正月を 四国で過ごす マイブーム。

...あ  !!

別に一句詠んだつもりはナイですヨ!そのまま書いただけです!

瀬戸内海を渡って丸亀辺りまでは 高知行きも松山行きも まだ同じ線路を行く。

この辺りで見えて来る香川の山々は 丸かったり三角だったり とても個性的だと思う。

そして岡山まではのぞみですっ飛ばすので 岡山からの2時間半が 何故か非常にツライ。

土佐の時も同じように 乗り物酔い状態になったー 

 

到着した 松山駅は ↓ 会津若松の様なレトロ感。

松山と言えば このヒト ↑↑「春や昔 十五万石の 城下かな」。正岡子規です。

15万か...。松山はいまでこそ 四国最大の人口を誇っていますが

「土佐 24万石」からしたらやはり小さめだったのかな。なんてことを思う。

駅前にあまり人がいなかったので やや不安にもなりましたが

路面電車に乗って街の中心地に来ると 人の多さに驚くくらいでした。

元旦、まずは松山城に行ってみることに 

       

石垣が印象的。左奥に見えるのが ↑ 天守閣 ↓

入口には ゆるキャラの「よしあきくん」....  

えーと、「加藤嘉明」、初代城主の名前らしいけど 知らない(し、興味もなかった)。

そんなコトより 三つ葉葵の紋が気になった。

 

個性的な天守閣の造り。な、気がする。

気になった葵の紋については 何となーく調べてから行ったけれど、松山城でハッキリしました。

ここ伊予松山は幕末の動乱期、旧幕府側の立場にありました。

十四代藩主 松平定昭のころ 親潘として京都の警護や長州征伐に先鋒として出兵していますが

後に徳川慶喜に従ったとして 朝敵の汚名を受け 各地に松山藩追討令が下り

土佐の山内家に占領されることになる。

明治になって 正岡子規が自由民権運動にのめり込んだことを考えても

良くも悪くも 土佐の影響はただならないのデスね。

       

もう間もなく7巻に差し掛かろうとしている「竜馬がゆく」では

ちょうど松山藩が財政難をおして長州征伐に出て行くところが描かれていました。

しかし これが、けちょんけちょんにされるワケです。

待ち受けているのは 長州藩を起死回生させた風雲児 高杉晋作 ですからね 

(余談ですが、NHKの大河ドラマに長州来ましたね!来年だそうで!

しかし、松蔭の妹...という人物設定は如何なものか....?)

 

そうそう 伊予松山と言えば 新撰組十番隊組長、宝蔵院流 原田左之助の出身地でもありますが

松山はドコを見てもナニを見ても ほとんどそれには触れていない。

プッシュしたいのが圧倒的に「坂の上の雲」、俳人正岡子規と秋山兄弟であることは

コレが歴史なんだなぁと思わざるをえないです。

 

 

 


会津若松 散歩 2

2013-08-20 | 国内旅行

鶴ヶ城を出て 炎天下の中、会津松平氏庭園「御薬園」へ行って参りました 

歴代の会津藩主の別荘だったそうです。

このお庭を見た瞬間、綾野容保と稲森照姫(大河ドラマ「八重の桜」)が頭に浮かんできて

いやいや ロケは東京だろうと必死に打ち消していた訳ですが

帰宅後に拝見した方のブログによると

まさに 松平容保と照姫のシーンで使ったお庭なんだそうですヨ。

 

 

 

そんな由緒ある松平家の庭園で 私はカモの餌付けに挑戦!

カモの餌 100円 だったかな。

すいすいすいすい....「?」(小首をかしげるカモ)↓↓

うへへ、カワイイ  ↑↑ ここまで撮れれば満足だ。

途中で池の淵で 餌の入ったカップを倒してこぼしてしまったんだけど

それに食いついてきた大量の鯉がものすごく殺気立っていてコワかったです 

 

 

 

この御薬園、戊辰戦争の時には西軍戦傷者の治療所に当てられた為に戦火を免れたそうです。

西軍の治療所が 鶴ヶ城から徒歩15分(1キロ程度です!)の所に存在したというから

会津がどれだけ追いつめられていたか よく分かります。

こちら ↓ 松平容保の孫にあたる秩父宮節子妃殿下がご成婚の際 宿泊した建物を移築したもの。

「逆賊」「朝敵」 と呼ばれた会津から 天皇家(昭和天皇の弟皇)に嫁ぐことで

「戊辰の雪辱を晴らした」として ここにようやく会津の復権が実現する。 

若松市民は提灯行列を繰り出して歓喜した といわれるほど その感激は大変なものだったそうです。

これはもう、会津の人々にしか分からない感情でしょう。

余談ですが 大正天皇の四皇子のうち3人に 大物佐幕派の孫が輿入れしているそうですね。

これってすごいことですよね。なんだか時代が動いた感じを受けます。

 

 

 

「御薬園」の名前は園内に薬草を育てたことに由来するそうです。

中でもイチオシなのは 朝鮮人参。

当時大変高価な作物で 人参奉行所なんてものを設置し 会津から長崎港を経て

清国に輸出されたんだとか。これ、朝鮮人参の実です ↓ 

 

 

 

会津でお蕎麦を食べることは 旅行の目的のひとつでした ↓↓ 

東北のお蕎麦って どうしてこんなに美味しいのだろう!

色もキレイだし さらさらっと食べちゃいます 

囲炉裏型のテーブル席で 横にいらした現地の方と 少しお話しが出来ました。

去年までの会津は 震災と風評被害の影響で 観光客が激減していたそうですが

今年は大河ドラマのおかげもあり 少しずつ活気を取り戻しつつあるそうです。

人が来てくれることが 本当に嬉しい、とおっしゃってました。

 

 

 


鶴ヶ城

2013-08-18 | 国内旅行

「歴史の中で 都市ひとつがこんな目にあったのは 会津若松しかない」

(司馬遼太郎 「街道をゆく」より)

 

 

 

そんな会津の歴史を象徴するのが、天下の名城、鶴ヶ城(若松城とも)。

現在の天守閣は 1965年(昭和40年)に鉄筋で復元されたモノです。

天守閣が見えた瞬間、ああ キレイだ  と思いました。素直にね。

戊辰戦争の折 新政府軍から逆賊とされた松平容保の会津勢が篭城し

板垣退助率いる迅動隊(土佐の主力部隊)、それに加わる薩摩の援軍の攻撃に抗戦するも

一ヶ月後 ついに降伏勧告を受け入れた。

新政府軍による砲弾を受けた会津城(Wikipediaより写真 拝借)↓↓ 

            

コチラでも写真見つけました  「国立公文書館デジタルアーカイブ 若松城写真」

お城ってこんなにぐずぐずになるんだなぁ....なんとも痛々しい。 

公文書館にあるこの写真は1873年(明治6年)に撮影されたもので 翌年に解体されています。

 

本来の姿は「鶴ヶ城」という名がつく位 凛としてキレイだったはず ↓↓

桜の頃は本当に素敵だろうな 

       

天守閣にのぼると 360度 城下の町が見渡せます。

こちら 白虎隊で有名な飯盛山方面を望む。↓ この矢印の真下 手前の山です。

望遠鏡をのぞいていた家族連れが「白虎隊のお墓が見える」って言ってました。

そしてこちら 新政府軍が鶴ヶ城攻撃の拠点にした ↓ 小田山。矢印の真下、手前の山。

 

....ち、近い。

天守閣内に展示された小田山を示す地図と実際の風景を何度も確認しながら

観光客の誰もが その近さに驚いていました。

あんなトコロから砲撃されたら相当コワイだろうな。

私のカメラのレンズは単焦点、いわゆるパンケーキ()なので

天守閣から見える飯盛山と小田山の距離感は 写真のままです(ズームしていません)。

苦戦を強いられ撤退を余儀なくされた白虎隊が 命からがら落ち延びた飯盛山で

戦火に燃える城下町を目撃し自刃を決意するのが 鶴ヶ城からおよそ5キロの距離。

それに対し 新政府軍が鶴ヶ城総攻撃を仕掛ける小田山はわずか1.6キロの距離。

鶴ヶ城天守閣を見下ろす小田山のアームストロング砲(四斤山砲とも)の射程距離は

2キロを越えていたそう。

 

 

「会津戦争記聞」 ↓ (城内の展示から写真を撮ったので写りが悪くてゴメンナサイ!)

右から梶原兵馬、護衛される松平容保、内藤介右衛門、玉木勇女、中野竹子、原田対馬、

それから 山川大蔵(←ちょっと覚えておいて下さいこのヒト)。

左奥には 山県、伊地知、板垣、西郷の新政府軍が迫る。

戊辰戦争において 会津藩は女性も含めて全藩士が戦争に参加したことを題材に描かれたもので

実際にはこのような場面はなかったとされますが なんだかこの絵がとても気になりました。

もっといい写真撮りたかったぁ。

「会津軍記」 ↓↓

中央の松平容保が降伏状を渡すのは板垣退助、中村半次郎(後の桐野利秋)。

中村半次郎はこのとき 会津に同情し 男泣きに泣いたとされています。

会津藩士に親身だった対応を感謝し 後に容保が宝刀を贈っている。

(こちらも実際には参加していない人物が描かれている。錦絵ってそういうモノなんですね)

お城の展示を見ていて気になったのが 山川大蔵(←このヒト)による「彼岸獅子」敵陣突破策。

鶴ヶ城の篭城戦が決定されると 各地に派遣されていた部隊に帰城命令が下る。

大鳥圭介とともに日光口方面の国境警備をしていた山川大蔵が城下に駆け戻ると

鶴ヶ城は敵の包囲網の中にあった。

そこで思いついた奇策が 会津伝統のお祭り 彼岸獅子の格好で 包囲網を破るという作戦。

激戦の最中の祭り囃子に 新政府軍はあっけにとられてただその入城を見ていた という逸話。 

新政府軍の 武士の情けという説もあって 私はこちらを支持しちゃいますけどね....。

山川大蔵が守備していた日光口の守りが堅く

そこから会津に攻め入ることが出来なかったのは 板垣退助と谷干城。

谷干城は武市半平太の尊王攘夷に傾倒する中で

坂本龍馬や後藤象二郎とも交流を持ち 次第に影響されて倒幕派になった。

中岡・坂本が暗殺された近江屋事件に真っ先に駆け付けた 龍馬を敬愛する人物として有名。

明治になって 谷は戊辰戦争での腕を見込んでいた山川を探し当て自分と同じ陸軍に推挙する。

後の西南戦争では 熊本鎮台司令長官を勤めて4000人で熊本城に篭城し

西郷軍14000人の攻撃に耐えることになったのですが、このとき山川は

谷がこもる熊本城に 薩摩軍の包囲網を撃破し 一番乗りで谷を救出するのです。

山川大蔵、二度目の包囲網突破。谷とは生涯の盟友であったらしい。

こんなふうに続く歴史もあるんですね。

しかし 西南戦争に参加する際の山川大蔵の句はややショッキングでした。

「薩摩人 みよや東の丈夫(ますらお)が 提げ佩く(さげはく)太刀の利(と)きか鈍きか」

薩摩の人は 会津の男が持つ太刀がいかに切れるか見るがいい、という意味と思われます。

西南戦争は 会津の深い恨みをもって 会津戦争の復讐と位置付けられました。

憎悪なんてモンじゃない、こんな風に続いてしまう歴史があるんです。

更には 明治16年、山川大蔵の妹 山川捨松の夫となるのは かつての薩摩藩士 大山巌。

大山巌の薩摩軍が会津戦争の際に攻め入った(が初日に負傷して護送)鶴ヶ城には

まだ8歳だった捨松と その家族が篭城していたというから 歴史って実に人間臭い。

 

 

 


会津若松 散歩 1

2013-08-12 | 国内旅行

東京駅から 東北新幹線「やまびこ」で郡山まで。

郡山から磐越西線で猪苗代を通り、会津若松へ。

会津って遠いんだなぁ... しかし だからこそ価値があるんだなぁ...

猪苗代湖は見えませんでしたが 磐梯山はキレイに見えました ↓↓

磐越西線の車窓から 

会津は只今、電車も駅も町も 八重さん一色です。ポスター貼りまくってました、笑。

タクシーの運転手さんが言ってました、「八重さまさま、です」って 

余談ですが ここ最近の大河ドラマ幕末編が 土佐の福山龍馬、薩摩の宮崎篤姫、

会津の綾瀬八重ときたら....次はきっと長州ですよね?ね?ね?

この流れを 長州なら黙って見過ごすワケないですよね?

(話し戻して)が、しかし NHKが新島八重を取り上げるまで

この町は古くから「白虎隊」の町だったハズ、笑!

駅前には白虎隊の少年達とあかべこ。それと笹の葉さらさら 見えますか?旧暦の七夕です 

町の主な観光名所は 周遊バスが走っているので とっても便利です ↓

明治初期から昭和40年まで 海産物問屋だった建物 ↓

現在はお料理屋さんと旅館になっているそう。

お菓子屋さんの入口に打ち菓子の型 ↓

銘菓「会津の天神さま」↑↑ 食べ歩き 

会津の天神さまというのは 張子人形の民芸品...のことだと思います。

会津木綿はどれもすっっごくステキでしたが、正直なところ、デザインがピンとこない。

もっとモダンなモノが作れると思います。

立派な蔵を改装したお店が多い。

カフェやレストラン、雰囲気あります。

と、その脇に!

これが「あいづっこ宣言」↓↓「什の掟」現代版です。

頑なまでに真っ直ぐな会津魂、ならぬことはならぬ。

町の中で幾つか同じ物 見掛けました。

スゴイよね....私、子供の頃 誰かから静岡を誇れと教わっただろうか? 

 

こちら 有名な竹藤さん ↓ 会津関連のTV番組では常連さん。

お店のおじさんが「この建物は八重の頃からある」って言ってましたね。

コレが幕末の風情ですよーーーっ!

こちらは思い切りモダンな鈴善漆器店さん ↓↓

ココのアウトレットでお椀を買ってしまった、アウトレットでね!笑! 

こちらも有名。田楽の満田屋さん ↓↓

リアルタイムアップのブログに載せたのはココからです。

好きな田楽の串を選んで焼いてもらいます。

楽しそうだから囲炉裏の目の前の席に座ったけれど 熱い暑い  笑!

でもすっごく美味しかったデス 

一本から選べるので 散策で小腹がすいた時でも大丈夫。

お米もお野菜も素朴な具材ばかりですが その素材が美味しい 

すっかり田楽好きになっちゃいました 

また食べたいな 

 

 

 


桂浜!

2013-01-09 | 国内旅行

桂浜に行って来ました!

....って、そりゃ行くよね 

お正月休みで 高知市中心部の商店街は静まり返ってまして

行きたかった雑貨屋さんも 土佐茶のカフェも シャッター閉めていましたが

観光の主な目的地は ほとんどが屋外!

滞在中はお天気にも恵まれ テンション上がりっぱなしでした 

有名な 桂浜の龍馬像 ↓ なのですが なんかちょっと愛情の無い いい加減な写真、笑。

       

ほとんど役に立たなかったガイドブックに「桂浜で五色の石を探そう!」

とあったので 楽しみにして行きました  海岸が砂利なんて なんか不思議!

波打ち際が こんな感じ ↓ で、玉砂利なんです(波打ち際から内陸に向かうと 砂浜になってます)。

↑↑ 拾ってみました。バックは「THE 桂浜」的背景を演出。

↓↓ ほらほらほらほら!みんな五色の石を拾ってます!笑!

高知から見える海は 私が暮らす静岡県と同じ太平洋側だし

特別 海に興味があるワケでもないのですが すごくキレイで穏やかな海でした。

海ってどこも同じ様に感じていたけど 去年行った宮崎とも横須賀とも違う。

波を挑発 ↓↓ する 私の足跡。

ここ、何時間でも居られそうなくらい キレイな所でしたヨ!

海を見ながら 龍馬カプチーノ(本場ぜよ!)で一服! 

 

 

 

元旦に行った高知城、デジカメの方が断然キレイなので 写真 載せときます ↓↓

そういえば 高知城の中の展示に こんなのありました ↑↑

高知と言えば くじら!

何しろ大殿様が「鯨海酔候(げいかいすいこう)」「酔って候」ですからね!笑!

昔の捕鯨の様子を模型にしたモノですが、高知県民、スゴイ!笑!

いやー、食い入る様に 模型 見ちゃいました。

静岡辺りでも こんなことしてたのかな??

 

 

 


幕末散歩。

2013-01-08 | 国内旅行

さてー、今回はマニアックな散歩記事ですので

興味のない方には全く意味不明だと思われます。

私もそうだったのでよく分かります、すっとばしてくださってかまいません、笑。

ただ、高知に来る観光客の何割かは 間違いなく幕末ファンだと推測出来るので

だいたい こんなルートか、更にマニアックなルートを辿るはずなんですが、ね 

 

元旦に高知城に行き 宿泊先ホテルまでの帰り道に 武市半平太 殉節の地がありました ↓

市内に建てられた幕末関係の碑の中でも 非常に高知城に近く

切腹を許された上士の扱いであったことが伺える様な気がします。

       

現在は四国銀行の一角に位置していて

銀行に来るお客さんの自転車やバイクに埋もれることも多々あるらしいデス....

「花依清香愛 人以仁義栄 幽囚何可恥 只有赤心明」

(花は清香によって愛でられ 人は仁義を以て栄ゆ。幽囚何ぞ恥ずべき 只赤心の明かなるあり。)

「赤心」は嘘偽りのない ありのままの心 の意。獄中で記された遺詠。

 

宿泊したホテルから徒歩数分の所には 武市さんが吹井村を出て 道場を開いた場所がありました ↓

トップの写真「九」番。

ここは中岡慎太郎、岡田以蔵、坂本龍馬も よく通っていた場所で 120人もの門下生がいたそうです。

これが 土佐勤王党の発祥地になるのかなぁー、うきうき 

解説の看板を見ると 武市さんの道場があったとされる場所は この石碑が置かれている横堀公園ではなく

30メートルほど先の道路 北側になるらしい。ってことは この ↓↓ ベージュの4階建てビルの辺り!

武市さんが切腹した後、道場や家屋は差し押さえられて 現在では他の方の私有地になっている為

この公園に置かせていただいているのだそうです。

石碑の並びに こんなパンフレットがありました ↓

菜園場町(さえんばちょう)の商店街活性化委員会で出してるみたい。盛り上げてますね 

武市半平太、坂本龍馬、岡田以蔵っ!!

まさに土佐の三ツ星!! 

(この三人でパンフになるって、絶対に「龍馬伝」の影響だよね、笑。)

二回目に滞在したホテルから 高知駅に向かう途中には 山田橋番所跡。

写真は山田橋 ↓↓ で、平井収二郎や岡田以蔵が捕らえられた牢獄があったとされる場所です。

菜園場商店街活性化委員会さんのパンフによると

この山田橋番所跡の橋を渡ったすぐの この辺り ↓↓ が以蔵の生誕地。トップの写真「十」番。

生誕地と斬首にされた地が 目と鼻の先ですね、以蔵....  

「君が為 尽くす心は水の泡 消えにし後ぞ 澄み渡るべき」岡田以蔵、辞世の句。

 

市街地から少し離れていましたが 充分観光範囲、平井収二郎・加尾 生誕地にも行ってきました!

いろんな方のブログやHPで写真を見ていたので この線路沿いのお宅が見えた瞬間、

石碑は全く見えていない段階で ああぁ、ココだっ!っと分かってしまった。

区画整理は仕方ない。

かろうじて 石碑と観光に訪れる人の為の道だけが 残っている感じです ↓

帰り道は 宮迫さんの顔しか思い浮かびませんでした、笑。 

「平井の収次郎(収二郎)ハ誠にむごいむごい。いもふと(妹)おかを(加尾)がなげき いか計りか、

ひとふで 私のよふすなどはなしてきかしたい。まだ少しハきづかいもする。」

坂本龍馬 乙女宛の手紙。

坂本家と平井家は 同い年の龍馬と収二郎、同じお琴のお稽古仲間である乙女と加尾、

家族ぐるみで仲が良かったそうです。

乙女姉やんの横に まだ小さな加尾の娘が ちょこんと座っている写真も残っている。

「女子 一生の痛恨」。

若き日 龍馬に再会することが叶わなかった 晩年の加尾のひとこと。

 

そして 幕末の風雲児、坂本龍馬の誕生地がコチラ ↓↓

       

ビルの合間になってますが、そこはやっぱり主役の貫禄。

他の誰より立派な碑が建ってました。

 

「肝胆元雄大 寄機自湧出 飛潜有誰識 偏不恥龍名」

(肝胆もとより雄大 寄機おのずから湧出す。飛潜誰か知るあらん ひとえに龍名に恥じず)

龍馬の脱藩を聞いた 武市半平太が詠んだ漢詩。

ホントにスゴイ人だったのねー。

 

ご近所には 饅頭屋 長次郎邸跡 ↓↓

 

続いて どどーーーーんっっ!!っと立派な門構え!

と言っても残っているのは門構えだけで、現在は三翠園という立派なホテルの大門です。

こちら ↓ 旧山内家下屋敷長屋。トップの写真「七」番。

案内看板には「幕末の風情」と書かれている。こういう感じなのかー。ふむふむ  

お向かいには 山内容堂公のお屋敷跡 ↓↓ 現在は鷹匠公園。高知にも鷹匠という町名があるのね。

この公園、季節もあるのかもしれませんが

もう少しキレイに整備して 案内とか建てたら カッコ良くなるのにな。

出来たら お屋敷の再現してほしいくらいだ、笑。

振り返ると 県庁前の大きな通りの向こうに 高知城 ↓↓ 天守閣(写真 中央やや下。木々の合間)!!

お屋敷の再現したら いいロケーションなんじゃないでしょうか?

これを思うと 慶喜公のお屋敷を守っている浮月楼は やっぱりスゴイんでしょうね。

あ、しかし、駿府城はありませんね 

 

こんな感じであと数カ所程 予定していた所は全部、歩きまわって来ました 

帰宅後に 更に掘り下げて調べていたら 恐ろしくショッキングな画像を見てしまった!

速攻ページ閉じて 履歴を消去!

やっぱりね、歴史は残酷で恐ろしいモノです。

カッコイイなんて言っているうちは 表面上でしかないんですね。

表面上にしておきます....とほほ 

 

 

 

 


高知滞在。

2013-01-05 | 国内旅行

みなさま、短いお正月休み いかがお過ごしでしょうか?

新年のご挨拶は遠慮させていただきましたが

どうぞ今年もよろしくお願い致します  

 

さて 今年は思いの外、世間様並みのお正月休みをいただいたワタクシ、

寒い所は苦手なので 静岡県と同様に日本の南国と言われる 高知県に行ってきました!

岡山から高知をつなぐ「南風」に乗り込みます ↓ 早速、暖かそうなネーミングにうきうき 

「南風」には「アンパンマン列車」バージョンがありました!

作者 やなせたかしさんが高知県の出身なんだそうですね。

目が釘付けになっているチビッコがたくさんいました   その姿が可愛かったデス!

ちなみにコレ ↓↓ 帰りに撮った写真ですが 車掌さんが押してくれるスタンプもアンパンマン! 

こういうご当地もの、いいよねっ  チビッコじゃないケド 旅が楽しい!

瀬戸大橋を渡ります ↓ この橋によって 本州と四国が結ばれて 今年で25周年だそうです。

岡山から2時間半で 終点 高知駅に到着!天井が木なのね。素敵な駅舎でした ↓

到着前に 車内アナウンスが「汽車」と言った様な気がして、

「電車」と言う様に躾けられた私は(笑)コレが気になっていました。

それが 先程 判明!

高知の方は JRのことを「汽車」、路面電車のことを「電車」と使い分けているそうです。

そして上の写真を見ていただくと分かる様に JRはディーゼルエンジンで走っているので

確かにこれを「電車」とは言わない....つまり「気動車」ということになるらしい。

私がアナウンスで聞いた「きしゃ」は「汽車」ではなく「気車」のことだろうか?

 

広々とした駅前 ↓↓ JRが到着するのは2階 ↓

右に路面電車のアンパンマンバージョンが停まっています。 

っで、早速 お目見えするのが 高知の三志士 ↓

左から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎像。

桂浜の龍馬像で知られる様に 中岡慎太郎は室戸市の室戸岬、

武市半平太は須崎市の横浪スカイラインにあるらしいのですが

電車旅の私にとっては こうやって駅前に揃っていて下さると 大変 助かります、笑。

この高知県が誇る幕末の志士達、いずれも30代で時代の荒波にのまれ命を落としている。

 

高知滞在中、路面電車は 大変良く利用させていただきました。

やはりここでもアンパンマン ↓ 

当然、龍馬電車も ↓

作られたレトロではなく、持ち前のレトロ感有り。可愛かったです。

さて、JRのフリープランに含まれていた指定ホテルがこちら ↓

ホテル日航 旭ロイヤル。一泊だけ滞在しました。

すぐ裏手に観光遊覧船の発着場所があり 浦戸湾から桂浜沖に出て 海から桂浜を観光出来るそうです。

       

こちらのホテル(お隣にそびえるマンションと同様に)市内で一番の高さなんだそうです。

朝食会場になった22階のレストランからは 浦戸湾と朝日を見ました!

お正月 特別メニューの「年明けうどん」↓

出発前日の大晦日に 年越しそばを食べられなかったので すごく嬉しかった 

(うどん県じゃない)高知だけど 四国のおうどんだし 

 

二日目、三日目の滞在はコチラ セブンデイズホテルをチョイス。

       

うん、確かにコジャレてました。

お部屋で ヒマだったので 自分撮り、笑!

マニアックな観光については また後日!

 

 

 


一年の計は元旦にあり

2013-01-01 | 国内旅行
一年の計は元旦にあり。
高知城に行ってきました。

天守閣の中は関ヶ原の戦いと
山内一豊の展示ばかり。
しかし私の中ではやっぱりココは
山内容堂公のお城なんですね。

先見の明があると言われる一方で
時代の流れに乗ろうとした態度を
「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄された。

一年の計は元旦にあり。
世渡り上手になれます様に!
笑!




飛騨牛 石焼御膳!!

2012-09-21 | 国内旅行

高山グルメ、キワメツケはコレ!!

「飛騨牛 石焼御膳」!!

滞在先のホテル アソシアで ランチにいただきましたー  

本当は 夜の豪華ご飯の予定だったけど

家具見本市の会場が ホテルと近かったので スケジュール的にも都合が良かったし

ランチがかなりお得だと気付いてしまったから、笑。

キレイ  ↓↓ 秋のご飯です 

天ぷらにカニがっ....!! ↓ カニ 美味しかった  !!

そして メインの飛騨牛  !!

焼いてみました  !!

ぐふふ  このブログを読んでいる今、お腹が空いているみなさま ゴメンナサイ!

美味し過ぎでしたーっ  !!

セイロに入ってやってきた 蒸し寿司 ↓ 蒸したお寿司なんて 初めて食べました 

茄子田楽 ↓ これがまた、お茄子の素材がすごくいい味!

これは「寿司御膳」のお寿司 ↓ 石焼御膳にはついてきません  注意。

デザートは 自家製のおやき ↑

この くるっとまわした笹を留めてある竹のクリップが可愛かったです!

んー、やっぱりランチ お得です 

しかも 店舗の照明ではなく 昼間の自然光で写真が撮れるので 良い感じに写ります。

 
定宿 ホテルアソシア 高山リゾート ↓

私は高山に暮らしていた頃から 両親が遊びにくると それに混ざってココに泊まっていた。

何回 泊まっただろう!広いしキレイだしホテルのひと達 優しいし、大好きなホテルです  

お部屋からの眺め ↓ 今回は13階。

「リゾート」とか言うけど....早い話が 山ですね。

観光地からは少し距離があるけれど 一歩引いた所から 高山の町並みを臨めます。

晴れていれば 高山の町の後ろに 北アルプスと乗鞍岳も臨めるという

山好きにはたまらないロケーション  らしいス(笑)。

 

翌朝の朝食バイキング ↓

コーンフレークちゃんぽーんっ ↓

で、この後に 和食バイキングもしてみました ↓ 

お椀の右にあるのは 高山名物、朴葉味噌!ちゃんと朴葉の上で焼いてくれます。

そしたら見事に夜までお腹いっっっっっぱい(笑)!!

静岡に帰るまで いでぼくの桃サンデーしか入りませんでした、

入ったんかい!!....って話デス(笑)!!

 

 

 

 


高山グルメ

2012-09-20 | 国内旅行

「2012 飛騨高山 暮らしと家具の祭典」会場で あちこちに貼られていた

「ものづくりウィーク」のポスター ↓ 

        

この写真 よく見ると 飛騨地方のいろんなメーカーの家具が使われている ↓

しかも何だかステキな空間じゃないですかっ!   飲食店?

地元メーカーを代表する椅子を一脚ずつ選んで並べるなんて ステキだなぁ  っと思い

右下に表記されていた撮影場所を見てみると「ヒラノグラーノ」と書かれていた。

おーーーーっとぉ「ヒラノグラーノ」は ガイドブックで見たぞ!

ビスコッティが美味しいというイタリアンのお店だ!(←ガイドブック 初めてお役立ち

ガイドブックに掲載されていた店内写真は ごく一般的な椅子の一種類だけだったので

この時点で これがポスター撮影の為に作られた空間だと分かってはいたのですが

写真がステキ過ぎるので あっさり予定変更して行ってみることにしました!

 

目指すは「ヒラノグラーノ」だっ (....っと、安川交番で道を聞く。笑)!

これがびっくり。

(松本家住宅と大黒台の屋台蔵に挟まれた →)技能専の恩師 O先生の自宅前だったよ、笑。

観光地からは ちょっとだけ歩くことになる。

そして現れたのは トップの写真の入口!やっぱりステキ 

店内はすでに満席に近く 写真は撮れませんでした  でもポスターと同じです。

 

結構 歩いたので 良い感じでおなかペコペコ。

ピザの窯が目に入ってきて 頼まずにいられませんでした ↓

入口に薪が積まれていたのは ピザの窯のためだったのね 

カリカリの生地でマルゲリータ ↑↓ 

と、大好きなカルボナーラ ↓ 

すごく美味しいっ 

お店の古民家的な雰囲気と 一心不乱に仕事する(ピザを焼く)お店の方と

対応して下さった優しいお姉さんの笑顔が 料理の味を一層 美味しくする 

そしてモチモチ生地で生ハムとルッコラのピザを追加注文 ↓

ぎゃー 美味しいぃっ 

ここは私の、新しい高山名所デス ↑

もちろん ビスコッティをお土産にテイクアウトして帰りました 

....ところで!

あのポスターの様な 地元メーカーの椅子を集めた「家具の地産地消」のお店、

高山はもちろん、静岡にだって あってもいいと思うんですけどねー?? 

 

 

 

高山滞在にはお決まりの WA SA BI にも行ってきました!

店内から 窓際の席越しに見える風景 ↓ いつもはこの 窓際のカウンター席なのだ。

アイスティーとレアチーズケーキをオーダーしてみました。

そういえばいつも紅茶(ホット)なので 出てきたグラスの大きさに驚いた。

でもここはカップ&ソーサーを楽しみたいお店でもある。

        

レアチーズケーキ、めっちゃ美味かった  !!

やっぱりココ 落ち着く、定番の高山名所デス。

 

ヒラノグラーノもWA SA BI も 近所に欲しーーーい!!

あーーー高山 楽しかったなぁ