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★☆ 愛しき時間(とき) ☆★

2007年に乳がんと肺がんを克復しました。
現在 ACTH単独欠損症(特定疾患)、糖尿病の闘病中です☆

突発性難聴(発症13日目)

2008年04月15日 | 突発性難聴(右耳)

【突発性難聴☆闘病記録】(3)

★2008年4月15日(火)★
 <
治療開始4日>
今日はとてもよいお天気で、
気温も20度以上まであがり、初夏のようだった。

本来なら横浜に行く予定だったけれど、
今回は断念したため・・・・・
急きょ、今朝になって、
ACTH単独欠損症でかかっているH病院に行くことを決意。

明日から金曜日まで雨の予報なので、
雨の苦手な私は、
今日のように気持ちのいい日に、気になることを済ませておきたいと思った。


4月3日、突然、突発性難聴の症状が出た私。
なぜ、今、こんな病気に襲われたのか信じられない。

6年前から闘病中のACTH単独欠損症は、
副腎皮質ホルモンがまったく機能していない病気なので、
もしかして、今回の病気と関連があるかと思ったりした。

そのことを内分泌科の担当医にお尋ねしたかったこと、
そして、ACTHでコートリル(ステロイド)を服用しているのに、
また、この突発性難聴でプレドニン(ステロイド)を重複していいのかどうか、
確認しておきたいと思った。


今日は予約外で行くため、
11時までには受付を済ませねば・・・と家を出た。

10時50分、H病院着(ギリギリ!)。

総合受付で、予約外で内科受診希望を伝え、受付機に診察券を通す。
2Fの内科に急いで上がり、
内科受付で、今日は予約外で来たことを伝える。

事情を話すと、
「先に耳鼻科を受診してきてください」と言われ、
「えっ!」って・・・
3Fの耳鼻科に急ぐ・・・

耳鼻科の受付では、
「耳鼻科は初めてですか?」と聞かれ、
「そうです」と言うと、
「では、1Fで初診手続きを済ませてきてください」
「えっ・・・もう、11時になりますが・・・」
「はい、急いで行って下さい!」

私は、今日のように、
エスカレーターの動きを鈍く感じたことは始めて!!
外来のそのエスカレータは一人用の上、
前に数人ご病人がいらして走って下りることもできなかった。

1Fに着くと、小走りで、初診受付に行き、事情を話し、
無事、耳鼻科の初診手続きができた。(すでに11時を過ぎていた)

それから・・・急いで、3Fの耳鼻科に戻り、
無事、耳鼻科の受付終了。(ふぅ~~)

右耳はガンガン耳鳴りがしているのに、
あっちに行ったり、こっちに走ったり、
ホントにあわただしい数分間だったーー。

耳鼻科では、
「午後2時ごろのお呼びになるかと思いますが・・・」
「はい、お待ちします・・・」と素直な私。
11時過ぎていたのに、受付していただけただけでも感謝した。

お昼のお薬も飲まなくてはならないし、
院内でランチをいただいたり、本を読んだりして時間をつぶした。


午後2時過ぎ、耳鼻科で、私の順番がきた。

今までのいきさつを問診票に書いていたので、
それに基づき、先生が診察を始められた。

やはり、近所の耳鼻科と同じように、
一番に、両耳を器具でのぞかれ「異常なし」。

「聴覚検査をしてみましょう」と言われた。

中待合で待っていると、10分位して、
検査技師?の女性がこられ、検査室に案内された。

聴覚検査室は、二重のドアになっていた。
中に入ると、
いろいろ検査器具がある部屋で、

「この椅子に座ってください。
音が聴こえた時はこのブザーを鳴らしてください」
ヘッドホン?を着けながら、ブザーを渡して言われた。

技師の方は、私のすぐ横で検査器具を操作される。
この前行った近所の耳鼻科では、
電話ボックスのような個室に入り、看護師さんとはガラス越しだった。
そっちの方が新式かな?と思った。

検査方法はほとんど同じだけど、
今日の方が音が大きくて検査がしやすい気がした。

でも・・・・・・

技師の方が、何度も不審そうな顔つきで、
データーに『ばらつき』があると言われる。

「私のやり方がまずいのでしょうか?」と私。

「いえ、そんなことはないですよ。
慣れてる方でもそういうことはありますから・・・」

聴覚の検査は、小さな、小さな音から始められるので、
ほんと、むずかしい。
かすかに聴こえる音を捉えるのが非常に困難。

聴覚の検査後、10分くらいして、医師から説明があった。

「○○先生の診断のように、突発性難聴だと思いますね。
今のお薬を続けられたらいいと思います」

「そうですか・・・検査はちゃんとできたのでしょうか?
技師の方が困っていらしたみたいですが」

「そうですね・・ちょっとばらつきがありますが、
突発性難聴だと思われます」

「ネットで見ると、聴神経腫瘍のことや脳腫瘍のことなども書いてあり、
私は乳癌や肺癌をしているので、
そっちの不安もあるのですが、どうでしょうか?」

「そうですね・・・まずは、今飲まれているお薬を1ヶ月位続けて、
それでも改善がなければ、MRIとかの検査をすることになると思います」

「この病気で、入院などされたりする方もおられますが・・・」

「そういう方は、フラフラしたり、食事も摂れなかったりする方です」

「あ、そうなのですか・・・
こちらの病院でも、突発性難聴の治療では、
今私が飲んでいるお薬と同じような薬を出されるのですか?」

「そうですねー。同じです」

「○○先生は、軽い突発性難聴だと言われるのですが・・・」

「・・・今日のデーターでは、右耳の聴覚がかなり悪いですねー。
検査技師も、ばらつきがあったと言っていますので・・・
このデーターを○○先生にお見せになってもいいですよ」


そして、コピーをもらった。
この総合病院では、いつも、検査のデーターを患者に渡されるので安心できる。
良きにせよ、悪しきにせよ・・・
患者というものは、自分の結果は自分で手元におきたいから。

「では・・今日は、結果が悪かったのですね・・・
症状が出てから、耳鼻科にかかるのが遅かったのでしょうか?」

「そうですね・・・ちょっと・・」

「やっぱり・・・・・(がっくり!)
先生、この難聴は治りますか?」

「むずかしいかもしれません・・・」


私は「ドキッ」とした。
近所の耳鼻科では、すごく軽い症状だと聞いてたし、
治る可能性が高いと私は軽視していた。

病院にかかったのも、遅くはないように言われていたので、
このあたりの話が食い違った。
医師により、考え方の違いがあるのだろうか?
それとも、楽観的な医師、慎重な医師の性格の違い?

しかし、突発性難聴の基本的な注意点が違っていたら困る。

最初にかかった先生に、もっと慎重になるよう注意してほしかった。

結局は、検査結果のデーターに基づいて診断がつくので、
正しい検査ができたかどうか?にかかってくる。
患者本人がブザーを押すことで結果がでるのだから、
血液検査のように、正確ではないことを改めて知った。

でも、でも・・・・患者にとっては、
難聴や耳鳴りが、治るか、治らないのか、一生の問題になるのだから、
・・・突発性難聴という診断である以上、

「この病気は、最初の段階が非常に大切ですから、
用心のためにも、安静にお過ごしください」

と、一言、注意を受けていたら・・・
と、残念でたまらない。

なんて・・・思ったけれど、
一番悪いのは、私。
周りに耳鼻科の病気の者がいないから知識不足だったのか、
私自身に危機感がなさ過ぎた。
ネットで調べても、自分が重症だと思いたくなかったのかも・・・

ちょっと手遅れのように言われ、ショックだ。

でも、ここまでくると、闘うしかない。
これから、希望をもって、治療に専念する。
二人の医師の診断で、突発性難聴と言われたのだから。


耳鼻科を終えて、内科へ・・・
内分泌科の担当医に会って、突発性難聴の報告をした。

「コートリルと一緒にプレドニンを飲まれてもかまいませんよ」

「そうですか・・・安心しました」

「プレドニン5mg1錠は、コートリル10mgの2錠分だと思ってください。
だから、今、コートリルを12錠飲まれていることになりますね」

「うわ~っ、ステロイドの副作用が怖いですね・・・」

「突発性難聴の治療のためですから、
耳鼻科の先生の言われるように、飲まれた方がいいですよ」

「はい・・・」

「コートリルは、ステロイドの中でも一番軽い薬ですから、
プレドニンを飲まれているときには、止められてもいい位ですが、
その習慣を止めることがストレスになるといけませんので、
今までどおり、コートリルも朝1錠飲んでください」

「そうですね。『ACTH単独欠損症』と『突発性難聴』の病気を、
分けて考えればいいのですね」

「そうです・・・」

「先生、では、この突発性難聴とACTH単独欠損症の病気は
関連性はないのですか?」

「ありません」

「分かりました。お尋ねして安心しました」

「では、次回は、前回予約していた日(5月)にいらしてください」


こうして、今日の2科の診察は無事終了。
会計を済ませたときは、午後4時ごろだった。
待たされることを覚悟して行ってたので、
ぜんぜん、気にならなかった。

悪い結果が出たりして、ショックもあったけれど、
内分泌科の先生に報告できたこと、
耳鼻科のセカンドオピニオンで納得できたから、
モヤモヤしていた気持ちが晴れた。

病院の帰りにデパ地下でお惣菜を買ってきたので、
夕食は簡単に済ませた。
夫も非常に心配していて、協力的で嬉しい。
(ま、それが普通ですよね)

今日も忙しい一日だったー。

今も、耳鳴りがガンガンしている・・・。
早く治らないかな~







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突発性難聴(発症11日目・12日目)

2008年04月14日 | 突発性難聴(右耳)
4月12日、突然、突発性難聴と診断された私。
ACTH単独欠損症の闘病中でもあるため、
記録として、闘病記を書いていきます。
今日は、一昨日書いた★4月3日~4月12日★の続きです。

【突発性難聴☆闘病記録】(2)

★2008年4月13日()★
 
<治療開始2日>
昨日の昼食後からお薬を飲んでいて、
3回の薬の効果が出てきたのか、
今朝は少し調子がいいように感じた。
(耳鳴りが小さく感じた)

突発性難聴という難病になり、ショックは大きいけれど、
右耳の「耳鳴り、難聴」の病名が診断されたことで、
「何の病気かしら?」と心配していた不安がとれ、
治る見込みのある病気だと聞いてほっとする。
前向きに、希望をもって治療をがんばることにした。

『癌』を宣告されるより、ずっとうれしいことだからー。

午後から夫と、買い物とお食事に出かけた。
外出中、雑音があると、夫の声が聞き取りにくかった。
(小さな声の会話が困難?)
夜、ちょっと耳鳴りがひどくなったように思う。

やはり、外出は控えたほうがいいのか、迷う。
医師からは、『安静』という言葉は出ていない。

それと・・・昨日書き忘れていたが、気になることがある。
昨夜、妹と、この病気のことを電話で話していて、
「あ、ちょっと右耳で聞いてみるね」とテスト的に受話器を持ち替えてみたが、
右耳では、ほとんど妹の声が聞こえなかった。
私はいつも左耳で電話をとる習慣があり、
その症状がいつからなのかわからない。
でも・・・すっごくショックだった。

今日も夫にそのテストの相手をしてもらったが、
やはり・・・右耳ではぜんぜん、聞こえなかった。
耳鼻科の医師に話したほうがいいのかな・・・


★2008年4月14日(月)★
 <
治療開始3日>
深夜3時ごろお手洗いに起きて、
目が冴えて、眠れなくなった。
やはり、突発性難聴のことが気になっているのかも・・・。
昨夜の睡眠時間4時間。
ストレス、寝不足が悪いと注意されているのに・・・。

右耳で、電話の声が聞こえないことを医師に伝えたほうがいいかと思い、
急きょ、今日耳鼻科を受診した。

診察前に、12日と同じ、聴覚検査を受ける。
その後、診察。
検査結果のグラフを見ながら説明されたが、
初診の時より、医師の説明が理解できた(半分くらい)。

聴覚の検査結果的には、
そんなに重篤ではないと言われる。
耳鳴りがなければ、難聴のお薬も飲まなくてもいいような・・・??

電話の声が、右耳では聞き取れないことを医師に話した。


「そうですかー」(頭をかしげながら・・)

「・・・・・・」

「今まで、電話を聞かれるのは、左耳ですか?」

「そうですね。ほとんど左耳で聞いています」

先生は、私の左耳(正常な方)を押さえ、
話しかけられた。

「今、私の声が聞こえますか?」

「聞こえます・・・」

「・・・・・・なら、大丈夫でしょう」

「そうですか?」

「心配いらないと思います」


私は、内心、「えっ?ほんとに大丈夫?」と思ったが、
それ以上は言葉がなかった。


「今日、耳鳴りはどうですか?」

「昨夜、眠れなくて、睡眠不足のためか、
今日、耳鳴りはひどいのですが・・・」

「眠れないのは、今飲んでいただいている薬が原因だと思います。
薬の中に、眠りが浅くなるのがありますから」

「そうですか・・・」

「では・・・次は木曜日に来てください」


会計を済ませ、病院を後にした。

今日も、この耳鼻科の医師の言葉に物足りなさを感じた。
さらりと、大丈夫、と言えるのだろうか?
医師と患者の立場は、信頼関係が大切なのに。

明日、日帰りで横浜に行く予定だったけれど、夕方になってキャンセルした。
昨夕、購入していた新幹線のチケットは、
夫が帰宅してから、駅まで精算に行ってもらった。

耳鼻科の先生は新幹線に乗ることを許可されたけれど、
家族(姉の夫も妹の夫も科は違うけど医師)がみんな心配して、
(新幹線はトンネルが多いから耳に悪い)、
「今は、突発性難聴の治療を優先したほうがいい・・・」って。
「ほんとにそうだな」と納得。

この突発性難聴は、最初の治療が大切で、
今、安静にしておかないと、
生涯、難聴になる恐れがある・・・

私の欠点は、決まったことはやり通したい。
変更が嫌い。ということ。
そのやりとりがめんどう。
そうして、自分の体を酷使するので、
今まで、風邪から肺炎になったりすることも多かった。
これからは、気をつけなくては・・・。

今日は、一日中、耳鳴りがひどかった。
寝不足のせいかな・・・
電話が多かったせいかな・・・
自分でも耳鳴りをうるさく感じ、
人との会話のとき、それが響くため、右耳を抑えたくなることもしばしば・・・。

テレビの音や長電話、大声に疲れる。
明日からは、静かに養生したい。






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突然、私が「突発性難聴」に・・・

2008年04月12日 | 突発性難聴(右耳)

先日から体調が悪く(耳鳴り、頭痛)、気分がすぐれなかった。
今日、思い切って病院(耳鼻科)に行き、検査をしていただいた結果、
なんと、「突発性難聴」と診断された。

1997年、乳癌を宣告されたとき、
それまで健康だった私は、
「誰に向かって言ってるの?」・・・と、他人事のように思えて、
医師の前では涙も出なかった。
(家族に報告してから・・・涙が止まらなくなった・・)

2001年、肺癌を宣告されたときは、
悲しくて、悲しくて・・・涙があふれ出た。
二つ目のガンということでショックも大きく、
もう、長く生きれないと思ったから・・・。

2002年、ACTH単独欠損症と診断されたときは、
意識がもうろうとするくらい体が悪くなっていたので、
(家族もまわりも『死』を覚悟していた)
病名が診断され、治療方針が決まっただけでも感謝した。
コートリルを服用することで、
「一生治らない病気」として、今も闘病中・・・。

そして、今日、耳鼻科の医師から、
「突発性難聴です・・・」と言われた。
今まで、耳鼻科にご縁がなかった私は、
「えっ・・・・何?・・・・・」と、頭が真っ白になった。
すぐには受け止めることができなくてオロオロするばかり。

帰宅して、ネットで調べると、突発性難聴は、
厚生労働省から難病指定を受けている病気であることを知り、
大変なことになった・・・と、意気消沈している。

歌手の浜崎あゆみさんも同じ病気だと書いてあった。
そのニュースを聞いたときもネットで調べ、
「アーティスト」という職業で、
この耳の病気は大変だろうな、と心配した。
今、改めて同情している。

ACTH単独欠損症と関連があるかどうかわからないけれど、
これから続くであろう、この「突発性難聴」についても、
記録を残しておこうと思った。
(カテゴリー欄にも加えました)


【突発性難聴☆闘病記録】(1)
   <発症~10日目>

★2008年4月3日(木)★
夜10時ごろ、ソファに横になったとたん、
突然、右耳に耳鳴りが・・・
時計が鳴っているような音がする。
「カチ、カチ、カチ、カチ・・・」と機械音?のような音。
夫に「何か聞こえてない?」と尋ねたら、
「なにも聞こえないよ・・・」と不思議そうに
言い、
空耳だったんだーと、二人で笑った。
時計を置いてる場所でもないし、変だなと思いつつ、
別に重大なことと思わない。
耳鳴りだとしてもそのうち治るーと思った。

★2008年4月4日(金)★
相変わらず、右耳の耳鳴りが続く。
セミが鳴くような「ミーン、ミーン」といった音に変わった。

★2008年4月5日(土)★
耳鳴りの音が、微妙に変化しているような気がするが、
決して良くなっているようではない。
ドライヤーをかけていて、右の耳から音が聴こえにくいことに気づく。
夜、夫から、
「そういえば、最近、歌音はテレビの音を大きくしてるよ」って言われ、
ちょっとショック!
難聴になったらどうしよう・・・・

★2008年4月6日(日)★
平和公園でお花見~♪
外の雑音があると、耳鳴りが目立たないし、忘れている。
右側からの会話は聞こえにくく、聞きなおすことが多くなった。
やはり・・・難聴??
イヤだーーー!!!

★2008年4月7日(月)★
一人静かにしていると、耳鳴りがひどい。
たくさんの虫が「ガチャガチャ」?鳴いているような音。
時々、「キーン」って大きな音が鳴る。
夜、夫が病院に行くように勧めた。

★2008年4月8日(火)★
近所の内科でいただくお薬があったので、
先に内科に行き、その後、耳鼻科に行く予定で家を出た。

その内科は家庭医なので、
耳鳴り、難聴のことも知っておいていただいた方がいいかと思って、
そのことを話すと、
器具を使って、両耳の中を見られ、
「炎症が起きているかもしれないので、抗生物質を出しておきましょう。
気になるようでしたら、一度耳鼻科で検査を受けてください」
と、言われた。

な~んだ、あまり重症ではないんだ、という安心感がわく。

妹に耳鳴りのことを話したら、心配していた。
「知恵袋で調べたら?経験者の言葉で書いてあるから・・・」
ってアドバイスしてくれた。
妹よ・・ありがとう。いつも心配かけてごめんね。
夜、1時間くらい、いろいろ研究した。
耳鳴りは一生治らないかも・・・という不安が募ってくる。


★2008年4月9日(水)★
予定通り、岩国の錦帯橋にドライブ。
気分転換も必要かと思った。
外出中は耳鳴りのことも忘れ、楽しい一日を過ごした。
ただ、難聴のことを考えるとユーウツになった。
『耳鳴り』は自分で我慢しようと思えばできるが、
『難聴』は生活に支障が出る・・・会話が難しい。

★2008年4月10日(木)★
朝、いつもどおり夫と一緒に起きたが、
いろいろなことを考えると気分が暗くなり、
「一生、耳鳴りや難聴が続くのだったら死んだ方がいい」
って、開口一番、夫を困らせた。

「治療すれば治るよ・・・」
夫は本気で言っているようだが、
私にとっては、気休めの言葉にしか聞こえない。
それでも、「治るよ」の言葉に少しは気持ちが和らいだ。
こんなところが、私の長所かな・・・
「なるようにしかならない」と悟っているから。

とは言いながらも・・・
今日の私は何度も涙が出た・・・
なにか・・・切なくて・・・

★2008年4月11日(金)★
右耳の耳鳴り、難聴は続いている。
夜中にお手洗いに起きたときも、耳鳴りがしているので、
24時間ずーっと??
でも、耳鳴りが原因で目が覚めることはない。

お買い物に行って、
レジの女性の声が聞き取れにくかった。
外出後は、耳鳴りの音も大きいし、もう限界。

夜、夫が帰宅して、すぐに、
「まだ、耳鼻科に行ってないの?」と呆れている。
「だって、怖いんだもん・・・」
耳鼻科でどんなことをされるか不安で・・・。


★2008年4月12日(土)★【初診】

  
治療開始初日>服薬1日目≫

今朝・・・ようやく・・・
近所の耳鼻科に行く決心がついた。
土曜日なので、午前中のみの診療時間。
初めて行くクリニックだけど、患者さんが多いのに驚いた。
土曜日で、お子さん連れが多い。
1時間半待ちで、呼ばれる。

受け付けの時、問診票を書いていたので(書かされた)、
医師はそれを見ながら、話しかけてこられる。
そして、両耳を器具で見られたが・・・
異常があるのかないのか、何も言われないまま、
「聴力の検査をしましょう」と。

看護師さんと一緒に聴力検査室に入室。

電話ボックスのような部屋に入り、椅子に座る。
ヘッドホンのようなものを装着して、
左耳(正常)→右耳(異常)と検査が始まった。

小さな窓ガラスがあり、看護師さんが見えている。

「音が聞こえたら手元のボタンを押し続けてください、
そして、聞こえないときは、ボタンから手を離してください」

看護師さんの指示のもとで、ヘッドホン?で2種類のテストをした。
初めてなので、要領がつかめず、
あれできちんと検査ができたのかなぁと心配。

それから、鼓膜の検査もした。
これは簡単な検査だった。

全部あわせて、15分くらいの検査時間。
聴覚の検査も、鼓膜の検査も全然痛くなくてよかった。

「先生から結果説明がありますから、
中待合でお待ちください」

「もう、痛いことはされませんか?」

「ないですよ・・・」と笑われた。

中待合で待っていると、
10分くらいして、診察室に呼ばれ、
先生から、結果説明があった。
検査した聴覚のグラフを見ながら説明された。
(左耳のグラフの曲線と右耳のグラフの曲線を見たのだが)
あまり・・・覚えていない。(というか、理解できなかった

ただ、病名が「突発性難聴」だということだけは、
しっかり聞いた。

「先生、原因はなんでしょうか?
突然のことだし、心当たりもないのですが・・・」

「原因は不明です」

「治るでしょうか?」

「早く治療をすれば治ることも考えられます」

「あ・・もう少し早く受診すればよかったです・・・」

「まだ日にちも経っていないし・・早く来られた方だと思いますよ」

「よかった・・・・」

「お薬を出しますので、きちんと飲んでください。
ステロイドを飲んでいただくようになります。
今、飲まれている薬にステロイドがあるようですが・・・(迷っておられたが)
まぁ、大丈夫でしょう。
次は、木曜日に来てください」

「他に、気をつけることはありますか?」

「ストレス、寝不足、過労がよくないので気をつけてください」

「パソコンは大丈夫でしょうか?」

「大丈夫ですよ・・ストレスになることでなければ・・・。
できるだけ、静かに過ごされるのがいいですー」

「わかりました」

会計を済ませて、薬局によってお薬をもらった。


≪今日処方された薬≫(5日分)
★プレドニン錠5mg 1日3回 毎食後(朝2錠 昼2錠 夕2錠)
 (炎症を抑える薬)
              
★メチコバール500 1日3回 毎食後(朝1錠 昼1錠 夕1錠)
 (ビタミンB12。末梢神経の働きを正常にする薬)

★アデホスコーワ顆粒10% 1日3回(朝1包 昼1包 夕1包)
 (血液の流れをよくする薬)

★セルベックスカプセル50mg 1日3回(朝1個 昼1個 夕1個)
 (胃の粘膜を丈夫にする薬)


≪突発性難聴とは?≫
ある日突然に、片方の耳が聴こえなくなる耳の病気です。
この病気の原因や本態はいまだに不明です。
この突発性難聴の難聴の型は感音難聴(↓)です。
一般的に感音難聴は治癒困難ですが、
この突発性難聴はしっかりした対応をすることによって治すことが可能です。
臨床的には、「ストレス」「疲労」が誘因になっている事例が多いようです。

≪感音難聴とは?≫
外耳道や鼓膜、耳小骨に異常がなく、
内耳から大脳皮質までのあいだに障害があって生じる難聴のことです。


☆★=☆★=☆★=☆★=☆★=☆★=☆★

自分の体は自分が一番よくわかる・・・と以前書いたことがあるが、
今回も、そのように思えて仕方ない。
ネットで、突発性難聴を体験した方の症状をみても、
自分のとは違っていることが気になるし・・・
今日の聴覚検査が正常に計れているかどうか・・・?

プレドニン(ステロイド)を1日に6錠飲むということは、
副腎皮質ホルモンの病気をかかえている私にとって、
どうなのだろう・・・?と不安がある。

私の場合、複雑な病気(ACTH単独欠損症)をかかえているので、
よけいに、セカンドオピニオンが必要かな、と考える。

そこで・・・・・・・

来週は、いつもACTH単独欠損症でかかっている
H病院の内科内分泌科の担当医の診察を受け(予約外になるけれど)、
耳鼻咽喉科の診察の必要があれば、
紹介状を書いていただき(総合病院なので)、
そちらで診察を受けることになるかもしれない。

あ~長い一日が終わりました。
疲れました。




 

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タンポポ

2008年04月11日 | ガーデニング



歩道の片すみに、“タンポポ”の花が咲いていた。
歩く人の邪魔にならないように、
そっと静かに咲いていた。
今、春・・・
タンポポの季節です・・・

<タンポポ>
☆ 漢字で書くと*蒲公英*
☆ 花期・・・春
☆ 科・属名・・・キク科 タンポポ属
☆ 色・・・黄色
☆ 分類・・・多年草
☆ 花言葉・・・「思わせぶり」「別離」



私の現在を支えているものは日々の小さな幸福感である。
幸福というものは、
とびきり上等の大きなものだけではない。
毎日のささやかな幸福感が私の生き甲斐なのである。
        ~宇野千代「幸福の言葉」~





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錦帯橋の桜

2008年04月10日 | ☆ 桜 ☆



昨日は岩国の錦帯橋のサクラ見物に行った。
錦帯橋周辺は、約3000本のソメイヨシノが咲き乱れ、
五連の名橋を一段と美しく彩っていた。

午後1時半ごろから大粒の雨が降り出し・・・
(到着してすぐです!
綺麗なサクラの写真が撮れなかったことが心残り・・・






錦帯橋を渡り始めたところで、橋の上から真下のサクラを撮影。





錦帯橋を渡っている途中で、川岸のサクラを撮影した。





雨降りでも観光客が多い錦帯橋周辺。





錦帯橋の近くの吉香公園に佐々木小次郎の銅像がある。





錦帯橋から少し離れたところに「サクラのトンネル」があった。




昨日は、あいにくの雨だったのに、
今、思い出してみると、
錦帯橋畔での数時間は、すごく楽しくて、
貴重な思い出になりました。



 


                  

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ナターシャ・グジーの歌声

2008年04月08日 | 音楽

今日、「徹子の部屋」のゲストはナターシャ・グジーさんだった。
バンドゥーラ(ハーブに似た楽器)の奏者で、歌手でもあるナターシャ・グジーさんは、
絶世の美女。
話すときも、歌っているときも、とても素敵で、
番組中、私は彼女に魅せられてしまった


☆★ナターシャ・グジー☆プロフィール★☆

日本在住のウクライナ人。
日本人男性と結婚している。

1986年、ナターシャが6歳のとき、
父親が勤務していたチェルノブイリ原発で爆発事故が発生し、
原発からわずか3、5キロで被爆した。
その後、非難生活で各地を転々とし、1年後にキエフ市に移住する。

ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、
8歳の頃より音楽学校で専門課程に進み、学ぶ。
1996年・1998年、救援団体の招待で、
民族音楽団のメンバーとして2度来日し、全国で救援公演を行う。


2000年より日本語学校で学びながら日本での本格的な音楽活動を開始。
その美しく透明な水晶の歌声と哀愁をおびたバンドゥーラの可憐な響きは、
日本で多くの人々を魅了している。


2005年7月、ウクライナ大統領訪日の際、
首相官邸での夕食会に招待され、演奏を披露。

現在は、コンサート、ライブ活動に加え、
音楽教室、学校での国際理解教室やテレビ、ラジオなど、
多方面で活躍しており、
その活動は高校教科書にも取り上げられている。


♪==♪==♪==♪==♪==♪==♪


司会の黒柳徹子さんと、
日本語が流暢なナターシャ・グジーさんとのトークは、
非常に興味深かった。

チェルノブイリ原発事故の被害を受けて、
まだ幼いのに家族で移住したころの悲しい話・・・
今は、チェルノブイリの事故で被害にあわれた方々のために活動している話。
父親が働けなくなって、自分が家族を養わなければいけなくて、
一度は就職したけれど・・・
機会があって自分の夢だった歌手活動をできるようになった。
それはもちろん嬉しいことだけど、
自分が歌うことによりお客様に喜んでもらえたり、
なにかできたりする事がうれしいと目を輝かせて話していた。

「日本に来た頃から、この『徹子の部屋』をいつも観ていました。
早く有名になって、この番組に出れる日がくればいいな、と夢でした。
黒柳徹子さんにお会いできてうれしいです」
ナターシャさんは笑顔で語った。

そして、番組中に、
「♪見上げてごらん夜の星を」、「♪いつも何度でも」の2曲の演奏があった。

今まで、何度も聴いている曲なのに、
民族衣装をまとい、
バンドゥーラを奏でながら歌うナターシャさんの演奏を聴いていると、
私にとって、それは、
「千と千尋の神隠し」のテーマソングとは別のイメージとなり・・・
涙があふれてきた。

透明感のあるソプラノ・・・
優しい響き・・・
しなやかに、感情をこめて歌う彼女。
すばらしい弾き語りに感動した。


「♪いつも何度でも」
(作詞:覚 和歌子 / 作曲:木村 弓)

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい

かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える

繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう

かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかにみつけられたから 



☆「徹子の部屋」の動画~You Tube☆
ぜひ、お聴きになってくださいね!

<見上げてごらん夜の星を>
http://jp.youtube.com/watch?v=Mp22I5fX-rk

<いつも何度でも>
http://jp.youtube.com/watch?v=Cx03zgs7b_s






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広島平和公園☆お花見♪

2008年04月07日 | ☆ 桜 ☆


昨日は、広島平和記念公園にお花見に行った。
広島はちょうど週末にソメイヨシノが満開になり、
約300本のサクラが、
ここヒロシマの聖地・平和公園を彩っている。

とても良いお天気に恵まれ、絶好のお花見日和でした~♪


 


青空に満開のサクラの色が映えて素敵です。


      

元安川橋から、両岸のサクラを撮影したつもりですが・・・




平和公園は、お花見客で、人・・人・・人・・・
外国からの観光客も大勢おられます。
ちょうど満開を迎えた、この5日(土)、6日(日)に集中したようです。



       
本川の川辺にいくと、
低く垂れ下がった()サクラの木の下が空いていました。ラッキー!!
対岸のサクラも眺めることができ、最高の場所です。
そこにシートを広げ、お弁当とビール、おつまみで・・・
のどかで、幸せなひと時を過ごしました。
今年も、夫とふたりの静かなお花見です。




お弁当をいただいていると
遊覧船やモーターボートが何艘も行き交い、
船上の人と、両岸のお花見客が手を振り合って交流します・・・
なんて、平和なふれあいなのでしょう!




お弁当は、毎年、「むさし」のお花見弁当です。
「むさし」のおむすびの美味しさは、格別です。




平和公園には、
平和を願う人々が心をこめて折った千羽鶴がたくさんあります。




「どうか、世界が平和でありますように・・・・」

そんなことを祈りつつ、午後4時過ぎ、平和公園を後にしました。



          


 


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カープ4番☆栗原健太選手

2008年04月05日 | スポーツ
今年からカープの4番を担っている栗原健太選手
「4番」の重責のためか、
昨年までの伸び伸びしたプレーがみれない。

私は野球のことはよくわからないけれど、
「4番」というポジションは、
かなりプレッシャーがかかるようだ。

「打たなければ・・・」ということを意識するあまりに、
空回りして、打てない。

金本選手や新井選手も最初はそうだった。

栗原選手は、すごく努力家だと聞いている。
毎日、誰よりも早く、11時には球場入りして、
一人で打ち込みの練習をしているとか。。。

そんなことを聞くと涙が出てくる。

一生懸命がんばっている栗原選手、
その努力が報われますように。

彼の好きな言葉・・・「気合い」。

早く、『4番』というポジションに慣れて、
本来の栗原選手の力を発揮してほしい。

がんばれ!栗原選手!
いつも応援しています!!!






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「アマナー」★ゲシュタルト現象

2008年04月04日 | 日記


ちょっと前に、読売テレビ系「なるトモ!」で、
おもしろい話題があった。

それは・・・

PCで、「アマナー」という文字を繰り返し打つと、
「ナナメに見える」ということだった。

これを、ゲシュタルト現象というらしい。

今、ふと思い出して、試してみたが・・・
やはり、ナナメに見えた。



★ー★★ー★★ー★★ー★★ー★


アマナーアマナーアマナーアマナーアマナーアマナーアマナーアマナー
アマナーアマナーアマナーアマナーアマナーアマナーアマナーアマナー
アマナーアマナーアマナーアマナーアマナーアマナーアマナーアマナー

ーナマアーナマアーナマアーナマアーナマアーナマアーナマアーナマア
ーナマアーナマアーナマアーナマアーナマアーナマアーナマアーナマア
ーナマアーナマアーナマアーナマアーナマアーナマアーナマアーナマア

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Comments (8)
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比治山公園☆黄金山

2008年04月03日 | ☆ 桜 ☆


昨日、比治山公園と黄金山にサクラを見に行った。
どちらも広島ではサクラの名所として知られている。

★比治山公園★

比治山は標高80mの小高い丘。
広島市現代美術館や広島市まんが図書館、歴史的遺跡などもあり、
見るところがたくさん!
約1300本の桜の木がある。

まだつぼみが多いなか、
仲良く寄り添ったサクラが可憐~~
全体的には、まだ5分咲き。




比治山は夜桜も楽しめるように、
道すがら“ぼんぼり”が設備してあり、お花見客を待っている。

                         


石段を上がった広場に、かわいい白い花が広がっていた。
「アリッサム」に似ているけれど、低木なので違うのかな?




★黄金山★

比治山公園から黄金山へ移動~=з
黄金山には、約480本の桜の木がある。

こちらもまだ3~5分咲きで、イマイチ。
大木のサクラの幹から、小さな芽が出て、サクラが咲いている。
生命力がすごい!
 



黄金山は標高221、7mの小高い山で、
展望台があり、広島市内が見渡せる・・・

駐車場から展望台に上がる途中に、
真っ赤な実のついた植物を見つけた。
なんて、名前の植物だっけ~?

 
比治山公園~黄金山は、同じ南区にあり、車で10分くらいの距離。

昨日は曇っていて風が冷たかったのに、
そんな中でも、お花見客でにぎわっていた。

今日は気温が19度と高く、晴れていたので、
サクラも開き、
週末~来週が見ごろとなりそうです・・・・





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