★☆ 愛しき時間(とき) ☆★

2007年に乳がんと肺がんを克復しました。
現在 ACTH単独欠損症(特定疾患)、糖尿病の闘病中です☆

ナターシャ・グジーの歌声

2008年04月08日 | 音楽

今日、「徹子の部屋」のゲストはナターシャ・グジーさんだった。
バンドゥーラ(ハーブに似た楽器)の奏者で、歌手でもあるナターシャ・グジーさんは、
絶世の美女。
話すときも、歌っているときも、とても素敵で、
番組中、私は彼女に魅せられてしまった


☆★ナターシャ・グジー☆プロフィール★☆

日本在住のウクライナ人。
日本人男性と結婚している。

1986年、ナターシャが6歳のとき、
父親が勤務していたチェルノブイリ原発で爆発事故が発生し、
原発からわずか3、5キロで被爆した。
その後、非難生活で各地を転々とし、1年後にキエフ市に移住する。

ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、
8歳の頃より音楽学校で専門課程に進み、学ぶ。
1996年・1998年、救援団体の招待で、
民族音楽団のメンバーとして2度来日し、全国で救援公演を行う。


2000年より日本語学校で学びながら日本での本格的な音楽活動を開始。
その美しく透明な水晶の歌声と哀愁をおびたバンドゥーラの可憐な響きは、
日本で多くの人々を魅了している。


2005年7月、ウクライナ大統領訪日の際、
首相官邸での夕食会に招待され、演奏を披露。

現在は、コンサート、ライブ活動に加え、
音楽教室、学校での国際理解教室やテレビ、ラジオなど、
多方面で活躍しており、
その活動は高校教科書にも取り上げられている。


♪==♪==♪==♪==♪==♪==♪


司会の黒柳徹子さんと、
日本語が流暢なナターシャ・グジーさんとのトークは、
非常に興味深かった。

チェルノブイリ原発事故の被害を受けて、
まだ幼いのに家族で移住したころの悲しい話・・・
今は、チェルノブイリの事故で被害にあわれた方々のために活動している話。
父親が働けなくなって、自分が家族を養わなければいけなくて、
一度は就職したけれど・・・
機会があって自分の夢だった歌手活動をできるようになった。
それはもちろん嬉しいことだけど、
自分が歌うことによりお客様に喜んでもらえたり、
なにかできたりする事がうれしいと目を輝かせて話していた。

「日本に来た頃から、この『徹子の部屋』をいつも観ていました。
早く有名になって、この番組に出れる日がくればいいな、と夢でした。
黒柳徹子さんにお会いできてうれしいです」
ナターシャさんは笑顔で語った。

そして、番組中に、
「♪見上げてごらん夜の星を」、「♪いつも何度でも」の2曲の演奏があった。

今まで、何度も聴いている曲なのに、
民族衣装をまとい、
バンドゥーラを奏でながら歌うナターシャさんの演奏を聴いていると、
私にとって、それは、
「千と千尋の神隠し」のテーマソングとは別のイメージとなり・・・
涙があふれてきた。

透明感のあるソプラノ・・・
優しい響き・・・
しなやかに、感情をこめて歌う彼女。
すばらしい弾き語りに感動した。


「♪いつも何度でも」
(作詞:覚 和歌子 / 作曲:木村 弓)

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい

かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える

繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう

かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかにみつけられたから 



☆「徹子の部屋」の動画~You Tube☆
ぜひ、お聴きになってくださいね!

<見上げてごらん夜の星を>
http://jp.youtube.com/watch?v=Mp22I5fX-rk

<いつも何度でも>
http://jp.youtube.com/watch?v=Cx03zgs7b_s






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