昨日、新地町公民館にて、民俗学者であり新地町の漁業者である川島秀一さんをゲストに、第17回エチカ福島「海を生きるものの生と理——「ALPS処理水」海洋放出開始をめぐって」が開催されました。
エチカ福島としても、はじめての浜通り開催にどれだけの人数が集まるか少々不安がありましたが、21名の方々のご参加に恵まれた盛会となりました。以下、雑感を含めた簡単な渡部の報告です。
まず、川島さんよりいただいた70分間の基調報告から印象深かったことを書き記します。
川島さんから、これまでの漁村をめぐる民俗学的な調査から大変興味深い数多くの事例を挙げながら、「漁師さんは自然科学者のように自然だけを見ているのではなく、自然と自分たちとのかかわりを対象化できる人たちである」との考えが示されました。
たとえば、オニヒトデのようなサンゴ礁を荒らしてしまうものに対して、「ダイバーはきれいな珊瑚を見たいからオニヒトデを一掃することを志向するけれど、漁師たちは別の意見をもっている。実は、珊瑚が覆いつくした後にタコはいなくなってしまう。むしろ珊瑚が死に絶えたところにタコが住み着くのであって、オニヒトデが珊瑚を食べるからタコがいるんだ」という事例を示しながら、川島さんは「楽園というけれど、本当はそこにオニヒトデも含まれているはず」と語った波照間島の漁師さんの言葉を伝えます。
珊瑚だけが生きる風景は美しいかもしれないけれど、それは一定の人間の観点でしかありません。あらゆる生物が環境圏をなしているということをわれわれはどこまで考慮しているだろうか。
こうした話を漁師たちから知るにつけ、川島さんは「いつも私は漁師さんの言葉に「人間」という言葉が出てくることに驚く」と言います。
新地町で漁業に取り組む川島さんは、数々の興味深い自らの漁師経験からもいろいろな考えを示して下さりました。
たとえば、市場の売りものにならない「シタモノ」を網から外すことが川島さんの漁師としての仕事がメインだそうです。
しかし、この「シタモノ」を外すことがいかに大変かということをわれわれ「陸(オカ)のもの」たちは想像できないどころか、それがどのくらい存在し、どのように扱われているかも知りませんでした。
それゆえに民俗学者としての川島さんは「シタモノは一度も数量化されたことはない。漁業の統計資料だけでわからないそれ以外の世界があるんだろうなということは、実は民俗学の方法でしかわからない」といいます。
これは実際に漁業者であると同時に民俗学研究者としての目をもつ川島さんならでは見方です。
それはつまりこういう事です。
「シタモノの数量化はできなかったけれど、どんな生物がかかっているのか、利用法は何があるかを調べた」ところ、この市場価値のない魚介類が、一つには自分たちで食べる食材になる「食い魚」になること、二つ目はユイコ用集落内とのつながりをもつための「分け魚」、三つめは知人らに配る「配り魚」として利用されており、シタモノが実は集落のつながりを下支えしていることがわかるというのです。
「市場に出さないものだけれど、自分たちの食文化として成立させている。浜でメジャーに取れているものが食文化になるわけではない。売らないものでそこの家の食文化が生まれるわけです。」
われわれが日常に接する漁業の報道やデータからでは見えない世界があり、それが実は生活世界の共同性や文化を支えている。
さらに、「シタモノはがし」と呼ばれるユイコの慣習を通じて、市場に出さない魚を介した人との関わりにある老人のエピソードが語られたことも印象的でした。
その老人は毎朝、「シタモノはがし」の手伝いに来る。
彼は「自分はこういう事しかできないから毎日来ているんだ」と言っていたそうです。
けれど、それは必ずしもユイコの慣習だからという理由だけではなく、「ただ毎日海を見ていたい」という事なんだと思うと川島さんは見ます。
それだけ漁場に生きるものにとって「海」とは生活世界そのものだということなのでしょう。
しかし、そうした海をめぐる生活世界を原発事故は一変させます。
福島県の漁業が原発事故による補償を得るためには一定の漁獲量が必要であり、それを維持することが非常に難しい。
すると、その補償を得るために漁師は安定して獲れる刺し網漁に落ち着いてしまい、「流し網」のようなある種の投機的な漁法は敬遠する漁師が多くなったそうです。そのような事情を知らない政策が10年も同じことを継続し続けている。
経済的計算と科学的合理性。
これだけをもとにして、どれだけの漁師の知恵と漁業文化の衰退を考慮に入れてこなかったのか。
川島さんの漁業民俗学の研究と漁師生活から得た知見はそこにぶつけられます。
近代に入ってからの汚染された魚の歴史にふれ、たとえば第五福竜丸事件で大石又七さんが「マグロ寿司にして30万人分」を破棄するに際して、「ああ、息子を捨てるようなものだ」と悲嘆したことを、川島さんは「財布やカネを捨てるようなものだ」とは言わない漁師の矜持と悲哀を紹介しました。
川島さんは「漁師とは魚の命を人間の口に引き渡す職能者である」と規定されます。
しかし、近代はこの文化を何度も破壊してきました。
とりわけ水俣病事件が発生した際、水銀に汚染された魚介類を詰めたドラム缶は2500万本にもなりました。
これは、一度も人の口に入らない魚をそのまま廃棄したということです。
これが漁師たちには耐えがたい。
そもそも、全国各地の漁場には「ネセヨウ」魚の再生儀礼)や「ネガト」、「ネウオ」という文化があります。
これは、船上で人目のつかないところで魚を腐らせてしまうことを意味し、これがあると不漁になると言い伝えがあるそうです。
それゆえに、「ネセウオ」が発見された場合には、塩をかけたり包丁を入れたりして、人の口に入ったことを儀礼的にでも行うと言います。これは、高知でネセウオを「捨てる」ではなく「あます」という言い方にもあらわされているそうです。
つまり、漁師は海からのいただきものを、人の口を通さずにただ海に捨てることはしない神聖さを大切にする文化があるということです。
だからこそ、東電がすぐに賠償計算をし、「売れなくなったら買い上げて冷凍保存をする」などとしてすぐに賠償金の経済的計算をすることは、このこのとまったく考慮に入れていない尊厳を損なう対応がくり返されてきたということになります。
民俗学者と漁師としての川島さんのこの怒りは、1973年勝本小学校校舎新築に際し、水洗便所の設備をした際に漁師たちが、「たとえ汚水処理したとしても、糞尿の混じった水を海に流されたのでは海水が汚れて船霊(ふなだま)さまのお清めができない」と反対した運動において最もよく理解できます。
それゆえ、トリチウム水の海洋放出という問題は「単純に科学的であるとか非科学的であるという低レベルな話ではない」と、川島さんは言います。
これは漁民の、そして彼・彼女らからいただいたものを口にするわれわれ生活者の尊厳が壊されていく問題なのです。
このことを川島さんは、コリン・ターブルの『豚と聖霊』(どうぶつ社、1993年)からの引用を、福島の問題に変換した次の文章をもって締め括られました。
「しかしながらこの異文化の衝突のプロセスは農耕民(国と東電)にとって経済的な価値に限られていたのに対して、ムブティ(福島の漁民)にとって精神性にも関わるものだった」
(※「ムブティ」は、アフリカのザイール北東部のイトゥリの森に住む狩猟採集民のことです。)
目から鱗が落ちる見事な表現に一同腑に落ちたものです。
川島さんの基調報告を終えたのち、約1時間半にわたって会場との対話が行われました。
まず、漁師さんはどのくらいのスパンで海を見ているのかという問いに対して川島さんは次のように堪えられました。
「長い期間で60年周期というのが多い。災害もそう。三陸の場合は一生二度あると言われる。昔は一生というと60年くらいだった。トビウオが寄らなくなった種子島では、60年周期にトビウオが来るという話もある。この震災によって、増えた魚種はシラウオと北寄貝だけれど、これは浜が流されたからではないかという話がある。ヘドロが流れたため、浜がきれいになったからではないか、と。ただ、漁師さんにとって何かの魚種がなくなったときは何か別の魚種が補ってくれるものであり、漁法を変えることで臨機応変に対応するものじゃないか」
また、「漁師の作法」という言葉をめぐっては、
「「海に戻す」といっても「投げる」とは言わない。海からもらったものだから「戻す」。食べた海のものを戻らない放出ではなく、漁師さんは戻ってくるものと考えている。だから、思わず獲れた魚のことを「まわりもの」という。「まわりがいい」ともいう。グルグル回っているという考え方があるのではないか。一方的な流しっぱなしやもらいっぱなしというのではない循環の考え方があるのではないか。」
この論理は非常に興味深いものでした。
たとえば、対話の中で川島さんが漁村の共同体に入り込んで驚かされたことの一つに、冠婚葬祭費のやりとりが挙げられました。これも巡り巡ればおのずと自分のところに返ってくるものという発想が、どこか漁との関係における循環の思想と関連するのかもしれません。
漁民の理解を得ることなくトリチウム処理水を海洋放出した背景には、受け取るだけや捨てるだけという原発事故補償や海洋放出の論理があり、この漁民たちがもつ循環の論理に対する理解不足と無視が根底にあるようにも思われました。
そして、今回の対話の場面で最も重要なキーワードとなったのが「尊厳」です。
科学的な理解が不足しているからその無知を改善すれば風評はなくなる、といった議論が的外れであるのは、原発事故がそもそも漁師をはじめとする被災地の生活者の尊厳を壊したということだという問題です。
この「尊厳」とは、既に川島さんのお話しに出てきたように、宗教性であったり共同体の規範であったり、はたまた自然と人間が取り結んできた倫理といったものではないでしょうか。
そして、昨今の「汚染水」海洋放出の問題の本質は、これら人間の根底を形づくる「尊厳」を「科学」の問題に矮小化しながら無視し続けたことにつきるように思われます。
この議論に、「ある新聞広告のなかで、浜通りの高校生が漁師の尊厳について訴えていたことに感動した」という発言がありました。
今日、福島県の高校現場には経済産業省が中心となって「安全安心」をアピールする出前講座授業が盛んにおこなわれています。
そこに理科教員が加わることで、あたかも科学的に理解できないものが「非合理」であるとする雰囲気が形づくられています。
こうした「科学的無知」を「非合理」であり、「感情」的だと切り捨てる論理に対して川島さんは、「感情の裏には今日話した事情がたくさんある。これは生活感情なんだ」と訴えます。
ある参加者からは「今日、NHKの『ディアにっぽん』での放送を見た際、漁師さんたちの連帯感と尊厳は侵害されたと思うけれど、その根底にある確固たる尊厳や魂までは奪われていないという取材だったと受け取った」との発言がありました。
この放送について川島さんは、「『ディアにっぽん』では、息子と対立する小野春雄さんの葛藤がよく描かれていた」と紹介しました。
そして、すぐにこれを観た他県の漁師さんから次のような感想が送られてきたと言います。
「まず涙が出た。小野さんの気持ちもよくわかるし、息子の気持ちもよくわかる。だけれど、福島の漁業は大丈夫ですね。ああいう風にぶつかり合いながらやっている福島の漁業は大丈夫だと思った。こういう災難が降りかかっても漁師という職にはあるから、これからも福島の漁業は大丈夫ですね」
このメッセージを伝えながら川島さんは、「漁師という仕事には原発事故というものでは潰されない強さがあると信じている」という言葉で締め括られました。
今回、エチカ福島発の浜通りでの開催ということもあり、どのくらいの人が集まるのか不安なところもありましたが、多くの方々に関心をもっていただき、遠路ご参加いただけたことは望外の喜びでした。
今回のエチカ福島では、多くの示唆を川島さんをはじめ参加者の皆様からいただきましたが、とりわけ科学とは別の生活の論理があることを川島さんが、最後までいい続けるという言葉の強さに一同、深く共鳴したものです。こうした現場という地に足をつけて思索を続ける姿を、我々一人ひとりが試み続けていかなければならないという思いを強くする会となりました。
なお、今回の会を企画開催するにあたっては、笠井哲也さんに大きなご尽力をいただきました。
この場を借りて深く感謝申し上げます。