<2011年8月16日(火) 晴れのち曇り(ガス)時々雨>
上高地には、子供のころから何度となく足を踏み入れている。
ただし、その頃から、沢渡からのバス便が足であった。
普通はそうだ。
そして島々谷である。
高校山岳部の先輩で、一人この谷(たぶん北谷~蝶?)の遡行プランを実行している人がいて、世間一般の山ヤが言う「遡行価値」のあまりない谷だと言う話だった。
そのとき初めて「シマシマ」という、独特の繰り返し言葉の地名と谷を知った。
~アップダウンのない静かな林道~
その島々谷から徳本峠を経て上高地へ至るルートは、日本アルプスを世界に紹介したナンチャラという外人さんが歩いた古の道だそうだ。
そのナンチャラという外人さんのことは知らないが、一度歩いて上高地に入ろうと思っていた僕は、そこに霞沢岳という片道ルートしかない山も加えて、今回の旅のルートとした。
~二股の案内板~
林道自体は何の変哲もない、素直な道。
その林道で南谷と北谷の分岐である二股まで。
そこから、北谷側には不気味なトンネルを2つ含む短い林道があり、南谷には徳本峠まで立派な道がついている。
南谷の道に入ってしばらく進むと、戦国時代、秀吉の臣に追われた飛騨の三木秀綱の夫人が樵人に殺されたという碑があった。
~秀綱夫人遭難の碑~
戦国の世とは言え、なんとも悲しい話だ。
そういえば、周りの木々は植林である。
当時の樵とは違うが、今も林業を生業としている人たちの山なのだろう。
~整備された渓流沿いの道~
歴史の道だけあって、所々に石垣の跡や、昭和28年まで現役だったという炭焼きの石釜跡も見られる。
~炭焼き窯跡~
ここまで、フライフィッシャー2組は見たが、いわゆる山歩きの人には遭遇していない。
静かなルートを期待していた僕にとって、これは期待通りの好都合であった。
右岸の名もないような支流の谷に出合うと、その谷沿いには涼風が吹いていて、思わずザックをおろして涼んでいたところ、突然前方からびっくりしたような感動したような人の声が聞こえた。
顔を上げると、若い男性がなにやら大声で感動したような話声で近づいてくる。
話を聞くと、朝5時に徳本峠を出て、橋が流されているために何度となく渡渉をして、道がわからなくなりかけながら、3時間誰とも会わずに、やっと僕を見かけたとのこと。
よほど心細かったのだろう。
ひとしきりこの先の道の状況を(若干大げさに酷道などと表現しながら)説明してくれて、では気をつけてと分かれた。
この間、超軽装のトレランの3人組みに後ろから抜かれたが、時間的には彼等の足ならこのまま徳本峠を越えて上高地までちょうどよいトレーニングなのだろうなと思った。
しばらく行くと彼の言うとおり、橋桁の基部コンクリートが大水で倒れている箇所もあったが、まあ普通に山を歩いていればよくある光景だ。
~時々壊れてる~
基本的に行き交う人の極めて少ない、気持ちのよい渓流沿いの道。
~イワナも陽気に浮いている~
アップダウンの少ない道をブラブラ歩くと、やがて今は営業していない岩魚留小屋に到着した。
~岩魚留小屋~
~と、その岩魚木拓~
非常に趣のある小屋だが、残念ながら今は営業していない。
多分こんなに奥まで釣り客も入らなくなったのだろう。
また、山歩きの人も、行くなら徳本峠まで行ってしまうだろうし、期間限定にしてももう営業は難しい小屋なのだろう。
このまま朽ちさせるのは非常に惜しいが。
~小屋の先にある、岩魚留の滝~
道はこの岩魚留小屋から、わずかに傾斜して行く。
ただし、まだ高度はそれほど上がらない。
~上流に行けば行くほど、ガレ~
行きに出会った男性の言うほど、7回も渡渉はなかったが、3~4回渡渉すると、道はそのまま南谷本谷に別れを告げ、峠沢沿いを直登し始める。
~美しい木漏れ日の森~
このまま登ると、道はやがて峠沢を渡り、ここで、明日の下山時までの水を汲んでザックに入れた。
心配だったのと、小屋で2Lの水を500円で買いたくないがために、2.5Lのプラティパス満タン×2つに、600ccのペットボトルに2つ、そして500mmペットに2つ。
一気に7kg強がザックに重石を加えたようにずしりとくる。
~駄洒落看板~
そしてここからジグザグと一気に高度を上げる標高差300mの急登。
ゼーゼー言いながら、やっとの思いで、急に視界が広がったら徳本峠に着いた。
~峠とその小屋~
本来きっちり晴れていると、上高地を隔てた向こうに穂高連峰や明神岳が圧倒的な迫力で見れるはずであったが、生憎この頃から曇りだし、ガスも出始め、何も見えない。
~とりあえず、見えない穂高に乾杯~
一寝入りしているうちに、雨が降り出してテントを叩いていたがやがて止み、一瞬だけ穂高の稜線が見えた。
~一瞬の穂高と明神~
夕食には私の定番、ジフィーズとミートスパ、その他缶詰の焼き鳥やツナで焼酎をやって、まるで痛風は関係ないかの様な有様でこの夜も更けていく前にコロリとシュラフに入る前に落ちた。
~定番で鉄板~
<島々5:50⇒二股7:05~7:30⇒瀬戸下橋8:30⇒わさび沢9:20~9:30⇒岩魚留小屋9:40⇒1450m付近10:10~10:30⇒1800m付近の水場12:00~12:20⇒徳本峠13:30>
上高地には、子供のころから何度となく足を踏み入れている。
ただし、その頃から、沢渡からのバス便が足であった。
普通はそうだ。
そして島々谷である。
高校山岳部の先輩で、一人この谷(たぶん北谷~蝶?)の遡行プランを実行している人がいて、世間一般の山ヤが言う「遡行価値」のあまりない谷だと言う話だった。
そのとき初めて「シマシマ」という、独特の繰り返し言葉の地名と谷を知った。
~アップダウンのない静かな林道~
その島々谷から徳本峠を経て上高地へ至るルートは、日本アルプスを世界に紹介したナンチャラという外人さんが歩いた古の道だそうだ。
そのナンチャラという外人さんのことは知らないが、一度歩いて上高地に入ろうと思っていた僕は、そこに霞沢岳という片道ルートしかない山も加えて、今回の旅のルートとした。
~二股の案内板~
林道自体は何の変哲もない、素直な道。
その林道で南谷と北谷の分岐である二股まで。
そこから、北谷側には不気味なトンネルを2つ含む短い林道があり、南谷には徳本峠まで立派な道がついている。
南谷の道に入ってしばらく進むと、戦国時代、秀吉の臣に追われた飛騨の三木秀綱の夫人が樵人に殺されたという碑があった。
~秀綱夫人遭難の碑~
戦国の世とは言え、なんとも悲しい話だ。
そういえば、周りの木々は植林である。
当時の樵とは違うが、今も林業を生業としている人たちの山なのだろう。
~整備された渓流沿いの道~
歴史の道だけあって、所々に石垣の跡や、昭和28年まで現役だったという炭焼きの石釜跡も見られる。
~炭焼き窯跡~
ここまで、フライフィッシャー2組は見たが、いわゆる山歩きの人には遭遇していない。
静かなルートを期待していた僕にとって、これは期待通りの好都合であった。
右岸の名もないような支流の谷に出合うと、その谷沿いには涼風が吹いていて、思わずザックをおろして涼んでいたところ、突然前方からびっくりしたような感動したような人の声が聞こえた。
顔を上げると、若い男性がなにやら大声で感動したような話声で近づいてくる。
話を聞くと、朝5時に徳本峠を出て、橋が流されているために何度となく渡渉をして、道がわからなくなりかけながら、3時間誰とも会わずに、やっと僕を見かけたとのこと。
よほど心細かったのだろう。
ひとしきりこの先の道の状況を(若干大げさに酷道などと表現しながら)説明してくれて、では気をつけてと分かれた。
この間、超軽装のトレランの3人組みに後ろから抜かれたが、時間的には彼等の足ならこのまま徳本峠を越えて上高地までちょうどよいトレーニングなのだろうなと思った。
しばらく行くと彼の言うとおり、橋桁の基部コンクリートが大水で倒れている箇所もあったが、まあ普通に山を歩いていればよくある光景だ。
~時々壊れてる~
基本的に行き交う人の極めて少ない、気持ちのよい渓流沿いの道。
~イワナも陽気に浮いている~
アップダウンの少ない道をブラブラ歩くと、やがて今は営業していない岩魚留小屋に到着した。
~岩魚留小屋~
~と、その岩魚木拓~
非常に趣のある小屋だが、残念ながら今は営業していない。
多分こんなに奥まで釣り客も入らなくなったのだろう。
また、山歩きの人も、行くなら徳本峠まで行ってしまうだろうし、期間限定にしてももう営業は難しい小屋なのだろう。
このまま朽ちさせるのは非常に惜しいが。
~小屋の先にある、岩魚留の滝~
道はこの岩魚留小屋から、わずかに傾斜して行く。
ただし、まだ高度はそれほど上がらない。
~上流に行けば行くほど、ガレ~
行きに出会った男性の言うほど、7回も渡渉はなかったが、3~4回渡渉すると、道はそのまま南谷本谷に別れを告げ、峠沢沿いを直登し始める。
~美しい木漏れ日の森~
このまま登ると、道はやがて峠沢を渡り、ここで、明日の下山時までの水を汲んでザックに入れた。
心配だったのと、小屋で2Lの水を500円で買いたくないがために、2.5Lのプラティパス満タン×2つに、600ccのペットボトルに2つ、そして500mmペットに2つ。
一気に7kg強がザックに重石を加えたようにずしりとくる。
~駄洒落看板~
そしてここからジグザグと一気に高度を上げる標高差300mの急登。
ゼーゼー言いながら、やっとの思いで、急に視界が広がったら徳本峠に着いた。
~峠とその小屋~
本来きっちり晴れていると、上高地を隔てた向こうに穂高連峰や明神岳が圧倒的な迫力で見れるはずであったが、生憎この頃から曇りだし、ガスも出始め、何も見えない。
~とりあえず、見えない穂高に乾杯~
一寝入りしているうちに、雨が降り出してテントを叩いていたがやがて止み、一瞬だけ穂高の稜線が見えた。
~一瞬の穂高と明神~
夕食には私の定番、ジフィーズとミートスパ、その他缶詰の焼き鳥やツナで焼酎をやって、まるで痛風は関係ないかの様な有様でこの夜も更けていく前にコロリとシュラフに入る前に落ちた。
~定番で鉄板~
<島々5:50⇒二股7:05~7:30⇒瀬戸下橋8:30⇒わさび沢9:20~9:30⇒岩魚留小屋9:40⇒1450m付近10:10~10:30⇒1800m付近の水場12:00~12:20⇒徳本峠13:30>
ビールの飲みすぎには注意を!!
(痛風悪化しませ!!)
初期の脳内プランでは、徳本峠に2泊でしたが、コースタイムを見てたら1泊で行けそうだったので、久々にフル装備で歩きました。
小屋泊の人の軽そうなザックがうらやましかったです。
テント受付のときに、小屋のおネーさんにビールくださいと言うと「350と500とどっちにしますか?」と言われて思わず「500ください」と言ってしまいました。
結局ずーーーっと右足中指付け根が痛いまま歩いてましたわ(笑)
行く前から右足中指付け根が痛くて、でも底の固めの靴ならあまり指も動かないから大丈夫かと出かけました。
まあ、多少は痛かったけど、鎮痛剤なしで1日16kmなんとかなりました。
ちなみに、いまおさんにはこの道はお勧めですわ。私の感覚的に(笑)
やっぱり行ってましね~
しかしcdさんの参考はいつもディープだなあ
例えるなら大阪の新世界で呑む、みたいな感じ
違うかな?
新世界はいったことないけど、イメージはわかります。
でも、私のソロ山行って、そんな感じですか?
自分では歩きたいところ歩いてるだけなんですが・・・
基本的には、人の少ない、またはいないところが好きです。
その点では今回の島々谷の道はよい感じでした。
ここ、残雪期も面白そうですぞ(笑)
林道から先はルンルン雪の森歩きでメルヘン好きにはたまりませんジュル!
最後の急登は雪だまりで相当なラッセルを強いられる(先行者がいれば楽だがまず無い)。 M好きにはさらにヨダレがジュルジュル!
それでもって峠に着いたとたん目に飛び込んでくるのが白く凍り付いた全穂高連峰! こんな壮絶で美しい光景を比較的安全に眺められる場所はまず無いです。
しかし雪雲を眺めるだけで視界が利かない場合もしばしば。 しかしその場合はこの場所だけの特典が・・・。 コップにフワフワの結晶だらけの雪をギュ!と押し込んで、そこにウィスキーか芋焼酎を注ぎ込むとトロトロのオンザスノーが出来上がります。
この味と感触はなかなか味わえないモノですよ。
いつになるやらですけど(笑)