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ぶら~り相模の国

信州生まれの勘太郎、のんびり人生

日本と違うフィリピンのバレンタインデー

2017年02月14日 | Luzon島
2月14日は誰もが知るバレンタインデー(St.Valentine’s Day)です。

日本とは少し違うフィリピンのバレンタインデーはどんな感じなのだろう?





バレンタインデーといえば、女性が気になる男性にチョコレートなどを渡して
想いを伝えると言うのが多くの日本人が持つ認識だと思います。

でも、フィリピンのバレンタインデーは男性から女性に何か送るのが基本です。

日本のイメージで行くと、女性が男性に本命もしくは義理チョコなどを渡すと考えると
思いますが、フィリピンではそれは間違っていると考えられています。





フィリピンは男性がリードする紳士(ジェントルマン)の国なので、ほとんどの場合男性が
女性に送るのです。しかしここ最近は女性も男性に何かを送る逆バレンタインが出てきているようです。
そして渡すものはチョコレートよりも花束や人形などが多いようです。





受け取る女性も「I Love You」、「Be My Valentine」と書いてあるプレゼントを好んだりするもの。
購入したものだけではなく全て手作りのアルバムなどもあったり。
バレンタインデーの数日前から関連商品が販売されたり、レストランの予約が埋まる。

またホワイトデーはありません!!!
日本だと女性にお返しするホワイトデーが3月14日にありますが、日本独自の文化のため
フィリピンにはありません。

そしてフィリピンの郵便局は8〜14日の間、花束やチョコレート、その他贈り物を国内郵便で
送る場合、200ペソ分を割引するサービスをの粋な計らいを実施するそうです。




ハンドレッドアイランドは是非訪れてみたいところ!!!

2017年02月10日 | Luzon島
リンガエン湾に浮かぶハンドレッドアイランドを思い出しています~~~

ハンドレッドアイランドは首都マニラから北に350km、ルソン島北部イロコス地方に
属するパンガシナン州のリンガエン湾に点在する小さな島々で最寄の船着場はアラミノスである。

名前は、100の島となっているが、実際には123の島があるそうです。
島と言っても殆どは無人島で、海に突き出している人が上陸できないような
岩も含めて数えられています。


これらの島々は主にサンゴ礁の石灰岩から構成されており、小さな白砂のビーチを有し、
エメラルドグリーンの海に囲まれた、フィリピンでもまた未開発の美しいリゾートです。

海水浴、スノーケリング、ダイビング、アイランドホッピングなどを楽しむことができる。





マニラのリサール公園の国道基点から326Km地点で、アラミノスまで後5Km地点の標識。




パンガシナン州には多くの町に電話交換サイトを設置したので、たくさんの町を訪れました。
アラミノスに行く途中の海沿いには、牡蠣や海老の養殖が盛んです・・・
そして道路沿いには「バゴオン」と云うアミの塩辛などが売られている。
温かいご飯にかけて食べるとおいしい~~~
パンガシナンに行くたびに買って帰った!!!




エメラルドグリーンの海にこのバンカーを貸し切って島めぐりです・・・



アラミノスのボート(バンカー)船着場では子供たちが遊んでいたり、お土産物を売っていたりしている~



島には名前が付けられていますが、マルコス島にはイメルダケープと云う洞窟がある。
上陸してのんびりしたりエメラルドグリーンの海にダイビングするのも良い!!!



パンガシナン州のサーベイで初めて訪れた1979年11月に、
一緒に同行したパンガシナン州のMalasiqui(マラシキ)町出身の
運輸通信省カウンターパートの実家を訪れた一時です~~~





フィリピン街中風景・・・南国の月光仮面!!!

2017年01月15日 | Luzon島
常夏の国フィリピン・マニラに滞在していた時の移動は
全て車でしたので直射日光を浴びることはなかった・・・・

しかし地方に調査に出掛けると直射日光を浴びて現場を
歩かなくてはならない。兎に角暑い!!!

そんな訳で現地の人は考えました・・・・
バイクに乗るときは「月光仮面」、「覆面ダイダー」または
「仮面ライダー」スタイルだ!!!



(画像はマニラ発信を借用)

安倍首相、フィリピン訪問

2017年01月14日 | Luzon島
1月12日と13日に安倍首相はフィリピンを訪問しました。
そして昨日(13日)はドゥテルテ大統領の地元でもある
ダバオ市を訪問しました。

安倍首相はマニラに到着してマラカニアン宮殿で早速首脳会談です。


(画像はマニラ新聞から)


現地のメディアも大きく報道しています・・・・
フィリピン発展のため、国造りのために今後5年間で1兆円の官民での
支援を表明しました。

南シナ海で軍事拠点化を進める中国に接近するドゥテルテ大統領を
牽制する意味もあるように見える・・・・

(画像はマニラのPhilippine Star新聞から)


12日の夜はマニラから空路でダバオに入り一泊。
13日の朝はドゥテルテ大統領の自宅に招かれて家族と一緒に朝食を囲んだ・・・

(画像はABS-CBN NewsとGMA News TVのテレビ局から)


大統領の寝室で

(画像はABS-CBN NewsとGMA News TVのテレビ局から)


部屋の中で

(画像はABS-CBN NewsとGMA News TVのテレビ局から)






マルコス元大統領の遺体が英雄墓地に埋葬

2016年11月20日 | Luzon島
マルコス元大統領の遺体が11月18日に英雄墓地に埋葬された。

仕事でマニラに駐在していた時にピープルパワーによる政変があって、
元大統領はアメリカに亡命した。そして亡命中ハワイで死亡した。

遺体は故郷のILOCOS NORTE州(北イロコス州)Batac町の生家に安置されていた。

それが今まで前アキノ大統領によって英雄墓地には埋葬は許可されなかった。
それがドゥテルテ大統領になってからOKになった。埋葬反対派から埋葬差止めを
求めた裁判行われていたが、それが却下された。

国会でも埋葬承認の反対決議案が否決されたので18日に埋葬された。


マニラ新聞に掲載された画像と記事を転載します。
(埋葬の様子)



(反対派のデモ)



以下マニラ新聞の記事です・・・

マルコス元大統領の遺体が18日正午、英雄墓地(首都圏タギッグ市)に埋葬された。遺体は安置されていたルソン地方北イロコス州から国軍のヘリコプターで移送された。
 埋葬決定は、遺体埋葬の約1時間前に首都圏警察本部のアルバヨルデ警視正によって公表され、これを受けて地元テレビ局は報道特別番組で伝えた。

 反対派との混乱を避けるために内密に準備が進められたと思われることについて、ロブレド副大統領は声明で「マルコス家は意図的に隠していた。かつて財産を隠し、人権侵害を隠蔽(いんぺい)していたように。マルコス元大統領は英雄ではない。もし英雄墓地にふさわしいなら、こそこそ埋葬するとはどういうことか」と厳しく批判した。
 
 英雄墓地の周辺や各地で反対派による抗議行動が行われた。
英雄墓地には大統領、軍関係者、警察官、科学者、芸術家らの遺体が埋葬されている。
 
埋葬後、長女のアイミー・マルコス北イロコス州知事は記者会見で、英雄墓地への埋葬が実現したことに対し、ドゥテルテ大統領や支援者に感謝の意を表した。
 
 マルコス元大統領は1972年、共産主義の脅威を理由にフィリピン全土に戒厳令を布告。前アキノ大統領の父ベニグノ・アキノ・ジュニア上院議員ら反マルコス派を拘束し、米国などへ亡命を余儀なくさせて独裁体制を敷いた。
 
また、反政府活動家を拘束し、拷問した。その後、86年の大統領選挙での不正行為を機に国軍が決起し、これを支持する国民によるアキノ政変(エドサ革命)で失脚。米国ハワイに亡命中の89年に死去した。
 
 マルコス元大統領の遺体は、93年にハワイから北イロコス州バタック市に移送、冷凍保存された。長男のボンボン・マルコス元上院議員らは英雄墓地への埋葬を求めてきたが、アキノ前大統領は任期中には容認しないことを表明していた。

 今年7月に就任したドゥテルテ大統領はマルコス元大統領の遺体を英雄墓地へ埋葬する意向を示し、8月に埋葬されることになっていた。しかし、戒厳令下で拷問を受けた被害者団体らが一時差し止めを最高裁に申し立てたため、凍結。だが今月8日、最高裁が一時差し止めの申し立てを却下し、埋葬を承認する決定を発表した。上院で埋葬承認への反対決議案が出されたが15日に否決されていた。


(参考:過去のブログ)



フィリピンの稲刈り・乾燥風景

2016年10月08日 | Luzon島
フィリピンに滞在していた時は、ルソン島北部地方に度々出掛けていた。
その時によく見る風景は田植えと稲刈り風景でした・・・

日本は今稲刈りシーズンです。
フィリピンは常夏の国ですから稲刈りが終わった田の隣では田植えを
している光景が見られます!!!


フィリピンの稲刈り風景です。
機械化が進んでいないので手作業が多い!!!



元マルコス大統領の生まれたバタック(Batac)町の風景で、
北イロコス州はマルコスの地元だからどこへ行っても道路は舗装されていた・・・
この舗装された道路は絶好の脱穀した籾の乾燥にもってこいの場所です!!!
この風景があちこちで見られる。この風景はフィリピン全土でも同じようです。







舗装されていない道路ではシートを敷いて、その上で籾を乾燥させている・・・




同じようにトウモロコシも道路上で乾燥させている。
このような風景はフィリピン全土で見られる・・・


マルコス元大統領の英雄墓地埋葬に反対集会(マニラ)

2016年09月23日 | Luzon島
フィリッピンからの報道によると、9月21日首都圏マニラ市での
反対集会デモが行われたとありました・・・・



以下マニラからの新聞報道を転載します。

 故マルコス元大統領による戒厳令布告から44年を迎えた21日午後、
首都圏で左派系市民団体のメンバーら約5千人が、マルコス氏の英雄墓地埋葬に反対し、
二度と戒厳令が布告されないよう訴える大規模な集会とデモを行った。
 
ドゥテルテ大統領は同日、戒厳令布告の考えはないと表明、当面、憲法条項に基づく
「無法状態宣言」を継続する考えを強調した。

 集会とデモは急進左派系市民連合バヤンが呼びかけたもので、マルコス戒厳令下で
人権侵害を受けた被害者も参加。

集会に先立ち「マルコスは英雄ではない」「全ての政治犯の解放を」などと書かれた
プラカードや横断幕を掲げて、ケソン市のウェルカム・ロトンダ広場から、集会場所の
マニラ市のメンジョラ橋までデモ行進。

集会ではマルコス氏の遺体の英雄墓地(首都圏タギッグ市)への埋葬と戒厳令の再布告反対を訴えた。

 ドゥテルテ大統領は埋葬を受け入れる考えを明らかにしているが、現在、最高裁が
埋葬の一時差し止め命令の凍結期間を10月18日まで延長したため、9月18日に実施される
予定だった埋葬は10月以降にずれ込んでいる。

 大学在学中に反マルコス運動に加わり、18歳で逮捕され2年間収監されたという
バーナデッテ・アキノさん(61)は、ドゥテルテ政権の政治運営について「戒厳令は布告されて
いないものの、当時と似た空気を感じ懸念を抱いている」と話した。
(マニラ新聞から)



マルコス政変が始まった時にマカティ市レガスピ ビレッジのコンドミニュアムに住んでいた・・・
休日だったので住んでいた部屋から銃声の音がする方向を窓を開けて
近くのビルを眺めた~

そうすると近くのビルの屋上に人影があって、そちらを見た瞬間に銃弾が窓ガラスを
突き破って飛び込んできた!!!
部屋のなかにガラスの破片が飛び散って、とてもではないが危険を感じて
マカティからマニラ市の以前住んでいたホテルに避難した・・・・

マルコスと聞くといつも当時のことを思い出してしまう~~~

(MAKATI市Legaspi Villageのマニラ湾からの眺め)


マニラ湾の夕日の眺めは今でも変わらない・・・・


青年海外協力隊がマグサイサイ賞を受賞

2016年09月03日 | Luzon島
アジアのノーベル賞と云われる「マグサイサイ賞」を日本の
青年海外協力隊が受賞し、その授賞式が8月31日に
マニラ首都圏パサイ市のフィリピン文化センターで行われました。


以下は「マニラ新聞」の記事を転載します・・・・・

「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞の授賞式が31日、首都圏パサイ市の
フィリピン文化センターで行われ、受賞者の国際協力機構(JICA)のボランティア事業
「青年海外協力隊」が表彰された。

日本人はこれまで23人が受賞しているが、団体受賞は初めて。50年間にわたり世界各国で
行ってきた協力隊の支援活動の功績が認められたといえる。

 今年のマグサイサイ賞は、団体では青年海外協力隊と、ラオスで交通事故の救急救命
ボランティアを行うビエンチャン・レスキューら3団体、個人では汚職追及で知られる
フィリピンのモラレス行政監察院長ら3人が受賞した。

 授賞式ではロブレド副大統領からJICAの北岡伸一理事長にメダルと賞状が贈られた。
北岡理事長は「協力隊の活動分野は多様化しつつあるが、今後も相手と対等な立場で
支援を続けていきたい」と語った。

 式には協力隊員代表として、久保田賢一さん(66)=昭和55年1次隊・フィリピン派遣=と
田中里奈さん(32)=平成24年2次隊・バングラデシュ派遣=の元隊員がそれぞれ、
民族衣装のバロン・タガログとサリーを身につけて壇上に上がった。

 田中さんは「私たちの活動は50年間先輩たちが築いてくれたものがあってこそ。
これからは私たちが次の世代にボランティア精神をつなげていきたいと」と話した。
 
 政府開発援助(ODA)の一環である青年海外協力隊はこれまでに、88カ国に約4万人の
ボランティアを派遣し、発展途上国の経済・社会の発展や被災地の復興に寄与してきた。

 ロブレド副大統領は「見知らぬ人々が住むコミュニティーに飛び込み活動を行う、
協力隊の献身的な姿勢には感銘を受ける」と評価の言葉を贈った。

 マグサイサイ賞は1957年に創設され、毎年アジアで社会貢献した個人や団体に授与される。
日本人では元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんや非政府組織(NGO)代表の
中村哲氏らが受賞している。

授賞式にはJICAの北岡理事長、協力隊員代表として久保田さん、田中さんが出席。



フィリピン文化センター




マグサイサイ賞とは

この賞は、1957年3月17日にフィリピンのラモン・マグサイサイ大統領が航空機事故で
死去したのを受け、1957年4月、ニューヨークのロックフェラー兄弟財団(RBF)の
出資で発足した。

これに協力していたフィリピン政府は、ラモン・マグサイサイ大統領の政治における
清廉潔白さ、国民への勇気ある奉仕、民主主義社会でのプラグマティックな理想主義と
いった不朽の功績を称え、賞の創設にあたり彼の名を記念することとした。

1957年5月、戦前のフィリピン・コモンウェルス(独立準備政府)大統領経験者や、
マグサイサイの父ら7人の高名なフィリピン人が、賞の授与を実施するための非営利組織
「ラモン・マグサイサイ賞財団 (RMAF)」の創設理事会に名を連ね、翌1958年、
RMAFが発足し最初の授与式が行われた。


違法薬物撲滅に向けてのフィリピン

2016年08月23日 | Luzon島
超法規的殺人に対する国連の非難で、ドゥテルテ大統領は
国連脱退も検討すると発言した!!!




フィリピンでは新しく大統領に当選した前ダバオ市長であったドゥテルテ氏が、
麻薬撲滅に向けて取り組んでいて、すでに麻薬関連で何百人が超法規的に
処刑されている・・・

そして大統領は8月15日、フィリピン第二の都市ダバオの麻薬取締局で、
同国の麻薬王の一人と疑われる実業家のピーター・リム氏と面談し、
面と向かって殺すぞと脅した。


以下は昨日の「マニラ新聞」の記事を転載します。
ドゥテルテ大統領は8月21日、国連関係機関が違法薬物容疑者の超法規的殺人を
批判する声明を発表したことについてあらためて反論、「国連脱退も検討する」と表明した。

大統領は先に麻薬撲滅の強硬政策に対する国際的な非難を「内政干渉」と
批判していたが、国連脱退発言は新たな火種となりそうだ。

 ドゥテルテ大統領は21日未明、ミンダナオ地方ダバオ市で記者会見し、
国連機関の超法規的殺人への批判に触れ、「私は国連に対して横柄な態度を
取るつもりはない。

フィリピンが国連から脱退すればよい」と国連脱退を示唆。「国連は初めから何も
成果を上げていない。今まで払った国連分担金を返せ」などと、激しい口調で国連批判を展開した。
(以上マニラ新聞から)


そんな物騒なフィリピン・マニラの街中風景は至って平和な感じが漂っています。
女子学生は日本と同じように携帯に夢中で、笑顔は最高に良いですねぇ!!!








 

キリノ元大統領(フィリピン)の記念碑が建立

2016年06月04日 | Luzon島
フィリピンのキリノ元大統領の記念碑が日比谷公園に建立される・・・


先日総選挙があり次期フィリピンの第16代大統領にドゥテルテ・ダバオ市長が
6月30日に就任する・・



このようなときに日本人戦犯の恩赦で知られるキリノ元大統領の
記念碑が日比谷公園内に建立され除幕式がおこなわれる。
第6代エルビディオ・キリノは1948.4.15から1953.12.29まで
大統領として任期を全うしました。


以下はマニラ新聞記事の抜粋です。

太平洋戦争終結後、死刑や終身刑判決を受けた日本人戦犯100人以上に
恩赦を与えた故キリノ元大統領(1890〜56年)の記念碑が6月中旬、
東京都千代田区の日比谷公園に建立される。

元大統領の業績を伝える非政府組織(NGO)のキリノ財団(事務局・首都圏
マンダルーヨン市)が26日までに明らかにした。

戦後の比日国交正常化60周年を記念して建てられ、両国の友好関係構築に
尽力した元大統領の存在を後世に伝える観光スポットになりそうだ。

同財団によると、記念碑は高さ150センチ、奥行き30センチ、幅60センチ。
キリノ元大統領の肖像レリーフが彫り込まれる。裏面には、日本人戦犯の恩赦を
決定した直後の53年7月6日、キリノ元大統領が療養先の米メリーランド州
ボルチモアで出した声明が日本語と英語で刻まれる。

また、「日本国民による感謝と敬意をキリノ大統領へ表し、比日友好と
世界平和への決意を新たにする」という建立の趣旨も配される。

今年は比日国交正常化60周年で、元大統領の没後60年にも当たる。この時期に
合わせ、日本の国会議員やロペス駐日比大使が記念碑の建立に尽力、一般財団法人
フィリピン協会や日比経済委員会など比日関係団体から寄付があったという。

除幕式は、東京で毎年行われるイベント">「フィリピン・フェスティバル」に合わせ、
今月6月18日に日比谷公園で行われる。

同公園は53年7月、恩赦決定の朗報を受けて「国民感謝大会」が開かれた場所で、
スペイン植民地時代の独立運動をけん引した比の英雄、ホセ・リサールの胸像も
置かれている。

比人関連の碑では、第1次世界大戦下の15年から数十年、日本に亡命した
アルテミオ・リカルテ将軍の碑が横浜の山下公園などに建っている。

キリノ元大統領は副大統領だった49年、急逝したロハス大統領の後継者となった。
太平洋戦争中、夫人や子どもたちを日本軍に殺害されたが、53年7月、
首都圏モンテンルパ市のニュービリビッド刑務所に収監されていた日本人戦犯に
恩赦を与え、日本へ送還した。

しかし、恩赦直後に行われた大統領選で、国防長官だったマカパガル大統領に敗れ、
56年2月に心臓発作でこの世を去った。

孫娘のルビー・キリノさんらが元大統領の人柄や業績を語り伝えるためにキリノ財団を
設立し、比国内での啓発活動に奔走。

今年1月には、訪比中の天皇、皇后両陛下とルビーさんの会談が実現した。
また3月には、元大統領の遺体がマニラ南部墓地(マカティ市)から英雄墓地
(タギッグ市)に移された。(以上マニラ新聞から)







記憶に新しいと思いますが今年天皇皇后両陛下がフィリピンを
訪れて烈々な歓迎を受けました・・・・



そんなフィリピンは7000を超える島があって真っ青な空と海!!!
特にボラカイ島は良く知られているリゾート地となっている・・・