最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●熟年離婚

2009-08-30 18:10:52 | 日記
【熟年離婚】(17% of old couples have been divorced now in Japan)

●ふえる熟年離婚

厚生省大臣官房統計情報・人口動態統計課の「人口動態調査」によると、昭和25年から平成7年までの間に、離婚率は、4・6倍になったという。

 その中でも、結婚生活20年以上の熟年夫婦の離婚率は、3・5%から、16・9%にまで上昇しているという。17%といえば、ほぼ5組に1組ということになる!

 実は、私の知人の中にも、今、離婚の危機に立たされている人が、何人かいる。しかしそういう人たちと会って話をしてみると、どこまでが冗談で、どこから先が、真剣なのか、わからなくなってしまう。そのわからなさこそが、この熟年離婚の特徴の一つかもしれない。

知人「もう、5年も、セックスレスだよ」
私「本当かあ!」
知人「寝室も別々だよ」
私「本当かあ!」

知人「だからさ、オレにも、愛人がいてさ」
私「本当かあ!」
知人「家内も、今ごろは、どこかの大学生と、飲み歩いているよ」
私「本当かあ!」と。

 そんな調子で、会話がかみあわなくなってしまう。が、それでいて、その奥さんからは、こまめに礼状が届いたり、電話がかかってきたりする。離婚の雰囲気など、どこにも感じさせない(?)。

 で、それを話題にする私のほうも、疲れた。私の実感では、「離婚する」「離婚する」と、騒ぐ人ほど、離婚しない。本当に離婚する人は、静かに、だれにも悟られずに、離婚する……ということか。

 その熟年離婚には、大きな特徴がある。今までの経験をまとめてみると、こうなる。

(1)夫の知らないところで、妻側が、先に離婚の決意をかためてしまう。
(2)それまでは表面的には、従順で、家庭的な妻であることが多い。
(3)夫の職業は、ほとんどが会社勤めのサラリーマン。会社人間であることが多い。
(4)夫は、まじめタイプ。むしろ、家庭思い。家族思い。家庭サービスもしている。
(5)共通の趣味や、目的がない。休日などは、バラバラの行動をすることが多い。
(6)妻側から離婚を申し出られると、夫は、「どうして?」と、ろうばいしてしまう。
(7)子どもの結婚など、子育てが終わったときなどに、離婚しやすい。

 ほかにもいろいろあるが、実は、私たち夫婦も、あぶない。しかし私のように、「あぶない」「あぶない」と思っている夫婦は、離婚しない。それを知っているから、「多分、だいじょうぶだろう」と、自分では、そう思っている。

 そこでこうした熟年離婚を防ぐには、どうしたらよいかということになる。が、それとて、つまり、「防ぐ」という発想とて、一方的に、夫側の勝手にすぎない。夫としては、離婚されたら困るかもしれない。しかし一方の当事者である、妻側は困らない。離婚を望んでいる。

 だから「防ぐ」という発想そのものが、夫側のものでしかない。妻側にすれば、「どうすれば、離婚できるか」。さらには、「どうすれば、夫の束縛から解放されて、自分らしい人生を、もう一度、生きることができるか」ということが、問題なのだ。

 事実、熟年離婚する妻たちは、こう言っている。「残りの人生だけでも、私らしい生き方を、してみたい」と。だから、「防ぐ」という発想そのものが、そぐわない。そういう妻たちにとっては、かえって迷惑になる。

 そこで、これはあくまでも夫側の立場の意見だが、熟年離婚を防ぐためには、とにかく『協同意識』をもつしかないのではないかということ。共通の目的が無理なら、趣味でもよい。たがいに、たがいの心の補完をしあうような活動をしなければいけない。土日になると、夫は、ひとりで魚釣り。妻は、テニス仲間と旅行……というのでは、あぶないということ。

 で、私たち夫婦も、その熟年離婚の予備軍のようなものだから、偉そうなことは言えない。しかし最近、私は、こう思う。

 夫は、夫で、妻の生きがいを、いっしょにさがし、育ててやる。それが熟年離婚を防ぐ、最大の方法ではないか、と。「私は夫だ。お前らを食わせてやっている」という発想では、熟年離婚されても、文句は言えない。

 そう言えば、離婚の危機にある(?)と思われている、冒頭にあげた知人たちは、どの人も、どこか権威主義的。夫意識が強すぎるのでは? 「男は仕事だけしていれば、一人前」「それでじゅうぶん」「妻は家庭に入って、家事をすればよい」と、日常的に、そんなふうに考えているような感じがする。つまり、そういう発想をする夫ほど、あぶないのでは?

 今夜もワイフに、「おい、今じゃあ、5組に1組が熟年離婚する時代だそうだよ。20年間も結婚生活をしていてね……」と話すと、ワイフは、どこか感慨深げ。「じゃあ、私たちも……」と言いそうな雰囲気だった。うちも、あぶないなア~。

【補記】

 どうせ17%も、熟年離婚するなら、そういう熟年離婚を、積極的に考えなおしてみたら、どうだろうか。夫婦も、いつまでも「結婚」というワクにとらわれないで、自由に、自分たちの時間を楽しむとか……。そういう発想で、たがいの関係を、もう一度、つくりなおす。

 もっと言えば、「結婚」という概念を、一度解体した上で、つくりなおす。こういう時代になったのだから、いつまでも、旧態依然の結婚観にしがみついているほうが、おかしいのかも?

Hiroshi Hayashi++++はやし浩司

●疑似・熟年離婚

++++++++++++++++++

9月x日、私は故郷のM町と、絶縁する。
言うなれば、「熟年・離縁」。
故郷と言いながら、私にとっては、腐れ縁。
思いも枯れた。
未練も枯れた。
言い残すことは、何もない。
いろいろ言いたいことはある。
あるが、今さら言いたくもない。
言ったところで、何も変わらない。
説明しても、どうせわからないだろう。
どうにもならない。
いや、それ以上に、私の人生も、秒読み段階に入った。
だからきれいさっぱり、自分の心の中から消す。
だから「熟年・離縁」。

++++++++++++++++++

●熟年離婚

 人は時として、ひとつの人生を生きながら、別の人生を経験する。
ひとつの例が、「熟年離婚」と「熟年・離縁」。
まったくちがうようで、中身は同じ。
心の動きは同じ。
今、私は熟年・離縁を経験しながら、他方で、熟年離婚を経験しつつある。
が、どうか心配しないでほしい。
私とワイフが離婚するわけではない。
そのつもりもない。
あくまでも「熟年・離縁」。

つまり人の心は複雑なようで、ときに、定型化することができる。
似たような例を経験しながら、それをもとに別の経験を定型化することができる。
わかりやすく言えば、私は今、熟年・離縁を経験しながら、「熟年離婚もこんな
ものだろうな」と、想像することができる。

●なぜ離縁?

 いつかゆっくりと、それについて書くときがやってくるだろう。
今はまだ、そのときではない。
話せば長くなる。

 要するに、失望の連続。
裏切られることはあっても、何もよいことはなかった。
が、「それでも……」と思って、故郷にしがみついてきた。
私なりに(縁)を大切にしてきた。
つまりそれも限界に来たということ。
だから離縁!

 もっとも私は故郷を離れて、40年以上になる。
正確には44年!
いまだに故郷にしばられるほうがおかしい。
おかしいが、しばられた。
ずっとしばられた。
その呪縛感には、相当なものがあった。
だから今の気持ちは、「もう、たくさん!」

●香典抜き

 もちろんきっかけは、ある。
私はずっと絶壁のフチに立っていた。
その私を背中から、どんと押すような事件があった。
「事件」というのも、大げさに聞こえるかもしれないが、事件は、事件。
ワイフは、「あの男のやりそうなことね」と言った。
わかってはいるが、私の背中を押すには、じゅうぶんなパワーがあった。

 何と、私の肉親の葬儀のとき、間に立って、香典抜きをしていた親類がいた。
ほかの親類から預かった香典を、自分の懐(ふところ)に入れていた。

それは「浩司君、ところで……」という話から、始まった。
「こんなこと聞きにくいのだけど、ぼくが出した香典、君に届いているだろうか?」と。

 私が「届いていない」と答えると、声にもならないような声を出して、その人は
「ハア~」と言って、驚いた。
そのまま黙ってしまった。

 こうした香典抜きが、いかに親戚関係を破壊するものか、葬儀を経験したことのある人
なら、わかるはず。
私はその親戚づき合いが、つくづくいやになった。
愛想(あいそ)も尽きた。

「あのNS氏というのは、そういう男ですよ。私も、さんざんだまされた。
しかしそこまでやるとはねエ……!」と私。

●熟年離婚

 つまらない話を書いたが、そういう意味では、(貧乏)というのは、恐ろしい。
金銭的な貧乏が、時として、その人の心まで貧しくする。

私「まあ、私は無視します。あんな男、相手にしたくありません。定職ももたず、かわ
いそうな男です」
相「しかし、ぞっとするような話です……」
私「だから葬儀のあと、あなたのところに電話を入れていたのですね」
相「そうだったのか。そうだったんだ。浩司君とぼくが、連絡を取り合っていないか、
それを確かめるために、ね」
私「ハハハ、そこまでやるとはねエ……」と。

 で、そのとき私は、理解できた。
熟年離婚を申し出る、妻の気持ちが、である。
グググッと怒りが増幅し、それが頂点に達したとき、突然、急に、心の中がすっきりする。
許したのではない。
受け入れたのでもない。
「もうどうでもいいや」というニヒリズムが、心を満たす。
そのとたん、ス~ッと、心がすっきりする。

●熟年離婚に至るまで

 そこで自分なりに心の中を整理してみる。
そして自分が熟年・離縁に至った過程を、熟年離婚のそれに当てはめて考えてみる。
つぎのが、それである。

(1) 疑問期…「これでいいのか」という疑問をもち始める。
(2) 反復期…疑問と否定を繰り返す。
(3) 確認期…「これでいい」という確信をもちはじめる。
(4) 決断前夜…身辺の整理を始める。
(5) 決断期…未練をふっきり、決別を決断する。

 最大の問題は、「悪人としての顔を、どう吹っ切るか」ということ。
私を悪く思っている人を、心の中で、どう処理するかということ。
イギリスの格言に、『2人の人によい顔はできない』というがある。
どちらか一方の人によい顔を見せることはできても、もう一方の人にまで
よい顔を見せるのはむずかしい。
どちらかに好かれれば、どちらかに嫌われる。
嫌われることを恐れていたら、ときとして、真の友を失うこともある。
熟年離婚についていえば、自分の最後の時間を失うことになる。

 内容について考えてみよう。
ただしこれは、先にも書いたように、私の(熟年・離縁)をもとにして
書いたものであり、(熟年離婚)には、そのまま当てはまらないかもしれない。
「似ている?」という点で、私自身が経験した(熟年・離縁)をもとに、
熟年離婚を考えてみた。

(1) 疑問期…「これでいいのか」という疑問をもち始める。

 現状への不信感がつのる。(夫への不信感がつのる。)
重苦しい日々がつづく。(悶々たる日々がつづく。)
やがてその原因や理由に気づくようになる。(なぜ、そうなるか、それを考える。)
現状を打開しようとする。(空漠とした日々に耐えられなくなる。)

(2) 反復期…疑問と否定を繰り返す。

 「これでいいいのか」という疑問。(「夫婦というのは、どういうものか」と悩む。)
「これでいい」「しかたない」という否定。(自分を納得させる。)
(怒り)と(絶望感)でもよい。(妥協と衝突を繰り返す。)
その2つが、交互に心の中に現れては消える。
家族、親類、社会……もろもろの「糸」にからまれる。(とくに子どもの問題。)
もがく。
苦しむ。

(3) 確認期…「これでいい」という確信をもちはじめる。

 苦しんだ分だけ、心が研ぎ澄まされてくる。(ものごとを割り切るようになる。)
拾い出すものと、棄てるものを、選び分ける。(みなによい顔ができないことを知る。)
それらを天秤にかけながら、取捨選択を繰り返す。(居直る。)
「みなにいい顔はできない」ことを知る。

(4) 決断前夜…身辺の整理を始める。

 身辺の整理を始め、同時進行の形で、心の準備を整える。(覚悟を決める。)
未練の燃焼。(思い残すことがないよう、準備する。)
後悔しないことの確認。
前に向かって進む勇気の確認、(うしろを見ない。振り返らない。)など。

(5) 決断期…未練をふっきり、決別を決断する。

 過去を消し、未来だけを前に置く。
行動として、それを表現する。(離婚を申し出る。)

●2人の人によい顔はできない

 どんな形であるにせよ、また人知れずそれをしたところにせよ、
それをよしとしない人は、かならず現れる。
そういった人にとっては、理由など、何でもよい。
(自分たちから去っていくこと)自体が、悪であり、まちがっているという
ことになる。

 似たような現象は、カルト教団でもよく見られる。
カルト教団にしてみれば、去っていくこと自体、まちがっているということに
なる。
理由があるとしても、あとから理由、つまりこじつけすぎない。

「あいつは親の面倒すら、ロクに見なかった」
「親の一周忌すら、簡単にすませた」
「私への借りを踏み倒した」などなど。

 いろいろ理由をこじつけて、あなたを非難する。
自分から去っていく人間を肯定することは、そのまま自己否定につながる。
だから(去られる側)は、周囲を巻き込んで、援軍を求める。

 熟年・離縁を覚悟する人は、そうした人たちすべてとも縁を切る。
誤解を解くという方法も残されているが、それには相当のエネルギーが必要。
また残された時間は、それほどない。
だから、「思いたければ、勝手に思え」という方法で、居直る。
居直るしかない。
「すべてを断ち切る」という覚悟をもつしかない。

●悪役一筋

 たとえば私は、親類の中では、悪役だった。
遠くに住むことをよいことに、母は、私を悪役に仕立てた。
何かつごうの悪いことがあると、すべて私の責任にした。
その中でも、最大の問題が、祖父が残し遺産の相続問題。

 祖父が他界し、数年後に父が他界した。
祖父は3筆の土地を残した。
その土地を自分名義のものするため、母は、私を悪役に仕立てた。
「私は遺産などいらないが、息子の浩司がうるさいから、判を押してくれ」と。
親戚中に泣きついた。
つまり私がうるさくて困っているから、遺産相続放棄の書類に判を押してくれ、と。

 が、私はそういうことを母がしているとは、まったく知らなかった。
また遺産相続について、私が口を出したことは、一度もない。

 結局母は、自分の思い通りに、ことを運んだ。
同時に、私は、悪者になった。

 誤解と言えば誤解だが、私自身も、最終的には利益を享受するという点で、
それ以上のことは、何も言えなかった。
また当時の私にしてみれば、いくら誤解を解くためとはいえ、親の悪口を言うことは
許されないことだった。
私は沈黙を守った。
叔父の1人に顔面を数発殴られたこともあるが、それでも沈黙を守った。

●熟年・離縁

 しかしこれも人生。
私の人生。
世の中には、もっと複雑で、不愉快な運命を背負って生きている人がいる。
またそういう人の方が、多い。

 みな、それぞれが、それぞれの運命を背負いながら、懸命に生きている。
私もそうだし、あなたもそうである。
その(懸命さ)こそに、生きる意味がある。
無数のドラマも、そこから生まれる。

 私の母にしても、一時は、私は母を恨んだ。
心の水が枯れるまで、恨んだ。
しかし今はちがう。
「母は母で、あの時代を懸命に生きた」という思いの方が優勢である。
かく言う私だって、たいした人生を送っているわけではない。
偉そうなことを言える立場ではない。
もし私が母と同じ立場に置かれたら、私もやはり母と同じことをしていただろう。
それを考えると、どうも自信がもてない。

 で、9月X日。
私は故郷のM町と、縁を切る。
怒っているからでも、また不愉快に思っているからでもない。
人生には、結末というものがある。
その準備として、縁を切る。

 私の故郷は、ここ浜松市である。
それをさらに確固たるものにするため、縁を切る。
だから今、さばさばとした気持ちで、
本当にさばさばとした気持ちで、こんな歌を歌う。

「♪さらば、ふるさと、さらば、ふるさと、ふるさと、さらばあ~」と。
(ただし歌のような涙は、一滴も出ない!※)

 恐らく熟年離婚をして夫のもとを去っていく妻も、似たような気持ではないか。
夫には、理解できないかもしれないが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 熟年離婚 熟年離縁 熟年・離縁)

(注※:補記)

♪『故郷を離るる歌』(ドイツ民謡)

 園の小百合、撫子、垣根の千草、
 今日は汝(なれ)を眺むる最終(おわり)の日なり。
 おもえば涙、膝をひたす、さらば故郷(ふるさと)。
 さらばふるさと、さらばふるさと、故郷さらば。

●選挙

2009-08-30 16:59:50 | 日記
●衆議院議員選挙(8月30日)

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浜松7区。
3人の立候補者がいる。

順に、
(1) 現職の、片山S氏衆議院議員・元官僚・自民党)
(2) 前職の、城内M氏・元官僚・元自民党)
(3) 新人の、斉木T氏・元アナウンサー・民主党)

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今日(29日)までの予想によれば、この7区だけは、週刊誌によって、みな、ちがう。
片山氏優勢というのもあれば、城内氏優勢というのもある。
新人の斉木氏について言えば、「新人」ということで知名度が低い。
しかし「民主優勢」の流れに乗って、他の2人の候補者に肉薄しつつある。

 こういうとき、浮動票の王様を自称する私は、むずかしい選択に迫られる。
浮動票層には、浮動票層としての、プライドがある。
哲学もある。

 その第一。
自分の入れる票は、死に票にしたくない。
ぜったい敗れるとわかっている候補者には、貴重な一票は入れない。

 その第二。
浮動票は、言うなればバランス票。
バランス感覚を重要視する。
本来なら、今回のように、自民党ベタ負けとわかっているというときには、
自民党に一票を入れるということも、当然、考える。
民主党のベタ勝ちというのは、浮動票層の望むところではない。
またそれは日本の民主主義制度にとっても、よくない。

 が、今回は、異変が起きた。
「激戦区」というよりは、「混戦区」。

 片山氏と城内氏は、いうなれば同じ穴のムジナ。
城内氏は、もともと自民党。
当選すれば、自民党に復帰する。
自民党系の票は、片山氏と城内氏の2人で、分け合う形になる。
こうなれば、斉木氏有利!

 一方、城内氏と斉木氏の関係も、それに似ている。
城内氏は、地元では人気度が高い。
片山氏と一対一の一騎打ちになれば、今回は、城内氏が勝つはず。
これに対して斉木氏は、民主党優勢の流れに乗っている。
反自民党の票は、城内氏と斉木氏の2人で、分け合う形になる。
こうなれば、片山氏有利!

 つまり三つ巴の混戦状態。
地元の雰囲気からすると、(あくまでも私の印象だが……)、
城内氏が有利、そのあとを、片山氏と斉木氏が猛追しているといった
ところか。

 が、自民党の片山氏に票を入れても、死に票になる。
今回は、当選は無理。
そこで城内氏に入れるか、斉木氏に入れるか……?
そのとき第一に考えるのが、城内氏が元自民党であること。
(繰り返すが、当選すれば、当然、自民党に復帰。)
斉木氏が民主党であること。

 自民党か民主党かということになれば、今の流れからすれば
民主党ということになる。
が、先にも書いたように、城内氏の支持基盤は固い。
となると、最終的にそれを決めるのは、私たち浮動票層ということになる。
つまり、投票率。
投票率で決まる。
投票率が高ければ高いほど、斉木氏(民主党)に有利になる。
(一方、投票率が低ければ低いほど、片山氏に有利になる。)

 現在までの予想によれば、明日のこの7区の投票率は、80%近くになると言われて
いる。
ということは、斉木氏が、がぜん有利ということになる。

 では、どう判断したらよいのか。

(1) バランス感覚が働かない

 今回の選挙で特徴的なのは、本来なら働くはずのバランス感覚が、
働かないということ。
AS首相は、昨日、「自民党の支持率が低いのは、今までの自民党に責任が
ある」というような発言をした。
これなどは、言い逃れもよいところ。
AS首相という人は、自分のことがまるでわかっていない。
わかっていないから、鉄槌を加えてやるしかないということになる。

 AS首相は、こう述べている。

『……自民党にとって、今回の衆院選で、与党が「3分の2」を失うというのは早くからの既定路線だった。AS首相は衆院解散後「与党で過半数なら、引き続き信任をいただいたことになる」と、事実上の勝敗ラインを過半数の241議席に設定した』と。

(もしここで自民党が善戦したということにでもなれば、AS首相の続投
が決まってしまう。
それだけは生理的にも、許せない。)

 ……ということで、私は明日の投票率をにらみながら、だれに一票を入れるかを
決める。
投票率速報をにらみながら、夕方遅く投票所に向かうつもり。

投票率が低いようであれば、XX氏。
投票率が高いようであれば、YY氏。
同時に片山氏だけには、勝たせたくない……。

(GOOD NEWS)

 今回の選挙で、自民党が大敗北を期したとしたら、自民党の派閥そのものが
消滅することになる。
あの悪名高い、派閥政治の終焉。
親分(領袖)が落選する。
資金の流れも、止まる。
族議員も消える。
つまり派閥そのものが、成り立たなくなる。

 これはとてもすばらしいことだ。
どこかのタブロイド紙は、「日本の革命」と書いていたが、まさに「革命」。
「革命」と言うにふさわしい。
明日、その日がやってくる。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG 09++++++++はやし浩司