最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●夢判断

2009-08-09 21:07:22 | 日記
●今日は日曜日(8月9日)

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ワイフが、このところ睡眠不足気味。
それで昼過ぎ、2人で昼寝。
そのとき、こんな夢を見た。

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●昼寝(夢判断)

 ちょうど目を覚ます前。
あるいはその夢で、目が覚めた(?)。
こんな夢を見た。

 私が何かのカタログを読みながら、道路を歩いていた。
そのとき、若い男女の乗った車に、体が当たった。
私は車に両手をついた。
そのとき車から、若い女が出てきて、こう叫んだ。

 「どこを見て歩いているのよ!
車にキズがつくでしょ!」と。
私があやまっていると、男も車から出てきた。
そして私が手を当てたところを、ていねいに調べ始めた。
私は、「手が当たっただけですから……」と謝った。
イヤーナ気分だった。

 そのとき心臓の鼓動が高くなり、私は目を覚ました。
同時に、私は、それが夢だったと知った。

 「しまった!」と思った。
ぐいと目を閉じて、もう一度、同じ夢を見ようとした。
「夢なら、あいつらの車に、レンガでもぶつけてやる!」と。
しかしそのまま、本当に目が覚めてしまった。

 横にワイフがいた。
「先ほど、サイレンが鳴ったわ」
「そうだ、今日は、長崎原爆の日だ」と。

 そのあと私は、私が見た夢の話をした。

私「もう一度、夢の中に戻って、あの車にレンガをぶつけてやりたい」
ワ「おもしろい人ね。自分で勝手に夢を見て、自分に怒っているんだから……」
私「でも、このままでは腹の虫が治まらない」と。

 しかしこういう現象を、どう理解したらよいのか。

 夢の中に出てきた若い男女は、今から10年ほど前に、出会った男女ではないかと思う。
そのとき私は自転車で、コンビニの前を横切ろうとしていた。
そこへ車がつっこんできた。
私の目の前で急ブレーキをかけた。
すんでのところで、私は車にはねられるところだった。
見ると、若い男女が乗っていた。
男が私を見て、「バーカ」と言っているのが、口の動きでわかった。
女の方は、視線をはずして、ニヤニヤと笑っていた。

 そのときの記憶が、どこかに残っていて、それが夢の中に出てきた(?)。

 では、(車のキズ)の話は、どうなのか?
それにはこんな思い出がある。

 これはもう30年ほど前のことだが、自転車で走っているとき、大型の乗用車に
追突してしまったことがある。
前輪でぶつかったから、車にはキズはつかなかった。
が、運転席のドアが開き、スーツを着た男が、ゆっくりと出てきた。
そして私の前に来ると、ゆっくりと車のバンパーを調べ始めた。
私は何度も、「すみませんでした」を繰り返した。
男は自転車のタイヤの跡を手の平でこすると、ニヤリと笑った。
笑ったまま、何も言わず、再び、車の中へと消えていった。

 こうした記憶が、今日の夢の中で合体して出てきた(?)。
となると、私の感じた(怒り)は、どう理解したらよいのか。
私は本気で、「レンガをぶつけてやる」と思った。
が、それは「抑圧」という言葉で、説明できる。

 コンビニの前で、あやうく車にはねられそうになったときも、また自転車で
車に追突したときも、私は、自分を押し殺した。
そうした思いが、心の別室の中に、(怒り)となって、蓄積された。

私「夢の中に出てきた男と女は、顔は覚えていないけど、あのときの男と女だよ」
ワ「それが何年も、記憶の中に残っていたというわけ?」
私「そう、心の別室に入った記憶には、時間が働かないからね」
ワ「抑圧って、こわいわね」
私「そうだよ。子どもでも、10年前、20年前の話を持ち出して、親を責めることが
あるだろ。
心の別室に入っているため、そのあと楽しい思い出をいくら作っても、上書きされる
ということがない。
つまりいつまでも、生々しい記憶として残るわけ……」と。

 フロイト流の夢判断を、自分に試してみると、そうなる。
しかし、それにしても、もう一度、夢の中に戻ってみたい。
戻って、あいつらの車をメチャメチャにしてやりたい。

 ……というふうに、(現実の世界)と(夢の世界)の区別がつかなくなったら、かなり
あぶない(?)ということになる。
認知症になると、(現実の世界)と(夢の世界)が、混濁するようになる。
私の母も、亡くなる前は、よくこんな話をした。
「今、在所(=母の実家)の、○○さんが、私を迎えに来た」と。

 そういうときヘルパーさんは、こう言った。
「お母さんは、夢でもご覧になったのよ」と。

 夢は夢と、さっと切り替えができなくなったら、おしまい。
だから、この話は、ここまで。
それにしても、不愉快な夢だった。

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●がん予防

2009-08-09 13:23:31 | 日記
●がん予防(Cancer) 

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昨年、大学の同窓生が、がんで死んだ。
晩年は、年に1、2度、街で会う程度だったので、
そのときは、それほどショックは強くなかった。
が、月がたつごとに、じわじわと彼の死がより強く
気になるようになった。

その友人。
穏やかな性格の男で、街中の人から親しまれていた。
葬儀には、その町内の人たち全員が集まったかと
思われるほど、たくさんの人たちが来ていた。

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●T細胞と免疫力、そしてNK細胞

 人間の体の中では、いつも壮絶な戦いが繰り返されているようだ。
そのひとつが、がん細胞との戦い。

 毎日、人間の体の中では、数千個のがん細胞が新たに生まれているそうだ。
紫外線や放射線でダメージを受ける細胞となると、もっと多い。
そういう細胞を見つけて、攻撃するのが、T細胞やNK細胞という細胞。
「ナチュラル・キラー細胞」の頭文字をとって、「NK細胞」という。

 ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『……B細胞もT細胞も特異的なターゲット抗原を認識する受容体分子をもっている。T細胞は抗原(病原体の小さな断片)が加工されて自己の受容体である主要組織適合遺伝子複合体分子と組み合わさって提示されて初めて病原体のような非自己のターゲットを認識する。T細胞のサブタイプには主要な2つのタイプがある。キラーT細胞とヘルパーT細胞である。キラーT細胞はクラスIIMHC分子と結合した抗原のみを認識し、ヘルパーT細胞はクラスIIMHC分子と結合した抗原のみを認識する。抗原提示におけるこの2つの機構はT細胞2タイプの機能の違いに原因がある。3番目のマイナーなサブタイプのT細胞としてγδT細胞があり、MHC受容体に結合しない、非加工の抗原を認識する。
対照的にB細胞の抗原特異的受容体はB細胞表面上の抗体分子であり、抗原加工を全く必要とせず、病原体全体を認識する。B細胞の増殖系はそれぞれ異なった抗体を発現し、B細胞の抗原受容体の完全な1セットは生体が生成可能な全ての抗体を表すものである……』(以上、「ウィキペディア百科事典」より抜粋)。

 何とも頼もしい細胞ではないか!
私が知らないところで、勝手にがん細胞どもと、戦っている。
ウィキペディア百科事典の難解な文字をながめているだけで、ワクワクしてくる。
となると、その親分である「私」が、そうした細胞の活動を助けない手はない。
では、どうすればよいのか。

 いろいろな実験によれば、(すでにこの説は常識化しているので、あえてここで説明
する必要はないと思うが)、要するに、免疫力を高めればよいということになる。
「笑えば免疫力が高まる」(カリフォルニア大学)という説や、「ストレスにさらされると、
NK細胞の機能が低下する」(ニューヨーク州立大学)という説などがある。

 平たく言えば、日々に満足して、楽しく暮らせばよいということ。
そう言えば、現在十二指腸がんと闘っているS君(61歳)も、先日、電話でこう教えて
くれた。

「林君(=私)、がんになった連中の話を聞くとね、みな、何か大きなストレスがあった
あとになっているんだよな。
ストレスはいけないよ」と。
見舞いの電話をかけたつもりだったが、かえってあれこれと教えられた。
が、S君の言ったことは、道理にかなっている。
言い換えると、がんという病期も、生活習慣病のひとつと考えてよいということになる。

●がんを予防する

 がん患者には、次のような特徴が見られるという(渋谷昌三著「心理学用語」)。

(1) 対人関係に傷つきやすく、孤独に逃げ込みやすい。
(2) 悲しみや不安などの不快感情を無理やり抑え込もうとして、不平不満を言わず、周
囲に合わせようとする。
(3) 慢性的に抑うつ的で、幸福感が低く、社会的に孤立しがち。
(以上、心理学者のリディア・テモショックの説)

 このタイプの人を、がん(Cancer)の頭文字をとって、「Cタイプ人間」と呼ぶのだそう
だ。
もちろんがんになった人がみな、こうした性格の人というわけではない。
しかしいろいろと思い当る点は、多い。

 で、テモショックの説を逆に利用させてもらうと、こうなる。
がん予防のための3か条ということになる。

(1) 対人的には、のんびりと生きる。
(2) 言いたいことをして、やりたいことをする。
(3) 毎日を楽しく、明るく過ごす。

 これに先の、カルフォルニア大学やニューヨーク州立大学での研究を重ね合わせると
こうなる。

(4) おおいに笑いながら生きる。
(5) ストレスをためない、と。

 ふつう病気と闘うためには、3つの方法がある。
ひとつは、病気そのものと闘うという方法。
言うなれば西洋医学的方法ということになる。

もうひとつは、病気になっても、病気に負けない抵抗力を増強するという方法。
言うなれば東洋医学的方法ということになる。

が、何よりも大切なのは、病気になる前から、病気にならないよう、自分の
なまけた気持ちと闘うという方法。
言うなれば心理学的方法ということになる。

 今の私は、まだその時期にいるということになる。
つまり心理学的方法で戦っている時期ということになる。
そこで改めて、ここに書いた5か条を、復唱しておく。


(1) 対人的には、のんびりと生きる。
(2) 言いたいことをして、やりたいことをする。
(3) 毎日を楽しく、明るく過ごす。
(4) おおいに笑いながら生きる。
(5) ストレスをためない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW がん がん予防 NK細胞 T細胞 免疫力 はやし浩司 健康論 ガン ガン予防)

●カタルシス効果

2009-08-09 09:28:52 | 日記
●子どもの世界(Catharsis Effect)

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小学4年生から、保健体育の時間に
性教育が始まる。

それについて、A子さん(小4)が、
こう言った。
「気味が、悪かった」と。

何でも教科書の最後のところに、男と女の
裸の絵が載っているという。
かなりリアルな絵らしい。

A子「私、あれを見て、ギャーッと声を
あげちゃったア!」
私 「そんな絵くらいでびっくりしたら、
これから先、お父さんやお母さんと、
いっしょにお風呂に入れなくなるよ」
A子「でも、あの絵は、気味が悪かった……」

私 「どうして?」
A子「だってさあ、男のあれ(チxチx)が
さア、ぶらんと下に垂れさがっているのよ……」
私 「ハア~?」
A子「あれってさア、あんなふうには、
なってないヨ」
私 「へえ~エ?」

A子「前にまっすぐになっているよ」
私 「垂れ下がってないの?」
A子「そう、前にまっすぐになっているよ」
私 「そんなことないよ」
A子「……。パパのは、垂れ下がっているけどね」と。

A子さんには、小6の兄がいる。
風呂へは、いつも一緒に入っているという。
いろいろ頭の中で、おかしなことを想像した。

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●感受性訓練法

 5~6人のクラスで、そのままにしておくと、子どもたちは勝手な会話を
し始める。
ふだんは制止するが、ときには、そのままにしておく。
それによって子どもたちの本音を知ることができる。
が、それだけではない。
言いたいことを、そのまま言わせることは、大切なこと。
それによって、よりよい人間関係を築くことができる。
たとえば心理学の世界には、「感受性訓練法」というのがある。
「ラボラトリー・トレーニング」とも呼ばれている。

 これは体験者を一室に隔離して、ありのままの感情を、さらけ出させるという方法。
それを体験者の状態に合わせて、数時間とか数日間、つづける。
やがてカタルシス効果が現れて、体験者は、大声で泣きわめいたり、怒ったりする。
不平不満をぶつけたり、ときに暴れたりする。
が、それが一巡すると、体験者は、やがて心を抑圧していた殻(から)から解放され、
感情をストレートに表現できるようになる。

 この訓練を受けると、感受性が豊かになり、他人に対して、深い思いやりが
生まれたり、相手の悲しみや苦しみが、よりよく理解できるようになるという。
が、似たような経験を、実は私は教育の場ではよくする。

 私はときどき、子どもたち(幼稚園児)に、こう言う。
「君たちは、ママのおっぱいが好きか?」と。
すると子どもたちは、最初は、はにかみながら、「嫌いだよ~オ」などと答えたりする。

 そこで私は、語気を強めて、こう言う。
「ウソをつくな!」「好きだったら、好きと言え!」「自分にウソをつくのは
悪いことだ!」と。
まじめな顔をして、叱る。
するとやがて子どもたちは、「好きだけどオ~」とか言うようになる。

 が、何もおっぱいの話にかぎらない。
ときに子どもたちをじらしながら、「見たかったら、見たいと言え!」と促したりする。
(この方法は、私がレッスン中によく使う。「BW公開教室」(私のHPより)
でも紹介しているので、興味のある人は見てほしい。)

 つまりこうして内にたまった(思い)を、一度、外に吐き出させる。
大声で言えるようにする。
感情を、そのまま表現させる。
言うなれば、これもカタルシス効果のひとつということか。
この方法により、一義的には、(性)に対して暗いイメージをもたせることを
防ぐことができる。
が、それ以上に、子どもの心をまっすぐにすることができる。

その結果として、子どもをして、かつ感受性豊かな子どもにすることができる。
「感受性が豊か」ということは、それだけ「他人の心に敏感に反応できること」を
いう。
 
反対に心がゆがんでくると、心(=情意)と表情が、一致しなくなってくる。
ばあいによっては、遊離し、いわゆる(何を考えているかわからない子ども)になる。

 むずかしい話はさておき、親子の間でも、夫婦の間でも、また友人との間でも、
たがいに言いたいことを言うというのは、人間関係の基本。
それなくして、良好な人間関係は育たない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 感受性訓練 感受性訓練法 ラボラトリー・トレーニング 心の訓練 はやし浩司 カタルシス効果)

(付記)(カタルシス効果について、以前、書いた原稿です)

●母親を嫌う子ども

 A君(小2男児)は、いつも母親の悪口を言う。「ぼくのママは、すぐ怒る」「100点でないと、すぐたたく」「鬼ババ」と。このところ、ずっと、それが気になっていた。

 それをひとり言のように、ずっと繰りかえす。

 が、私の知っているA君の母親は、おだやかで、やさしい人だ。決して、仮面をかぶっているようなタイプの人ではない。

 私はA君の様子を見ながら、欲求不満がその背景にあることを知った。私にも経験がある。

 私は小学5年生くらいのときに、好きな女の子ができた。静かで、やさしい女の子だった。しかしいくら私がモーションをかけても、私には、振り向きもしてくれなかった。で、ある日行動に出た。

 その女の子が何かのことで、席をはずしたとき、私はその女の子の机からノートを引き出し、ぐいぐいと、鉛筆で、落書きをしてしまった。その女の子は、いつもノートの使い方がじょうずだと、先生にほめられていた。

 そのあとのことは、よく覚えている。その女の子は、そのノートを見ながら、シクシクと泣いていた。

 子どもというのは、ときとして、自分の思っていることと正反対の行動に出ることがある。概して言えば、それだけ短気でわがままということになる。

 で、A君の母親がA君を迎えにきたとき、私はA君をぐいともちあげて、A君の母親に抱かせた。

 最初、A君は、「ママなんか、嫌い」「鬼ババ」「クソ野郎」と、罵声をあびせかけて、それに抵抗した。が、私はA君を背中からおさえつけて、そのままにした。

 するとA君は、そのまま、大粒の涙をポロポロとこびしながら、泣き始めた。母親の涙を見たからではなかったか。

私「A君、好きだったら、好きと言え。『ママ、大好き』と言え」
A「嫌いだよ、こんなヤツ」 
私「ウソつくな。お前は、ママが好きなんだ。どうしてウソをつく」
A「……」
私「好きだったら、そう言え。はっきり、そう言え」と。

 しばらくおかしな押し問答がつづいた。が、突然、堰(せき)を切って水が流れ出すように、A君が、大泣きをしながら、「ママ、好きだよオ」と言いだした。母親は、母親で、「わかっているのよ」「わかっているのよ」と、A君を抱きしめた。

 何かの大きなわだかまりが、A君にあったのだろう。そのわだかまりが、A君の心をふさいでいた。が、こうして自分の心を、すなおに表現することによって、そのわだかまりを取りのぞくことができる。カタルシス効果というのである。

 A君は、もうそのころになると、私が背中を押さえていなくても、そのまま母親に抱かれていた。

A「ママ、いっしょに、お風呂に入ろうね」
母「いつも、いっしょに、入っているでしょう」と。

 A君は、いつものやさしいA君にもどっていた。もちろん私には、その(わだかまり)が何であったかはわからない。子どもの心は、私たちが想像する以上に複雑だ。それにこの時期の子どもは、こうした変化を、毎日のように見せる。

 A君と母親を教室の外に見送ったあと、心の中が暖まっているのを感じた。そして私はどういうわけか、あのノートに落書きをしてしまった女の子のことを思い出していた。

 名前を、アイミヤさんと言った。聞くところによると、G県のS市で、今でも元気に暮らしているということだ。ごめんなさい!

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自己開示(2)

 自分をさらけ出すことを、自己開示という。そしてそれが極限にまで達したのを、「カタルシス(除反応)」※という。心を最大限、開放させることにより、心理的、精神的負担を軽減させることをいう。

 他人との信頼関係をうまく結べない人は、まず自己開示をしてみるとよい、あなたが妻であれば、夫や子どもに対して。あなたが夫であれば、妻や子どもに対して。家族には、そういう機能がある……というより、これは家族の重要な機能の一つと考えてよい。

 方法としては、自分の過去を、あらいざらい、すべて告白するというのがある。悲しかった思い出、つらかった思い出、恥ずかしかった思い出など。心の中に秘めている思い出を、すべて吐き出してみる。

 これはたいへん勇気のいることだが、しかし自己開示することによって、あなたは自分の心を開放することができる。が、それだけではない。自己開示することによって、(1)相手もあなたに自己開示する。(2)あなたもそれまで気づかなかった自分に気づくことができるようになる。

 私はときどき、中学生に、こんな作文を書かせる。

【つぎの文につなげて、作文を書いてください。】

● 私にとって、今まで、一番楽しかったことは、
● 私にとって、今まで、一番悲しかったことは、
● 私にとって、今まで、一番うれしかったことは、
● 私にとって、今まで、一番つらかったことは、
● 私には、人に話せないような思い出が、

ほかにもいろいろあるが、子どもが書く内容は、それほど重要ではない。(また、内容については、一切、不問にすること。)その子どもがどこまで、具体的に自己開示するかで、たがいの信頼関係の深さを知ることできる。

つぎに、子ども自身が、仮面をかぶっているかどうか、どこまで自分と向き合っているかどうか、心の問題をもっているかどうかなどを、知ることができる。「のぞく」という言葉は、あまり好きではないが、しかし、この方法で、子どもの心の中を、のぞくことができる。家庭では、たとえば、子どもに向かって、「あなたにとって、今まで、一番うれしかったことは、どんなこと?」というように聞いてみるとよい。

……と、書いたが、あなた自身はどうかということを、自問してみてほしい。

 あなたが妻なら、夫に話せない話もあるはず。結婚前の男性関係とか、身体的なコンプレックスとか、など。子どものころの家庭環境も、それに含まれるかもしれない。もしそういうのがあれば、思い切って、夫に話してみる。

 あなたはそれで、人間関係が壊れると思っているかもしれないが、多少の混乱を経て、あなたと夫の心の絆(きずな)は、それで太くなるはず。とくに、他人との人間関係がうまく結べない人、他人と接すると、すぐ神経疲労を起こす人などは、まず、身近な人に対して自己開示してみるとよい。つまりこうして、自分の心を作り変えていく。

 もっとも注意しなければならないのは、他人への自己開示である。信頼基盤そのものがない人に、自己開示するのは、危険なことでもある。そういうときは、相手をより深く理解するという方法に切りかえる。たとえば……。

 日ごろ、相手が、言いたいと思っていること、知りたいと思っていることを、相手の立場になって聞く。「この前、あなたはこう言ったけど、その意味がよくわからないから、もう一度、話してくれない」「あなたの言うことはよくわかるけど、もし私だったら、どうするか、いろいろ考えてみたわ」とか。相手をより深く理解しようとしよう姿勢を見せることで、同時に、自分もまた相手に対して、自己開示することができる。

 前にも書いたが、自己開示をすることは、違いの信頼関係を築く、基盤となる。たがいにわけのわからない状態で、信頼関係を結ぶことはできない。さあ、あなたも勇気を出して、自己開示してみよう。心を解き放ってみよう!
(030707)

※ ……自己開示することで、心理的、精神的負担を軽減することができる。ばあいによっては、症状が焼失することもあるという。これをカタルシス効果という。自己開示には、そういう作用もある。

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【追記】
 
 四人の子どもに、ためしに作文を書いてもらった。

● Kさん(中二女子)

*私にとって、今まで、一番楽しかったことは、この前あった、学校の野外活動です。ナイトウォークや、カレーづくり。一日中、ずっと友だちと過ごしているということが、なかなかないので、とても楽しかったです。
*私にとって、今まで、一番悲しかったことは、(無回答)。
*私にとって、今まで、一番うれしかったことは、野外活動の先生が、私たちをたいへんほめてくれたことです。ふだん「今の二年生は悪い」と言うだけの、いやな先生たちばかりなので、先生たちを見返してやった気分でした。
*私にとって、今まで、一番つらかったことは、もうずいぶん前になるけど、かっていた犬が死んでしまったことです。

● U君(中三男子)

*私にとって、今まで、一番楽しかったことは、友だちといっしょにいることが楽しいです。人と笑うのが楽しいです。
*私にとって、今まで、一番悲しかったことは、とくにありません。あっても忘れてしまいます。
*私にとって、今まで、一番うれしかったことは、三年目にして、部活の県大会で優勝したことです。
*私にとって、今まで、一番つらかったことは、勉強。部活の練習も楽じゃないです。二つともとてもつらいですが、楽しいです。

● R君(中三男子)

*私にとって、今まで、一番楽しかったことは、友だちと遊んでいたとき。友だちといっしょにいたとき。
*私にとって、今まで、一番悲しかったことは、おじいちゃんが死んだとき。
*私にとって、今まで、一番うれしかったことは、(無回答)。
*私にとって、今まで、一番つらかったことは、勉強しているとき。部活。

● D君(小六男子)

*私にとって、今まで、一番楽しかったことは、サッカーです。
*私にとって、今まで、一番悲しかったことは、(無回答)。
*私にとって、今まで、一番うれしかったことは、サッカーでキャプテンになれたことです。
*私にとって、今まで、一番つらかったことは、サッカーで、何周もグランドを走ったことです。

 子どものばあい、身近な経験から、楽しかったことや、悲しかったことをさがしだそうとする。つまり自分自身を、客観的に見る目が、まだじゅうぶん育っていない。しかし年齢が大きくなると、より自分を高い視点から、判断できるようになる。そして自分自身をより深く、見ることができるようになる。「私を知る」というのは、そういう意味で、一見簡単そうで、むずかしい。

(はやし浩司 カタルシス カタルシス効果 自己開示 除反応)

Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司