最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●映画『沈まぬ太陽』  ●休息を求めて疲れる  ●脱アメリカ追従外交の落とし穴

2009-10-25 20:25:55 | 日記
●パソコン

パソコンの世界では、つぎつぎと新製品が発売になる。
そのたびに、機能は向上し、デザインもよくなる。
そのたびに、新しいのが欲しくなる。
 
こういうのをビョーキという。
ドーパミンの分泌がさかんになる。
線条体で条件反射が起きる。
自分でもそれがよくわかっている。
わかっているが、それがなくなったら、私もおしまい。
つまり「欲しい」と思ううちが、花。

たとえばこの2か月ほど、政治に関して、興味をなくしてしまった。
どうでもよくなってしまった。
とくに先の衆議院議員選挙以来、気が抜けてしまった。
が、これではいけない。

……というより、あちこちのサイトを見ていたら、私の原稿が、
いくつかの政治団体で、紹介されているのを知った。
羽田空港問題、成田空港問題について書いた原稿も、それぞれのサイトで、
紹介されているのを知った。
(ついでに旅行記も、紹介されていた。)

それがよい刺激になった。
久しぶりに、政治問題を考えたくなった。

で、最近の話題は、何と言っても、鳩山首相の「東アジア共同体構想」。
ASEANの各国を、日本のワクの中に取り込もうという構想である。
しかしこんな構想は、最初から、うまくいくはずがない。
失敗するに決まっている。

だいたい、「ASEANプラス3」って、何?
「3」というのは、「日本、中国、韓国」の3か国をいう。
3か国といっても、呉越同舟というか、水と油と砂が混ざっているようなもの。
中国を連れていったら、まとまる話もまとまらなくなる。
もともとASEANというのは、中国の脅威に対抗して始まったもの。
韓国だって、どんな下心をもっているか、わかったものではない。

……とまあ、政治問題について書くときは、かなりの(怒りのエネルギー)を
要する。
そのエネルギーがないと、書いていても、つづかない。
途中で、どうでもよくなってしまう。

しかしこのところ、気力が弱くなった。
(怒りのエネルギー)が、あまりわいてこない。
平和というか、平穏というか……。
たとえて言うなら、おいしいごちそうを、腹いっぱい食べたあとのような感じ。
そこで、あえて(怒りのエネルギー)を奮い立たせる。

カーッ!

あのね、鳩山首相。
アメリカを日本から離反させるのは、まずい。

なぜ、この時期に、脱・アメリカ追従外交なの?
一方、どうして今、日本は中国に擦り寄らなければならないの?
日本は、自由主義貿易陣営の一員ではなかったの?
いろいろと問題はあるが、だからといって今、社会主義体制を求めているわけではない。
それになぜ、鳩山首相は、こうも急ぐの?
こうした日本の命運を左右するような外交問題は、じっくりと基盤を固めてからする。
それが常識。
政権を奪ったとたん、「東アジア共同体構想」は、ない。

今、鳩山首相、あなたがすべきことは、官僚政治をつぶすこと。
やりたい放題のことをしている官僚たちに、ストップをかけること。
民主主義を、国民の手に戻すこと。
その本命を忘れて、大きなアドバルーンばかりあげて、どうするの?
こんな稚拙な外交を繰り返していると、自民党が喜ぶだけ。
ついでに中国や韓国が喜ぶだけ。
K国だって、喜ぶ。

怒る前に、何だか、日本の政治が心配になってきた。
もう少しすると、あのASO前首相が、「それ、見たことか!」と、声をあげ始めるかも。


●10月25日の終わりに……

いろいろ考える。

(どう生きるか?)vs(どう死ぬか?)。
この2つが、交互に私の心の中で闘う。
(まだがんばれる)vs(だいじょうぶだろうか?)。
この2つが、交互に私の心の中で闘う。
(年齢など気にしない)vs(あと10年かな?)。
この2つが、交互の私の心の中で闘う。

おとといの夜も、深夜劇場へ行く途中、足の不自由な人を見かけた。
年齢は私より少し若かった。
50代の半ばごろの人か。
背も高く、ほっそりとした人だった。
脳卒中?
懸命に一本杖で身を支えながら、ゆっくりと歩いていた。
私はその人をよけながら、エレベーターの中に身を隠した。

「明日はわが身?」。
明日はだいじょうぶでも、あさってはわからない。
あさってはだいじょうぶでも、そのつぎの日は、わからない。
1年の命を10年に延ばして、何になる?
10年の命を20年に延ばして、何になる?
明日は明日。
明日は、確実に、そこにやってくる。

たまたまその男の人は、そこにいる。
たまたま私は、ここにいる。
ちがいなど、どこにもない。
ゆいいつのちがいは、私は私の目を通して、その男の人を見ていること。
その男の人は、その男の人の目を通して、私を見ていること。
私がその男の人で、その男の人が私であっても、何も不思議でない。
しかし……。

私は、その苦痛に耐えられるだろうか。
その男の人の目を通して、私を見る私に、耐えられるだろうか。
その自信は、まったくない。

今日の健康など、明日は、あてにならない。
明日はよくても、あさっては、あてにならない。
そう思いながら、ウォーキング・マシーンの上で、歯をくいしばる。
「あと、10分……、あと5分……」と。
私にあるのは、「たぶん、明日もだいじょうぶだろう」という小さな希望だけ。
その希望に、自分をつなげて、今日という1日を終える。

(少し、今夜は暗いかな……?)

みなさん、今日も、楽しい1日をありがとう!
今日は、朝、8時まで寝ていました。
午後に、山荘へ行き、昼寝。
帰りに、パソコンショップで、WINDOW7を見て、
それから書斎へ。
夕食まで、1時間ほど、YOUTUBEで音楽を聴きました。
明日もがんばります!


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●映画『沈まぬ太陽』

 静岡県では、今日、参議院議員の補欠選挙がある。
その投票に行く途中で、この文章を書いている。
(もちろん車の中で……。)

 が、道路が、日曜日ということもあって、大渋滞。
少しイライラしていたら、ワイフが、「このまま映画に行かない?」と。
こういうとき、夫は、妻に従うのがよいそうだ。
先日買った雑誌(「プレジデント」)に、そう書いてあった。
熟年離婚の危機はかろうじてかわしたが、安全圏に入ったわけではない。

 「時間的には、『沈まぬ太陽』がいいわ」ということで、そのまま劇場へ。
投票は、劇場からの帰りにすますことにした。

●日本映画

 日本映画のつまらない点は、自然ぽさがないところ。
役者の個性を利用するというよりは、無理な役作りをするところにある。
知性の感じさせないような人が、科学者の役をしたり、スケベそうな男が、
正義を説いたり……。
その(無理)が、映画を、つまらないものにする。

 先日も、「火TENの城」というのを見てきたが、途中で出てきてしまった。
ああいう(できすぎた映画)を見ていると、かえって不愉快になる。
何もかも、頭の中で先に予想ができてしまう。
「このつぎは、こうなるぞ」と。
そのとおりに、役者が演じ、ストーリーが運ぶ。
だからおもしろくない。

(この間、『沈まぬ太陽』を見た。長い映画だった。)

●『沈まぬ太陽』

 主演の渡辺腱(父親役)と、名前は知らないが、息子役の男優。
この2人の演技が、きわだって光った。
よかった。
あとの俳優は、率直に言って、見るに耐えないというか、「これが演技です」
というような演技。
つまらなかった。
たぶん、監督の演技指導のままに演技していたのだろう。
語り方はもちろん、視線のはずし方まで、みな、同じだった。

 映画を見れば、どこの航空会社がモデルになっているかは、一目瞭然。
「よく、あの会社が、こんな映画を許可したね」と、何度も、ワイフと言いあう。
最後の結末がさわやかだったからよかったが、もし醜いまま終わっていたら、
訴訟問題になっていたかも。
時期が時期だけに、あの会社にとっては、たいへんまずい。
現在、経営再建中。

 内容的には、シリアスな社会派映画を見た感じ。
私も若いとき、M物産という会社にいた。
そういう立場で言うと、「現場は、あんなものではない」というのが、私の感想。
もっと生々しく、毒々しい。

それに日本の映画は、どうしてこうまでお説教がましいのだろう?
お金を出して、劇場まで足を運ぶのだから、もう少しサービス精神を旺盛にしてほしい。
つまり私たちを、楽しませてほしい。
ときに安っぽい論理で、人生観を語られたりすると、その場でシラケてしまう。

 見終わったとき、ワイフに私も、こう言った。
「早く、M物産をやめて、よかった」と。
もしあのままあの会社で働いていたら、今ごろは、死んでいるか、身も心も、
ズタズタにされ、私は廃人になっていたはず。

 同時に、以前書いた原稿を思い出した。
『休息を求めて、疲れる』(イギリスの格言)という原稿である。
いくつか書いたので、そのまま掲載する。

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●休息を求めて疲れる(ロマンを求めて)

 いまだに悪夢と言えば、修学旅行のときのものだ。集合時刻が近づく。私は大部屋で寝ている。皆はすでにカバンを整理して外へ出ようとしている。私は自分の靴がどこにあるかもわからない。トイレはどこだ。まだ朝食も食べていない……。記憶にはないが、多分私は子どものころ、旅行でそういう思いをしたのだろう。いや、それ以上に私たち団塊の世代は、どんなことでも、乗り遅れるのを何よりも恐れていた。

 前年までのクラスは五クラス。しかし私たちの学年からは、一一クラス。しかも一クラス、五五人平均。粗製濫造とはまさにこのことで、私はサッカーにしても、一チーム、二五人で戦うものだとばかり思っていた。

 確かに私たちの世代は、いつもうしろから何かに押されていた。立ち止まっただけで、言いようのない不安感に襲われた。はげしい競争。そしてまた競争。こうしてあの会社人間、仕事人間は生まれたが、そうであってはいけないと思っていても、休暇で一週間も休みが続いたりすると、それだけで申し訳ない気持ちになる。

私が見る悪夢は、その延長線上にあるにすぎない。「日本は資源のない国だ」「貿易で国を支えるしかない」「欧米に追いつけ、追い越せ」「立派な社会人となれ」などなど。私たちはこういう言葉を、毎日のように、それこそ耳が痛くなるほど聞かされた。結果、今のような日本がなったが、そこでまたふと立ち止まってみると、やはり言いようのない不安感に襲われてしまう。

 そうそうイギリスの格言に、「休息を求めて疲れる」というのがある。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、何もできなくなる」という意味だが、イギリスでは、愚かな生きかたの代名詞にもなっている。オーストラリアの友人も、何かのことで私があせっていると、「ヒロシ、気楽にせよ。休息を求めて疲れるな」と、よく言ってくれた。しかし今になっても、その「休息」はどこにもない。なぜだろうか。

 貯金といっても、底が知れている。退職金などもちろんないが、年金にしても、本当にもらえるかどうかわからなくなってきた。息子たちにしても、私が世話をすることはあっても、その反対は、まず期待できない。期待もしていない。私はこうして死ぬまで働くしかない。

 話は変わるが私の友人の弟は、四二歳の若さで会社勤めをやめ、退職金をもってマレーシアへ渡った。そしてそこで中古のヨットを買って、航海に出たという。「今ごろね、あいつね、マレーシアで知り合ったフランス人女性と二人で、インド洋を航海しているはずです」と。その友人は笑って話してくれたが、私には夢のような話だ。いや、夢ではない。私にだってできる。いつかはできる。それをしなければ、いつまでたっても、あの悪夢から解放されることはない。

 今回は私たち団塊の世代の、挫折とロマンを聞いてもらいたくて筆をとった。この中に一つの教育論を感じとっていただければ幸いである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●今を生きる子育て論

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもなっている格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、結局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生き方をしてはいけません」と教えている。

 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人がいる。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大学へ入るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。

こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未来」のために犠牲にするという生き方は、ここでいう愚かな生き方そのものと言ってもよい。いつまでたっても子どもたちは、自分の人生を、自分のものにすることができない。あるいは社会へ出てからも、そういう生き方が基本になっているから、結局は自分の人生を無駄にしてしまう。

「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた……」と。

 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今という時を、偽らずに生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、一人の高校生が自殺に追いこまれるという映画である。

この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて疲れる』という生き方の、正反対の位置にある。これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もいるかもしれない。しかし今、あなたの周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映るのは、「今」という現実であって、過去や未来などというものは、どこにもない。あると思うのは、心の中だけ。だったら精一杯、この「今」の中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではないのか。

子どもたちとて同じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そういう子ども時代は子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、大切ではないのか。

 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」ということは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといっても、そのつどなすべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。

たとえば私は生徒たちには、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではないか。それでいい。結果はあとからついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったものを、真っ先に追い求めたら、君たちの人生は、見苦しくなる」と。
 
同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親たちは子どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。日本では「がんばれ!」と拍車をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。

ごくふつうの日常会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て観の基本的な違いを感ずる。その違いまで理解しないと、『休息を求めて疲れる』の本当の意味がわからないのではないか……と、私は心配する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「休息を求めて疲れる」。

イギリスの格言である。愚かな生き方の代名詞にもなっている格言でもある。
「いつか楽になろう、なろうと思っているうちに、歳をとってしまい、結局は何もできなくなる」という意味である。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた」と。

 ところでこんな人がいる。
もうすぐ定年退職なのだが、退職をしたらひとりで、四国八八か所を巡礼をしてみたい、と。
そういう話を聞くと、私はすぐこう思う。「ならば、なぜ今、しないのか?」と。

私はこの世界に入ってからずっと、したいことはすぐしたし、したくないことはしなかった。
名誉や地位、それに肩書きとは無縁の世界だったが、そんなものにどれほどの意味があるというのか。
私たちは生きるために稼ぐ。稼ぐために働く。これが原点だ。

だから○○部長の名前で稼いだ100万円も、幼稚園の講師で稼いだ100万円も、100万円は100万円。
問題は、そのお金でどう生きるか、だ。
サラリーマンの人には悪いが、どうしてそうまで会社という組織に、義理立てをしなければならないのか。

未来のためにいつも「今」を犠牲にする。
そういう生き方をしていると、いつまでたっても自分の時間をつかめない。
たとえばそれは子どもの世界を見ればわかる。
幼稚園は小学校の入学のため、小学校は中学校や高校への進学のため、またその先の大学は就職のため……と。社会へ出てからも、そうだ。
子どものときからそういう生活のパターンになっているから、それを途中で変えることはできない。
いつまでたっても「今」をつかめない。つかめないまま、人生を終わる。

 あえて言えば、私にもこんな経験がある。
学生時代、テスト週間になるとよくこう思った。「試験が終わったら、ひとりで映画を見に行こう」と。
しかし実際そのテストが終わると、その気力も消えてしまった。
どこか抑圧された緊張感の中では、「あれをしたい、これをしたい」という願望が生まれるものだが、それから解放されたとたん、その願望も消える。

先の「四国八八か所を巡礼してみたい」と言った人には悪いが、退職後本当にそれをしたら、その人はよほど意思の強い人とみてよい。
私の経験では、多分、その人は四国八八か所めぐりはしないと思う。退職したとたん、その気力は消えうせる……?

 大切なことは、「今」をどう生きるか、だ。
「今」というときをいかに充実させるか、だ。明日という結果は明日になればやってくる。
そのためにも、「休息を求めて疲れる」ような生き方だけはしてはいけない。

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Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●脱アメリカ追従外交の落とし穴(1)

2009-10-25 08:57:28 | 日記
【東アジア共同体構想】(脱・アメリカ追従外交の危険な落とし穴)

++++++++++++++

東アジア共同体構想は、見かけは
ともかくも、失敗する。
日本の外資が威力を失ったとき、
命運は尽きる。

++++++++++++++

●アジアのリーダーとして

 今からちょうど40年前。
日本は、新幹線を走らせ、東京オリンピックを成功させ、かつ大阪万博を開き、まさに破竹の進撃をつづけていた。
高度成長期に突入していた。
そのころアジア各国の人たちは、日本を、畏敬の念と、脅威の念の、2つの入り混ざった目でながめていた。

「畏敬の念」というのは、「アジア人でも、やればできるのだ」という自信の先頭、それを、日本が切ったということ。
「脅威の念」というのは、当然のことながら、第二次世界大戦の後遺症をさす。
同時に日本の軍事的脅威論も、このころあちこちで論じられるようになった。

 が、もうひとつ、日本人が読めなかった心がある。
たとえば、アジアの人たちは、日本人が作る自動車を見て、「同じアジア人が作った」と喜んだ。
理由のひとつとして、日本以外のアジアの国の人たちは、長い間、欧米諸国の植民地であったことがあげられる。

当時の日本人がもつ欧米コンプレックスには、相当なものがあった。
欧米人と見ただけで、頭をさげた。
しかし他のアジア各国、とくに東南アジア各国の人たちがもつ、欧米コンプレックスには、独特のものがあった。
隷属意識、劣等意識、逆差別意識……そういったものが、渾然一体となって、彼らの欧米コンプレックスを作りあげていた。
彼らは、欧米に、彼らの植民地として隷属したという、暗い歴史がある。

私は、『世にも不思議な留学記』の中で、こんなことを書いたことがある。

 ある朝のこと、突然、私はアジア各国からの留学生たちに起こされた。
「何だ!」と思って起きてみると、いちばん仲がよかったタン君(マレーシアン中国人)が、こう言った。

 「ホロシ(私のこと。タンは、いつも私をそう呼んでいた)、来てみろ、すごい車がある」と。
 みなといっしょに道路へ出てみると、そこにマツダのサバンナという車が置いてあった。
ダッシュボードが、ボンネット側に湾曲している、それまでに見たことのないデザインの車だった。
タンは、こう言った。
「白人が、アジア人の作った車に乗っている!」と。

 当時の日本人は、そうしたアジアの人たちの心を読めなかった。
今も、今度は、逆の立場で読めないでいる。

話を先に進める前に、『世にも不思議な留学記』の1作を紹介する。
内容的に、話が脱線するが、許してほしい。
東南アジアで、日本がどういう立場にあるか、それをわかってもらえると思う。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●人種差別

 大学のカフェで食事をしていると、私を取り囲むようにして、4、5人のオーストラリア人がすわった。そして手にしたスプーンの腹で、コツコツとテーブルをたたき始めた。

 「立ち去れ」という合図である。気まずい時間が流れた。私はすでに食事を始めていた。が、そのとき、身長が1メートル90センチはあろうかという大男が、私の横に座った。長い髪の毛で、顔中、ヒゲでおおっていた。その男が、スプーンをならしている学生たちに向かって、低い声でこう言った。「ワット・アー・ユー(お前たちは何だ)」と。

 その一言で、学生たちはスプーンをたたくのをやめた。やめて、その場を離れた。その大男というのが、デニス君だった。本名は、デニス・キシアという。今でも私の無二の親友だ。

●皿に口をつけてズルズルとスープを飲んだ

 同じころK大学医学部の講師たち3人が、一週間の予定で、メルボルン大学へやってきた。そしてハウスのゲストルームに滞在した。豪快な人たちだ……と、最初はそう思った。しかし品位に欠けていた。スープ皿に口をつけてズルズルとスープを飲んだり、ハウスの飯はまずいと言っては、どこで手に入れたのか魚の目刺しを買ってきて、それを部屋の中で焼いて食べたりしていた。

 その中の1人が、こう言った。「オーストラリアも、ギリシャ人やイタリア人なんか、移民させるもんじゃないよな。雰囲気が悪くなる」と。

 当時の日本人で、自分がアジア人だと思っている日本人は、ほとんどいなかった。世界の人は、半ば嘲笑的に日本人を、「黄色い白人」と呼んでいた。が、日本人は、それをむしろ光栄なこととしてとらえていた。

 しかしアジア人はアジア人。オーストラリアでは、第2級人種として差別されていた。結婚しても、相手がアジア人だったりすると、そのオーストラリア人も、第2級人種に格下げされた。その法律は、それから10年ほどしてから撤廃されたが、オーストラリアはまだ、白豪主義(ホワイト・ポリシー)にこだわっていた。

 つまりもしこの医師の話をイタリア系オーストラリア人が聞いたら、怒る前に吹き出してしまうだろう。そういう常識が、その医師たちには、まったくわかっていなかった。いや、医師だけではない。当時、アボリジニーと呼ばれている原住民を見ると、日本の若い女性たちはキャーキャーと声を出して騒いでいた。なぜ騒いでいたかは、ここには書けない。書けないが、日本人ならその理由がわかるはずだ。

 しかし念のために言っておこう。あのアボリジニーは、4~5波に分けて、アジア大陸から移住してきた民族である。そのうちの一波は、私たち日本人と同じルーツをもっている。つまり私たち日本人は、白人よりも、はるかにアボリジニーに近い。騒ぐほうがどうかしている。

●人種差別

 人種差別。それがどういうものであるか、それはされたものでないとわからない。「立ち去れ」という合図を受けたときの屈辱感は、今でも脳に焼きついている。それはそれだが、問題はその先だ。人種差別をされると、人は2つの考え方をするようになる。

 1つは、「だから自分の属する民族を大切にしなければならない」という考え方。もう1つは、「民族という名のもとに、人間を分類するのはおかしい」という考え方。

 どちらの考え方をもつにせよ、1つだけ正しいことがある。それは人種や民族の優位性などというものは、いくら論じても意味がないということ。大切なことは、互いに相手を認め、尊重しあうことだ。それがあってはじめて、日本を、そして世界を論ずることができる。

 が、そうした世界観は、当時の日本人にはまだ育っていなかった。同じアジア人でありながら、日本人は自らを欧米人と位置づけることによって、ほかのアジア人とは一線を引いていた(中日新聞で発表済み)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●黄色い白人

 今思い起こしても、当時の日本人は、目が、欧米のほうだけを向いていた。
子どもでも、「自分はアジア人」と自覚している子どもは、皆無だった。
私が、「ぼくたちはアジア人だよ」と教えても、みな、「ちがう」と答えた。
中に、「ぼくたちは、欧米人だ」と言う子どもさえいた。

 こうした意識は、現在の30代、40代の人たちが、今でも共通してもっている。
あるいは自分自身の子ども時代を振り返ってみて、「私はそうでなかった」と自信をもって言える人は、まずいない。

 つぎの原稿は、10年ほど前に書いたものである。
切り口が少し脱線するが、ここに書いたことは、今でもそのまま通用する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●教科書の検定制度って、本当に必要なの?

 オーストラリアにも、教科書の検定らしきものはある。しかしそれは民間団体によるもので、強制力はない。しかもその範囲は、暴力描写と性描写の2つの方面だけ。特に「歴史」については、検定してはならないことになっている(南豪州)。

 私は1967年、ユネスコの交換学生として、韓国に渡った。プサン港へ着いたときには、ブラスバンドで迎えられたが、歓迎されたのは、その日1日だけ。あとはどこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされた。私たちを直接指導してくれたのが、金素雲氏であったこともある。

韓国を代表する歴史学者である。私はやがて、「日本の教科書はまちがってはいない。しかしすべてを教えていない」と実感した。たとえば金氏は、こんなことを話してくれた。「奈良は、韓国から見て、奈落の果てにある都市という意味で、奈良となった。昔は奈落と書いて、『ナラ』と発音した」と。今でも韓国語で「ナラ」と言えば、「国」を意味する。もし氏の言うことが正しいとするなら、日本の古都は、韓国人によって創建された都市ということになる。

 もちろんこれは一つの説に過ぎない。偶然の一致ということもある。しかし一歩、日本を出ると、この種の話はゴロゴロしている。事実、欧米では、「東洋学」と言えば、中国を意味し、その一部に韓国学があり、そのまた一部に日本学がある。そして全体として、東洋史として教えられている。

 話は変わるが、小学生たちにこんな調査をしてみた。「日本人は、アジア人か、それとも欧米人か」と聞いたときのこと。大半の子どもが、「中間」「アジア人に近い、欧米人」と答えた。中には「欧米人」と答えたのもいた。しかし「アジア人」と答えた子どもは1人もいなかった(約50名について調査)。先日もテレビの討論番組を見ていたら、こんなシーンがあった。

アフリカの留学生が、「君たちはアジア人だ」と言ったときのこと。1人の小学生が、「ぼくたちはアジア人ではない。日本人だ!」と。そこでそのアフリカ人が、「君たちの肌は黄色ではないか」とたたきかけると、その小学生はこう言った。「ぼくの肌は黄色ではない。肌色だ!」と。

 2001年の春も、日本の教科書について、アジア各国から非難の声があがった。韓国からは特使まで来た。いろいろいきさつはあるが、日本が日本史にこだわっている限り、日本が島国意識から抜け出ることはない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 話を「東アジア共同体構想」に戻す。

●東アジア共同体構想

 民主党政権になって、鳩山首相は、「東アジア共同体構想」というものを、ぶちあげた。
「脱・アメリカ追従外交」を一方で唱えながら、「アジア重視の外交」を主張した。

 私も30~40年前の私なら、鳩山首相のこの発想を支持しただろう。
またそのときなら、日本は、そのままアジアのリーダー(宰主)として、中国をも東アジア共同体構想の一員として、取り込むことができた。

 が、今ごろ、どうして、東アジア共同体構想なのか?
むしろ立場は、すでに逆転している。
逆転していないまでも、東南アジア各国の人たちは、「日本なしでもやっていける」と考え始めている。
つまり「東南アジア諸国連合(ASEAN)」に、頭をさげるべきほうは、むしろこの日本なのである。
 「どうか、日本も、ASEANに加入させてください」と。
それを大上段に構え、「ASEANプラス3」とは!

 「プラス3」というのは、日本、中国、韓国の3か国をいう。

 が、このプラス3は、中身にも問題がある。

(1) 韓国のもつ反日感情、あるいは日本へのライバル意識。
(2) 東南アジア各国の、反中国感情、もしくは反中国意識。

 この2つをさておいたまま、鳩山首相は、「ASEANプラス3」を唱えている。
さらに問題が起きた。
側近を、「脱・アメリカ追従外交論者」で固め、反米とまではいかないにしても、アメリカにそのような印象を与えるような行動を始めてしまった。

 毎日新聞は、つぎのように伝えている。

●アジア重視の外交政策?

+++++以下、毎日新聞+++++

 鳩山由紀夫首相は9、10両日、韓国、中国を相次いで訪問する。
9日午前にはソウルで韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領との首脳会談、10日は北京で中国の温家宝首相、李大統領との日中韓首脳会談に臨む。
首相就任後、国際会議出席以外では初めての外国訪問で、アジア外交重視の姿勢をアピールする。

 日韓首脳会談は、両首脳間の信頼関係の構築が主要な目的。北朝鮮の核問題を巡る6カ国協議への早期復帰に向けた連携を確認する。
日韓連携を重視する姿勢を示すことで、「東アジア共同体構想」をはじめとするアジア外交を主導的に進めたい狙いもある。

(中略)

鳩山首相も「東アジア共同体構想」についての理解と協力を求める。3カ国会談後、両首相の個別会談もある。

+++++以上、毎日新聞+++++

さらに、鳩山首相は、岡田外務大臣をアジア各国に派遣した。
同じく毎日新聞は、つぎのように伝えている。

●受けたのは、外交的虚礼

+++++以下、毎日新聞+++++

岡田克也外相は13日、インドネシアを訪問し、ハッサン外相と会談した。
鳩山政権が推進する東アジア共同体構想について、「インドネシアは重要なパートナーだ」として協力を要請し、この問題で両国が協議していくことで一致した。

 東アジア共同体構想について岡田外相は「東南アジア諸国連合(ASEAN)の中で存在感を高めているインドネシアと協力しながら、具体化に努めたい」との考えを示した。
これに対しハッサン外相は「包括的でバランスの取れたものにすべきだ」と述べた。

その上で、ASEANプラス3(日中韓)や東アジア首脳会議などの枠組みを踏まえ、両国が統合に向けて協力し、協議を続けることで合意した。

+++++以上、毎日新聞+++++

 当然のことながら、これに「待った!」をかけたのが、アメリカ。
こうした一連の日本の動きをとらえながら、「日本は中国よりも、やっかいな国になった」(オバマ政権)と、鳩山外交を評した。

 英語で、何と言ったかはわからない。
しかし日本は、すでに40年以上も前から、「異質な国」と位置づけられている。
アメリカ人にしてみれば、東南アジアの人たちの方が、まだわかりやすい。
欧米の植民地だったということで、欧米流のものの考え方が定着している。

 が、この日本は、ちがった。
わかりやすく言えば、日本、さらに日本人は、彼らの理解の範囲を超えていた。
そうした流れは、今でもつづいている。
「日本は中国よりも、やっかいな国になった」と言いながら、アメリカは、日本に向かって、「アメリカはずしは許さない」と警告した。

 そして今月(09年10月)、タイのフアヒンで、東南アジア諸国連合(ASEAN)の首脳会議が始まった。
そこへ鳩山首相は出かけていき、東アジア共同体構想を正式にぶちあげ、アメリカの参加を求めることを提唱した。

 鳩山首相の一連の動きを、順に追ってみたい。

●脱アメリカ追従外交の落とし穴(2)

2009-10-25 08:56:45 | 日記


●無意味な外交巡礼?

+++++以下、毎日新聞+++++

鳩山由紀夫首相は24日にタイ中部のフアヒンで開かれる東南アジア諸国連合(ASEAN)との首脳会議など一連の会合で、自らが提唱する東アジア共同体構想に関して、米国の参加を求める考えを表明する。

松野頼久官房副長官がバンコクに向かう政府専用機内で、同行記者団に明らかにした。
 首相は「ASEANを含む東アジア諸国は東アジア共同体構想の中核で、米国の関与は極めて重要だ」との考えを表明する。

 これまで首相は「米国を排除する発想は持っていない」としていたが、参加国の枠組みなどについては明確な言及を避けており、米国の参加を明言するのは初めて。
米軍普天間飛行場の移設問題で日米間の相違が顕在化しており、配慮をする必要があると判断したとみられる。

+++++以上、毎日新聞+++++
+++++以下、毎日新聞+++++

鳩山由紀夫首相は24日午前(日本時間同日午後)、タイのアピシット首相ら東南アジア諸国連合(ASEAN、10カ国)の首脳と会談した。
ASEAN各国を自ら提唱する「東アジア共同体構想」の中核メンバーと想定する鳩山首相は、同構想を長期的なビジョンとして説明し、協力を呼びかける。

また、タイやベトナム、カンボジアなどメコン川流域国の経済成長へ向けた支援を表明する。
 これに先立ち、鳩山首相は議長国のアピシット首相と個別に会談し、東アジア共同体構想を説明した。

+++++以上、毎日新聞+++++
+++++以下、毎日新聞+++++

鳩山由紀夫首相は24日、東南アジア諸国連合(ASEAN、10カ国)との首脳会議、さらに中国と韓国を加えたASEANプラス3首脳会議に出席し、自ら提唱する東アジア共同体構想への支持を呼びかけた。

首相はASEANが共同体構想の中核になるとの認識を示し、各国首脳も「長期的な目標」として協力していくことで一致した。
今後は将来の共同体構築につながる具体的な地域協力の推進が課題となる。

 一連の会議で首相は共同体構想について「長期的なビジョンを掲げて、開かれた地域協力の原則に立って着実に進めていきたい」と説明。
「日本の外交政策として日米同盟を基軸と位置付けている」とも述べ、何らかの形で米国が関与できる仕組みを検討する姿勢を強調した。
具体的な協力分野としては経済や新型インフルエンザ対策、情報通信などを挙げ、理解を求めた。

 ASEANや中韓側からは「長期的な目標として取り組んでいきたい」「東アジア協力の議論を再活性化した」と評価する意見が相次いだほか、「統合が進むASEANが主導的な役割を果たす」との発言もあった。

ASEANプラス3では、首相は「日中韓協力を東アジア協力の推進力とする」と強調。「過去を直視しながら未来志向の関係をアジア各国と築いていく」と述べた。
また通貨危機に対応して外貨を融通し合う「チェンマイ・イニシアチブ」などアジア地域の金融安定化に貢献する考えも表明した。

+++++以上、毎日新聞+++++

●アメリカはずしは、時期尚早

 「プラス3」というが、まず、日本は、どうやって、あの中国と韓国を、仲間にまとめるというのか。
1回や2回、首脳会談をもったくらいのことで、中国や韓国の、反日意識や反日ライバル意識が氷解するなどということは、ありえない。
ありえないことは、ここ10年に渡ってつづいた、日韓経済戦争を見ればわかる。
日中経済戦争でもよい。
その戦争は、今の今も、つづいている。
むしろ今年に入ってからも、生き残りをかけて、さらに熾烈さを増している。

 そんなこともあって、今、日本からアメリカをはずすのは、時期尚早。
あまりにも稚拙。
たしかに「追従」しているが、追従しなければならない歴史的、かつ外交的背景が、そこにある。

 なぜ、日本が戦後60年以上に渡って、平和を保つことができたか。
かつ国防費を対GDP比で、1%以下に抑えることができたか。
何もアメリカの高官にあえて脅されるまでもなく、アメリカ軍が日本に駐留していたからにほかならない。

 何度も繰り返すが、もしアメリカ軍が駐留していなかったら、今ごろ日本は、跡形もなく粉々にされていた。
スターリン・ソ連、毛沢東・中国、李承晩・韓国、金日成・北朝鮮、さらにマルコス・フィリッピン連合軍が、繰り返し、日本を襲ったであろう。
悲しいかな、粉々にされてもしかたないことを、日本は、先の戦争でしてしまった。

 外交面においても、そうだ。
あんな北朝鮮ですら、日本はもてあましている。
拉致問題ひとつ解決できないでいる。

 が、「日本のうしろには、アメリカがいる」。
それが日本の外交を、裏から支えてきた。
今も、支えている。
もし、日本が本気で追従外交から脱するときがあるとすれば、日本が軍事面、外交面で、中国を含む他のアジア諸国から、認知されたときである。

 「認知」という言葉を、「融和」という言葉で置き換えてもよい。
「日本は危険な国ではない」「日本は信頼できる」という、2つの側面が、アジア各国の中で融和したとき、日本は、はじめて対米追従外交から脱却できる。

 が、今の日本にあるのは、経済力のみ。
(その経済力も、風前の灯だが……。)
そのことは、今回の鳩山総理の動きを見てもわかる。
言うなれば、札束をパラパラと見せつけながら、ASEANの会場に乗り込んだ。
今はまだ、多少なりとも、ジャパン・マネーに威力が残っているからよいようなものの、しかしこんな方法は、いつまでも長つづきしない。
2015年どころか、来年の2010年には、アジアにおいて、日本と中国の立場は、逆転する。

 また「東アジア共同体構想」という名称そのものが、「東」、つまり「日本を中心とした」という意味である。
この国際性のなさ。

東南アジアの人たちは、日本人が、自分たちを東南アジア人と思っていないのと同じように、自分たちは東アジア人とは、思っていない。
むしろ「東アジア共同体構想」というのは、先の戦争中に日本の軍部がぶちあげた、「大東亜共栄圏」の流れの中にある。
少なくとも中国を含む東南アジアの人たちは、そう考えている。

 「東アジア……」ではなく、ぶちあげるとしても、「東」を取って、「アジア共同体構想」とすべきだった。

●どうして、今?

 日本には日本のプライドがある。
それはわかるが、10年後、20年後の日本を考えるなら、今はそのプライドを捨て、ASEANに頭をさげるべき。
「どうか、仲間に加えてください」と。
何も、中国や韓国を、いっしょに連れて行くような話ではない。
もっとはっきり言えば、中国や韓国を無視して、ASEANに加入すればよい。
もし逆の立場だったら、つまり中国や韓国の経済力が、日本を凌駕(りょうが)するようになったら、彼らは日本は完全に無視されるだろう。

 簡単に言えば、どこかの社交クラブに行くとき、自分ひとりでは心細いからという理由で、隣人とはとても言えないような隣人を、連れていったようなもの。
こういうのを、(お人好し外交)と呼ぶ。

 韓国は、それによって、ASEANの中で独自の立場を構築するだろう。
しかし問題は、中国。
中国など連れていったら、まとまる話も、まとまらなくなる。
もともとASEANというのは、対中国脅威論がベースになって、誕生した。
そんな歴史的経緯すら、鳩山総理は知らないというのか!

 どうであるにせよ、鳩山首相の一連の行動は、このまま「勇み足」につながりかねない。
もう少しじっくりと考え、時間をかけるべき。
何かのアドバルーンは必要かもしれないが、それは二期目でもよかった。
総理大臣になったとたん、いきなり「東アジア共同体構想」とは?
こうした大構想には、根回しというか、地道な基礎づくりが必要。
その基礎を積み重ねながら、道筋を作っていく。

 以上のことを総合すると、(1)東アジア共同体構想は、失敗する。
日本は残った財力を使い果たすような形で、結局は失敗する。
また(2)そうでなくても、日米関係は崩壊寸前。
これを機会に、日本は丸裸のまま、中国という猛獣の前に放り出されることになる。
その覚悟も、またその準備もないまま、今、ここで「脱・アメリカ追従外交」を唱えるのは、危険、きわまりない。

 さらに言えば、アメリカに脅されて、(3)東アジア共同体構想に、アメリカを加えると宣言したが、それ自体が、すでにこの構想を破壊したことを意味する。
アメリカは、ASEANを、アメリカの支配下に取りこもうと、あの手、この手を使って画策してきた。
東南アジアの人たちは、そのアメリカをうまくかわしてきた。
アメリカへの警戒心も強い。
その警戒心も冷めやらぬ今、「アメリカも」ということになれば、崩壊するに決まっている。

 鳩山総理も海外留学組だから、その発想とするところは、よくわかる。
しかしそれは30~40年前の発想。
今は、時代も中身も変わった。
アジアにこだわらなければならない理由はない。

 が、批判ばかりしていては、いけない。
そこで発想を変えて、日本は、アジアを飛び越えて、一気に、インド、ブラジルと共同体を組んではどうか。
(韓国政府は、すでにそういう方向で動いている!)
そして中国そのものを、取り囲んでしまう。
どうしても「共同体」ということであれば、そのほうが実現性は高い。
将来のメリットも大きい。
(以上、2009年10月25日朝・記)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 東アジア共同体 共同体構想 大東亜共栄圏 脱アメリカ追従外交 追従外交)


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