( 写真は昔のものです )
「 流行り病と祭り 」
昔、ある村にたちの悪い病がはやった。
流行り病にかかったものは他のものにかかわらねえように隔離小屋で養生することになっていた。
それはたちの悪い病で村のもんは次々とかかって小屋はいっぱいになった。
村役人はこのままでは暮らしがなりたたねえ と働いたもんには年貢を少なくしてやったり役所がすすめていた旅をしたら金を出した、し寄合の酒盛りでは酒代を出してやった。
村人たちは色々なところに行ったので行った先々で病が流行ってしもうた。
役人は慌てて今度は出てはいけねえ、働いてはいけねえと言った。
出て働く者には罰を与えた。
働けなくなった村人は食えなくて一家で首をくくる者も少なくなかった。
しかし出歩かなくなったので少し病にかかるもんが減ってきた。
村とその周辺の村で4年に一度大きな祭りをやっていた。
その年はその村の番だった。
村役人は流行り病で祭りをやめたら他の村にしめしがつかねえ、おらたちの村は流行り病に勝った証しにすると 祭りをやることにした。
その頃その流行り病にかかりにくくなる薬ができた。
薬の効き目は長い間使ってみてやっとはっきりするもんだ、それを短い間に効きそうだと言う事で村人に使うことにしたんだ。
はっきりしねえからまず老い先短い年寄りに使うことにした。
若いもんが使って死んだら働き手が減るが、年寄りはごくつぶしだで、死んでもかえって助かるくれえだ。
案の定薬を使った年寄りが何人か死んだ。
役人は年寄りが飲んでかかるもんが減ったからもう大丈夫だ、おらたちの村は流行り病に勝ちつつあると自慢した
村役人は周りの村に、おらたちの村は薬のおかげで安全安心になったで、祭りをやるでと触れ回った。
これにはほかの村の顔役の力も大きかった。
祭りの総元締めだ。
村で何人死んでも関係ない、流行り病が流行っていても祭りはやると強気だった。
そりゃあ人の村の事だ、祭りをやってどうなっても知ったこっちゃねえってわけだ。
そうしているうちに 薬で大丈夫だー、祭りはやるだー で村人は気も緩み、酒もりはするし、出かけるしで、また病になるものは増えていった。
村人は 祭りはやめたほうが良いんではねえか と言う意見が多かったが、役人は周りの村の体面もあるのでやるの一点張り、しまいには村人が観に来ることはならん、祭りに関係するものだけで神社の中だけで祭りをやると言い出した。
やりゃあなんとかなるべ 前の戦(いくさ)と同じだ。
そして ・・・・・ 負けた。
村人は何のための祭りだ と思ったが祭りをやるぐれえだで自分たちも酒盛りや旅も良いだろうと緩み切った。
祭りは周辺の村から 神事を行うもの、神楽を舞うもの、奉納の相撲をやるものだけが集まって見物客も無く神社の中だけでやった。
他の村から来たものは神社から出てはいけねえことになっていたが、村人たちが酒盛りしたり騒いでいるので抜け出して一緒に酒盛りをするものも少なくなかった。
祭りが終わった、村役人は祭りを安全、安心でやり切ったと他の村にも自慢した。
祭りが終わって間もなく他の村にも流行り病が広がっていった。

( 追記 )
今朝ニャンさんが帰っていませんでした。
昨夜ニャンさんが出てからすごい雷雨になったので帰ってくると良いのにと思いましたが帰らず、今朝もいなかったので心配しましたがやがて帰ってきました。
朝はおやつしかあげないのですけどパウチのマグロをあげました。
給水作業とトイレをして一段落。
今朝はホットケーキを焼いていちごジャムとはちみつで食べました。
朝、昨日作った低山部の会報をポストに投函に行きました。
町には誰もいなかったのでマスクを手に持って行きましたが結局帰るまで誰にも会いませんでした。
往復280メートル。
明日は夕方の歯科だけの予定でしたが朝一が一件入ってきました。

