葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

同病相哀れむ、嗚呼。

2005年12月16日 14時29分18秒 | 日記 ・ 雑記録
私は10代の後半に痔病を患い、20代以降は定期的に虫歯の歯を抜き、
20代の後半に通風の発作に襲われた。
50代に入ったら、血圧には絶対の自信を持っていたのに、高血圧と診断された。

病院に行くのがいやで、痔の痛みには35年間耐えた。
ついに我慢ができずに、手術に踏み切った。
手術は完璧で、これなら何故もっと早くに、と悔やんだが後の祭り。
執刀してくださったN先生は下関のワイン界の大御所だ。
通風は、食事療法で体質を変えて治そう、などという意識はこれっぽっちもないから、
死ぬまで薬を飲み続けなければならない。
診察してくださるK先生は、私のワインのお師匠さんだ。
高血圧を管理してくださるH先生は、毎月1回ワイン会でご一緒するワイン仲間だ。
診察を受けて帰ろうとしたら、ウイスキーをお土産に下さった先生で、
痔の手術をしたときにはお見舞いにワインをいただいたこともある。
ワインを嗜んだばっかりに、親身に診てくださる先生方に恵まれたから、
私の場合、芸は身を助けなかったけれど、趣味は身を助けた、といえるだろう。

西高東低の冬型がどっしりと居座って、例年になく早く訪れた寒い季節に
痔病を患った、と電話で連絡が入った。なにも、私の悪いところを引き継がなくてもいいのに。
経験から、大切な事柄だけは伝授したが、早い時期の適当なタイミングで手術を受けさせよう。
所詮、薬はその場しのぎにすぎず、悪化こそすれ、快方に向かうことは 「絶対にない」 から。
親子揃ってN先生のお世話になるのも何かの因縁だろう。 嗚呼。

今日から ヱビス

2005年12月15日 14時38分40秒 | 日記 ・ 雑記録
一年が経つのは早い。 歳をとったら、余計早く感じる。
今年も余すところ半月になった。 世間は年越しの準備をしているのだろうか。
そも、年越しの準備って、何だ? 具体的には何をどうしているのだろう。
大掃除? 未だ早い。 
賀状書き? もう少し、先延ばししよう。
晩酌用のビールの補充? これは遅延が許されない! 即、行動。

私の酒歴は間もなく40年になるが、30年近く、ビールはキリンだった。
ところがキリンの裏切りに遭い、アサヒに切り替えた。
私のキリン離れと軌を一にして、シェアに占めるキリンの長期低落が始まった。
いまだに歯止めがかかっていない。 酒飲みを甘く見ていた報いだろう。

先般、日田のサッポロの工場を見学した際、試飲したヱビスの美味さに参った。
他のビールより高いが、この美味さなら高くてもむべなるかな、と思ったものだ。
工場で飲む、造りたてのビールはどの銘柄でも美味いらしいが、
とりあえず、しばらくはヱビスを飲んでみよう。
値段が高い分は、発泡酒と交互に飲むことでツジツマを合わせよう。
酒飲みがするドンブリ勘定って、この程度だ。

今日買ったのは、ヱビスとアサヒの本生、米焼酎の白岳。
これで年が越せる♪ 新年を迎えられる♪

おっ、ワインの在庫が減っている。 これは由々しき問題だ。



みかん

2005年12月14日 10時03分02秒 | 日記 ・ 雑記録
2ヶ月間の長旅では、朝、昼、夜と、欠かさず西瓜とハミ瓜を食べ続けた。
今年は果物にツイテルゾ、と思いながら帰国したら、大好きな梨の季節は終わっていたが、
案の定、ずいぶんたくさんの柿をいただいた。
柿が終わったら、今度は蜜柑。 どこからともなく集まってくる。

あまりの多さに、ジュースにして冷凍することを思いついた。
指先が黄色くなるほど皮をむいて、ジューサーにかけた。
ジューサーを覗いたら、絞りかすには未だたくさんの果汁が残っている。
絞りかすをもう一度ジューサーにかけて、果汁を絞りきった。
ビールではないが、一番絞りと二番絞りとは別の容器に入れて冷凍庫へ。

大量の蜜柑をジュースにする思いつき、二番絞りまでする貪欲さ。
己が所業に自己陶酔した。
容器に入りきらないジュースを飲んでみた。
‥‥不味かった。 酸味と苦味が混ざっていた。

ジュースにするときは、皮をむいて、袋まで取り除かなければ、ダメだ!
馬鹿な男のすることヨ!

冷え込み、こんなはずでは‥

2005年12月13日 20時01分49秒 | 日記 ・ 雑記録
これから厳冬期に向かって、日に日に記録する寒さは 「今冬一番の冷え込み」 となる。
だから、1週間前も、昨日も、今日も 「今冬一番の冷え込み」 だった。
メディアは、見出しで、この表現を2ヶ月近く使えるわけだ。
日増しに寒さが厳しくなっても、
厳しさが想定内なら 「季節の推移で仕方ないか」 と諦めもつくが、
これが想定外だと、ついぼやきたくなる。

想定外にさせた元凶は今冬の長期予報で、例外なく「暖冬だろう」 だった。
スキーなどの冬スポーツに興味を持たない身にはありがたい予報だった。
が、冷静に(ならなくてもいいが) 考えてみれば、
そもそも人間が、どんな科学の力を借りても、
大自然界の3ヶ月先を予測すること自体がおこがましい話なのではないか。
科学、技術の進歩とデータの蓄積は、飛躍的に予報の精度を高めただろうが
それでも、100点満点は永遠に取れないはずだ。

3ヶ月先の気候 気象を知りたがるのもおかしければ、知らせようとするのもおかしい。
予報どおりに推移すれば面白みがないし、大きく外れれば腹が立つ?
お天気に関しては、文字が読めずに絵暦に頼った時代の頃が楽しかったかもしれない。
月日が経てば、確実に、着実に季節は変わる。
1つの季節が終わってみれば、例年と大差はない。 平均気温は1℃も変わっていない。
地球の温暖化で、0,5度の変化は重大だが。





下関~室戸岬ドライブ①

2005年12月12日 14時59分07秒 | 燈台めぐりノート
12月10日(土)―夜―
ぶらぶらしていて、18時、にわかにドライブに行こう! と思い立ち、出かけた。
出かけるのは簡単だ。
車には常時、寝袋と毛布3枚、着替えと洗面具を積んでいるから。
隣のセルフスタンドでガソリンを満タンにし、東に向かった。

日曜の16時には帰って来たいから、自由になる時間は22時間。
頭の中には、漠然と 「四国」 があった。 針路は東へ。
自宅を18時40分に出発。 埴生IC~嘉川IC、山口南IC~玖珂ICは山陽道。
少し飛ばして、柳井港到着は20時40分。
防予汽船フェリーの出航は21時25分。
四国上陸後の行程は決めていないが、いずれにしても仮眠時間は欲しい。
待つことにするが、柳井港の周辺は夜になると何もない。 待ち時間が辛い港だ。
船はガラガラ、 船室が広いから幼児が走り回って、仮眠を断念。
走り回るのが子供の仕事だから憎くはないが、放置している若い親に腹が立つ。

船内で行き先を考えた。
① 松山から佐多岬を西進、佐賀関に渡って国道10号で下関へ。
② 未だ行ったことのない室戸岬へ。 帰路は 「しまなみ海道」 という手もある。
  (写真は大三島と生口島に架かる多々羅大橋)
①は、景色のよい佐多岬を真夜中に走ることになるので、ボツ。 ②に決定。
松山港着23時50分。
コンビニで、「高知に行く」 と言ったら、「下の道で、ですか? 真っ暗ですヨォ」
フェリーで高い料金を払ったから、下の道しかないじゃないか。
土曜の深夜。 国道33号を走る車は滅多にいない。 山口県の県道並みだ。
高知へは、3時間を覚悟していたが、はりまや橋通過02時08分。
この調子なら、室戸岬まで突っ走れ!
室戸岬灯台の入口には、03時20分に着いた。
毛布を敷き、寝袋を広げ、2枚の毛布をかけて仮眠。 暖かい。 暖かいはずだ。
私は厳冬期でもズボン下をはかないのに、今日ははいていたから。

下関~室戸岬ドライブ②

2005年12月12日 14時53分56秒 | 燈台めぐりノート
12月11日(日)―午前―
目覚ましは6時に鳴ったが、未だ暗いので30分間仮眠を延長して、寝袋から出る。
着いたときは気付かなかったが、周囲はざわざわと音がする。
無風に近かったから木の葉ではない。
灯台への道を上り詰めながら,耳を澄ました。 「潮騒だッ!」

地理の授業で、室戸岬は海岸段丘の典型だと教わり、立場を変えて、そう教えてきた。
いま、その海岸段丘の一番高いところにいる。
ということは、周囲290度は海なのだ。

24番札所 ・ 最御崎寺そばの坂道を上り詰めると立ち入り禁止の柵があった。
柵から15m 下の狭い平地に灯台がある。
普通、灯台は見上げるものだが、室戸岬の灯台は見下ろす格好になる。
灯塔は20m に満たないが、灯塔の位置が海抜140m の高台だから立派なものだ。
灯台ファンとしては少しがっかりだけど。
直径2,5m の巨大レンズは20秒で1回転する。 レンズは2基で、閃光は10秒に1回だ。
回転するたびに、190万カンデラというとてつもない照度が見学場所を直射する。
光達30,5海里というから、56km 先まで届く光だ。
その光にまともに照らされる灯台は室戸岬だけかも。
得がたい経験をしたが、灯台の入口で仮眠し、夜明けに見学したご褒美だろう。
  位置 東経134度10分42秒 北緯33度14分38秒
  創設 明治32年 (灯油)  大正6年 (電化)

灯台を後にして、海岸に降りた。
室戸岬は海岸で途切れずに、海中まで未練たらしく岩礁が続いている。 これがいいのだ。
あこがれて訪れたロカ岬 (ユーラシア大陸最西端) は断崖でプツン。
「ここに陸尽き、海始まる」 にしても、多少は未練を残した方ががいい。 好みの問題だが。

室戸岬漁港にも立ち寄った。
とにかく、台風のメッカだ。 避難港を始めて見た。 なるほど、と思った。
フツーの防波堤があって、船溜りにはもう1つ防波堤がある。 船溜りの防波堤が並じゃない。
防波堤に車が停まっていたから目測したら、10m はあろうか。
これが、台風銀座の港か! 毎年毎年のご苦労を偲んだ。


室戸岬から高知まで走る間に、「中岡慎太郎生家」 の標識もあったが、
ナニ、幕末の志士の生家なら我が長州の萩にゴマンとある。 割愛。
高知から家に電話。 「4時までに帰れそうにない」 OKが出た。
「いの」 で右折。 石鎚山系を越える算段だ。
ところで 「いの」 は昔、「伊野」 といったはずだが、どうして平仮名にするのだろう。
発音は変わらなくても、文章にするときはどうも書きにくい。
土佐和紙博物館があったので立ち寄る。 「紙漉き」 の作業を初めて見た。

下関~室戸岬ドライブ③

2005年12月12日 14時51分44秒 | 燈台めぐりノート
12月11日(日)―午後―
走っている194号もだが、高知 ・ 室戸間もそうだった。
高知県はやたらと 「道の駅」 が多い。「トイレ」 の標識も多い。 結構なことだ。
道の駅は、大体10km 間隔で建っている。
いつでも、どこでもきれいなトイレが使えるのは、旅行者にとってありがたいことだ。
そういえば、室戸岬のトイレも広くてきれいだった。
「高知県の印象は?」 と聞かれたら 「トイレがきれいな県」 と答えようか。

石鎚山系には雪が残っていた。 根雪になるのだろうか。
山越えはトンネルだから楽なものだ。
県境の寒風山トンネルは5432m という覚えやすい長さ。 さすがに長い。
国内では最長の無料トンネルだ、という。 とてもいいことだ。
こんな長いトンネルが無料だから、あとで腹が立つこととなる。

瀬戸内海に出れば西条。 今治まで走って本四連絡橋へ。
しまなみ海道と呼ばれる道を走るのは初めて。
今治IC~来島海峡~大島南ICの最初の区間が1850円!
「高いねェ」 といったら、
職員は 「橋1つが700円くらいですから」 と平然とのたまう。
3連橋だから、割り引いているんだゾ、と言わんばかり。 2度と来てやるもんか。
フェリーも高いと思ったが、一人で来た私がいけないのかナ。

途中の大三島では、大山祇神社を参詣。 目的は宝物殿。
ここには、国宝や重文の鎧や刀剣がゴマンとある。 かねがね来て見たい、と思っていた。
鎌倉、平安、南北朝と、時の権力者が寄進した鎧や刀剣だから、そりゃァ、凄い。
陳列に工夫がないことと、革や糸が退色しているのが残念だけど。

観るものを観たら、尾道に渡って、あとは下関に走るだけ。
山陽道、中国道と125km/時 で走り継いで、17時40分帰宅。
23時間で944km 走行の 思いつきドライブだった。

8時間ドライブ × 2

2005年12月11日 19時14分48秒 | 日記 ・ 雑記録
土曜日の夕方、暇だったのでドライブを思いついた。
北九州にいる息子も暇だろうと思って誘ったら、寝ているほうがいい、とつれない返事。
息子がいる北九州をジャンプして九州をドライブするのも面白くないから、針路を東にとった。

18時40分に下関を出発したら、ちょうど2時間で柳井に着いた。
防予汽船フェリーの出航まで30分以上待って、松山着が24時少し前。
山を越えて高知着が02時過ぎ。そのまま室戸岬まで走って、灯台の入口が03時20分。
06時過ぎまで車で仮眠。
寝袋と毛布3枚を用意して、厳冬期にも着用しないズボン下をはいたら、暑かった。
灯台、岩礁、漁港を見て、高知にとんぼ返り。 高知は素通り。
(平仮名の町名で)いの町に立ち寄り、土佐和紙博物館を見学。
石鎚山系をトンネルでくぐり、西条経由で今治へ。 しまなみ海道は初体験。
大三島で大山祇神社の宝物殿を見学。 国宝、重文の鎧や刀剣がごろごろ。
尾道には眼もくれず、飛ばしに飛ばして下関着が17時40分。

23時間で944kmを運転した。 体力、気力、集中力、まだまだ捨てたものじゃない。

このコースを一人で行く馬鹿も少ないだろうが、なんと交通費の高いこと!
フェリーも、しまなみ海道も、中国自動車道も、みんな高い。
来島海峡の3連橋だけで1800円。 「高いねェ」 といったら、
職員は 「橋1つが700円くらいです」 と平然とのたまう。
そのくらいふんだくらなければペイできないのだろうが、
客に対する言い方ぐらい研究して、再教育したら? 本四連絡高速道路(株)のお偉いサン!

この項は、「8時間ドライブ」 の特別編で再掲載する予定。

今日、長い旅が終わった

2005年12月10日 15時12分03秒 | 日記 ・ 雑記録
シルクロードの旅を終えて、下関の町で、郷里・長門で、いろんな方々から旅の感想を問われた。
この旅は、何から何まで破格で、私にとって空前にして絶後の旅だった。
時間は遠大、旅程は広大、観光は膨大。 順序だてて語れないが、とにかく凄かった。
それはそれで十分納得のいくものだったが、この旅を手放しの喜色満面で語れない。
ツアーの参加メンバーに、とんでもない 「あの馬鹿」 が紛れ込んでいて、
旅行の喜びをぶち壊し、台無しにしてしまったから。

「あの馬鹿」 について、旅行記の中で取り上げようと思ったが、時間の経過とともに、
もしかしたら、「あの馬鹿」 の存在が薄れていくかもしれない、と掲載を見合わせていた。
旅行を終えて2ヶ月が経ったが、「あの馬鹿」 に対する怒りは鎮まるどころか、
“あの馬鹿さえ居なければ、シルクロードの旅はもっと楽しかったはず” の思いがつのるばかりだ。

個人の名を上げて一方的に攻撃するのは、HPのルールにもとる手段だと思うし、
知性と理性の葡萄舎人らしからぬやり方だが、それでも書かずに居られない。
これからツアーに参加する善良な方々が、「あの馬鹿」 と団体を組んで不愉快を感じ、
ツアーに参加したことを悔いることがないように願いながら、書く。
これを書かないと、私のシルクロードの旅は終わらない。

以上は  「シルクロード 大走破 西方見聞録 ⑦ 番外編」
     http://members.jcom.home.ne.jp/budohsha/kaikyou.html
の冒頭部分だ。
そのページに進む、進まない、は訪問くださった方の判断だ。
上記冒頭の部分と、それに続く一文を掲載するか否か、2ヶ月間迷った。
迷っている間も、「あの馬鹿」 に対する怒りが静まらないから掲載した。
いざ掲載してみると、虚しい寂寥感が私を支配する。
書いてやったゾ、掲載したゾ、という満足感は、ない。
世のため、人のため、などと奇麗事は言わないが、私としては必然の行為だ。
帰国したら、「あの馬鹿」 に慰謝料を請求する訴えを考えていたのだから。

怖れていた ボケが‥‥

2005年12月09日 05時26分20秒 | 日記 ・ 雑記録
私の朝の仕事は、6時(前後) から始まる。
朝起きるのには強いから、目覚ましがなくても起きられるが、今朝は目覚ましで起きた。
4・5日続いた季節風 (私は四王司颪と呼んでいる) も弱まって、
空には雲の切れ間があり、冬の星がきらめいている。
雲に隠れた部分もあるから、星座としては確認できない。
確認できたとしても、私が知っているのは北斗七星とオリオン座だけだが。

‥‥で、いつものように仕事を始めた。
5分も経たないうちに、家人が起きてきた。 いわく 「どうしたン?」
時計を見たら、4時15分! Why !?

私には昼間の長い休憩時間がある。 仮眠(昼寝) をするときにセットする目覚ましは午後4時だ。
ということは、昨夜のセットで時間の設定を忘れていたのだ。
ボケ というほどのボケではないかも知れない。
しかし、時間合わせをしないということ自体がボケの始まりなのだ。

私が見た冬の星空は、午前4時の星空だったのか! でも、
おかげで、大好きな冬の星空を眺めることができた。
おかげで、一番好きな文部省唱歌も口ずさめた。
  「冬の星座」 堀内敬三 訳詩  ヘイス作曲
  木枯らし途絶えて  さゆる空より
  地上に降りしく  奇(くす)しき光よ
  ものみな憩える  しじまの中に
  きらめき揺れつつ  星座はめぐる
この歌詞の2番を書かなくて済むように気をつけよう。
あァ、ボケが始まったら、イヤダ!   いま、午前5時25分。


たかがバナー、されど‥‥

2005年12月08日 13時09分16秒 | 日記 ・ 雑記録
世間には奇特な方がおいでで、
(こう書くと、皮肉と思われる場合があって心外なのだが、赤心からの表現だ)
私を、私のサイトを過大に評価なさったり、評価しようとなさる方がおいでだ。
勿論、ありがたいことで、このような方とめぐり合ったことを感謝している。

長旅を終えて、長旅と同じ位の時間がかかって、やっと昔の自分を取り戻した。
‥‥で、懇意にしていただいているサイトをふらふらと覗きに出かけた。
すると、私が戯れに造ったバナーが、その方のリンクに載っているではないか!
私が自サイトの模様替えをするのは、趣味の域を超えてビョーキなのだが、
その過程で、何度もタイトルを代え、バナーを代え、勝手気ままにサイトをもてあそんできた。
HPだから、煮ようと焼こうと私の勝手、ともいえるが、
一旦公開したら一定程度の継続・持続も必要かナ、と思った次第。
HPとブログのバナーは私のサイトの顔だから、しばらくは触るまい、と。

ところで、バナーにもいろんなサイズがあるが、
88ピクセル×31ピクセルという寸法が国際標準サイズらしい。
あの、狭苦しい枠の中に、世のサイト管理者はいじましい努力をして、
自サイトの個性や訴求するものを埋め込むのだろう。 斯く言う私も例外ではなかったから。
国際標準サイズということはアルファベットには適していても、漢字には不向きだが、
限られた制約の中で、配色を考え、字体を考えるのも楽しいものだ。
広い敷地で自由奔放に庭園を作るのが造園家の喜びとすれば、
限られたスペースで坪庭を造り上げる悦びもあるはずだ。
バナー造りは坪庭造りに相通じるのだろうか。

やり始めたら止まらないのが私の癖で、バナーを10個ほど造ってしまった。
せっかくだから、どこかで使おう。

シルクロード その後

2005年12月07日 09時17分14秒 | 日記 ・ 雑記録
カザフスタンで、ナザルバエフ大統領が9割の支持を集めて再選された、
とニュースで流れた。
大統領の顔には覚えがある。
カザフスタンでは、TVの4~5チャンネルで大統領関連の番組を流しているから、
観たくなくても眼に入る。 言葉が分からないから映像を眺めるだけだが、
国民の輪の中に入って対話をしている姿、国民のために施策を協議している姿、
それらが延々と繰り返し放映されている。 旅行者にとっては面白くもなんともないTVだった。
多くの問題を抱えた国で、それでも国民の9割が支持するのだから、凄い。

イランで、軍用機がアパートに激突した、とニュースで流れた。
テヘランには国際空港が2つあるから、どちらの空港か確認してないが、
街中にある古い空港なら、その周囲数キロにアパートが建ち並んでいた。
テヘランは兄貴が3年居た街だから、街の様子を、どの街よりもつぶさに見てきた。
どこで起きても不幸な事故だけど、記憶にあるあのアパート群なら、また別の思いが湧く。

シルクロード大走破は暑い夏だったが、もう季節は冬。
HPに表示している、シルクロードの5つの街の気温を見ると、-15℃などの数値を示している。
漠野は、街は、人々はいま‥‥。

関門トンネル (人道)

2005年12月06日 15時58分22秒 | 日記 ・ 雑記録
12月の初旬、季節風が吹き出して下関も今年一番の寒波に見舞われた。
朝から時雨というよりも氷雨が降りしきった。
こんなとき、下関でぶらりと出かけるとすれば、ここしかない。
関門国道トンネル人道、だ。

前項 「火の山ロープウェイ」 の写真で、
関門橋の手前、橋のたもとで下関側と門司側に似たような3階建ての建物がご覧いただけよう。
関門国道トンネル人道の入口で、地下55mまで降りるエレベーターがある建物だ。
垂直に降りるとトンネルの人道が始まり、870m歩けば対岸の門司側のエレベーターだ。
車道は人道の上を走り、かすかな振動音が聞こえる。
門司側から取り込んだ空気を下関側で抜いているから、トンネル内の空気は清浄だ。
地下深いトンネルだから冷暖房は要らない。 夏涼しくて、冬は暖かい。
人間だけなら通行料は無料。 バイクは20円だが、エンジンはかけられない。

人道を歩く人は常時20~30人。 多いというべきか、少ないというべきか。
9割以上の人が、わき目も振らず、かなり大股で歩いている。
そう、ここは関門地区のウォーキングのメッカなのだ。
雨、風、日射、寒暖に一切無縁の別天地なのだから。

トンネルの中央には、山口 ・ 福岡の県境がある。
世間に県境のトンネルは数あれど、
海底を歩いて、本州と九州を行き来できるトンネルはここしかない。
そもそも、海底トンネルそれ自体が世界に数少ない。
人道専用の海底トンネルなんて、これから先、果たしていくつ誕生するだろう。 残念ながら、
世界で唯一無比の海底人道トンネルを、下関 ・ 北九州両市とも観光資源として活用していない。
車を降りて20分も歩けば、対岸まで行って来れるというのに。
遠来のお客様をご案内したい、下関が誇る場所の一つだ。

(人道トンネルの通行時間は、朝6時から夜10時まで、です)

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。
http://members.jcom.home.ne.jp/budohsha/

ワインの品種当て

2005年12月06日 09時19分36秒 | 日記 ・ 雑記録
昨夜、医師会の忘年会で、ワインの品種当てクイズがあった。
この余興は一昨年もあった。
そのときは、長○製作所 ・ 社長夫人の介添え役として登壇したのだが、
私のアドバイスが災いして誤答になり、夫人に済まないことをした。

今年も品種当てクイズをする、と聞いていたから、困ったもんだと思っていたが、
幹事兼司会のA先生が、やたら私を挑発する。
言葉の端々に私の名前を持ち出して、それも3度、4度じゃすまない。
私もいい加減しつこいけれど、A先生のしつこさも尋常じゃない。
品種当ては、ものの見事に外れた。 (参加者全員が外れた)
A先生のはしゃぎようったら、ない。 ここでまた私の名前を持ち出す始末。
特殊な(?)団体の忘年会で、ゲストといえば国営銀行の下関支店長とかお歴々が居並ぶ中で、
一介のワイン好きの名前が連呼されるのだから、まんざら悪い気分ではない。
ま、A先生にしても、気安く名前を呼べるのは私だけだったのだろう。

(独り言)
A先生と親しくなれば、いいワインがご馳走になれる‥‥かな?
なんたって、凄い在庫らしい。 品種当てクイズに82年のシャトー物を出すのだから。

姉妹都市 ・ イスタンブールから下関に派遣されて、
現在、貿易活動をなさってるブ氏夫妻と久しぶりに会った。

12/05 医師会ワイン会

2005年12月06日 08時28分29秒 | ワイン会の記録
楠野町 「 IL PLATO 」 テーマ;臨床医学研究会・忘年会

Salon 1988 magnum
Bourgogne Aligote 1999 Jean-Francois Coche-Dury
Chambertin 1989 Adrien Belland
Ch. Mouton-Rothschild 1970 (ラベル;シャガール)
Sauternes Cuvee d'Exception Dourthe

ラベルが“S”、私のイニシャルのサロンはやはり、イイ。
アリゴテは久しぶりに飲んだが、秀逸。 上質のS.B.に拮抗する。
ブルゴーニュにおけるアリゴテの地位からすると、肩入れしたくなる。
ムートンは峠を越していた。