葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

今日、長い旅が終わった

2005年12月10日 15時12分03秒 | 日記 ・ 雑記録
シルクロードの旅を終えて、下関の町で、郷里・長門で、いろんな方々から旅の感想を問われた。
この旅は、何から何まで破格で、私にとって空前にして絶後の旅だった。
時間は遠大、旅程は広大、観光は膨大。 順序だてて語れないが、とにかく凄かった。
それはそれで十分納得のいくものだったが、この旅を手放しの喜色満面で語れない。
ツアーの参加メンバーに、とんでもない 「あの馬鹿」 が紛れ込んでいて、
旅行の喜びをぶち壊し、台無しにしてしまったから。

「あの馬鹿」 について、旅行記の中で取り上げようと思ったが、時間の経過とともに、
もしかしたら、「あの馬鹿」 の存在が薄れていくかもしれない、と掲載を見合わせていた。
旅行を終えて2ヶ月が経ったが、「あの馬鹿」 に対する怒りは鎮まるどころか、
“あの馬鹿さえ居なければ、シルクロードの旅はもっと楽しかったはず” の思いがつのるばかりだ。

個人の名を上げて一方的に攻撃するのは、HPのルールにもとる手段だと思うし、
知性と理性の葡萄舎人らしからぬやり方だが、それでも書かずに居られない。
これからツアーに参加する善良な方々が、「あの馬鹿」 と団体を組んで不愉快を感じ、
ツアーに参加したことを悔いることがないように願いながら、書く。
これを書かないと、私のシルクロードの旅は終わらない。

以上は  「シルクロード 大走破 西方見聞録 ⑦ 番外編」
     http://members.jcom.home.ne.jp/budohsha/kaikyou.html
の冒頭部分だ。
そのページに進む、進まない、は訪問くださった方の判断だ。
上記冒頭の部分と、それに続く一文を掲載するか否か、2ヶ月間迷った。
迷っている間も、「あの馬鹿」 に対する怒りが静まらないから掲載した。
いざ掲載してみると、虚しい寂寥感が私を支配する。
書いてやったゾ、掲載したゾ、という満足感は、ない。
世のため、人のため、などと奇麗事は言わないが、私としては必然の行為だ。
帰国したら、「あの馬鹿」 に慰謝料を請求する訴えを考えていたのだから。