今年の2月から、黒点が少し出始めたと思いますが、また減ってしまいました。
先日宿泊したホテルにあったドライヤーですが、これは便利ですね!
少し頭をひねれば良いのですが、なかなか思いつきませんでした。
柄が折りたたみ式で、さらにコードが巻き取り式、ドライヤーも進化してるんですね。
私も進化しないと。。。
少し頭をひねれば良いのですが、なかなか思いつきませんでした。
柄が折りたたみ式で、さらにコードが巻き取り式、ドライヤーも進化してるんですね。
私も進化しないと。。。
YouTube No,277 SORA / MASAYOSHI TAKANAKA
Did you buy this album? : "Woodchopper's ball" by Masayoshi Takanaka 1994
Theme : Sky
Masayoshi Takanaka Official Website : http://www.takanaka.com/
iTunes Store : http://itunes.apple.com/jp/album/id391772355
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風力発電に関してネットで調べていたら、こんなHPを発見しました。
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IPU立命館アジア太平洋大学=学生起業家による風力発電計画を考える
二酸化炭素地球温暖化が環境問題の中心的な問題として取り上げられるようになって以降、その改善を目的として、新エネ特措法に掲げられた『新エネルギー』、中でも自然エネルギーに対する期待が高まっています。
しかし、まず第一に、新エネ特措法が作られた根拠である、二酸化炭素の増加が地球の温暖化の主要な原因かどうかが非常に疑わしいというのが現状です。この問題は非常に複雑な地球科学の問題であるため、『公式には』未だ結論が得られていません。
ただ、『原因がわかってからでは遅すぎる』という理由で、可能性があるのならば早めに対応すべきだという主張も、一つの考え方だと思います。
しかし、仮に二酸化炭素地球温暖化が事実だとして、その対策として考えられている新エネルギーの導入であれば、少なくとも、その導入によって現行のエネルギー供給技術(特に発電技術)よりも、新たに導入されるエネルギー供給技術が、明らかに二酸化炭素の排出量が削減できることを確認しておくことが必要です。
第二の問題は、現在進められようとしている新エネルギーの多くは、驚くべきことに、二酸化炭素排出量が削減できるかどうかの検討すら行われていないのです。
このような状況の下、別府市では、APU立命館アジア太平洋大学の学生起業家によって、売電を目的とする風力発電による電力会社が、2005年の発電開始を目指して動き始めています。しかもこの計画は、別府市民に対して、『環境問題に対する啓蒙』とりわけ『新エネルギーへの理解』を喚起する目的で、電力会社への出資という形で市民参加を考えています。
ここでは、APU学生の風力発電計画を検討することによって、新エネルギーの持つ問題点を明らかにして行きたいと思います。
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迷走を続けるアホ管首相、自然エネルギーについて、どうしても思い付きとしか思えません。ビジョンが全く見えてこないのです。
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IPU立命館アジア太平洋大学=学生起業家による風力発電計画を考える
二酸化炭素地球温暖化が環境問題の中心的な問題として取り上げられるようになって以降、その改善を目的として、新エネ特措法に掲げられた『新エネルギー』、中でも自然エネルギーに対する期待が高まっています。
しかし、まず第一に、新エネ特措法が作られた根拠である、二酸化炭素の増加が地球の温暖化の主要な原因かどうかが非常に疑わしいというのが現状です。この問題は非常に複雑な地球科学の問題であるため、『公式には』未だ結論が得られていません。
ただ、『原因がわかってからでは遅すぎる』という理由で、可能性があるのならば早めに対応すべきだという主張も、一つの考え方だと思います。
しかし、仮に二酸化炭素地球温暖化が事実だとして、その対策として考えられている新エネルギーの導入であれば、少なくとも、その導入によって現行のエネルギー供給技術(特に発電技術)よりも、新たに導入されるエネルギー供給技術が、明らかに二酸化炭素の排出量が削減できることを確認しておくことが必要です。
第二の問題は、現在進められようとしている新エネルギーの多くは、驚くべきことに、二酸化炭素排出量が削減できるかどうかの検討すら行われていないのです。
このような状況の下、別府市では、APU立命館アジア太平洋大学の学生起業家によって、売電を目的とする風力発電による電力会社が、2005年の発電開始を目指して動き始めています。しかもこの計画は、別府市民に対して、『環境問題に対する啓蒙』とりわけ『新エネルギーへの理解』を喚起する目的で、電力会社への出資という形で市民参加を考えています。
ここでは、APU学生の風力発電計画を検討することによって、新エネルギーの持つ問題点を明らかにして行きたいと思います。
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迷走を続けるアホ管首相、自然エネルギーについて、どうしても思い付きとしか思えません。ビジョンが全く見えてこないのです。
「風力発電の不都合な事実」
↑クリックすると目次があります。
アマゾンのカスタムレビューです。辛口意見ですが、現在の問題点を知るだけでも意味はあると思います。
********************
風力発電をむちゃくちゃに批判している本。批判そのものに、おおむねウソはないと思う。
しかし、「そもそも問題ではないこと」と「やり方の問題」と「風力発電そのものの問題」を区別していないので、解決できることまで問題視し、結果としてすべてが悪いように書かれている。
(1)問題でないこと
発電容量と発電量の違いが大きいことを指摘しているが、これは自然エネルギー利用の基本的な特徴。設備容量100に対して、発電実績が20~30に留まるのは、当然のことで、それを見越して事業設計するのが常識。本書の指摘自体が、誤った認識。常識が機能しない理由は、下記。
(2)やり方の問題
風力発電の事業プランの設計が悪いのは、補助金という推進方法の問題。とにかく「事業性が高い」ことをアピールしないと補助金が取れないので、甘く見積もることになる。本来はFIT(固定価格買い取り制度)で推進すべきで、これだと、「事業性が高くても低くても買電価格には同じだし、補助金も付かない」ので発電量を大きく見せる必要はなく、逆に採算がとれない事業計画ははじめから立てない。補助金目当てというのは本書の指摘の通りだが、補助金中心の政策の問題。同じく故障しても直さないのも、補助金でつくってしまえば済むから。FITなら発電しないと丸損なので、修理をするインセンティブが働く。
バードストライクの問題は、主に渡り鳥の問題。「野鳥の会」も基本的に容認の姿勢なので、本書の指摘は誇張と考えるべきだが、寄り詳細な研究は継続すべき。
低周波による健康被害は、ゾーニングと立地プランニングに地域住民が参加できていないことから来る問題。人家から風車までの距離を800メートル以上あけるなど、ゾーニングルールがないから、むちゃくちゃな場所に風車ができる。立地にあたって地域の人の意思決定参加と資本参加の機会をつくるよう義務付ければ、地域が受け入れる立地が可能になるし、風車に投資し、収益を得る機会ができ、風車があることに納得感が出る。
風車のある景観を悪いと感じるか、よいと感じるかは個性が出るものの、原発や火力発電所ができることと比べれば、受け入れる人が多いのでは? いずれにせよ、発電設備がないと、われわれの暮らしは成り立たない。
(3)風力発電そのものの問題
故障や倒壊事故は、なるべく避けられるよう技術開発をすべき。輸入物は日本の風土を校了していこともあるので、国内メーカーが積極的に開発するとよい。そのためにも、国内の風力発電事業が活性化するよう、FITを導入するというのが正しい選択であって、故障が多いから、風車はダメとというのは誤り。同じ故障でも、原発のように周囲に汚染物質をまき散らすことはないので、技術の成熟までの過程をある程度受け入れなければならない。
以上、ざっと見ても、本来問題でないこと、解決可能なことを取り上げて、解決策がないかのように書いている本書は、間違ったことが書いてあるとはいえないものの、良書とは言いがたい。
(by paco@<おとなの社会科>)
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↑クリックすると目次があります。
アマゾンのカスタムレビューです。辛口意見ですが、現在の問題点を知るだけでも意味はあると思います。
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風力発電をむちゃくちゃに批判している本。批判そのものに、おおむねウソはないと思う。
しかし、「そもそも問題ではないこと」と「やり方の問題」と「風力発電そのものの問題」を区別していないので、解決できることまで問題視し、結果としてすべてが悪いように書かれている。
(1)問題でないこと
発電容量と発電量の違いが大きいことを指摘しているが、これは自然エネルギー利用の基本的な特徴。設備容量100に対して、発電実績が20~30に留まるのは、当然のことで、それを見越して事業設計するのが常識。本書の指摘自体が、誤った認識。常識が機能しない理由は、下記。
(2)やり方の問題
風力発電の事業プランの設計が悪いのは、補助金という推進方法の問題。とにかく「事業性が高い」ことをアピールしないと補助金が取れないので、甘く見積もることになる。本来はFIT(固定価格買い取り制度)で推進すべきで、これだと、「事業性が高くても低くても買電価格には同じだし、補助金も付かない」ので発電量を大きく見せる必要はなく、逆に採算がとれない事業計画ははじめから立てない。補助金目当てというのは本書の指摘の通りだが、補助金中心の政策の問題。同じく故障しても直さないのも、補助金でつくってしまえば済むから。FITなら発電しないと丸損なので、修理をするインセンティブが働く。
バードストライクの問題は、主に渡り鳥の問題。「野鳥の会」も基本的に容認の姿勢なので、本書の指摘は誇張と考えるべきだが、寄り詳細な研究は継続すべき。
低周波による健康被害は、ゾーニングと立地プランニングに地域住民が参加できていないことから来る問題。人家から風車までの距離を800メートル以上あけるなど、ゾーニングルールがないから、むちゃくちゃな場所に風車ができる。立地にあたって地域の人の意思決定参加と資本参加の機会をつくるよう義務付ければ、地域が受け入れる立地が可能になるし、風車に投資し、収益を得る機会ができ、風車があることに納得感が出る。
風車のある景観を悪いと感じるか、よいと感じるかは個性が出るものの、原発や火力発電所ができることと比べれば、受け入れる人が多いのでは? いずれにせよ、発電設備がないと、われわれの暮らしは成り立たない。
(3)風力発電そのものの問題
故障や倒壊事故は、なるべく避けられるよう技術開発をすべき。輸入物は日本の風土を校了していこともあるので、国内メーカーが積極的に開発するとよい。そのためにも、国内の風力発電事業が活性化するよう、FITを導入するというのが正しい選択であって、故障が多いから、風車はダメとというのは誤り。同じ故障でも、原発のように周囲に汚染物質をまき散らすことはないので、技術の成熟までの過程をある程度受け入れなければならない。
以上、ざっと見ても、本来問題でないこと、解決可能なことを取り上げて、解決策がないかのように書いている本書は、間違ったことが書いてあるとはいえないものの、良書とは言いがたい。
(by paco@<おとなの社会科>)
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原発は安全ではなかった。だからこれからは風力発電だ!ってアホですか?
現在の電力は貯めることが出来ません。だから電力会社が毎日その日の天候を注意深く予想して、必要な電力を作っています。
先日島根県に出張してきましたが、ここは海にも山にも風力発電があります。いつ行ってもほとんど停止いているので、稼働率はどうか聞いたところ30%くらいだそうです。
会社の真裏にあるんですよ!
良くトラブルがあり、塔の上部で作業しているそうです。あんな高い所は私には絶対無理です。
騒音もひどく、特に山間部で苦情が出ているそうです。
風力発電は風が止めば、発電も止まるんです。まさに自然任せ。。。!!!
だから風力発電を設置しても、他の電力発電を止める訳にはいかないのです。
「ストップ!風力発電―巨大風車が環境を破壊する」
↑クリックすると目次があります。
アマゾンのカスタマーレビューです。大事なことは自分で判断出来る知識を養うことです。
********************
この本にあるようなことは、「本当なのか」ということですが、「本当なのか」と言うより、「問題なのか」という点です。
確かに、ここあるようなことは「ウソ」ではないと思います。ただ、「問題」なのか、「問題と言えるのはなぜか」という観点から考えると、背景が見えて来ます。
上記の本に繰り返し書かれていることの中で、以下のことは、「風車の問題」ではなく、「風車を設置する問題」です。
「地権者の同意がない」「アセスメントがいい加減」「騒音データをごまかす」「現金ばらまき」「自然公園内につくった」などは、すべてつくるまでのプロセスが民主的な合意に基づいていないことによって起きています。この問題は、従来からの日本の「公共事業」にはずっとついて回ってきたことで、それが風車でも起きてしまったということ。もちろん、プロセスを変えるべきなのですが、現状の問題も風車固有ではなく、まして原発などではもっとずっと問題の多いプロセスで進められているので、問題にすべきことが違う、というべきです。
あるべき姿としては、まずゾーニングをする必要があります。全国の風況を調べ、居住の有無や国立公園、生態系などを考慮して、どこは風車を積極的に設置する地域、どこはやめる地域と決めていく。これは欧州では真っ先にやられていることです。
次に、風車に限らず、大型施設をつくるときの合意形成プロセスをしっかりつくる。これも北欧から起こった「コンセンサス会議」の手法が有効です。
こういった本来あるべきプロセスをとれば、上記の本にあるような問題の半分はクリアできます。
次に、それでも風車は「単純に善なるものではない」ということをよく理解するべきです。僕たちが「電力はいらない、不要な生活をする」と決められるなら別ですが、文明の利便性も享受したいなら、何らかの発電設備が必要で、それはいずれにせよ、自然に影響を与えます。結果として景観や生態系に悪影響が出ることはやむを得ません。
ただ、「原発や大型火力発電所」ができるのと、風車ができるのと、どちらが受け入れ可能なのか、という「どちらがましか」の議論をしなければなりません。「よくない」ことには違いがないという了解は、風車賛成派反対派双方が持つべきなのです(これをロジカルシンキングでは「イシュー合わせ」と言います)。
3つめとして、誤解もある、ということ。風車をつくっても火力発電所はなくならないと書いていますが、当然、すぐにはなくなりません。ただ、風車があれば、火力発電所の「稼働」は下げられます。火力発電はかなりリアルタイムで出力調整できるので、需要が減ったり、風車の電力が多くなれば、火力発電を絞ることになります。
当然、CO2発生も減ります。つまり、設備としての火力発電所がなくならなくても、CO2発生は確実に抑制されるのです(でなければ、送電線に電力があふれて、故障してしまいます)。風車の量が十分できれば、火力発電所か、原子力発電所を順次休止、廃棄していくことになりますが、現状は、風車の量は、増えたとはいえ、ぜんぜん少ないので、発電所を廃棄することはできません。火力発電所がなくならないというのは、言われなき「中傷」です。
以上のように、大型風車懐疑論には、風車以前に解決しなければならない問題を指摘していたり、言われなき中傷も多いので、惑わされないことが重要です。もちろん問題はあるので、解決する努力は必要なのですが、風車を否定しても、意味がないのです。(by paco@<おとなの社会科>)
********************
もうひとつありました。
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「風車ファン」という人たちは、一度刷り込みを受けるとなかなか消せないようで、本当に悲しくなります。本書だけでなく、『風力発電の不都合な真実』(武田恵世・著)などの著者はみな、最初は「風力発電は環境にいい」「代替エネルギーの旗手だ」といったPRを信じていました。
しかし、目の前で起きていることをきっかけに、一つ一つ調査をしてデータを集め、被害地に足を運び、真実を知っていくことになります。
「風車があれば、火力発電所の稼働は下げられます」などと言っている人は、どこをどう読んでいるのでしょう。原発がこれだけウソだらけのものであったことがはっきりした今もなお、電力会社のキャンペーンに騙され続けていることが恥ずかしくないのでしょうか。本当に絶望的な気持ちになります。
再処理計画をただちに中止し、原発を危険なものから順番に止め、省エネを国策の筆頭に掲げて、新しい価値観の国作りをしていくことが緊急課題になっている今、なぜ従来の国民騙し国策にのせられ続けているのでしょうか。
きちんと調査、勉強してからものを言ってほしいと思います。本書と『風力発電の不都合な真実』は、これからの日本のエネルギー政策を考える上で必読の書です。反論するのであればきちんとしたデータを出してしなければ無責任です。
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現在の電力は貯めることが出来ません。だから電力会社が毎日その日の天候を注意深く予想して、必要な電力を作っています。
先日島根県に出張してきましたが、ここは海にも山にも風力発電があります。いつ行ってもほとんど停止いているので、稼働率はどうか聞いたところ30%くらいだそうです。
会社の真裏にあるんですよ!
良くトラブルがあり、塔の上部で作業しているそうです。あんな高い所は私には絶対無理です。
騒音もひどく、特に山間部で苦情が出ているそうです。
風力発電は風が止めば、発電も止まるんです。まさに自然任せ。。。!!!
だから風力発電を設置しても、他の電力発電を止める訳にはいかないのです。
「ストップ!風力発電―巨大風車が環境を破壊する」
↑クリックすると目次があります。
アマゾンのカスタマーレビューです。大事なことは自分で判断出来る知識を養うことです。
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この本にあるようなことは、「本当なのか」ということですが、「本当なのか」と言うより、「問題なのか」という点です。
確かに、ここあるようなことは「ウソ」ではないと思います。ただ、「問題」なのか、「問題と言えるのはなぜか」という観点から考えると、背景が見えて来ます。
上記の本に繰り返し書かれていることの中で、以下のことは、「風車の問題」ではなく、「風車を設置する問題」です。
「地権者の同意がない」「アセスメントがいい加減」「騒音データをごまかす」「現金ばらまき」「自然公園内につくった」などは、すべてつくるまでのプロセスが民主的な合意に基づいていないことによって起きています。この問題は、従来からの日本の「公共事業」にはずっとついて回ってきたことで、それが風車でも起きてしまったということ。もちろん、プロセスを変えるべきなのですが、現状の問題も風車固有ではなく、まして原発などではもっとずっと問題の多いプロセスで進められているので、問題にすべきことが違う、というべきです。
あるべき姿としては、まずゾーニングをする必要があります。全国の風況を調べ、居住の有無や国立公園、生態系などを考慮して、どこは風車を積極的に設置する地域、どこはやめる地域と決めていく。これは欧州では真っ先にやられていることです。
次に、風車に限らず、大型施設をつくるときの合意形成プロセスをしっかりつくる。これも北欧から起こった「コンセンサス会議」の手法が有効です。
こういった本来あるべきプロセスをとれば、上記の本にあるような問題の半分はクリアできます。
次に、それでも風車は「単純に善なるものではない」ということをよく理解するべきです。僕たちが「電力はいらない、不要な生活をする」と決められるなら別ですが、文明の利便性も享受したいなら、何らかの発電設備が必要で、それはいずれにせよ、自然に影響を与えます。結果として景観や生態系に悪影響が出ることはやむを得ません。
ただ、「原発や大型火力発電所」ができるのと、風車ができるのと、どちらが受け入れ可能なのか、という「どちらがましか」の議論をしなければなりません。「よくない」ことには違いがないという了解は、風車賛成派反対派双方が持つべきなのです(これをロジカルシンキングでは「イシュー合わせ」と言います)。
3つめとして、誤解もある、ということ。風車をつくっても火力発電所はなくならないと書いていますが、当然、すぐにはなくなりません。ただ、風車があれば、火力発電所の「稼働」は下げられます。火力発電はかなりリアルタイムで出力調整できるので、需要が減ったり、風車の電力が多くなれば、火力発電を絞ることになります。
当然、CO2発生も減ります。つまり、設備としての火力発電所がなくならなくても、CO2発生は確実に抑制されるのです(でなければ、送電線に電力があふれて、故障してしまいます)。風車の量が十分できれば、火力発電所か、原子力発電所を順次休止、廃棄していくことになりますが、現状は、風車の量は、増えたとはいえ、ぜんぜん少ないので、発電所を廃棄することはできません。火力発電所がなくならないというのは、言われなき「中傷」です。
以上のように、大型風車懐疑論には、風車以前に解決しなければならない問題を指摘していたり、言われなき中傷も多いので、惑わされないことが重要です。もちろん問題はあるので、解決する努力は必要なのですが、風車を否定しても、意味がないのです。(by paco@<おとなの社会科>)
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もうひとつありました。
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「風車ファン」という人たちは、一度刷り込みを受けるとなかなか消せないようで、本当に悲しくなります。本書だけでなく、『風力発電の不都合な真実』(武田恵世・著)などの著者はみな、最初は「風力発電は環境にいい」「代替エネルギーの旗手だ」といったPRを信じていました。
しかし、目の前で起きていることをきっかけに、一つ一つ調査をしてデータを集め、被害地に足を運び、真実を知っていくことになります。
「風車があれば、火力発電所の稼働は下げられます」などと言っている人は、どこをどう読んでいるのでしょう。原発がこれだけウソだらけのものであったことがはっきりした今もなお、電力会社のキャンペーンに騙され続けていることが恥ずかしくないのでしょうか。本当に絶望的な気持ちになります。
再処理計画をただちに中止し、原発を危険なものから順番に止め、省エネを国策の筆頭に掲げて、新しい価値観の国作りをしていくことが緊急課題になっている今、なぜ従来の国民騙し国策にのせられ続けているのでしょうか。
きちんと調査、勉強してからものを言ってほしいと思います。本書と『風力発電の不都合な真実』は、これからの日本のエネルギー政策を考える上で必読の書です。反論するのであればきちんとしたデータを出してしなければ無責任です。
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