鉢呂経産相のバッシングについて、妙な違和感を感じているのは私だけではないようです。
「死のまち」発言について、どこに問題があるのか理解できない。東電のせいで「死のまち」になった、これは事実ではないだろうか?
「放射能をつける」発言については調査中なので、実際のところ良く分かりませんが、2つの記事を転載しておきます。
どうしてマスゴミといわれるのか、良く分かる気がします。
ただ、鉢呂氏を経産相に任命したこと自体に疑問が残ります。また後任は枝野氏だそうですが、「直ちに健康に影響はない」としか説明しなかった人です。「だったらいつになったら健康に影響を及ぼすのか」の説明もしないまま、パニックになるという理由で隠蔽工作に加担した人ではなかったでしょうか?
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昨日の日曜日は、311から半年、911から10年ということで、注目ブログ界もその話題で持ちきりでした。国内政治では経産相の失言問題で大騒ぎだ。今週もこの国の政治と報道は「政局」ばかりで進むんでしょうか。
で、これは政局談義のブログ。もうレベレ低過ぎな鉢呂経産相の辞任騒動なんだが、後任の経産相には枝野前官房長官が内定のようです。
このブログでは、9日の「死の街」発言と8日夜の夜回りでの「ほら放射能」発言とで、記事にした担当記者が違うのでは、と気になることを書いてます。8日夜の発言のほうがよりヤバかったんだろうが、本人は死の街発言で辞める、と言い張ったらしい。
しかし、オフレコの会見で「抜く」記者ってのも程度が知れますね。実際、鉢呂前経産相は、原発再稼働へ慎重な姿勢を示し、北海道選出でもともと農政に詳しくTPPにも否定的だった。どっちも進めたい霞ヶ関官僚の意向を汲んだマスメディアが舌禍事件を引き起こした、なんて勘ぐる人も少なくありません。
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昨日、書いたことと同じような話を書くようで恐縮であるが、さきほど、鉢呂経済産業大臣の辞任の記者会見の様子を、ニコニコ動画で再度見ていたら、もう一言書きたくなった。
この記者会見を見ても、鉢呂氏がなぜ辞任せざるをえなかったのかは、よくわからなかった。
第一に、『死のまち』発言については、福島原発の事故の現場を見て、ひとっこ一人通らない街の様子が、自分自身では、その様子を表現するのにそのような言葉しか、思いつかなかった、といっていた。
第二に、『放射能をうつす』ぞ云々については、自分としては発言や動作についてよく覚えていない、ただ、こすりつけるようなことはしていない(と思う)、記者さんたちに(深刻な話をするので?)少し親しみを込めようとして、(当日、○○シーベルトを計測したというようなことが頭にあって)近寄るような動作をしたかもしれない。
このような発言であった。
『放射能をうつす』ぞ云々の事件があったのは、オフレコの記者懇談会の場であり、しかも立ったままの短い時間だったとのこと。
鉢呂氏は、経済産業省担当の記者の名前を良く知らず、どういう記者がいたかさえ、よくわからなかった、という。
また、これまでもオフレコの記者懇談を経験していたことがあったので、その経験が逆にあだになってしまった点があるのかもしれない(そうした主旨のこともいっていた)。つまり、オフレコだというので、気を許してしまったことが悔やまれるというこのなのだろう。
結局は、福島の人々に大きな不信の念を抱かせ、気持ちを逆なでしてしまったので、辞職することにした、というのが、この辞任記者会見の全体の主旨であった。
この記者会見では、大手メディアの記者であるらしいが、社名も自分の氏名も名乗らない人物が、かなりやくざっぽい口調で、『最後くらい、ちゃんとやめる理由を説明しないのか、コラア』みたいな感じで鉢呂氏をしつこく追及する音声も収録されていた。
ただし、それに対して、『君は一体、どこの記者なのか。そういう口のききかたをして恥ずかしくないのか』などという批判の声も飛んでいた。
また、記者の中には、フリーの記者のかたであろうが、
『「死の街」という表現は、どこも間違っていない。むしろ、大臣をやめないでほしい』と語る人もいた(この人は、田中龍作という人らしいが、自分でこの記者会見の模様を記事にして、サイトなどで発表されてもいる。田中龍作という名前で検索すれば、拾えると思う)。
ここまでいかなくとも、外国のメディアの記者をやっているらしい(日本人の)女性記者のかたで、『私たちは、(オフレコの)記者懇談会の場にいなかったので、何が本当にあったのか分からない。この事件を、どのように外国の読者に説明すればいいのか』と質問する人もいた。
(たしかに、記者懇談会にいた記者連中は、一種の『仲間内』であり、彼らは情報を共有できるからいいが、それ以外の記者にとっては、今回の話は非常に分からない話なのだろう。)
というわけで、ある意味では、実は、この記者会見の場自体が、興味深い雰囲気の場であった。
しかし、この模様をもう一度見て、さらにまた分からなくなった。
なぜ、鉢呂氏は、経済産業大臣をやめざるを得なかったのだろうか?
鉢呂氏が、福島原発の事故について、『死のまち』と表現したことが不適切だといって、大手マスコミは一斉に、鉢呂たたきを始めたが、これもおかしな話である。
第一、これら批判記事を書いた大手マスコミの記者は、原発事故の現場に入っていないのである。
自分で現場を見ないでいて、現場について『死のまち』のように感じたと言う、その人の表現を一斉に非難することができるのだろうか?
<福島の人々の気持ちを逆なでする>などと、決まりきったことを、これらのマスコミはいう。
では、福島の人々が安心するように、現場の実態を『薄めて』いうことが良いことなのだろうか?
大手マスコミがすべきことは、『死のまち』という表現について、それを封殺するのでなく、実際に事故の現場はいまどうなっているのか、それが今後、どのように回復できる見込みなのか、あるいは逆に、どのような困難が待ち受けているのか、それらを東京電力や政府から情報をもらって、それをただ垂れ流すのではなく、最大限、自力で取材することではなかろうか?
現に外国の記者などでは、さまざまな規制を超えて、事故の現場にできるだけ接近して、さまざまな情報を把握して、それを記事にしている者もいるらしいと聞く。
もちろん、このような取材には危険もつきまとう。だれにでも出来ることではない。
しかし、そのような努力を全くといっていいほどせずにいて、ただ、『大本営』発表?だけを流していていいのだろうか。
そして、『戦局がわが軍に不利だ』?というような情報を少しでも流そうとする者に対して、一斉に『非国民』だというレッテルを張るようなことをしていいのか?
今回の、『死のまち』発言を契機にした、鉢呂氏に対するバッシングの起こり方を見ると、どうしてもこのような連想がわいてしまう。
また、鉢呂氏の『放射能をうつすぞ』なる発言も、実は、『死のまち』発言が飛び出して、そのすぐ後に報道が開始されている。
仮に『死のまち』発言がなければ、書かなかったようなことも、後からさかのぼって、一斉に書き始めたのではなかろうか?(しかも、どのような誇張が込められているのかは、全く分からない)
以上、私が書いたことは、推測をかなり含んでいる。
しかし、一つだけ言えることは、日本では、『復興が大事』『被災者の気持ちを傷つける』などを大義名分にして、原発事故の被害の状況を、できるだけ小さく見せかけて報道するようなバイアス(偏向)が間違いなく、働いているような気がするということだ。
このようなバイアス(偏向)を正さないと、原発問題に対して、今後、きちんと対応をしていくことが難しくなるのではなかろうか?
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