羽根田治
『ドキュメント 道迷い遭難』★★★★
本格登山はしないけど(富士山に登る気もさらさらないけど)
2000M弱登山はしているので参考として ね☆
この筆者は遭難のエキスパートらしい。
ヤマケイ文庫
(山と渓谷社)
ラインナップを見るとほぼ山関係
題名を見ただけでも読みたくなる本がたくさん。
もぅお勉強する気は全くなし(来週試験・・)
---
*南アルプス・荒山三山
「遭難して助かった皆さんは、もう一度、その場所に行ってみたいとおっしゃいませんか?」
その問いに対し、私は「人によります」と答えた。
窮地に陥ったときの人間の心理とは、えてしてそんなものなのだろう。自分ではよく考えてベストの選択をしたと思っているかもしれない。しかし、のっぴきならぬ状況のなかで、自覚しないまま平常心は失われ、いつしか冷静な判断ができなくなっている。それが道迷い遭難のいちばん怖いところだと思う。
*北アルプス・常念岳
重度の凍傷
「やばい……。これが遭難なのか」
嫌な思いが頭をよぎった。
「このままでは死んでしまう。なんとかしなければ……」
「道に迷ったら沢に下るな。尾根に上がれ」という鉄則
冬山を知る者ならば、絶対に沢を下ったりしない。
行けども行けども、雪、雪、雪だった。
「指はあきらめなければならないな」と、
「あまりにも自分勝手だったなあというのは自覚しました。いろんな人に迷惑をかけてしまい、やっぱり自分ひとりだけで生きているんじゃないってことを強く感じましたね」
*南アルプス・北岳
体力不足 思い込み 山の経験
今だったら「このとき引き返すべきだった」と言うことはできる。
「なんとかなるさ」と不安を打ち消し、自分を勇気づけた。
選択肢は、「さらに沢を下る」「引き返す」「左岸の尾根を登っていく」「右岸の尾根を登っていく」の四つ。
「どれを選べば生還できるのか。“神様、教えてください”という心境でした」
想定外の状況に追い込まれパニックに陥り、冷静な判断がでいなくなっていたことは明らかであろう。
<この蟻地獄から、もはや出られないのではないかという絶望感>
生と死の境
「なんで引き返さなかったのかって盛んに言われたけど、そのときになるとやっぱりできないですね。引き返すポイントはいくつもあったんですよ。だけど、だいぶ下ってから上を見たら、『あんなところまでもどらなきゃいけないのか』と思ってしまい、だったらとにかく下ろうと。結局、体力がなかったから、それを実践できなかったんだと思います。同じところを行ったり来たりして、『どうしようか、下に行こうか上に行こうか』と、それだけですよ。そのうちに足がいうことをきかなくなる、沢の水量も増えてくる、クマにも遭う。三日目、四日目あたりはもうパニックでした。とにかく決断できませんでした。」
地図とコンパス
山に登る者は、誰もがそのリスクを抱えていると自覚したほうがいいだろう。
*群馬・上州武尊山
道迷いの自覚
下山途中で道に迷った。だが、迷ったことに気づいたときは、コースを外れてまだそれほど時間が経っていなかった。「あ、これ違う」と思ったときにすぐ引き返せば、正しいルートにもどれたはずである。
「すごくきれいな川があったんです。新緑と川の流れが美しく、ほんと天国みたいなところでした。そこがまた遊歩道のようになっていて、しばらく歩いていけちゃうんですよ。ええ、道を間違えてることはわかっていました。自分でも『あ、これ、はまってるはまってる』って思っていましたから。でも、引き返せなかったんです」
立ち止まると気が狂いそうになるので、がむしゃらに前へ前へと突き進んだ。
一般ルートを見落とし、稜線を越えて反対の斜面に迷い込んでいて、主稜線を越していないかもしれないが、本人がどこをどう歩いたのかわからない以上、そのことを確認する術はない。
幻覚
遺書
「このときはちょっとだけ『死んでもいいかな』と思いました」
登山地図 ライターと発炎筒とツエルト
迷いそうなところにはテープ
*北信・高沢山
「それが運命の分かれ道になってしまったわけです」
「ヤバイ、これで死ぬんじゃないか」
朦朧とした意識が幻覚を生んだ
「やっぱり幻覚だったのか」
幻覚だけではない。幻聴にもまた悩まされた。木の葉が擦れ合う音が人の声や車のエンジン音に聞こえ、そのたびあたりを見回した。
『助かったんだ』という安堵と『生きているんだ』という充実感
軽い低体温症と脱水症状
山で遭難して死ぬか生還するかほんとうに紙一重の差
「たかがハイキング、されどハイキングですよね。山を舐めちゃいけないってことですよね」
山の中で見られる赤いリボンやテープは、一般的に登山ルートを示すものだと思われているが、それは絶対ではない。
リボンやテープの過信は禁物
*房総・麻綿原高原
中高年登山者の大量遭難
重なった判断ミス
*奥秩父・和名倉山
自力下山
「ほんとうに踏み跡だらけなんですよ。もうぐちゃぐちゃでした。誰かが歩いているんだから、どこかにたどり着くはずだってふつうは思うじゃないですか、でも、どこもぶつ切り状態なんです。あの山で、どれだけたくさんの人が迷ったのかと思ってしまいました」
---
山岳保険への加入
歳をとるほど遭難しやすくなる
「~過去の体力 過去のもの~」
もともと人間は楽観的にできており、物事を悲観的ではなく楽観的にとらえる傾向にある。
人は誰もが「自分は安全だ」「自分は守られている」と思いだがるものだという。それは山に行ったときでも同様で、多くの登山者が「遭難事故は他人事」「自分は遭難しない」と思っている。
だが、現実は思っているほど安全ではない。
---
下手なホラーを読むよりリアルな現実話は 本当に 怖い。