川上弘美
『センセイの鞄』★★★★
久々にシビレてしまった。
それも朝の通勤電車で。
誰かと共有したいと思い、先月初めてさしで飲んだ女性にメールした。
この作家さんは名前は知っていたけど皆無
「年の離れた 恋愛小説」
そう検索した中で惹かれた本 いやはや参りました。
10や20なんてなんのその!?
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新しい卸金を買ったのは、センセイにあげようと思ったからだ。
光っている刃物を見ているうちに、センセイに会いたくなった。そこに肌が触れれば、すっと切れて赤い血がにじみ出るだろう鋭い刃先を見ているうちに、センセイに会いたくなった。刃物の光がなぜそんな心もちを引き出すのかそのからくりは判らない。しかし無闇矢鱈とセンセイに会いたくなった。
正月の三日、兄一家が年始のあいさつに行った昼に、母が湯豆腐を作ってくれた。母の作る湯豆腐が、昔からわたしは好きだった。子供は湯豆腐などふつうは好まないものだが、小学校に上がる前から、わたしは母の湯豆腐を好んだ。醤油を酒で割って削りたてのかつおぶしを散らしたものを、小さな湯のみに入れ、豆腐と一緒に土鍋の中で温める。じゅうぶんにあたたまった土鍋の蓋をあけると、湯気がほんわりあがる。切らずに丸のまま温められた、ごつごつと目のつんだ木綿豆腐を、箸の先でくずす。角のお豆腐屋さんのお豆腐でなければだめなの。三日からは、もうお豆腐屋さん、やってるから、そんなことを言いながら、母はわたしのために、いそいそと湯豆腐を作ってくれた。
おいしい、わたしは言った。あんたは昔から湯豆腐が好きだったわね。母も嬉しそうに答えた。
あんまりかんたんなんで、このまま一生センセイと顔をあわせなくとも済むかもしれない。一生会わなければ、諦めもつくだろう。
大事な恋愛ならば、植木と同様、追肥やら雪吊りやらをして、手をつくすことが肝腎。
そうでない恋愛ならば、適当に手を抜いて立ち枯れさせることが安心。
その伝でゆくならば、長く会わないでいれば、センセイへの感情も立ち枯れさせることができるかもしれないというものだ。
それで、ここのところセンセイを避けている。
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