司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 32 阿波紀行、紀ノ川流域』★★
http://publications.asahi.com/kaidou/32/index.shtml
また見知らぬ場所への旅
阿波・・阿波踊り
紀ノ川・・和歌山
それしか浮かばない・・
もぅあたまに入ってこなくて何度も同じ箇所を読み返し・・
飽きてきた?
接点のなさがそうさせているのかな。
お次は楽しみにしている会津のみち☆
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阿波は、南海道である。
この道というのは、文武天皇(683~707)のときにさだめられた制で、じつにふるい。
全国を七道にわけ、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道としたのだが、このうち南海道というのは、紀伊(和歌山県)を出発点とし、淡路国へわたり、一海をへだてて、四国ぜんぶをふくめる。
「関寛斎という人を知っていますか」
阿波の暖かさを思うとき、この人のことを連想せざるをえない。関東うまれの帰化阿波人ながら、阿波第一等の人だと私はおもっている。
関寛斎(1830~1912)は、ひとことでいえば、幕末・明治の名医である。
さらにいえば医術によって暖衣飽食しようとしなかった人である。
もうひとつ言いかさねると、人生に強烈な意味を見出そうとし、その後半生、古代インドの苦行僧のように身をくるしめた人でもあった。
じつはこの人については、かつてこのシリーズでふれた(第十五巻)。
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根来寺(ねごろじ)は、風吹峠の紀州側のふもとにある。
「城郭としての根来は、越前一乗谷とじつによく似ているんです」
なるほど、そういえばそうである。
一乗谷城は、中世末期、越前の国主朝倉氏の居城だが、中世・近世の日本の城のなかでは特異で、細長い瓜をタテ真二つに割った片方を思えばいい。中に細長いくぼみがある。それが一乗谷である。そのくぼみの両側の山壁に要害がひしめいており、谷の二つの出入口に城門(城戸)があり、それを閉じれば、二キロにわたる(根来寺も長さニキロである)一乗谷そのものに敵が入りこめない。
しかし平素は、一乗谷も根来寺も、その内部で、一種の都市生活がいとなまれているのである。
なるほど、根来寺は一乗谷に似ている。
おごれる人も久しからず、只春の夜の夢にごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。
根来寺の山内は、まことに空閑として、むしろあかるい。これほど華やかなからっぽという場所は、日本でもめずらしいのではないか。
根来塗の赤は、似たようなものがないといえるほどに美しい。本来、赤というのははげしく主張する色である。が、根来塗の赤は、主張や執着というどぎつさを去ってしまったもので、こういう色はまれに天然のなかに見る。たとえば残照の雲間にふとあらわれてつぎの瞬間には消えるかもしれない赤である。
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根来 根来 根来
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和歌山城は、石垣がおもしろい。
とくに場内の「鶴の渓(たに)」というあたりの石垣が、青さびていて、いい。
石が青いのは、紀淡海峡の沿岸でとれる緑泥片岩が積みあげられているからで、対岸の阿波の徳島城にも、この石が用いられている。
それに石垣が、古風な野面積みであることも結構といわねばならない。傾斜などもゆるやかで大きく、“渓”とよばれる道を歩いていると、古人に遭うおもいがする。
「私ら、関東うまれにとっては、照葉樹がすくないものですから、このように盛りあがってやっと陽がさすというような森の中に入りますと、樹々の息吹が物凄いというか、なにかあふれてるようで、異な感じさえします」
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腰痛も完治したし練習復活!!
お勉強も続々
しかし若手すごいなぁ
アゲインストで有効なショット
パンチショット
地域などの特性によるプレースタイルのちがい
関西の人は飛ばない人が多い(狭くてアップダウン)
ラフから高さで止める
ボール1個分ほど左足寄りにして構え、アップブロー
高めに振りフィニッシュ
スパイクレスシューズ
球を上げようとは意識しない
左へ行かせたくないときは低いティーアップでスピン量を増やす
調子が悪い日でも最後まで投げ出さず全てのプレーに真剣に取り組む
インテンショナルスライス
いつもよりオープンスタンスちょっとフェイスを開く
「ゴルフは手前から」
同じリズムで振れる
アゴが高いバンカーはPW開きダフってフルショット
左腕を少し上方向に引きながらフィニッシュ
勇気が必要・・(笑)
ゆるまない
練習は裏切らない
Par3
フェードとドロー
歩いて傾斜を見る
「素直さと一つ一つ丁寧にプレーしてゆく」