あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

さちこさん、ホステスになる(予定

2019-05-19 | from:sachiaki
ちょっとした知り合いが円を描くように広く浅いあてくし、
タイトル見て「なんのこと?」と思われている方を
置いてきぼりにするかどうか悩んでいたsachiakiです。

このちょっとした知り合いというレベルを説明するのがすごく難しいんだけど
私の誕生日会やクリスマス会でDJをしてくれるお兄さんが
「ドラムを叩かずギターを弾くのは珍しいから遊びにおいで」と
誘ってくれたのがきっかけで
誘われた場所へ行ってみたら(たしか銀座の雑居ビルにある画廊)
朗読劇の交換音としてギターを弾くというもので
そんな音出せるんだ!とびっくりしたのもあるけれど
その朗読劇の禍々しさがたまらなくツボだったので
Facebook上で友達申請させてもらったという経緯があるのです。

普段も細々としたやりとりをしているのですが
このちょっとした知り合いさんが
6月23日〜7月2日まで『画廊珈琲Zaroff』という場所にて
狭小スナック「月と手袋」というイベント(?)をするので
期間中1日でもホステスになってはもらえないか?
とご丁寧なメッセージを頂いたので
「はい!よろんこんでー!!」と二つ返事で答えてのであります☆

んでね、そのホステス(似非)をする際に
昭和ちっくな源氏名を考えておいて欲しいと言われていたので
かなり悩んで、それこそ「幸子」なんて昭和な名前だから
イケる!って思ったんだけど、
なんつーか、もう少しフックのある名前にした方がいいのかな?
なんて思って知り合いさんことチェリー木下さんにご相談申しあげたところ
「今のところ参加してくださるホステスさん(似非)は〜中略〜という傾向があり、
 マルシアとかシルビアなどのカタカナ源氏名がいらっしゃらないので
 カタカナ源氏名などいかがですか?」的なことが返ってきたんです。

そりゃもう、なるほどフムフムとなりながら
改めて源氏名を考えること数日。

そして例の樹海へ遊びに行ってる車中にて
会話の途中でふと降りてきたんですよ


ドドスコ幸子


口からすべり出たその語呂の良さに
私は苦笑いしてしまったくらいなんですけれど
友人たちは爆笑してくれまして
その顔を見ていたらイケる!と確信に変わったのでありましたw

というわけで、あてくし6月の月末(多分27日)
似非だけど1日だけ夜の蝶になって参りますw

ご都合が合いましたらぜひ遊びにいらしてくださいね。

もちろん私が惚れ込んだチェリー木下さんの朗読も聞いて欲しいけれど
チェリーさんがダンボールに描かれる絵もデカダンでいいのよ〜。
珈琲やお酒を飲みながら、絵もいっぱい見ていって欲しいですわ。

チェリー木下さんの朗読ツイキャスはコチラから。

また日が近づいてきたらお知らせいたしますね♪
モイモイ
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なにその二つ名

2019-05-17 | from:sachiaki
昨日は樹海におでかけしてきたsachiakiです。

富士山信仰が厚かった人穴浅間神社へお出かけし、
甲斐と駿河とさらに相模へと抜ける
とっても大事な要所だったという旧中道往還という道を歩き
苔ワールドで癒され、悠久の時を感じる武田信玄が残した遺構を見て
ちょっとした友人の苗字のルーツを探るために役所でお話を聞いたりしてきました。

帰りには日帰り温泉も710円で入ってサッパリです。
最高に楽しい時間で、久しぶりのお出かけはリフレッシュするには十分でございました。

苔、マジでかわいいよ、苔。
地面や倒木の上に鎮座するその姿はモッフモフで
なにこの癒し!最高 of 最高じゃない!?
ってなってきました。



そんな旅。
移動は金山神社など鉱物にまつわる話を
趣味で研究しているという知人に車を運転してもらいながら
総員四名でキャッキャしてきました。

で、ほとんどの時間は車の中ということになるんだけど
その間も歴史の話などを伺ってるんだけど
話題がちょいちょいブレることがあり、
その話の中で「仏のsachiakiさんが」というワードが
ちょいちょい飛び出しまして
ヒャッ!となったりしてました。

最近ちょいちょい言われる
「観音様なsachiakiさん」とか「聖母なsachiakiさん」だとか
なにその二つ名となることが多い今日この頃。

うーんってなっていたんだけど、
あれか!仙水忍(@幽遊白書)みたいなものか!
なんて思いついたんだけど、誕生日が近い以外にとくに関連はなかったww
私:6月4日生まれ
仙水さん:6月6日生まれ

私自身は礼儀を欠くこともあるし、
ついつい出てしまう上から目線で人を傷つけたり、
友達と一緒に展示をしたり、なにかをする時に
うっかりポンコツを発動した上にうまく謝れなかったり
他にもここでは書けないことも色々やらかしているので
その二つ名には違和感しかなかったりするわけです。

ちなみに車内でどういう話をしていたかというと
女性とうまく関係が作れないという愚痴の話だったり、
女性関係が乱れているおかげでもうシンドイという話だったり、
愚痴っぽい優柔不断な男は切って捨てることにしている、という話だったり
あちこちに話が飛ぶ中で主に上のようなことを話していたわけです。

そういったことに関して私のスタンスとしては
”うまく関係を築くことができないのは相手の許可待ちだからで 
 自分に自信がない哀れな人だ”というもので話を展開していました。

なので本来の私につく二つ名があるとした
「邪悪なお姉さん」とか「地獄のスノーク」とかそういう奴じゃない?
※ボキャブラ天国は大好きでした。

そんなことに思い悩んでいたので
思わずかせきさいだぁ≡の『苦悩の人』と『冬へと走り出そう』を聞き始める始末です。
 〜♪なすがままに なすがぱぱに なすがままに

まぁそんなに思い悩んでいるってほどでもないのだけど。

ひとまず今日も届いていた
「カップルを見ているだけで憎しみが湧いてくる。
 あいつら公共でいちゃつきやがって迷惑だってことに気づいてない。」
というDMに対して

神の視点にでもなったつもりか恥を知れ。
自分を苦しめる対象を前にしてディスることに酔うよりも
その場からいますぐ去って、自分を大事にしなさい。

と返しておきました。

早く良くなってくれることを祈っています。。。

人の毒を浴びると私も体調を崩すので
私は私のことを回復させてあげるべく
昨日の苔写真でも愛でながらダラダラすることにいたします。。。

やれやれだぜ。モイ
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ちっぽけな人間であることは確かだけど

2019-05-14 | from:sachiaki
そういったことを嘆いていてても仕方ないよなー。
自分のできることをコツコツとやるしかないんだよなー。
なんてことを今日も今日とてツラツラと考えていたsachiakiです。

山梨に行く用事ができたので
山梨のローカルカルチャーを発信しているヒップホッブのMVを見ながら
山梨も面白いねぇ、なんてなっているところですが
ぶっちゃけローカル色なんてものは絶滅の危機にありまして
それはもう皆さんも全国旅行して感じていることだと思いますけれど
大型な駅ビルが建ち、商店街はシャッターが閉じまくり
個人がやっている食堂はなくなってチェーン店が並ぶ大きな街道
そういったものを目にしますよね。

分かってはいるんです。

だって便利だから。
個人て立ち向かいには大型資本の担保されている余裕がするサービスには
誰もが安心できて心地よいことを。

分かってはいるんです。

そんなことをし続けているから均一化してきて面白くなくなることも。

だからと言って、均一化してしまう滅びの道が見えたとて、
そのローカル色を残すための不便を強いたりするのはおかしいし、
都会の潤沢さを引き入れようと試す気持ちだって理解の範囲内にあると思うのです。

そんな中でも地方色を残しながら生き延びているところはありますけどね。
それぞれの土地のカラーがあるから
ロールモデルにするにはともて難しい厄介な問題なんだろうな
なんてことを思ったりしてました。

そんなわけで山梨のローカルカルチャーを
「still ichimiya」という名前で若者目線での現在を伝え
自分の生まれ育った町を大事にしようとしているところは
とても好感が持てるし、
私も自分が生まれ育った杉並区とともに
色々と考えていきたいな〜なんて思ったりしました。

混ざり合ってカオスになって均一になり
小さな地方ではなくて、日本という大きな地方になってしまうのも
それはそれで面白いのかな?と思わなくもないのですけどねw

そんなこんな。

日記を書いてる途中から『Gorogoa』というパズルを起動させてしまって
うっかりパンダとケンカになりそうになったりしてましたw

ちょっと集中してパズルに取り組んできます。(お仕事は?w

そんじゃまた。モイモイ
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永遠回帰について想いを馳せる

2019-05-13 | from:sachiaki
昨日は日記も書けないほど忙しかったかというと
そういうわけでもなかったのですが
ちょっとした面倒なことをしていたので
脳のキャパオーバーをしていたsachiakiです。

関係ないけれど、今は自宅が線路からわりと近いので
電車の行き交う音が聞こえてなかなかナイスです。

さて、そんな電車の音を聞きながら思うのは
育った実家では真夜中になると高速道路を走る車の音が聞こえたことなど
静かながらもものが進んでいく音が好きなのかもしらんな。
ってこと。

先日『ココロの学校』という講習の中で
英雄譚の構造/ジョーゼフ・キャンベル の話をやりまして
英雄譚という話(神話や映画などに出てくるヒーローが生まれる話)の構造は

1、ぼんやりと生きている主人公が天命に気づき(妖精が囁くとか)

2、旅が始まり

3、越えられない壁(境界線)が出現し

4、師匠が現れ

5、誘惑があり(闇落ちとか)

6、変容(覚醒)し

7、課題完了(ボスを倒すなど)

8、故郷への帰還

概ねこのようになっているとのこと。
稀代のSF映画ことスターウォーズもこの形で話が構成されています。

そんなわけで自己啓発系のセミナーなどでは
この構造を使って今の自分がどのステージにいて
どのように自分を高めていきたいかを問うというもになっているそうです。
ビジネス書とかもそうかな。

まぁそれはさておいて、私がかなり近年夢中になったMAD MAXもこの構造だけど
そもそも故郷(ホーム)へ帰ることは必要なのか?
なんてことを思ったわたくし、好きな話は基本的に投げっぱなしなものが多く
そりゃヒーローというものにはならないわな…なんて苦笑いしたところです。
ヒーロー=なにものかである。
ことは私には全然大事なことではなかったと。
知ってはいたけれど、なるほどにゃぁとなった次第です。
そして人生というものは行きっぱなし、
Goするしかないもので帰還することってないんだよね。
なんてことにしみじみしたりして。

今の自分に納得がいっていないなら、
この構造を使って自分を変化させるのはできると思いますけれど。

小さなところでいうなら、
1、今の自分じゃだめだ(天命≒気づき)
2、居酒屋めぐりをしてみよう!
3、自分流では世界が広がらんな
4、常連のおっさんに付いてお店にたくさん連れ出してもらう
5、おっさんのやり方以外をやってみて失敗したり
6、おっさんのありかたが分かった。飲み方覚えた!これで人の誘い方もマスターできた気がする!
7、そういえば随分とものの見方や人との付き合いが変わった(課題完了)
8、日常に戻ってきたけれど、その日常はすでに以前のものではない

こんな感じかな。

そして、そんな変化を促すような話を聞かされたあとに
『永遠回帰』の話を聞かされて
今の自分という恐ろしさと無とそれ以上もそれ以下も
まったく全て変わりはないと落ち着いた気分になったりしました。

それはなぜかといえば
おそろしく孤独で死にたくなるような夜に悪魔がやってきて
「今まで生きてきたお前の喜びも苦しみも出来事もやってきたことも
 事象全てそっくりそのままやり直すことが永遠と繰り返される。
 そこには何一つ新しいことはない。
 存在という永遠の砂時計がそのたびにひっくり返る。
 お前はその砂つぶの一粒なのだ(かなり要約・意訳しました)』
と言われたら……。
私はそんな退屈なことには耐えられないし、
そうでなくとも一回きりと思っているからこそ耐えられる人生を
どうやってクリアしていけばいいのか
まったく底が見えなくなってしまい、
それが恐ろしくもあり、
だけどそれがそっくりそのまま繰り返すのであれば
今死んでも人生の端っこで死んでも
そんなに変わりはしないのだな、
と不思議に落ち着いたということであります。

強いて言うなら今何度目かの人生を繰り返しているところで
この人生が退屈だと思っているのなら
今すぐに退屈を取り除くことに取り掛かった方が良いかもしれないし、
どうせ今もずっと先も変わらないのであれば
このままでも良いのだということ気づいた感じです。

もっと深い意味があるのかもしれないけどね。

自分が生きている意味とはなんぞや?
と考えるよりも
今自分がどういう道を歩いているんだろう
って考えて掴み取るものを選択する方が生きやすい気がする。

そんな感じ。

鬱を患って依存症に長いことどっぷりと浸かってしまっている人には
なかなか難しいことなのだろうけれど
今の自分をとことん見つめることができれば
一つの足場はできるかもしれないな
なんてことを思いました。

それでは今日も長くなったのでこの辺にて。モイモイ
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goo blogにアクセスできなくなってしまったぞい

2019-05-11 | from:sachiaki
私がメインで使っているマシンから
gooblogにアクセスすることができなくなってしまいました……。
理由は保護されていない通信になるからっぽい。。
セキュリティ保護のためにavastというアンチウィルスソフトを使っているんだけど
もしかしたらそのせいかも……とも思ったけれど
同じくavast入れているMacbookはアクセスできたから
なんでこうなってしまったのかすごく不安で面倒臭い……。

で、今この日記をどうやってあげているかというと
アクセスができたMacbookではなくメインマシンからなんだけど
「セキュリティ保護されてないけれど開くのん?」という
Chromeさんの質問に「はい」と答えて開いている状態です。
ぐぬぬ…面倒臭い……(公 ;)

そんなわけで昨日公開しようと思っていた日記を改めて書こうと思ったけれど
熱が冷めてしまったぞい。

公開しようと思っていた内容も
自分がこれから進んで行こうと思う道について
覚悟を決める時だなぁっていうような
そういったボンヤリとした話を書いていただけなので
別にいいかって感じ。

とりあえず未来に向かっての道について
逆算しなくちゃな〜って思っているところ。
目標とするゴールを設定していつまでにこれを実現する
みたいなやつのことですよ。

具体性を帯びていればいるほど実現しやすいので
なるべく細かく妄想しとこうとスケジュール帳を開きながら
書き損じを増やしている今日この頃です。

とりあえず空き家だのなんだのっていう現状について
もう少しちゃんとした資料が欲しいなって感じかな。

とりあえず「ここにいてもいいのだ」と安心してもらえるような
そんな場を作ることができたら良いなと思います。
そのためには新しい場が必要なので
そのためのいくつかの算段を練らないとな〜って感じ。
そしてその算段の中で自分の身売りでどうにかなるものがあるなら
その覚悟くらいはしとこうっていう話でした。

そんなわけで今日の日記はこの辺にて。
モイモイ
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ブログが開けなかった

2019-05-11 | from:sachiaki
昨日はブログ更新したかったのに
全然アクセス出来なくてエディターを開くことが出来なかったsachiakiです。

せっかく長い日記の下書き作ってたのにねー。

とりあえずいったん寝る。

また起きたら改めて更新致しまーす。
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モテとはなんぞや

2019-05-08 | from:sachiaki
などと考えてみるテスト。

二年前まではTwitterで「モテたい!」とちょいちょい書いていたのに
今では「振る方が大変」なんてことを言い出しているsachiakiです。

そんなにエラくはなってませんよ。
チヤホヤされたいだけで「モテたい!」ってジョークを飛ばしていたつもりなのに
アレやコレやがあって
うわっ、モテる人って超面倒くさいのね!
なんて片鱗を拝ませてもらったけどさ、
あれですよ。

♫モテたいぜ君にだけに
っていうのが真理なのですよなぁ。

岡村靖幸 w 小出祐介「愛はおしゃれじゃない」


まぁ引き続きチヤホヤしてくれてお金いっぱい出してくれる
都合の良い足長おじさんはありがてぇな
なんてことを思ったりもするけれど、
やっぱさ物事ってトレードオフなんですよね。

一般的に無償の愛と呼ばれているものでさえ
”良いことをした”と思う気持ちとの引き換えだから
”良いことをした”と思わせる何かを作ってあげなくちゃなのよね。

そんなの面倒臭い。

だからやっぱり地道に一歩一歩進んでいくしかないのですよにゃぁ。

と。

うっかりまた話が逸れていった。

結局のところモテとはなんぞや?
といえば、
相手にとって気持ち良くなるような
「この子のために役に立ってる!」的なものを与えてあげられるような
そういう超然としたもの、相手のものを奪い続ける強さを持つものが
”モテ”というものとつながっていくんじゃないかな。

語源を調べてみても
モテる=持てる(もともとは”持って帰れる”の意だったらしい)
なわけだし、「持つ」というのはなかなかに面倒なものですよね。

自分の「持てる」量なんてものはキャパシティがあるわけだし、
もてはやされて人気者になって「認められた!」という気持ちになっても
そこに前述したトレードオフのものがあって
もてはやされた分のキャッシュはどこかで奪われるんだと思う。
例えばイメージとそぐわないことをしただけで
「そんなのあなたらしくない!」って罵られたり……。

だからモテてしまったら
そのトレードオフした分の責任がついてまわるわけで
その様々な要求を受け入れてこなしていかなくてはならないのだと思う。

ほら、やっぱり面倒臭い。

いや、人々のイメージを食って自分を育て上げる人もいるだろうから
才能の類になるのかもしらんね。

美しく生まれてしまった人は
もうそのトレードオフに望まずとも流されてしまうのだから
そりゃもう大変ですな、って気持ちにもなるというもの。
まぁ、凡人には想像もできないくらい恩恵も受けるのでしょうけどね。
後光効果

そんなことを考えていたら、
やっぱり「モテたいぜ君にだけに」がシックリくるよな〜。
なんて結論に至ったのでした。

閑話休題:MV見てて思ったけれど、岡村ちゃんはヤングのスリムでいかにもな時より
     今の気難しそうなおじさんになってからの方がダンディでいいよね。

たぶんこの日記をここまで読みながら、
モテってなんなのよ!
手っ取り早くモテたいのに、モテるの面倒臭いとかふざけるな!
って思ってる人もいるかもしれないので
書いてきたことの勘所を抜き出すと

・相手のイメージに沿うようになれ

なので、明確に自分がモテたい層の人のことをイメージして
その人たちがどんな人が好きかということをピックアップ。
ピックアップした要所を抜かりなく演じきる。

これに限ると思います。

そうじゃなくて、ありのままの自分でモテたいんだ!
っていう人がいたら、

なに言ってんの?
ありのままでモテてないんだから無理に決まってんじゃん。

って答えますね。

なお、「イケメンに限る」を免罪符にして自ら努力しない人には
もう少し周りを見ろって思うし、
努力したものの振り向いてもらえない、などと言う人は
結局自分大好きで、他人に無関心なのがバレバレなだけじゃないのかな?
なんて思ったりします。

人は自分に関心を持ってくれる人が好き。

これですわ。
ストーカーがなぜ好かれないかといえば
彼・彼女たちも相手のことが好きなのではなく
相手の都合の良いところが好きという自分本位が根底にあるからなんじゃないかな。

そんな感じ。

さて、こんな日記を書いてる間にいい時間になってしまったので
そろそろ作業に戻ります。
そんじゃーね。モイモイ
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M3についての思い出

2019-05-07 | from:sachiaki
超大型連休も終わってしまいましたね。
私といえば毎日が夏休みのような、ダラダラし続けられてしまう分
自分で律して作るもん作っていかないとジリ貧になるのが怖いフリーランスにて
休みが明けも変わりがないsachiakiです。

フリーランスなんて胃が丈夫であることと、
神経が太くないと出来ない仕事ですよねぇ。
自由気ままっぽくてもケツ叩いてくれる人はいないし、
とにかく打って出るしかない保証のないものですよ。
真面目な人にはオススメできない。

なんて一昔前のテンプレート的な言葉を吐いたところで
連休初っ端にあったM3のことを書いてみますYO!
今更だけどね。

そうそうM3ってなぁに?って人もいると思うので説明いたしますと、
M3というのは平和島にある東京流通センターで行われる音楽の同人即売会です。
音を使ったものであればなんでもOKで
バンドのCDを頒布する人もいれば、
ゲームミュージック、テクノ、ドラマCD、効果音等々
様々な分野の音楽が一堂に介するフェスティバルで
コミケとはまた違った熱量のある即売会となっています。

そこに去年の秋からオーディオコントとうたって
短編のコントを収録したCDを制作している私たちゲスラジドラマ委員会。
今年の春もいっちょ参加したるぞ!と気合入れて収録本数も増やしてやってみたわけです。
昨年のCDはコント4本と一発ネタものを7本、テーマ曲1本というものでしたが
今回のCDはコント8本、音ネタもの3本、ショート6本、一発ネタ1本、テーマ曲1本と
いきなり内容がグレードアップしちゃって
ドタバタ度も増して大変充実した内容となったのでした(*´∀`)

ジャケットは前回に引き続きクマコ画伯のイラストです。


さてさて、そんな自信満々でお送りしたドラマCDですが
スケジュールをうまくつなぎ合わせることができなかったので
マスターが上がってきた時に即CD焼けるぞ!という体制にできておらず
マスターが上がってきた時にやっとCDの盤面プリントを始め
オーディオ焼きをしていたら二重チェックをする余裕がなくなり
とんでもないことに頒布したCDにエラーが出るという
リコールもののCDが発生してしまうというトラブルが発生しまして
私もう、

穴があったら入りたい。
ていうか、墓穴掘って眠りたい。

なんて気持ちになっていました……(*꒪⌓꒪)

ステッカー作ったりして、超やる気満々だったのに
トラブルが発覚した時は自分の迂闊さに母親の母体からやり直したくなりました。。

起きてしまったことは仕方がないので
データ発送したりと色々と対応をしてみたけれど
次回からの制作体制についてちゃんと考えなくちゃなーってなりました。

と、反省モードダラダラと書いていますけれど
M3自体は身内でない人にもだいぶ売れまして
すげーすげーってなったのでありました。

やっぱり知らない人の手に渡っていくというのは
なんともいえない特別なものがあります。

まだまだせいぜい50枚捌ければ御の字の弱小サークルですが
もっともっと沢山の人の手に渡って笑ってもらえたら良いなと思っています。

そんな感じ。

今日ふと思ったこともあるんだけど、それはnoteにしたためようかと思います。
あまり公開するに向いてると思う内容じゃないのでw
(カニバリズムとかは公開するのに、クローズにしたい内容ってなんだよ…)

とりあえず私の寝言noteはこちらからどうぞ。
そんじゃまた!モイ
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わがままであれ

2019-05-06 | from:sachiaki
なんてそれっぽいことをタイトルにしてみたsachiakiです。

元号が変わり、平和への気持ちが通常より強く働いている
そんな晴れやかな新しい月のはずなのに
大型連休も終わる時間だからか
二項対立のニュースやツイートなどがまた目立ってきたなぁ
なんてことを思っているところなのです。

私だって何一つ分かっちゃないし間違うし
クソの掃き溜めにいるような人間の一人だけど
二項対立の含まれる話を見かけた時に
頭を冷やすための一つ指針にしていることがあるので
それを書いてみようかなと思います。

それは


他人の憎しみに乗っ取られないこと


正義は大事だけど、正義は人を正すようなものではなく
自分を正す程度のものでしかないと思います。

そして何かが起きた時、被害者が加害者を憎しむのは当たり前。
それについては憎しむだけ憎めばいいし
許さなくても良いと思う。
(その思いに囚われたままでは先に進めないし
 苦しみが持続するから、早くその思いから解放されるといいねとは思う)

だけど、それを見て別の人間が加害者を憎むのは絶対に違うと思う。

罪を憎んで人を憎まず。

今ちょうど高齢者のひきおこした事故のことで世論が燃えたぎっているけれど
交通事故事態を憎んで、それを起こさないようにするアクションには大賛成だけど
ひいた人を法以外で裁こうだなんて大それたことを考えるのは違うと思う。

法で裁けないこともあるんだろうけれど
それでもその憎しみに巻き込まれてはいけない。
その憎しみは膨れ上がって別のことまで憎しみを呼ぶと思うから。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとなりがちなのが人間のサガなのだろうし。

憎しみを連鎖させてはダメだ。
これは絶対に避けなくちゃいけないことだ。

私も頭にくるニュースをみると
ついどちらかの気持ちになって
そのニュースに乗っかって自分の憎しみを乗せてしまうことがあるけれど
そんなのは自分の弱さ以外の何物でもないと思う。

正義に燃える心はまったく正しい。

だけど、その正義は憎しみの是正に使うのではなく
例えば困っている人を見かけた時の声をかける勇気にしたり、
ゴミが落ちていたら拾ったり、
誰かに何かをしてもらえたら感謝の意を伝えたり、
世の中を少しでも明るくするような
そういう力として使うのが良いと思う。
そしてそういったシンプルに世の中を良くしようという気持ちは
本当のピンチを見つけた時にシンプルに体を動かしてくれると思う。
例えば痴漢を見つけた時、あなたはシンプルにその人の声をかけ
被害者さんを逃してあげるとか
鉄道警察に訴えるとか
本当に必要な力として駆使できるんじゃないかな。
加害者の写真をアップして静かにSNSに上げるなんて方法ではなく
自ら当事者として加わり、力を駆使する。
当事者でなかったら憎しみを煽るようなことをしないことが
せいぜい出来ることのギリギリのラインだと思う。

あなたの思考が憎しみで乗っ取られないように、
そしてそれをバラまくことなんてないように。
そんなことを祈っています。

新しい時代に必要なことは憎しみなんかでおこる分断ではなく
つながり許し合い、より広がりのあるものであるはずだから。

さて、エラそうなことを書いていたら脳内糖分が減った気がするので
悪徳を積むためにドーナッツでも食べることにしますw

それでは大型連休最後の日を心健やかに過ごせますように。
そんじゃーね。モイモイ
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アカンことを喋べりまくった日

2019-05-04 | from:sachiaki
世の中的にも大型連休が終わる頃ですね。
私といえば、鎌倉まで歩こうという壮大な計画があったものの
ガッツリとパイプ椅子に足をぶつけ
全治1〜2週間というアホな怪我をしたせいで
基本的には会いたい人に会いに行く、
招いてもらったところへお出かけする、
というような日々を過ごしていたsachiakiです。

最近の私の役割といえば
普通の人(と呼ばれる常識のある大人)なら口に出さない
かなりNGな話題ばかりを振られる人というイメージになっている…
感じがします。
別に過激な話をしたいというわけではなくて
私にとっては「昨日なにして遊んだの?」って程度の話題で
どれもこれもそんなに眉を潜めてする話なのかな?
なんていう風に思ってるだけなのよね。

と、ここまで書いてきて
「アカンことってなに喋ってきたんだ?」って思われる方もいると思うので
内容をチラッと書いておくと
カニバリズム(食人について)の話をしてきました。
はい。

もう5年くらい前になると思いますが
阿佐ヶ谷のロフトでトランスジェンダーの方が
男性器を切り取ってきたので
それを食するという企画があって
それでちょっとした騒ぎになったのも
記憶に新しい人はいるかもしれませんね。

私としては、そういった話は大変面白く
どうせ捨てる部位なわけだし
肉は肉(男性器の場合、肉とは言わんかもだけど)だろ
って思ったんだけど、
思っている以上に拒否反応の方が多くて
へぇ!ってなった覚えたあります。
パンダにも話をしたら
「行かなかったから安心したけれど、イベントの日を知らなかっただけなのね」
って心底呆れられましたけれど
そういうものなのかなぁ
なんてことを思ったりしました。

まぁ私は食感とかで苦手なものも多いので(とくにモツ系)
出されて美味しく頂けたかはかなり謎なのですけどね。

食感はさておき、上記な感じで私は倫理意識がかなり薄いので
この手の話を普通にしてしまうのだろうなと
自分で推測したりします。

かといってじゃぁ人肉が普通にスーパーに出回ったら…
うーん。食べると思うけれど
そもそもそこまでお肉好きでもないしねぇ
というなんとも肩すかしなお話でございます。

この間もすごい美味しいレストランに連れて行ってもらったんだけど
3切れ以上からは、ちょ、もうお腹キツイので勘弁してもらえませんか?
と言いたいところをグッと我慢して食べたので
結局美味しかったのかどうだったのか
最後はよく分からなくなってしまったりしました。

なんで私がご飯系のものが苦手かって話なんだけど
一応人並みに食べるし、美味しいものは好きなんだけど
どうも感覚器官がバカみたいで
自分の許容量がわかってないっぽいのですわ。
なので8分目で止めておくというのがうまく調整できなくて
この間食べられた量だから、って食べてるうちにキャパオーバーしてて
起きてられないくらいにお腹がキツくなって
ひどい時は血の気が引いて冷や汗はすごいし
苦しいし体が冷たくなるのが分かるので
ご飯怖いってなってるんですよね。

ちなみにチラッと検索してみたら
食後低血圧というらしいです。
食事をすると食物を消化・吸収するために
大量の血液が腸に集まって心臓に送る血液量が減ってしまうからだそうです。
一般的にはそういった代謝のコントロールも
セーフティ機能が働いてそうならないようになっているはずなんだけど
加齢や病気等でなる人がいるみたいです。

そうでなくとも低血圧だからねぇ。

まぁそんなわけで、私が食事に対するマイナスイメージを強くもっているため
食事に対してかなりフラットに
口に運ぶには疑問なものも食べられるのだろうなと思います。
例えば虫とかね。

とはいえ、できることなら美味しいものが食べたい欲求もあるので
ゲテばかりでなく、「こういう美味しいものあるよ」
って誘ってもらえるのは嬉しいです(*´∀`)

お肉類よりかはデザート系の方が食いつく可能性が高いですけれどw




と。話が少し逸れちゃった。

ともかく人肉の話はそれなりに面白かったです。
歴史とか人種とか医療的なところとかもあって
マジメあり、笑いありで放送的にはNGなことばかりでしたけれど
おおむね喋べりたいことは喋ってこられたんじゃないかと。

あ、最後に私の見解としてOKか否かは
哺乳類(とくに人間に近しいもの)は共食いすると
たんぱく質が変容してプリオというものになり
いわゆる狂牛病と同じ状態になってしまって
最悪死に至ってしまうので覚悟はした方が良いよって感じです。

愛しい家族とかが亡くなったりした時は一部を取り込んでみたい
というのはあるけれど、それでも丸ごとっていうのはないかな。
私個人の話としてはスプラッターがとてつもなく苦手なのもあって
解体したい欲求もないしね。

形を作り上げるのは好きだけど、
壊すのは極端に嫌いなのよねぇ。

そうそう、うっかりしてた。
そもそも現代では人肉食べたいっていう欲求があっても
よっっっっっっっっっっっっっっぽどの機会がない限り
傷害や殺人に該当してしまって手が後ろに回ってしまうので
そこんところヤバイのでよくよく考えてってことと、
当たり前のことなんだけど
食べると無くなってしまうのよね。
だから”その人の明日”のことを考えて
背負っていけるかどうかもとても大切だと思う。
私はとりあえず自分一人の明日もギリギリなので
手を出す気持ちにはなれないですね。
他の人もそうだと思うけれど。
”その人の明日”ってことを考えると
そうそう迂闊なことは出来ないと思うよ。
食肉とかそういうことを別にしても。


命は食べて食べらてが輪廻だろうけれど
食べる責任はとても大きいよね。
そんな感じ。

米粒一つも一つの命。
大事に食べましょう。

ってことで今日の話は終わり!
解散!モイ
コメント
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