ぶうりんの希望の種まき新聞

絶望的雑感有りの希望的投稿ブログ。
世界中の子どもたちの笑顔と幸せのための新聞社。あなたにも希望の種をプレゼント!

映画「トガニ 幼き瞳の告発」

2012年11月07日 | 「脱」日常のちょっこし映画話
感想を書きたい書きたい・・と思いながら、ずいぶん日が経ってしまいました。

韓国を揺るがせた映画「トガニ 幼き瞳の告発」を観てきました。
現実にあった事件を映画化したものです。

性描写などが怖くて観れないのではないかと思っていましたが、子どもに対する性暴力のシーンは映像化されていなかったので、冷静に観ることができました。
性暴力に関するシーンは、子どもたちの告発シーンで表現されていますので、その恐怖感や悔しさ怒りといった感情は観る側で想像することになります。
それでも充分伝わってきました。

余談ですが、
『闇の子どもたち』では、子どもへの性暴力が画像で直接表現されていて、今でも思い出すと吐き気がします。制作サイドによる子どもたちの虐待とも感じる映画でした。観る側にとっても、性的な侵害を受けていたのだと思います。これを知人に話すと「それはないでしょ、勘ぐり過ぎよ」と軽くあしらわれますので、そうなのかもしれませんが・・・。

さて、
この映画を観終わった時には、「あぁ、結局子どもへの性暴力は、力のある人たちによって『なかったこと』にされてしまうんだ・・・」とガックリ来ました。
でもそうではない映画だと知っていたので、最後までじっくり観ました。
この映画を観る時は、エンドロールが終るまで、しっかり観てください。

エンドロールが終ってから
素晴らしいことが字幕に現れます。

この映画「トガニ」を観た韓国の民衆の力によって、署名運動が起き、社会運動となり、学校と教師に対する処分はもちろん、法律・制度まで変える大きな動きとなっていったのです。
2011年に放映されて、たった一年という期間にです。

日本でも、そんな映画ができていくことを期待しています。

映画監督、映画俳優、映画会社・・・全てが成熟しなければ成り立たないことですけど。
PS.ユン・ユ 素敵・・・



福島原発告訴団に加わりませんか

2012年10月08日 | 脱原発・環境・平和・政治
昨日、10月7日(日)「福島原発告訴団・中四国 説明会IN福山」を開催しました。
主催:原発のーてもえーじゃないBINGO実行委員会

福島原発告訴団中四国事務局の大月純子さんを招き、告訴団の趣旨説明や入会の仕方、陳述書の書き方などを教えてもらいました。
そして、その説明を受けると同時に、福島から離れて暮らしている私たちが、この原発事故によって実際どれだけの被害を受けてきたのか、言葉として考える機会にしようと企画しました。

ありがたいことに、福島県から尾道市に家族で避難してきているNさん(男性43歳)も参加してくださり、告訴団に加わった思いを話してくださいました。
※Nさんはお名前も写真も公表していいとおっしゃっていましたが、私のブログでは控えておきます。
そんなに影響力のないブログですけどね。

で、私はまず「入会手続き」だけは済ませました。
あとは、弁護団への「委任状」を出す必要があります。
そしてできれば書いたほうがいいけれど、無理なら書かなくてもいい「陳述書」を出します。

できれば、10月15日までに提出した方がいいんだけど、中四国事務局が立ち上がったのが遅いということで、中四国だけは10月25日までの提出期限となっています。

鳥取・島根・岡山・広島・山口・徳島・香川・愛媛・高知の方が対象です。
あなたも告訴団に加わりませんか?

原告団とは違って、告訴は警察に「ちゃんと責任の所在を追及してください!」と訴えるものなので、陳述書の内容について、警察から説明を求められたりということはありません。
私はそのことが不安だったので、『書いてみよう』と思います。

全国事務局は10000人の告訴団を目指しています。
6月11日には、福島県民で1,324人の方が第1次告訴団として立ち上がっています。

それ以外にも、小さな告訴・告発は、ずっと起こっていましたが、すべて無視され続けてきていました。
1,324人の人たちの思いを無視させてはいけないと思います。
まだ声を出せずにいる、いえ、既に声を出すことができなくなってしまった人たちの思いも無にさせてはいけないと思います。
たった1000円の入会金があれば、できることです。
このまま責任を追及しないのは、私たちの責任放棄です。
私たちの責任を果たしましょう。
20歳以下の未成年も親権者の署名を添えれば、委任状を出すことができます。
子どもには責任はないけど、責任を追求させる権利はあります。

もし加わってみたいという方は、
*福島原発告訴団・中四国の連絡先

•〒733-0006広島市西区三篠北町1-2-301ゆじょんと気付
 福島原発告訴団中四国事務局
•TEL:080-6337-2587
•メール:fukushima_kokuso_hiroshima◆yahoo.co.jp
 (◆→@)
*福島原発告訴団本部(福島)のブログ
 http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/

*福島原発告訴団・中四国のブログ
 http://blogs.yahoo.co.jp/fukushima_kokuso_hiroshima
へご連絡いただくか、
私も手続き用封筒一式を4セット持っていますので、声をかけてください。

「新たに原発は作らない」といっている国策も「現存する原発の再稼動」は認めている方向です。
このままだと、何の責任も追及しないまま、また新たな犠牲がうまれる可能性があります。
54基もの原発が存在する日本、もう住むところがなくなってしまいますよ。
冗談じゃありません。

昨日、Nさんが言っていました。
アメリカでは、何かあればすぐに裁判になる。
だから、アメリカは、問題が起これば隠さずその情報を公開するのだそうです。
情報公開する義務を怠った責任も追及されるからです。

私たち日本人は、もう"お人好し”と言われて喜んでいてはいけません。
ニコニコ仮面を脱ぎ捨てて、怒りを表現しましょう。
怒りの中に隠された一人一人の心の中を見つめて、正直に誠実に表現していきましょう。

D-Life 「クローザー」を観て・・・国籍と差別

2012年09月23日 | 希望的雑感・つぶやき
毎週土曜日夜放送している、BSチャンネル D-Life「クローザー」を楽しみに観ています。
昨日の放送は、シリーズ1の最終回。

アメリカには、何だか恐ろしいCIAという機関があって、そこが秘密裏に失職中の警部(?)に復職を条件に操作を依頼してきたというわけ。
※CIA・・・Central Intelligence Agencyの略。一般にはアメリカ中央情報局(中央情報庁)と訳される。ホワイトハウス直属の情報機関。(ウィキペディアから転載)
ある程度の任務が完了した時点で復職が決まって、バラバラにされていたチームのメンバーも全員戻ってくる。
そのチームで捜査を進め、いよいよ身柄確保・・・というときに、失職させられていたリーダーが、捜査官全員に付けられているイヤホンに向かってCIAの陰謀を暴いたのよ。
それは番組制作者の意図としては、私たち視聴者に伝えようとしていたことだと思う。当然だけど。
”あー、録画しておけば良かった”と思うほど、アメリカを中心とする世界の矛盾が的確に表現されていたと思う。もう一度聞きたい。

アメリカのドラマでER(救急救命室)をしていた時もそうだったんだけど、アメリカ社会の暗黒部分を指摘するような番組内容を放送すると、大抵そのシリーズは終るんだよね。たぶん制作側は、捨て身の覚悟なんだと思う。考えすぎかもしれないけど。
前には、アメリカ軍のバカさについて医師の声を通じて指摘した時、『え?ここで?』というぐらい不自然なタイミングでシリーズ終了。あれはもう「放送禁止」状態。これも私の勘繰りですけど。

ま、そのことは良いとして、昨日の放送で、もう一つ、制作者に感謝したい「情報提供」

事件の張本人は、ヨルダン人のドクターだったんだけど、この人は殺人には加わっていなくて、CIAの秘密を洩らしていた人で、殺された少年の父親だった。母親もヨルダン人なんだけど、実はそのことを隠していて、殺された少年もヨルダン人であることが知られないように、少年の「外国に行ってピアノの勉強がしたい」という夢を砕いてきたというわけ。国籍がばれるから。
それで、捜査官のオフィスでの会話なんだけど、「少年はドイツで生まれていた」という事実に対して、誰かが「じゃ、国籍はドイツ」とつぶやく。そこで主役の彼女が「ドイツでは、ドイツで生まれたからと言って、ドイツ国籍が取得できるという訳じゃない」と言うのね。そしたら捜査官が「ほんとに?!」と驚くわけ。

たったこれだけのことなんだけど、私は「よくぞ言ってくれた!」と拍手!
日本にこの番組が出て行くことを意識して作ったかどうかはわからないけど、「ほんとに?!」の一言を使って、世の中の不条理をとこうとする「粋」に感動する。

日本だって、「日本で生まれたからと言って日本国籍を取得できるわけじゃない」国でしょ。
未だに「在日韓国人」という呼び方で、日本国籍でもない韓国国籍でもない(国籍のない)人たちを作り出している。
「日本国籍なんてほしくない」という人もいると思うから、「日本国籍を取得する権利」を無条件で保障するべきだと思う。今は権利はあるといっても条件付だ。
「○○すれば権利を与える」のは、基本的人権以外の「免許証」とか「資格」ぐらいのことに留めておいてほしいもんです。
国家が、全ての人の基本的人権を認めていかない限り、生まれ続ける差別はなくならない。もちろん人々の意識改革から、国家を変えていくこともできるかもしれない。
でも、社会というものは、人々の意識と組織の体制という両輪で動いているものなのだ。アメリカだって差別のない国ではないからね。

私だって、いつでもそのことを意識して生きているかというとそうではない。昨日の番組を見ていて、ハタと気づいたのだ。

ちょっとでも、人々の意識に波紋を投げかけたであろう昨日の「クローザー」制作者、放送会社に感謝します。


映画「かぞくのくに」を観て感じたこと・・・ぶっとび編(他にないけど)

2012年09月10日 | 「脱」日常のちょっこし映画話
9月8日から、福山のシネフク・シネマモードで上映が始まった「かぞくのくに」を観てきました。

北朝鮮と日本でおこっていることを「かぞく」という小さな単位で表現している映画だと思いました。

井浦新が演じる「ソンホ」は、1959年から約20年間に渡って続いた帰国事業の時に、16歳だった少年。
25年間日本へ帰ることができなかったのだから、計算すると41歳という設定。
1997年のドラマ設定なので、今いくつぐらいの人かと言うと、56歳かな。

当時16歳の青年が、親元を離れて「地上の楽園」と呼ばれていた北朝鮮に渡ったのです。
どれだけ日本の中で在日コリアンが民族差別や貧困に苦しめられていたかを想像します。
そして、青年たちは、親の名誉のために渡っていきました。

戦争のために、兵役で青年が親元を離れていく時と似ているのかなと思います。
子どもは、親孝行のために兵隊に行ったのです。
祖国日本を守るために行ったのです。
駅のホームで日の丸の旗を振る家族と、新潟の港で手を振る家族(想像ですが)が、重なって見えました。

ソンホが妹リエに「考えてはだめなんだ…」「質問なんて許されないんだ…」と言うシーン。ユン同士が「質問があるのかね?」「いえ、ありません」と言うシーン。
このシーンを見たとき、ドキュメンタリー映画『アメリカばんざい』のワンシーンを思い出しました。
高校を卒業したばかりの少年・少女たちが、米軍に入隊した日、夜中に整列させられて、なにを命令されても「イエス、サー」で答えなければならない。「質問をするな!」と怒鳴られる。
なにも考えない人を育て上げるのだ。
つまり、指示に従うだけの人。
それは非常に恐ろしいことだけれど、私は日本の学校の中でも起こっていることだと思う。もしかすると家庭の中でも起こっていることかもしれない。
「口答えするな」
「屁理屈を言うな」
「返事をしろ」「挨拶をしろ」
「わがままを言うな」
「みんなのために…」
どれも正しいことかのように聞こえるけれど、私は「軍隊か!」と突っ込みたくなる。
その理由が、「指示に従っていればいいんだ」「考えないって楽だぞ」というソンホの言葉。

もちろんソンホはそんな生き方をしたいとは思っていない。
だからこそ、息ができないほど苦しいんだ。

私は、子どもたちには、もっともっと、親に逆らって・先生に逆らって・大人に逆らって、言いたいことを言って、わがままに生きてほしい。
いい子ばかりになったら、日本は滅びると思う。

だから私は、親の敷こうとしたレールをことごとくはねのけ、親の考えにはことごとく逆らって生きてきた自分をこれでよかったと思っている。
親に認めてもらえなくとも自分で選んだ道を歩んできた自分をよくやったと思っている。
そんな自分を育ててくれた親にも感謝している。
「ちゃんと逆らえる私に育ててくれて」ありがとう。
でも、「あなたの思い通りにならなくて、すみません」

私は今、幸せです。
親が願ってきたのは、「私の幸せ」だと思うから、結局私は親孝行なんです。

なぁんて、思考がかなりぶっ飛んでいるので、「ぶっとび編」です。

映画「桐島、部活やめるってよ」と”帰宅部”について

2012年08月13日 | 「脱」日常のちょっこし映画話
http://kirishima-movie.com/index.html

ちょっと青春を思い出してみたくて、観てみた。
予告の作り方はうまいよね。
音楽もかっこいいし・・・。

音声がうまく取れてないのか、私の耳がかなり聞こえにくくなっているのか・・・。
学生さんが教室で何をしゃべってるのか、聞き取れない場面が多くて、一生懸命聞いていて疲れました。
でも次第に、それは監督が作為的にしていることなのかなと思うようになり、わからないところはスルーしました。
「桐島」の話題が次々出てくるのだけれど、「え?え?桐島って誰??」・・・。そこはわからなくて良かったのね!

映画は、一つのシーンを何度もくり返し、違う人の視点から見る手法で撮られていて、
「そういえば私も他人のことに無関心で、何もわかっていなかったなぁ・・・」なんてことを思い出したりしてました。
映画全体から、日常の中で起こりがちな「いじめ」のきっかけや小さないじめの芽を肯定しない考え方が感じられて、気持ちのいい映画でした。

最後のシーンで映画部の神木君が「僕らに謝れ!」と言って、その後謝ってほしい理由を説明するシーンとそれに続く妄想シーンは爽快な気分で楽しめました。


ここからは映画の話題ではありませんが、
神辺町だけのことなのか、全国的なことなのか、わからないのですが、
全ての中学生が何かの部活動に加入しなければいけないのって、おかしいと思うんです。
月曜日の6時間目にある「クラブ活動」みたいならわかるけど、部活動に全員加入って、どうなんです?
やりたくないのに、無理に加入して、何がさせたいのかしら?
やりたくないのに部活に来ている人がいるって、邪魔ですよね、本気でやっている人にとって。
やりたい人たちが集まって嬉しいこと悔しいことを一緒に経験することには意味があると思います。
しかも、十分な部活動の種類を学校が準備しているわけではないのに、今ある部活のどこかに入らなければならないなんて。
バカバカしい・・・。
私は、帰宅部大賛成!!
家にも学校にも居場所が無いこと自体よろしくないんだけど、なければ、自分で探せたらいいじゃん。
子どもたちの安全を確保するのはおとなの役目。
でもその確保の仕方は、狭い範囲の中にくくりつけることではないと思う。
社会全体が安全であるように、安全な社会を作る使命があるのだと思うのです。
そこをすっ飛ばして、子ども達を檻の中に閉じ込めておくようなやり方には反対です。
子どもたちが「楽しい」と思える安全な場所をもっともっと作っていきましょうよ。