解散・総選挙の実施が首相就任時において麻生太郎に期待されていた唯一といってよい政治課題であり、首相自身も『文藝春秋』(2008年11月号)に寄稿した「強い日本を!私の国家再建計画」で国会開会時の冒頭解散を示唆していたように、その点について十分に自覚的であったと思われる。しかし未曾有の経済危機や閣僚の不祥事といった構造要因に加えて、「漢字の読めない(KY)」あるいは周囲の意見に流され「ブレ続ける」政治姿勢などの首相自身の性格や資質に起因する問題によって、解散権を行使するタイミングを逸し続けることになったのは明らかであり、結果的に首相にとって最大の権力資源であるところの解散権の行使の意味合いが限りなく低下してしまった感は否めないだろう。
解散関連で言うと、甲斐バンドの再結成もまた解散の意義に再考を迫るものだろう(「甲斐バンド、解散わずか5カ月で再結成」『デイリースポーツ』2009年7月22日)。皮肉的な見方をすれば、それは固定ファンにとっては嬉しいニュースかもしれないが、それ以上のファン層の取り込みを実質的に放棄した後ろ向きの決定ともいえる。甲斐よしひろは、たしかにソロ活動を通じて新境地の開拓に挑戦してきた。それは、たとえばブームの終焉時期で、ほとんど話題にもならなかったとはいえ、小室哲哉のプロデュースを受けたことにも現れている。しかし甲斐バンドというブランド(あるいは過去の栄光)に囚われ、そこから決別できずにいることは、度重なる再結成が物語っている。
甲斐よしひろ / against the wind (未発売の小室プロデュース曲)
解散関連で言うと、甲斐バンドの再結成もまた解散の意義に再考を迫るものだろう(「甲斐バンド、解散わずか5カ月で再結成」『デイリースポーツ』2009年7月22日)。皮肉的な見方をすれば、それは固定ファンにとっては嬉しいニュースかもしれないが、それ以上のファン層の取り込みを実質的に放棄した後ろ向きの決定ともいえる。甲斐よしひろは、たしかにソロ活動を通じて新境地の開拓に挑戦してきた。それは、たとえばブームの終焉時期で、ほとんど話題にもならなかったとはいえ、小室哲哉のプロデュースを受けたことにも現れている。しかし甲斐バンドというブランド(あるいは過去の栄光)に囚われ、そこから決別できずにいることは、度重なる再結成が物語っている。
甲斐よしひろ / against the wind (未発売の小室プロデュース曲)
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