constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

冷戦史(研究)の「旧さ」と「新しさ」

2008年04月26日 | nazor

かつてE・H・カーは『危機の20年』で平和的変革(peaceful change)、すなわち「国際政治において、そのような[平和的]変革を戦争によらないでいかに実現するか」について検討を加えた(『危機の20年 1919-1939』岩波書店, 1996年: 378頁)。そして「平和的変革の諸方法を確立することは…国際道義と国際政治との基本問題である」(398-399頁)と指摘し、力と道義の妥協ないし折衷にもとづく平和的変革のあり方を探求した。平和的変革の問題は、第二次大戦前夜の緊迫した状況下に生きたカーにとって、一章分を割いて考察するだけの価値がある課題であった。しかしながら第二次大戦後の世界が冷戦に移行するにしたがって、力の役割を重視する現実主義の古典としてカーの『危機の20年』が受容される一方、カーの言う平和的変革が宥和政策と同義であった点も影響して、米ソの厳しい対立状況である冷戦において、交渉や妥協を伴う平和的変革は現実的な選択肢とは認識されず、真剣に考慮されることは皆無であった。

その平和的変革に改めて注目を向けさせたのが1989年の東欧諸国における共産党体制の雪崩式崩壊現象である。ルーマニアを除いて体制転換が非暴力的かつ民主的に成し遂げられたことは、まさしくカーが言うところの戦争によらない変革の実現であった。もし冷戦の終焉から導き出される教訓を挙げるとするならば、それは、平和的変革が現実的に達成可能であり、新たな秩序の構築の要件として戦争が必ずしも不可欠ではないことが明らかになったことであろう。しかし冷戦後の「名もなき90年代」を通して冷戦の終焉をめぐって、とくにアメリカ国内において平和的変革ではなく力による平和によって冷戦が終わったという解釈が支配的になっていく。つまり「1988年以前には冷戦に勝ったという解釈はまれであり、冷戦は『終わる』存在として考えられていたのに対し、90年以後、ことに91年の後は、冷戦はただ終わるのではなく、ソ連側に勝つという、勝利の問題に変わって」しまったのである(藤原帰一「冷戦の終わり方――合意による平和から力の平和へ」東京大学社会科学研究所編『20世紀システム(6)機能と変容』東京大学出版会, 1998年: 275頁)。こうして平和的変革としての冷戦の終焉という見方は次第に後景に退いていき、代わって冷戦の勝利を謳う言説が拡がっていった。

現象として終焉したとされる冷戦(的思考)が言説上では依然として強い魅力を放っていることは、2001年のアメリカ同時多発テロ、およびブッシュ政権が主導する対テロ戦争に際して飛び交う「文明/野蛮」的な二分法の世界観が、1947年のトルーマン・ドクトリンを容易に想起させることからも明らかである。そして2003年のイラク戦争の目的がフセイン政権の打倒、つまり体制転換にあったことはいまや公然の事実であるが、力の行使による体制転換が政策として現実的だと認識された背景にはアメリカの勝利と解釈される冷戦の終焉観から導かれた教訓が存在することは想像に難くない。したがって「冷戦、そして冷戦の終焉をめぐる歴史認識が、現在のアメリカ外交に与えている影響は小さくない」ことを考えると(西崎文子「ポスト冷戦とアメリカ――『勝利』言説の中で」紀平英作・油井大三郎編『シリーズ・アメリカ研究の越境(5)グローバリゼーションと帝国』ミネルヴァ書房, 2006年: 288頁)、「冷戦とは何だったのか」という問いは、「冷戦がどのように理解されているのか」という問いと切り離せない。とりわけ「歴史として」冷戦を叙述することが可能になったポスト冷戦状況にあって、冷戦史研究は、実証面で著しい進捗が見られる一方で、「理論的争点自体にはほとんど無知に等しい状態」と評されるように(フレッド・ハリディ『国際関係論再考――新たなパラダイム構築をめざして』ミネルヴァ書房, 1997年: 240頁)、その理論的・概念的位相に関しては十分な考察がなされているとは言い難く、旧来の冷戦像を再確認ないし再生産する点で新しさというよりもむしろ旧さを感じさせる。カーの言葉に準えれば、冷戦史もまた「現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」(『歴史とは何か』岩波書店, 1962年: 40頁)としての歴史の一例であるとすれば、冷戦をめぐる問いはすぐれて今日的意味を持っているといってよいだろう。

1989-91年にかけてソ連ブロックの崩壊は現実の国際関係に限らず、学問の世界においてもさまざまな衝撃を与えた。とりわけ旧共産圏の公文書が相次いで解禁されたことによって、アメリカ外交から見た冷戦像に偏重していた観のある既存の冷戦史研究に決定的な転機がもたらされた。いわゆる「新しい冷戦史」と呼ばれる研究の潮流が登場し、従来の冷戦像に対して大幅な修正を迫っている。 その特徴は、次の3点にまとめることができるだろう。

第1に解禁された公文書を駆使してソ連やその衛星国、および中国やキューバなどの政策決定や国家行動の要因を分析することによって、鉄のカーテンの向こう側からみた冷戦およびその内部で繰り広げられた同盟政治の実情が明らかにされた点にある。それまで推測の域に留まっていた仮説や主張を公開史料と照らし合わせる作業は、冷戦史研究の実証性における飛躍的な向上をもたらすとともに、冷戦の双方の当事者を包括する全体構図を把握することができるようになった。換言すれば、史料の「新しさ」による冷戦史の書き換えが進んでいる点に求められる。

第2の特徴として、「冷戦史=アメリカ外交史」ともいうべきアメリカ中心史観が支配的であった従来の研究と比較した場合、視点や対象が大幅に拡大された点が指摘できる。冷戦期でもイギリスやフランスなど西欧諸国の視点を取り込んだ研究が1970年代後半から出てきていたが、冷戦の終焉はこうした流れをさらに推し進め、マルチ・アーカイブによる国際関係史あるいはグローバル・ヒストリーとして冷戦を捉えなおす地平を切り開いた(田中孝彦「冷戦史研究の再検討――グローバル・ヒストリーの構築にむけて」『変動期における法と国際関係――一橋大学法学部創立50周年記念論文集』有斐閣, 2001年)。たとえば、アジア地域における冷戦の現出・展開・終結についてみると、グローバルレベルにおける米ソ冷戦や、ヨーロッパの地域冷戦とどこまで共通性・関連性をもち、どれくらい独自の冷戦ゲームが繰り広げられたのか、つまり「米ソ以外の地域を含めた冷戦期の国際秩序をどこまで米ソ間の権力政治に還元」できるのかという問題が重要視されるようになり(藤原帰一「アジア冷戦の国際政治構造――中心・前哨・周辺」東京大学社会科学研究所編『現代日本社会(7)国際化』東京大学出版会, 1992年: 328頁)、地域的な差異を視野に入れた多層的な冷戦像が提示されている。また軍事戦略面に偏っていた冷戦史に加えて、経済史や社会史の観点を取り込んだ研究も現れ、国際関係だけでなく国内社会を貫くトランスナショナルな性格が分析の射程に組み込まれるようになっている。とりわけ文化論として冷戦を考察ないし把握するアプローチは、次に取り上げるイデオロギーや理念の役割を重視する潮流と大きく共鳴する流れといえるだろう。

米ソ両国による直接の軍事衝突ではなく、むしろ互いの信条体系の衝突であったところに冷戦の特質がある。すなわち、理念や価値の伝達・浸透が重要な抗争手段であった意味で「理念をめぐる戦争 war of ideas」として冷戦を理解する視座が第3の特徴である。国際関係学(IR)における(ネオ)リアリズムの興隆と歩調をあわせるように、国益や安全保障を重視する一方、イデオロギーや信条といった観念的要素に副次的な意味しか見出さなかった1980年代の研究動向とは対照的に、解禁された公文書の調査・読解を通して、政策決定、とりわけスターリンや毛沢東など東側諸国のそれにおいてイデオロギーが果たした役割に対して関心が高まり、冷戦史を叙述する上で重要な争点とみなされるようになった。

さて「新しい冷戦史」を象徴する研究としてまず思い浮かぶのが、ジョン・ルイス・ギャディス『歴史としての冷戦――力と平和の追求』(慶應義塾大学出版会, 2004年)である。冷戦史研究におけるポスト修正学派の代表格として学界を牽引してきたギャディスは、ソ連/スターリンの対外行動におけるイデオロギーの役割とその重要性を再確認し、米ソがともに冷戦帝国(Cold War Empire)という点で共通性を持っていたと指摘する。また冷戦帝国を規定する秩序原理および行動様式の違い、すなわち同盟内政治において民主主義が優れた運営能力を示す一方で、ロマン主義に彩られた権威主義支配の硬直性が冷戦の最終的な帰結を左右したと論じる。また誰が冷戦を始めたのかという責任論について、「スターリンがソ連を統治する限り、冷戦は不可避であった」(475頁、強調原文)という結論を提示した。この立場は冷戦の終結までカバーした『冷戦――その歴史と問題点』(彩流社, 2007年)にも受け継がれていることからも明らかなように、善悪の対決として冷戦を描くことにギャディスの冷戦論の特質がある。

ギャディスの研究は、旧東側公文書の第一次解禁ブームから生まれた研究を総括するものであったが、冷戦の本質をソ連/スターリンの存在や世界観に帰する結論自体に目新しさを看取できない。むしろこれまでギャディスが表明してきたポスト修正主義の立場から後退し、冷戦の責任をソ連に課す正統学派へ回帰したといえる。あるいは1970年代に、イデオロギーに囚われない、一次史料の解釈に基づき、正統学派および修正主義学派の一方通行的な論争状況の止揚を意図したのがポスト修正主義であったが、当初からその一見「中立的」な姿勢は、基本的な点において正統学派の主張を公文書によって客観的な装いに包んだ「正統学派プラス公文書 orthodox plus archives」にすぎないのではないかと揶揄されていた。そして「今や知っている」立場から冷戦期を省みれば、一方の当事者であるソ連(とそのブロック)の解体という結末によって、アメリカの冷戦政策、とくにその基軸となった封じ込め戦略の有効性が証明されたと解釈することは正統学派の主張と共鳴し、説得力を持って違和感なく受け止められる素地があるところに、冷戦史研究の「権威」ギャディスがお墨付きを与えた形となったといえる。

こうしたギャディスの主張は多くの研究者によって批判の的となっている。たとえば、冷戦史研究においてギャディスと双璧をなすメルヴィン・レフラーは、その書評論文で、「冷戦後に冷戦を著す際に、われわれはその終焉を起源および進展と混同してはならない」と論じ、「ギャディスの『歴史としての冷戦』は、われわれ同時代の文化に行き渡る勝利主義と共鳴し、そして多くの点でそれはフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』と対の関係にある学術的な外交研究である」と指摘する(Melvyn P. Leffler, "The Cold War: What Do 'We Now Know'?," American Historical Review, vol. 104, no. 2, 1999: 523-524)。またアンデルス・ステファンソンによれば、ギャディスの『歴史としての冷戦』は「新しい事実に関する著作ではなく、イデオロギーに関するイデオロギー的な著作であり、善と悪の抗争としての冷戦というお馴染みの叙述を復唱し、…善と悪の相対立する原理および1950年代の正統学派を再発明する」ものだと批判する(Anders Stephanson, "Rethinking Cold War History," Review of International Studies, vol. 24, no. 1, 1998: 121-122)。いずれも結末から逆算して叙述する、いわゆる「転倒した経路依存」をギャディスの冷戦論に見出す点で共通している。さらにソ連外交史家のジョナサン・ハスラムは、スターリンという一個人に冷戦を還元するギャディスの見方を問題視する。すなわちスターリンの外交政策をその国内政策の単なる延長と捉えるギャディスの立場は、国内政治と国際政治の質的な差異(集権的/分権的)を軽視しているため、1930年代および第二次大戦中の協調的なスターリン外交がなぜ可能となったのかを説明できないと批判し、また主に回顧録を中心にソ連側の史料を一瞥しただけでも、ギャディスのようにスターリンをロマン主義の革命家とみなすことは問題だと指摘する(Jonathan Haslam, "The Cold War as History," Annual Review of Political Science, vol. 6, 2003)。

たしかに「冷戦史=アメリカ外交史」という従来の学問的特徴を考えると、ソ連をはじめとする東側諸国や途上国の視点を取り入れることによって多面的な冷戦像が提示されることは歓迎すべき傾向である。しかし「歴史として」冷戦を叙述するとき、またソ連ブロックの解体という「一方だけの崩壊」、つまり共産党体制の崩壊とソ連解体の共時性に象徴される冷戦の終焉自体をめぐって、実証/理論面で活発な論争が巻き起こっていることを視野に入れた場合、ギャディスの研究に見られる傾向は言外に冷戦をアメリカの「成功した勝利の物語」として描き出す可能性を潜在させているように思われる。別言すれば、イデオロギーの役割が重要だとされるとき、それは主に共産主義を指し、ジュニア・パートナーの代表格として毛沢東、カストロ、金日成の行動や思想が取り上げられることは、暗黙裡にある特定の冷戦像を浮かび上がらせる。その冷戦像は、繰り返して言うならば、事実関係において詳細を極める一方で、冷戦という事象の把握や解釈の点で旧来の視座を再考するよりもそれを無批判に受容・補強する傾向が強い。

「冷戦とは何だったのか」および「冷戦はどのように終焉したのか」をめぐる解釈の変化は、過去についての歴史研究に属する問題に留まらず、現代世界の行末を左右する超領域的な権力主体であるアメリカの外交政策と関連している実践的な問題である。「それ[冷戦]に代わる新秩序の樹立ではなく、それまでの封じ込め政策と、武力行使の正当性を確認する、旧秩序の勝利として終わった」(藤原「冷戦の終わり方」: 301頁)という冷戦の終焉認識は、独裁者や侵略者に対して有効な手段は対話や交渉ではなく、武力の行使であるという教訓に正当性を付与する役割を担う。グローバリゼーションによって情報の伝達量や速度が飛躍的に高まる一方で、多くの情報はすぐに消費期限を迎え、忘却の穴に捨てられていく。高速化していく「長い21世紀」の世界で生じる速度と忘却の弁証法を通して、複数形の「過去」から単数形の「現在」が作り出されていく。冷戦(の終焉)をめぐる認識もまた速度と忘却による縮減過程で「アメリカの勝利」という物語に沿った形で整序され、繰り返し叙述されることによって、共有された記憶ならびに学知となる。このことは、反対に冷戦を叙述する行為はその意味内容を書き換える可能性がつねに残された開かれた過程であることを意味している。圧倒的な量の史資料と向き合うと同時にそれらに向けられる眼差しをめぐる問いが「新しい冷戦史」研究において要請されているといえるだろう。

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