constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

広島/ヒロシマをめぐる象徴政治

2007年10月03日 | nazor
ある理念や目標を掲げる運動がそれを実現するにあたって既存の権力といかなる関係を築くべきなのかという問題は安易な解答を約束してくれない。理念や目標を実現させるためには具体的な政策として提起され、現実的だと為政者たちに認識される必要がある。そしてその過程で権力との適切な距離感を見出す困難な作業が浮上してくる。安易に権力に近づくことは、最終的な達成目標である理念からの後退を招くことになり、理念に備わっている変革の契機が失われ、逆に権力を正当化するために利用されかねない。土佐弘之の指摘するように「知と権力との関係性を問い直さず現状の枠組みを所与として、その枠の中での技術的解決をめざすテクノクラート的な知の志向性(…)が再び支配的になっていく中で、既存の知の枠組みを問い直す批判的思考は隅に追いやられる傾向がある」のである(「ジェンダーと国際関係の社会学――マスキュリニティ(男らしさ)の再編」梶田孝道編『新・国際社会学』名古屋大学出版会, 2005年: 68頁)。

他方で理念や目標に固執し、権力との交渉や妥協を拒むことによって、暫定的であれ現状が変革される可能性が閉ざされてしまうこともある。たとえば「元慰安婦」に対する責任や補償問題への一対処策として作られた「アジア女性基金」をめぐって、「金で解決するものだ」と批判し、人間の尊厳を回復することを優先する主張や、国家の責任を曖昧にするものであり、あくまで国家補償ないし責任者の処罰を求める立場などのように、理念からの逸脱を問題視する声が聞かれた。他方で、こうした主張が、過剰な倫理主義の罠に陥り、具体的な展望を欠いた法的解決に時間を費やすことによって、本質的に多声的であるはずの元慰安婦の考えや要求が等閑にされてしまう点も指摘されている(大沼保昭『「慰安婦」問題とは何だったのか――メディア・NGO・政府の功罪』中央公論新社, 2007年)。大沼が「自分ができもしない、不自然で過剰な倫理主義の要求、知識人のいやらしさが臭う、もっともらしいがその実、空疎な論理こそ、戦後責任や戦後補償の主張をウソっぽいものにし、日本の一般市民の反発を招き、日韓の率直な、幅広い、深みのある友好を妨げてきたのではないか」(215頁)と指摘するように、理念の崇高さが人びとの共感や賛同を呼び起こすとは限らず、それこそ「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」という川柳が象徴するように、その潔癖性ゆえに居心地の悪さを覚えるのもまた人の性であるといえる。

同様の構図が『論座』誌上における核廃絶・削減の政策構想をめぐる議論にも見出せる。『論座』2007年8月号掲載の藤原帰一の論考「多角的核兵力削減交渉『広島プロセス』を提言する」に対して、安斎育郎と浅井基文が「『広島プロセス』は名実ともに受け容れられない――藤原帰一論文批判」(『論座』2007年11月号)と題する反論文を寄せている(全文は「21世紀の日本と国際社会・浅井基文のページ」で読める)。安斎と浅井は「核抑止論に立脚し、核廃絶を明確に視野の内に捉えることなく、プロセスとしての核軍縮を提唱するような藤原氏の主張は、まったく広島の立場とは相いれないもの」(229頁)と批判し、藤原が提唱する多国間核削減交渉に「広島」の名を冠することは相応しくないと主張する。また核廃絶の展望、6カ国協議の有効性、アメリカの核抑止力、米中間の戦力削減、そして広島/ヒロシマをめぐる集合的記憶の5点について藤原の認識に疑問を投げかけている。

しかしながら安斎と浅井の反論は、藤原の問題意識とはかけ離れているように思われ、いくぶん見当違いの感が否めない。むしろ「広島/ヒロシマ」という平和・反核のアイデンティティーが簒奪されることに対する危機感・憤りに満ちており、藤原の提案を真摯に受け止めるだけの余裕が感じられないものになっている印象が強い。残念ながら彼らの反論から藤原の提案を契機として開きかけた核兵器・開発問題をめぐる公論空間を豊かにするような展望は見えてこない。彼らの主張は原則として「正しく」また「美しい」かもしれないが、それが具体的な政策論としてどこまで通用するのかとなると疑問を抱かざるをえないし、ことさら「広島/ヒロシマ」の真の意味を理解しているのは自分たちであるという(信仰にも似た)信条表明に見られる「広島/ヒロシマ」の代表=表象する正当性に訴える態度などは、高坂正堯の次の言葉を裏書するようである。「軍備廃止という提案に対する人びとの態度には、一人よがりの理想主義や偽善のかげがつきまとっていた。一部の人びとは軍備廃止の正しさを理由に、それを実現するために努力を繰り返すだけで、実際にその努力がなんの成果をも生み出さないことを深く反省していない」(『国際政治――恐怖と希望』中央公論社, 1966年: 39頁)。すくなくともアメリカの核の傘による抑止力が機能するという前提に立つ政策決定者の前では彼らの議論は、藤原自身の表現を従えば「憫笑」以上の反応を呼ばないだろう。結果的に入江昭が指摘する日本外交思想に根ざした政府の「リアリズム」と民間の「理想主義」という棲み分けの維持・強化に寄与するだけであり(『日本の外交――明治維新から現代まで』中央公論社, 1966年)、通約不可能性に拘束された両者を架橋し、対話を促す機会を奪ってしまう。

たとえば「核廃絶」と「核削減」の関係について、「核軍縮の有用性を否定しないが、それはあくまでも核廃絶を実現することに役立つ限りにおいてである。…核廃絶を視野の外に置く核削減の主張は、広島の立場をことさら無視するもの」(229頁)と述べているように、安斎・浅井は、「核廃絶」を判断基準とする立場に立っている。しかしリアリストの常套句が示唆するように人類がすでに核兵器開発の知識や技術を獲得した以上、いったん核兵器が廃絶されたとしても再び開発される可能性を排除するものではなく、「よりたいせつなのは、どこかある国がひそかに核兵器を開発していると思うことが、平和を乱すのに十分であるのかもしれないということである」とすれば(高坂『国際政治』: 48-49頁)、そもそも「核廃絶」という目標自体が政策論とて見た場合望ましいものなのかが問われなくてはならない。核に関する知識や技術を人間の記憶から消し去ることが不可能であるとすれば、核兵器を「廃絶する」のではなく「使えなくする」環境や認識を作り上げることが重要となってくる。抑止戦略を否定しない藤原の立場は安斎と浅井にとって受け入れがたいようであるが、実際に政策を担っている実務家たちが抑止戦略を所与として政策の立案・遂行に当たっていることを考えれば、抑止戦略を頭ごなしに否定するよりも、藤原が述べているように抑止戦略において核兵器が束の間の安定しかもたらさないことをまず認識させ、より安定した状況に移行する戦略が求められる。

さらにいえば「広島プロセス」という名称が意味するように、藤原の提案の要点は軍縮を「原則」ではなく「プロセス」の観点から捉え返す点にある。「核廃絶」という原則を掲げる限り、それに向けた政策の成否は「核廃絶は達成できるか否か」という結果によって判断され、政策の実施過程における変更あるいは政策の柔軟的運用といった潜在的可能性は視野に入ってこない。原則に囚われることによって実現可能な多くの政策や目標が放置されることを考えたとき、原則を振りかざす行為自体が理念の達成を先送りしてしまう。一方で「プロセスとしての軍縮」という考え方は、当初の構想において「核廃絶」が明確な目標とされていないとしても、異なる政策目標を途中で取り込むだけの柔軟性を併せ持つ意味で、開かれた政策・構想とみなすべきだろう。それぞれの段階に応じて政策目標が異なるのは当然であり、ひとつの目標達成がべつの政策目標に向けたプロセスを誘発し、徐々に複合的な政策プロセスへと発展していく契機を内包している。それが結果的にたとえば「核廃絶」という目的に結実する可能性は一概に排除できず、しかも「いま・ここ」にある小さな危機や問題を解消することになるならば、「プロセスとしての軍縮」は安斎や浅井が考えるよりも政策的有用性に優れたものといえる。こうしたプロセスの潜在性を十分に理解せず、「核廃絶」の明示性の有無で判断するような批判は短絡的だといわなくてはなるまい。

他方で「プロセスとしての軍縮」を原則論で退ける安斎と浅井がいかなる代替構想を秘めているのかは見えてこない。「理念や運動の目標としてではなく、外交政策としての軍縮の意味を改めて検討し、実現できない夢から実現すべき現実の政策選択の場に軍縮を引き戻す」(77頁)ことが藤原の目的であるならば、安斎と浅井が考える核廃絶にとって役立つ核軍縮(削減)とはどのようなものなのかを提示してはじめて、藤原の「広島プロセス」と比較考量することができ、どちらの主張が妥当かを判断できるわけであるが、安斎と浅井の批判は具体的な点に踏み込んでいない。たとえば核廃絶の展望がアメリカの核政策を改めさせることから開けてくるというが、どのような取り組みを行うべきなのか明らかにされず、「全力で」という心意気だけが表明されている(230頁)。それゆえ「核廃絶への道筋をつけることには十分な客観的可能性がある」と彼らが認識するが、「客観的」とは何を指すのか意味不明であり、また集合的記憶として定着したアメリカの政府や市民の認識を変えることが、国家および個人の存在理由に深く関わる点で、彼らがいうほど容易ではなく、それこそ希望的観測に基づくものにすぎないのではないだろうか。あるいは北朝鮮問題にしろ、米中関係にしろ、現状を打開する鍵はアメリカにあり、アメリカの政策が変われば、あたかも自動的に東アジアの抱える問題は解決していくような印象もある。たしかに圧倒的な権力資源を有しているアメリカの動向が東アジア地域の国際関係に大きな変革をもたらすことに異論はない。しかしながらアメリカが最初の一歩を踏み出すことは不可欠であるが、その一歩に応答する他国があってはじめて外交が動いていくとすれば、北朝鮮や中国はどのような政策で応じるべきかまで踏み込んだうえでの批判が求められる。

総じて政策論としての核削減交渉「広島プロセス」に対して、原則論での反論を行うことはいかに生産性に乏しいものであるかを安斎と浅井の批判は自ら証明している。自らの立場をアプリオリに措定し、それを基準に提案や政策を判断する態度は、自らの主張の正当性や純粋性を担保してくれるかもしれないが、それによって議論の幅を狭め、通約不可能性をいっそう強化してしまう。自らの掲げる理念や理想を実現する上で、現実あるいは権力との取引・交渉が不可欠である以上、その可能性を念頭に置きながら適切な距離を維持する方法を探究する必要がある。たしかに丸山眞男の言葉に従えば「理想や理念と現実を固定的に分離し、…『理想はそうだけれど、現実は云々』というような形で、一時点の状況を固定化する思考、あるいは単に次々と起こるイヴェントを後から追いかけ、これに順応するだけの状況追随主義もまた、実は政治的リアリズムに似て全く非なるもの」(『丸山眞男講義録(3)政治学 1960』東京大学出版会, 1998年: 18頁、強調原文)であるところの「俗流リアリズム」(丸山: 20頁)あるいは「タブロイド・リアリズム」(Francois Debrix, "Tabloid Realism and the Revival of American Security Culture", Geopolitics, vol. 8, no. 3, 2003)が政策言説においてヘゲモニーを握っている現状では、理念や理想の持つ潜在性に訴えることはそれなりの意味を持っている。その一方で過度の理念の強調が「俗流リアリズム」に正当性を付与し、理念の実現可能性を低下させてしまうことも事実である。現実の政策に変化を与えていくためには、実際に権力を握り、政策を遂行している為政者たちの世界観や認識に入り込み、その論理を内破していく戦略が求められる。「核廃絶」というスローガンは一般市民には歓迎されるだろうが、それを具体的な政策へと転換していく構想が伴わない限り、永遠に達成されない理念に留まらざるをえない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 消化試合前夜 | トップ | Aクラスの壁 »

コメントを投稿

nazor」カテゴリの最新記事