「未来は既に始まっている」。こちらはオーストリアのジャーナリストで作家のロベルト・ユンク(1913~94年)氏の名言。それは正にそうで、日々の行動は未来には必ず結果として表れる。だからこそ「既に」としている。そのユンク氏だが、昭和32年(1957)年)に広島での取材活動に於いて、被爆者の実情を知らせるべく「灰墟の光―甦えるヒロシマ」(日本語版:1961年)を出版。何かと日本にも縁がある人物だ。さて今日も休みだ。音響系の編集作業があるので早朝から始めたが、データ化はリアルタイムの作業になるので、時間が掛かるのは仕方がない。その後は昨日の続きだ。カセットテープのIndexとラベル打ちだ。それらのテープの録音当時は手書きだったので、どうも自身の下手な字が気になるのだ。中にはローマ字スタンプの物もあるが、やはりパソコンのワード機能を使った方が精神衛生上は良い。今更ながらだが、カセットデッキも未だに現役なので、こんな状態だ。(自身でも修理をしているので尚更だ。)再生に関しては、現在の方が条件が良かろう。と言うのも、それらを頻繁に使っていた1970年代中期から80年代は、カセットテープの性能に限界を感じていたからだ。時が経てば印象も変わるものだ。その年代のミュージックシーンと言えばシンセサイザーが浮かぶ。日本のシンセサイザー音楽の先駆者と言われた冨田勲さんの新譜(レコード)もあり、勿論、YMOを筆頭にテクノポップも盛んだった。(戸川純さんの初期もそれだった。)今となっては懐かしいが、音楽界自体も文化水準が高く、良い時代だった。それが今やだが、此処ではその理由は言うまい。楽壇も今時のグローバル化で世界が狭くなった。下らない世の中になったものだ。今こそナショナリズムの復活を求めたい。御国訛りがあったからこそ、領域は守られた。そんな事を今更ながらに思う。

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