元祖 ひまうま本舗

「ひまうまの世間は、鬼ばかり?」後身blog

希望も恐怖も

2024-02-21 09:39:26 | 独り言


さて今日は休みだ。早朝からしていた事は、相変わらずのTRIO「KX-7000」(カセットデッキ)の調整だ。それはカウンターベルトだったが、ようやく適正の長さの物と交換をして、回転ムラ等のトラブルを回避出来た。それでかなり以前にNHK-FMで放送されたオペラアワーから、1962年のバイロイト音楽祭の演目「タンホイザー」を録音したものを走行系のチェックテープとして使っている。実は、その序曲冒頭のクラリネット、ファゴット、ホルンが奏でる旋律が、少しの回転ムラでも居心地が悪くなる程の音階で、その素朴な旋律がスムーズに鳴らない。それはピアノ曲にも言える事で、一音、一音の音階がしっかりと鳴らないと気持ち悪くなる。ちなみに今日交換したカウンターベルトが最もブレがなく、見るからに安定していた。まだ細かい調整は必要だろうが取り敢えずである。それでは話は変わり、タイトルに添えた言葉だが、いつもの英国の女流作家、メアリー・シェリー原作「フランケンシュタイン 或いは現代のプロメテウス」から登場人物の台詞だ。フランケンシュタイン曰く「人間にとってもっともつらいのは、次々に事件が積み重なって感情が高ぶった後、死んだような静けさが訪れて身動きならず、魂から希望も恐怖も失われた時ではないでしょうか」。「ジュスティーヌは死んで安らかに眠っていますが、わたしは生きています」と。そのジュスティーヌは、フランケンシュタインの弟を殺害したと疑われながら罪を背負ったのだが、フランケンシュタインは、自らが造り上げた怪物が弟を殺した事を知っている。そこがこの物語の不幸でもあるのだが、そこに共感した(フランケンシュタインの)婚約者のエリザベスは嘆く「あなたと一緒に死ねたら。こんな惨めな世界では生きていく事も出来ない」と。ようやく物語が見えてきた。そこでフランケンシュタインの語る「「人間にとってもっともつらいのは、」だが、問題は冷静になった時に浮かぶ、これからの事だ。小生もそうだが、一昨年秋に父を亡くし、母と共に暮らしているが、その年齢上、母が先に他界するのは自然の摂理である。なので「その場に居合わせたらどうなるか?」てな不安は常にある。父の一周忌を終えてからは特に思うようになった。「だから趣味に没頭するのかな?」等と自己分析をするが、そう言う事なのだ。余は無常である。このblogの更新が終わったら、専門業者にレストアを依頼するカセットデッキ(TEAC「A-450」)を梱包し、連絡をする予定だ。ELMO「ST-800」(8ミリ映写機)の半固定抵抗は交換済だ。旧来の物よりも小さくなった。これぞ技術が日進月歩である証しである。サッサと作業を済ませよう。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 無実の罪 | トップ | 孤独こそが唯一の慰め »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿