8月27日にサンデル教授の哲学授業に出席した。若い人から大学教授まで、いろんな人が出席していた。
もちろん、白熱教室であった。特に若い人は積極的に発言していた。
私も発言しようと一所懸命に手を上げたが、目と目が合うわけもなく発言の機会はなかった。
私の大学の授業でこのような対話方式の授業はゼミだけであった。数学のゼミだから、哲学と違って答えは一つであり、おのずと成績のいい人の一人舞台となる。私はうなずきトリオの一人であった。
息子が小学校5年生の時、担任の先生がディベートが好きで、総合学習の時間の度にディベートをしたそうだ。息子は、私が仕事から帰ってくると、私にディベートをしかける。もちろん、かなうわけがないが、とても楽しそうに、学校でのディベートも話してくれた。小学校の授業で、これほど話してくれた授業もなかった。
大学での授業はもちろん小中学校でも、こういった対話形式を取り入れたらいいと思う。
当然と言えば、当然である。
もちろん、白熱教室であった。特に若い人は積極的に発言していた。
私も発言しようと一所懸命に手を上げたが、目と目が合うわけもなく発言の機会はなかった。
私の大学の授業でこのような対話方式の授業はゼミだけであった。数学のゼミだから、哲学と違って答えは一つであり、おのずと成績のいい人の一人舞台となる。私はうなずきトリオの一人であった。
息子が小学校5年生の時、担任の先生がディベートが好きで、総合学習の時間の度にディベートをしたそうだ。息子は、私が仕事から帰ってくると、私にディベートをしかける。もちろん、かなうわけがないが、とても楽しそうに、学校でのディベートも話してくれた。小学校の授業で、これほど話してくれた授業もなかった。
大学での授業はもちろん小中学校でも、こういった対話形式を取り入れたらいいと思う。
当然と言えば、当然である。