つぶやき日記

毎日のつぶやきをまとめた日記

徒然なるままに12月29日

2010年12月29日 19時27分17秒 | Weblog
年末の休みであるが、できるだけいつも通りに朝は起きるようにしているが、ー今日はいつもより一時間遅く、六時半に起床した。空を見ると調度下弦の月が南中していた。まだ太陽は顔を出さないが、空はすっかり青空である。そこに綺麗な月が輝いて見えるのは、何とも言えない自然の作り出す神秘さを感じるし、自然は今日も規則正しく動いていることの凄さを感じる。

午前中は読書、午後から家族全員で大掃除。普段綺麗好きな妻がこまめに掃除してくれているが、いろんな所に埃ってもんは溜まるもんだ。それらを綺麗すっきり取り除くことの気持ちよさ。雑巾が真っ黒になると、気持ちまですっきりする。座禅するより、いいかもしれない。

本棚を片付けていたらいろんな本が出て来た。結構買ったことを忘れてしまって、こんな本があったのかと気づく。英単語を覚える暗記用の本はいくつも出てきた、まだまだ勉強する気があったことに驚く。また、中途半端で終わった日記帳の何と多いことか?来年こそ、最後まで一つの手帳、一つの日記帳を使い続けてみよう。続けるころで、何かしら見えてくることがある。

今日は家から一歩も出ていない。たまにはこんな日があってもいいかも?暖房をつけていないが、今日は暖かい日であったか?家から一歩も出ないと、そんなことも気づかない。

もういくつ寝るとお正月。この歌ほど大人になった今でも心躍らせてくれる歌はない。クリスマスの歌は、どちらかと言うと悲しい思い出の方が多い。
正月までカウントダウンできるほど近づくと年の瀬の気分がいやが上でも盛り上がる。それは子供のころの記憶が蘇るからである。お正月をとても楽しみにしたものだ。それは、お年玉をもらって、おもちゃを買う。これが子供楽しみである。昭和三十年代当時は誕生日とお正月にしか買ってもらえなかった。

うちの子供たちは、昭和はもう古臭いと馬鹿にするが、客観的に見て今の平成より、昭和の方が(戦後だけだが)世の中明るい、希望に満ち溢れていると私は思う。でもそれは自分が少年から大人になり、社会人として働き始め、結婚して家庭を持つという上向きの希望に溢れた時代だったからかもしれない。子供達は、今の時代の方が当然いいと言うだろう。彼らは昭和をもちろん生きていないし、今青春の真っただ中にいる彼らは、自分の将来に悲観してはいないし、青春を謳歌している。

作家の五木寛之さんは、現代は鬱の時代だとよく言うが、私は全然そうは思わない。たぶん五木さんの年齢がそう言わせているのである。雇用の無い厳しい時代であっても、周りの子供達は昔と変わらずに勉強とクラブに励んでいる。そういう姿を見ると、鬱の時代なんてとんでもない。

しかし、昔と変わらないことは、いいことであろうか?まず、これからは昔のような雇用がない。円高で企業は安いアジアに労働市場を求める。少子高齢化で若者が年寄りを養う今の年金制度が破綻するのは、目に見えている。
いろいろなことが昔とは違うのに、子供達の教育、日常は昔のままでいいのだろうか

座禅後の自分との会話

2010年12月26日 21時40分34秒 | Weblog
座禅後は、いつももう一人の自分が現れる。自分のすぐ上空1mぐらいの所に現れ自分の心を客観的に分析する。その自分との会話が始まる。
「今日は何故座禅したんだい?随分と長かったじゃないか?精神的に辛いのか?そこまで頑張ってどうする?」
「家族のために頑張るのは、親父譲りの俺の性格だ。辛くなんかないさ、ちょっと疲れただけだ。一日寝れば、またすぐ元気になる」
「やせ我慢は、やめといた方がいいな。本当はやなことでもあったんだろ?なかなか自分の信念を曲げることが出来ないからな?」
「俺も年を取って大分丸くなったり、会社勤めのサラリーマンである以上は、上の支持に従うしかない」
「それで満足なのかい?」
「満足とか、不満足とか、そんな問題じゃないんだ。そういうことは考えない事にしている」
「生活のためか?さっき家族のためって言っていたが、家族がそんなに大事か?いずれは、皆お前の元を離れて行くだろう」
「それでいいじゃないか、俺はずっと俺のそばにいて、俺に尽くせとわ言っていない。皆自由に生きればいい。一度きりの人生じゃないか」
「では何故座禅などする?時間の無駄じゃないのか?」
「確かに時間の無駄かもそれないが、何も考えないで済むようになる。考えないことは、何と幸せなことか。最近つくづく感じる。考えてもしかたのないことに、今までいろいろ悩んで、ストレスを貯めていたんだ」
「でも一度きりの人生なんだろ。お前も家族のためなどど、そんなこと言わずに好きなように生きてみればいいじゃないか?」
「好きなように生きているさ。家族のためなどど、大袈裟なことを言ってしまった。俺は俺の家族が好きです、一番大切なんだ。それだけだ」

できるだけポジティブに気持ちよく過ごせるように、会話は自分の都合のいいように、自分の信条に合わせながら、まだまだ自分との会話は続く。

徒然なるままに12月26日

2010年12月26日 21時37分37秒 | Weblog
寒い一日だった。天気でも北風が吹くと寒い。例によって午後からスーパー銭湯の「湯の市」に行った。炭酸泉は、本当に体にいいのだろうか?一応学説的には、体にいいことが認められている。だからかなのか、男湯では沢山の人が炭酸泉に集まる。他の湯船は空いている。もう一つ混むのがサウナである。サウナか炭酸泉か?湯の市に来る男の目的は二分されているような気がする。

帰る家がある人と無い人では、生き方に違いがある。無い人は厳しい、常に明日の生活、将来の家族のことを考えないといけない。帰る家がある人は、すなわち親が裕福であったり、親が商売をしていてその商売を継ぐことができる人は、やはりどこかに甘いところがあるか、何かに積極的に挑戦することができる。ボランティアをするとか、自分の道を進むとか、極めるとか、明日の生活の事を考えないで済むところがある。できれば自分は子供達のために、彼等の帰る家になりたい。子供達には、好きなように生きて欲しい。自分の道を見つけて、自分に素直に生きて欲しい。と思うのは、バカ親であろうか?

You are always on my mind

2010年12月22日 20時53分24秒 | Weblog
常にプレスリーの曲が流れる店がある。何故か妻に逃げられた男達が集まる。それも世間一般には、顔やスタイル、身長から判断すればかっこいいと思われる男達。でも皆、どこか寂しそうである。侘しさが漂う、おばさん達には母性本能をくすぐられるかもしれない。妻に逃げられ、子供達にも会えない、仕事は出来るし、会社での地位も高い、決して人生に失敗した訳ではないのに、何故か寂しい。

今日も、カップルがやってきた。

「Are you lonesome tonight?今夜は一人かい、寂しいならヨリを戻そうよなんて歌う姿は、男の儚さがプンプンしている。こんな独りよがりな男と別れた女は、楽しくやっているに違いない。それでも、妄想の激しかった中高生時代は、こんなカッコイと信じていたプレスリーの歌の世界の男に、自分もなろうと努力していたんだ」

「Love me tender今でもこの曲が究極のラブソングだと思う。プレスリーが歌うのがいい、彼自身は少しフラット気味で、レコーディング時には不満だったと言われているが、その部分も含めて最高傑作である。これを採用したレコーディングディレクターも最高でだろう」

「好きにならずにいられない。英語のタイトルはCan't Help Falling In Love、これもいいバラードだ。これも究極のラブソングだと思うよ」

「この胸のときめきをって歌、英語のタイトルYou do not have to say you love me.よりずっと日本語のタイトルがいいと思う。いかにも君に心底ときめいているようでいい」

「そんなに、プレスリーが好きだった?」女が初めて口を開いた。

「You are always on my mind. この歌が一番好きかな?妻を大事にしなかったことを後悔することを切々と歌い上げる。妻と別れて始めてわかる家庭の大事さ。仕事よりも、もっともっと大事なものがあることをプレスリー自身の身をもって思い知らさせてくれるんだ」

「今さら後悔しても遅いわ」

「確かに仕事ばっかりで、君を大事にしなかったことは認める。でももう一度やり直せないか?」

「この店に連れて来たってことは、もうわかっているんでしょ。さようなら」女は、振り向きもせずに出て行った。

「マスター、その今流れているYou are always on my mind、もう止めてくれないか」


冬至の日に集まる謎の団体

2010年12月21日 21時25分12秒 | Weblog
毎年冬至の日の前後に生まれた人たちが、冬至の日に集まる謎の団体がある。勿論年によって冬至の日は異なるので、皆誕生日が同じという訳でもない。ゆず湯に入り、カボチャのスープを飲み、かぼちゃのおかゆを食べる。ただそれだけの集まりである。全国にある冬至神社にお参り行く。この会の人にとって、新年のようである。誕生日のせいか、新しい年になる。

夏至の集まりもある、冬至の日に対抗してできたようだ。これによって秋分の日、春分の日の集まりも出来た。こちらはずっと新しい。なぜ冬至の集まりが一番最初にできたのか?研究者によると、あらゆる生命が、またこの日から復活するそうだ。これからどんどん日が長くなることをお祝いする、太陽に地球に大自然に改めて感謝する。そういう意味があるらしい。クリスマスも起源は冬至祭(ユール)なのだそうだ。

中1になったうちの娘にも、今年初めて招待状が来た。中学生になると参加資格が与えられるらしい。

クラウドブックを触ってみた

2010年12月21日 21時18分50秒 | Weblog
東芝が出した世界初(たぶん?)クラウドブックをビックカメラで触ってみた。会社で使用するクラウド端末のために購入して評価してみたかったが、まだその価値もないことがわかった。個人向けなので、VPNがない(iPadのようにソフトが売っているかもしれないが)、リモートデスクトップの機能もない。これらは最低限、会社で使うには必須であろう。
ただ、ノートブックPCのクラウド端末化の将来性は垣間見た気がする。

クラウドブックの必須機能を上げてみよう。やはりWindows7の簡易Laptop PCが、フラッシュメモリを積んで、電源投入時の起動時間を短縮するモデルが主流になだろう。Macbook Air並みに起動が早くないといけない。Mac Airもいいが、やはりMacなので、Windowsに慣れた社内の一般ユーザには、違和感があるだろう。

VPN、リモートデスクトップ機能でVmwareかWindows2008か、Citrixのクラウドサーバに接続できる。
インターネット、email、リモート削除機能、MS Officeのファイルの編集と閲覧。
Wi-Fi、USB接続によるデータ通信回線への接続。


evernoteも使ってみた。いい機能だ、クラウド時代には、必須となる機能だ。iPadでも動作するし、携帯電話でも動作するし、PCでも動作して、なおかつ全てのデータを同期できる。容量も、申し分ないほど使用可能である。但し、企業で使うには今のままではセキュリティが不十分である。会社が管理出来ない。

ただ単純に個人がいろいろな端末でデータ、ファイルを共有したいのであれば、Gmailで十分かもしれない。メモはメールに新規作成機能を使えばいいのであり、自分宛に送信しておけばGmailサーバ上で共有できる。

徒然なるままに 12月20日

2010年12月20日 20時41分42秒 | Weblog
座禅の一番の目的はストレスフリー、ストレスを無くすこと。それに加えて、慣れてきたら気持ちをポジティブにし、いいアイディアをいっぱい沸き立たせる。他人をも、幸せな気分にする。

それには、まずは自分を捨てることから、始める。自分を捨てるとは、三大煩悩を消す、怒り、自己顕示欲、迷いを捨てる。考えないようにする。KPIは?ストレスが原因で起きる以下のことを削減する、全てカウントできる、客観的に評価できる項目を目標を測るKPIとする。また、自分で自分の心を観察し、変化が起きていることを確認する。
緊張する会議で緊張しないようになる。
体重が減って健康になる
休日が充実する
定時に帰る
自分の時間が増える。
有給を全て使う
座禅は、どこでもできる。逆にどこでも、いつでもできないとサラリーマンには、使えない。有効なツールにはならない。電車の中、朝は気分を落ち着かせ、その日の戦略を考える。帰りは反省だ、怒ってしまったか?緊張したか?ご機嫌伺いなど、自分の価値観と合わない行動をしなかったか?

「自分の心を観察する」ことから、始めよう。まずは、自分の心の現状をよく知ることが、何事も第一歩。自分の心を観察し記録する。
ダイエット時には、いつも誘惑に負けている自分がいる。明日を決めるのは今、全てを決めるのは今、と言っていい。後で何々しようは、絶対にだめだ。心で決めたことを必ず実行することは必要だ。自分の心を裏切ってはいけない。頭と心の騙し合い。頭が理性的で、心は感情的なのか?

TVドラマのSPEC、最初から最後までわからない。後編があるのだろうか?一度整理してもらはないと、何が何だがわからない。トウマの頭脳は最高だ、面白い。トウマが映画化はしないと言っていたが、本当にしないのか?

ミスドで最近よくプレスリーの曲がよく流れる。サスピシャスマインド、互いに信頼できないで、疑ってばかりいたら、幸せになれないと歌うプレスリー、もうプレスリーが生きた年齢を越してしまったけでえど、プレスリーはやっぱりいい。プレスリーからは、ロックお帝王という華やかさより、tいつも一人の男としての寂しさ、侘しさが伝わってくる。あんなに大きな家に住んでいたが、本当は寂しかったんじゃないのか

You are always on my mind. Love me tender. プレスリー好きだ。こういう寂しい歌を歌っているから、寂しさを感じてしまうのか?

徒然なるままに 12月17日

2010年12月18日 06時54分43秒 | Weblog
座禅の目的は、無我の境地になることである。無我、すなわち自分を捨てる。自分を捨てると何がいいのか、ストレスから解放される。BSC(バランス スコア カード)的に言うならば、何をKPI(キー パフォーマンス インディケーター)に設定すればいいのか?目的がストレスからの解放であるならば、ストレスを感じた日数をカウントする、何にストレスを感じていたのか?例えば会議であるなら、その会議でストレスを感じなかったかどうか?を自己判断する。主観的ではあるが、いいKPIであるかと思う。もともとストレスは主観的である。

人間万事塞翁が馬。人間の寿命の方が会社の寿命よりはるかに長い。長い目で見たら何が災いして、何が幸運なのかがわかる。
今は無き自己破産した山一證券、あの時山一に入社していたら、今頃どうなっていたか?他のメーカーに買収されたEMCやルーセント、不採用であったことが、どれだけ幸いしたか。また、リストラされていただろう。
でも果たして、それらが不幸になったかどうかなど、誰も分からない。

会社の文化を変えるということ。変革のリーダーに求められていること。トップは「裸の王様」であるケースが多い。トップの下が自分達の利益を守るために変革などしやしない。重要だが、自分達に不利になる情報を伝えない。トップも変革に伴う苦痛を求めていない。トップが変わっても何も変わらないケースが多い。
それでもデータ重視のマネージメントへ変えるだけでいい。客観的データであれば、尚更いい。目標を正しく設定し、正しいKPIを評価すれば結果は後からついて来る。目標は常に原点に帰って設定する。正しい目標と正しいKPIさえ設定出来れば、後はPDCAサイクルが解決してくれる。正しくない目標に対して、正しい計画とその実行が一番やってはいけないことでないと正しい目標から大きく外れてしまう。また、正しいことを行っているので、正しいことをしていると思い込み易い。

徒然なるままに 12月15日

2010年12月18日 06時51分52秒 | Weblog
なかなか自分からインスパイヤーするのは難しい。
何かいろいろ外部からの刺激が必要だ。でもそれは新聞では絶対にない。イライラするからである、もっと伝えるべきことがあるだろう。といつも思ってしまう。新聞は読まない方がいい。TVのニュースで必要十分である。但し解説が必要だ。その政策で、どんなメリットがあり、どんなデメリットがあるのか?コストは?期待される効果は?また、政策が実施された後、どうなったか?検証される事はないし、それも報道される事はない。知りたい事が報道される事はない。また、学者も批判するだけで、全然話にならない。中身がないからである。