年末の休みであるが、できるだけいつも通りに朝は起きるようにしているが、ー今日はいつもより一時間遅く、六時半に起床した。空を見ると調度下弦の月が南中していた。まだ太陽は顔を出さないが、空はすっかり青空である。そこに綺麗な月が輝いて見えるのは、何とも言えない自然の作り出す神秘さを感じるし、自然は今日も規則正しく動いていることの凄さを感じる。
午前中は読書、午後から家族全員で大掃除。普段綺麗好きな妻がこまめに掃除してくれているが、いろんな所に埃ってもんは溜まるもんだ。それらを綺麗すっきり取り除くことの気持ちよさ。雑巾が真っ黒になると、気持ちまですっきりする。座禅するより、いいかもしれない。
本棚を片付けていたらいろんな本が出て来た。結構買ったことを忘れてしまって、こんな本があったのかと気づく。英単語を覚える暗記用の本はいくつも出てきた、まだまだ勉強する気があったことに驚く。また、中途半端で終わった日記帳の何と多いことか?来年こそ、最後まで一つの手帳、一つの日記帳を使い続けてみよう。続けるころで、何かしら見えてくることがある。
今日は家から一歩も出ていない。たまにはこんな日があってもいいかも?暖房をつけていないが、今日は暖かい日であったか?家から一歩も出ないと、そんなことも気づかない。
もういくつ寝るとお正月。この歌ほど大人になった今でも心躍らせてくれる歌はない。クリスマスの歌は、どちらかと言うと悲しい思い出の方が多い。
正月までカウントダウンできるほど近づくと年の瀬の気分がいやが上でも盛り上がる。それは子供のころの記憶が蘇るからである。お正月をとても楽しみにしたものだ。それは、お年玉をもらって、おもちゃを買う。これが子供楽しみである。昭和三十年代当時は誕生日とお正月にしか買ってもらえなかった。
うちの子供たちは、昭和はもう古臭いと馬鹿にするが、客観的に見て今の平成より、昭和の方が(戦後だけだが)世の中明るい、希望に満ち溢れていると私は思う。でもそれは自分が少年から大人になり、社会人として働き始め、結婚して家庭を持つという上向きの希望に溢れた時代だったからかもしれない。子供達は、今の時代の方が当然いいと言うだろう。彼らは昭和をもちろん生きていないし、今青春の真っただ中にいる彼らは、自分の将来に悲観してはいないし、青春を謳歌している。
作家の五木寛之さんは、現代は鬱の時代だとよく言うが、私は全然そうは思わない。たぶん五木さんの年齢がそう言わせているのである。雇用の無い厳しい時代であっても、周りの子供達は昔と変わらずに勉強とクラブに励んでいる。そういう姿を見ると、鬱の時代なんてとんでもない。
しかし、昔と変わらないことは、いいことであろうか?まず、これからは昔のような雇用がない。円高で企業は安いアジアに労働市場を求める。少子高齢化で若者が年寄りを養う今の年金制度が破綻するのは、目に見えている。
いろいろなことが昔とは違うのに、子供達の教育、日常は昔のままでいいのだろうか
午前中は読書、午後から家族全員で大掃除。普段綺麗好きな妻がこまめに掃除してくれているが、いろんな所に埃ってもんは溜まるもんだ。それらを綺麗すっきり取り除くことの気持ちよさ。雑巾が真っ黒になると、気持ちまですっきりする。座禅するより、いいかもしれない。
本棚を片付けていたらいろんな本が出て来た。結構買ったことを忘れてしまって、こんな本があったのかと気づく。英単語を覚える暗記用の本はいくつも出てきた、まだまだ勉強する気があったことに驚く。また、中途半端で終わった日記帳の何と多いことか?来年こそ、最後まで一つの手帳、一つの日記帳を使い続けてみよう。続けるころで、何かしら見えてくることがある。
今日は家から一歩も出ていない。たまにはこんな日があってもいいかも?暖房をつけていないが、今日は暖かい日であったか?家から一歩も出ないと、そんなことも気づかない。
もういくつ寝るとお正月。この歌ほど大人になった今でも心躍らせてくれる歌はない。クリスマスの歌は、どちらかと言うと悲しい思い出の方が多い。
正月までカウントダウンできるほど近づくと年の瀬の気分がいやが上でも盛り上がる。それは子供のころの記憶が蘇るからである。お正月をとても楽しみにしたものだ。それは、お年玉をもらって、おもちゃを買う。これが子供楽しみである。昭和三十年代当時は誕生日とお正月にしか買ってもらえなかった。
うちの子供たちは、昭和はもう古臭いと馬鹿にするが、客観的に見て今の平成より、昭和の方が(戦後だけだが)世の中明るい、希望に満ち溢れていると私は思う。でもそれは自分が少年から大人になり、社会人として働き始め、結婚して家庭を持つという上向きの希望に溢れた時代だったからかもしれない。子供達は、今の時代の方が当然いいと言うだろう。彼らは昭和をもちろん生きていないし、今青春の真っただ中にいる彼らは、自分の将来に悲観してはいないし、青春を謳歌している。
作家の五木寛之さんは、現代は鬱の時代だとよく言うが、私は全然そうは思わない。たぶん五木さんの年齢がそう言わせているのである。雇用の無い厳しい時代であっても、周りの子供達は昔と変わらずに勉強とクラブに励んでいる。そういう姿を見ると、鬱の時代なんてとんでもない。
しかし、昔と変わらないことは、いいことであろうか?まず、これからは昔のような雇用がない。円高で企業は安いアジアに労働市場を求める。少子高齢化で若者が年寄りを養う今の年金制度が破綻するのは、目に見えている。
いろいろなことが昔とは違うのに、子供達の教育、日常は昔のままでいいのだろうか