独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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   万葉讃歌 (3)          佐藤文郎

2019-04-10 09:30:56 | 日記

  文郎さん
 元気ですね! 言葉、ひとつひとつの中に 大自然のエネルギーが 躍動していましたよ! 君の手紙の中の———、四月、ぜひ おいで下さい! あたたかい日の光の中で あなたと おそらく 最後のかたりあいが 出来るでしょう! この人生で 出合えた頃 とても しあわせでした! 
 人生バンザイ!
 合う日まで————。              上野霄里
     
(水彩でわすれな草の絵が、描いてあり、紅子とは、奥様の雅号でしょうか)

 こころと言葉が一致しているというのは、こういう文のことです。「出合えた頃」とありますが、六十年前です。私は親不孝をかさねただけではないですね。また「最後のかたりあいが———」とありますが、「まだ行ってないのか、お前一人だけだぞ」と至る所からきこえてくるようです。一年に一度、上野先生をかこんで、懇親会がおこなわれます。沖縄から、九州から、四国から,島根県から、盛岡から、衣川から、しかし東京にいて、のんびりしている私は毎回欠席しています。今年は、這ってでも、懇親会と別行動になっても、行くつもりでいます。昔から、私が、呂律が回らず、口籠っていると、先生は、一語聞いただけで、分かるらしく、話そうとしているお粗末な内容を完全な物にして聞き取って下さるのです。恐ろしい位の察知能力なのです。「最後に、かたり合いが」などとはとんでもないです。まだまだ先生には、人生の深淵について教えて頂かなくてはいけません。今日も又、万葉集や万葉歌人について、このあとつづけるのですが、六十年前の作とはおもえませんね。この本を岩手県のいちのせきで、刊行をみたとき、沖縄から北海道、日本全国からこの本を読んだ色々な方が先生に会いに訪ねて見えましたね。初めは出版のことなど、誰も信じないでしょうが、全く念頭になく、先生は広告紙の裏に書いた物を二十枚程、毎日私と、重度の障害があり、椅子に座ったきりの、しかし特別な才能に恵まれた鈴木幸三さんに読んで聞かせていました。しかし、この本の内容は、放っておいても、ひとりで、足が生えて、活字になって、広い世界に飛び出して行く運命と言うか、必然性をもっていましたね。力強い音読に、涙を流したり、励まされたり、そうかとおもうと、自分が云われているのかと、青ざめ、唇の端をわななかせたりしました。奇蹟がおきて、数年後に出版されるのですが、それでも不思議なのは、先生も私もこれで一儲けしようなどとは考えませんでした。何十年経ってもそんな気分はおきません。三十年前、先生の著作をまとめて一億円でどうだ、といって来た人を、先生は断った出来事は懇親会に集まる人達の間では知られている事です。金銭の価値とは別の、金銭では換算出来ない永遠の価値を先生は考えておられるし。すでに得ておられますね。私にもわかります。金銭は使えばなくなりますが、先生から教わったイノチは、エネルギーとしか表現出来ませんが、素晴らしいものです。百%精神的なものです。私が手に入れた魂魄は、だいぶ、輝きも薄く形もいびつですが、それでも永久に清々しい思いで、わが胸の奥で輝き続けるはずです。それでは、そろそろ先生が琵琶法師のごとくに言霊で語る万葉の世界の貴人達に会いに行くことにします。
 上野霄里著『単細胞的思考』
  ◯第一章 原生人類のダイナミズム ——原始的人間復帰への試み——
◆ゴンチャロフの水晶体(万葉集のポエジーをメデアとして)前回からつづく。
 【———彼等は、自らが日本人の原形質であることを、歌の言葉に託して、今日の我々の胸に向かって証言しているのだが、我々の胸の真空管もトランジスターも、とうに切れてしまっている。出力は大きいのだが、肝腎の配線が狂っている。だが一度この社会から葬られ、この世代の最大の敵となりこの世の最低の愚か者となり果てる瞬間から、元通り配線が直り、真空管が働き始める。常識家にとって万葉集は何の意味もない。
 徳川三百年の鎖国の歴史、これはトインビーやウエルズ始め、多くの外国の歴史家たちが、戸惑い悩む不思議な事件であった。この地上に、三百年もの長い期間にもわたって、何千万人(当時の人口)かの人々が独裁政治の下で、何も言わずにじっとうずくまっていた例は他に見られない。思えば、何とも納得のいかない事件で在った。この三百年間、日本人は、陽の当たらぬ牢獄に閉じ込められて服役していたわけだ。何ら正当な理由と罪状なしに、無理矢理に、このじめじめした牢獄に幽閉されていたのである。ロシア人、ゴンチャロフが、会ってその異様さと無表情さ、形式張った中味の無い立ち居振る舞いといったものに、驚き呆れ返ったのはほかでもない、三百年の囚人生活ですっかり人間本来のうるわしい姿と、たくましい機能と、生きているにふさわしい溌剌とした精神を麻痺させられてしまっていた幕末の日本人だったのである。彼は、日本人のなれの果てに出遭った。腰を抜かしておどろいたのも無理は無い。三百年の流刑を了えて戻ってきた囚人が、その時代の感覚をそなえているはずがあるまい。三百年前の生活を、化石のように反復してきた罪人にとって、三百年後の新しい時代が恐ろしく、しかも油断のならないものとして、思わず知らずさっと身構えるのも至極当然のことではないか。
 ゴンチャロフは、そういった、三百年の重労働をつとめあげて、悪魔島から戻って来た、世にも奇怪な囚人に出遭ったのだ。ハリスもビゴーも、日本人に出遭って度肝を抜かれたことを、だらしないと責められないはずだ。自由に生きていた人々にとって、当然、思わずしめしてしまう反応であった。
 徳川三百年の牢獄生活で、日本人はどのようにかわっていったか。恋愛感情を表現することは男子として恥ずかしいことと思うようになり、愛し合って連れ添った仲であっても、妻が、その五十年の夫婦生活の中で納得することは、夫が一、ニ度しか愛情を、それとはっきり示すことはなかったという事実である。そして、その一、ニ度の愛情表現さえ、おそらく亭主本人にとっては、どうかしたもののはずみで、心にもなく取り乱してそうしてしまったのであって、それさえ大いに恥じるといった具合だ。
 男の誇るべきことは仕事だとか、大義に殉ずることだとか、そんなご大層なことを言って、結局は間に変貌していったのだ。
 西洋人が、日本人は我々と違って、肉体の感覚が薄いのかと勘ぐりたくなるほど、平気で、しかもあっさりと切腹をした時代がつづいた。その実、実際に腹など切ってはいない。四十七士の時には、短刀の代わりに、三方に載っていたのは扇子だったと記録されている。そして、切腹人が、儀礼的に、作法に従って扇子を短刀に擬して、おしひろげられた腹に突き立てる瞬間、背後に立っている介錯人の大刀が素速く宙を走り、首を打ち落とした。全く痛みを感じない瞬間的殺人法。
 例え本物の短刀で切腹の座についたとしても、短刀が腹に当てがわれる瞬間に、タイミングよく首が打ち落とされた。武士の情。いい言葉だ。武士は相見互いと固く信じて彼等は互いに助け合ったのだ。痛くて苦しいだろうとよく分かっていたのだ。だから、武士の情がこの上なく美わしいものとして、さむらい達の心を締めつけていた。武士道のリリシズムがここにある。
 だが、この武士の情は、決して口外してはならないものであった。切腹の実状は、つまり、短刀が実際には腹をえぐりとることをせず、死の苦しみにもだえさせないように、介錯人が気を利かしてしまうといった事実は、決して口外されなかった。切腹とは、従って、人間以上の不思議な力に支配された儀式として、部外者の印象に残される結果となった。
 それにしても、死ぬということ、身も心も転倒していて自殺して果てていく者は別として、堂々と、死んでいる切腹人の心境は、大きな謎だ。単なるさむらいの意地だけが仕向ける業であろうか。単なる純粋な忠誠心だけであれだけのことが出来るものであろうか。単なるお家大事といった、今日のサラリーマン意識があれほどの大胆さを与えるものだろうか。いや、決してそうではない。そう考えることは、余りにも感傷趣味に流れた、日本人以外の人間にのみ許さされる解釈の仕方である。我々日本人には、こういった見方が、どのような理由からしても、決して許されてよいはずがない。私は、ここで、はっきりとそのことを言わなければならない。
 武士達のあの切腹とか、それに類した他の大胆不敵に見える生き方もよくよく観察してみれば、三百年の不自然な緊張の連続である生活の中で、当然心に感染しなければならない筈の、ヒポコンデリー症状の一面であり、ヒステリー症状の側面であった。
 仇討ち、自決、出家して世捨て人になる行為、これらは直接的に武士の健康な行為、深い宗教的行為とみなされていた悪夢の三百年は別として、今日、我々は自由な眼でもって、悪質な病気の末期症状とみなければならない。夫婦は決して離婚してはならぬものと信じ込み、愛してもいず、尊敬してもいないくせに生涯連れ添うなどといった生き方も、ノイローゼの重症患者のしそうなことである。社会的義務のために自己を葬り去る。自由人にとって夫婦が一生連れ添っていられるのは、生涯二人が互いに魅力を発見し合い、新鮮な気持ちで愛し合っていける時のみに限られなければならない。そうでなかったら別れるべきだ。自分を殺してまで夫婦になっているなど、牢獄生活よりも辛いものとなる、ましてや子供が可哀想だからなどといって行われる不義は許されてはならない。愛情もないくせに、別れることもせずにじっと我慢しているような、自己のない両親などいない方が、子供は、孤児にはなるとしてももうすこしは、ましな愛情と誠実さにかこまれて育てられる環境に入っていくはずである。親としての妙な想い過ごしはきっぱりと捨てて、もう一度自分をみつめてみるべきだ。こういった偽善の夫婦は、今日いくらでもいる。いや、大半の夫婦が多かれ少なかれこういった要素を皮膚の一枚の下にはらんでいる。いつそれが爆発するか余談をゆるさない。
 そういう訳で、現代人の表情に生気がなく、何をやらせてもびくついた態度になるのも当たり前のことである。三百年の牢獄生活の痛みと歪みは、今日、我々の心身に歴然としてその痕を残している。
 ヒステリックに、腹に短刀を突き立てたノイローゼ気味の主君の仇を討つ時、彼等は、「あなうれし 心は晴るる 気は晴るる この世の月にかかる雲なし」
 とうたえたのは、分かり過ぎるほどよく分かる心境だ。切腹して果てる瞬間、打首にされる瞬間、仇を討ちとったその瞬間、彼等は、生まれてからずっと緊張のしずくめであった状態から解放されて、思わず知らず、ほっと深い吐息をもらしたのである。心の底から、あなうれし———と嘆声をあげることが出来た。
 その点、比較的自由に、自分をさらけ出して生きた町人の一部や、職人達はひどく死を怖れ、土壇場の、打首になる瞬間まで、助けてくれー、と悲鳴をあげ、もがきつづけた。緊張のしどおしの役人達は、何とあさましい根性の奴だと、こういう未練がましい罪人を軽蔑の目で眺めたことだろうが、彼等の心境には、矛盾の渦が坂巻きくるっていたはずである。】万葉讃歌(4)へつづく

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