独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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 放蕩息子の更なる告白  (百四十一話)   佐藤文郎

2019-10-12 10:15:38 | 日記
 年月は、めぐる  
 貴方の前置きはどうだろうと電話をかけてきた方があった。「それから、さあ、いつでも、何処からでも来い! というのは、なんのことですか?」と、尋ねるので、たぶん、最近よく,頭をよぎる死のことではないか、と応えた。「名久井先生という人の作った手作りの本だから私は、愛着がある。造本も世界に一冊しかないオリジナルものですね。何故文郎さんがブログに打ち込む必要があるんですか」遠慮気味だったが、はっきり言えば、止めなさい! ということだった。最近東北に越した若い人で、人間的にも仕事面でも評価に足りると日頃思うひとりであり、ほんとうに、彼の言い分はもっともであると思ったが、しかし一方で、そういう次元でいまの私は生きてはいないと、彼には言わなかったが、心の奥でつぶやいていた。けっして、驕慢からではなく、名久井良明先生にはつねに敬意を抱いている。目の前にあるもの、が活きたもので、現実だった。手に取らなければ、どんな貴重な本であろうと、私にとって、有って無きに等しいものである。長年棚にあることも忘れており、今回どうして、と思った時、五十年も昔、鈴木幸三氏の家で、当時表紙や扉などに使う紙、レザックについて話をしたことを思い出したのだ。「これこれ! こういう、丈夫な紙がいいですね。言葉を印刷して、飛行機でバラまきたいですね」と上野先生は怪気炎をあげていた。何も、まだ始まってはいなかった。それから間もなくして、先生の著書が出版されるなど誰が予想したろう。少なくとも、鈴木幸三さんにも私にも、その時はまだ、夢にさえ現れた事も無かった筈だ。今私は,「レザック」に印字して、世界中の空に、力をこめてバラまいている気分だった。

  人間は宇宙の真心によって  上野霄里
    三章  昇華
  古人の格言には知識が
  含まれていない。その侭の
  自分を語る素朴さだけが
  そこにある。
          23・4・14   うえの

  『物質』
 「思考は物質である」と
 クリシュナムルティはいみじくもいった
 俗世間でいわれている物質とは
 従って
 錯乱した映像にすぎない
 文明社会の物質は一沫の夢だ

  『一切放下』
 一切放下
 物の心を自然に返す叡智
 一切を無に帰す時
 万有を掌中に実感する

 裸の暮らしが爽やかだ
 無宿の暮らしが軽やかだ
 宇宙に遍在する
 同位生命エネルギーと合体した
 放下の生き方は
 喜びに 溢れている
 乞食を 三日やったら やめられない
 というのは
 たしかに箴言だ

  『確認』
 創造への狂気────
 これだけが 常に
 私をめざめさせている

 そうでないと
 脳が腐っていく
 心のリズムが 消えていく

  『危機・侮辱』
 真実の宗教は 形式を持たない
 インドに生まれた原始仏教は
 全く組織も権威も持たなかった
 それが やがて
 ヒンズー教に吸収される原因でもあった
 真実の芸術には 流行性がない
 天才として生まれた芸術家は
 弟子も権威も持たない
 
 形式は宗教に取って危機の要素だ
 権威は芸術にとって侮辱そのものだ

  『唯 在るのみ』
 幸福といい
 不幸といい
 これらは苦悩に満ちた人間の
 妄想の所産
 真実に安息し
 人生を楽しんでいる人間には
 幸福も不孝もありはしない
 唯 激しく逞しく
 在るのみ

  『「汝」に出会う』
 賢者は山と向って
 山のかたちを讃じる代わりに
 山のリズムに感動する
 大自然の生命(アトモスフェリック)に酔う
 山霊に畏敬の思念を抱く

 人が山を仰いで
 山霊を感じる時
 彼は山を山としてでなく
 自分と深く関わらせ対話の対象となる
 [汝]に出会っている

 『看ること』
 見えていても
 視たとは いえない
 視ていても
 看たとは いえない
 見える機能が
 己の全領域につながる時
 看ることが 出来る
 視る機能が
 全身心と呼応する時
 看ることが可能となる

 即ち
 看ることは
 生きていることの 総合体験なのだ

  『虚無の姿勢』
 対外的な虚無の心は甘えの姿勢
 対目的な虚無の心は
 一つの責任ある姿勢だ

  『騙されている』
 しきたりの嗜好品の詰め合わせに従って踊る
 文明社交人間よ
 お前はそれを発明とでもおもっているのか
 それを発見とでも かんがえているのか

 お前が自分の脚で跳んだと自負しているものは
 その実
 文明の装置によって
 巧みに仕掛けられた わなにすぎない
 
 お前のやっていることは
 すべて
 予定通り文明が整えていたものだ
 お前は生真面目になって
 文明の注文する通りに踊らされている

  『忘れる』
 けものは 山に分け入り
 餌物を意識して
 山を忘れる

 魚は川に泳ぎ
 水を気にして
 川を忘れる

人は宇宙に生き
 社会を気遣い
 宇宙を忘れる

  『古碑のように埋もれて』─────
 宗教や芸術が
 俗界の人間に肝をつぶすほどの
 驚きを与え得た時代は
 今となってはもう神話になってしまっている
 人々は 宗教をみくびっている
 芸術は心を惑わされるほど 純真ではない
 宗教も 芸術も
 今となってはもう
 古碑のように埋れてしまっている

  『感情復活』
 理性の横暴な行為を
 捨てる勇気は
 原生の美徳である
 その瞬間から感情が復活する

  『最後の可能性』
 人間には常に
 二種の虚無の深淵が
 奈落の口を開けて待ちかまえている
 一つは宗教的に 解消可能なもの
 もう一つは宗教の次元で現れるもの

 後者の虚無を解消出来る
 宗教も 哲学も 存在しない
 これから 救われるためには
 自己確立のみが
 辛うじて最後に残された可能性だ

  『無の境地』
 宇宙同位生命との合体による
 真実の 無の 境地は
 自我意識の強烈な体験なしには
 達し得ない

  『理解』
 理解するとは
 真の意味で理解するとは

 驚嘆することだ
 
 確実に納得するとは
 
 自分の中に 奇跡を見ることだ

  『昇華』
 軍人が詩を書き
 政治家が宗教を説き
 実業家が哲学を口にし
 権力者が侘びに就いて書いても
 それは空漠とした
 ディレッタンティズム
 詭弁の空しさ

 何事であっても
 それに徹するにふさわしいのは
 その道に殉じる姿勢だ
 のめり込んで二度と浮上しない
 突き進んで飛散する
 燃焼の極みで昇華する
 浮かない泥舟こそ昇華する

  『感情のみそぎ』
 疲れ果てた感情よ
 お前は理性と呼ばれている
 冷え固まって身動きならない感情よ
 お前は理性と呼ばれている
 臆病風に吹かれて言葉(ヴィジョン)を失っている感情よ
 お前は理性と呼ばれている

 今こそ 理性という名の恥多い感情よ
 お前には若返りが必要だ
 公式や法則や通念を踏み外した
 大胆にして果敢な感情のみそぎが
 文明の時間を踏みにじり
 ユークリッドの空間を打ち破る
 原生の猛々しさによる感情の悪魔払いが

  『確かな水晶体』
 意志は理性に閉じ込められ
 氷漬けになっていると
 信念と芸術を騙す

 熱く燃え立っている心だけが
 確かな認識の水晶体だ

  『知識の正体』
 「知識とは存在の変化に従って変わる」
 といったのはウスペンスキー
 知識は
 結局 幻影に過ぎない
 人間の非原生的な
 屈折した精神に映じる妄想である
 妄想も
 それに伝統と権威がまつわりつく時
 知識としてもてはやされる

  『自由への勇気』
 人間の実存を
 果てしなく見てしまった─────

 この限りない 深淵の思念を
 この永劫の 虚無感を
 この侘び果てた 無常感を
 この寂び枯れた 無力感を
 この冷え凍えた 絶望感を
 この死臭漂う 無明感を

 失心の誘いの中で
 自我はとめどなく 嘔吐する

 巨大な幻影でしかない
 この社会で
 私は何一つ具体的には
 束縛されなくなっている
 何一つ声をかけてくるものがない
 何一つ行動がみえない

 私の願いは 唯一つ
 自由への勇気が持続することだ

  『笑える』
 野蛮は不幸なことだ
 だが
 文明と比べるなら
 野蛮のほうがはるかに
 不幸の度合は低い
 野蛮とは老化していない文明のことだ
 文明といい 野蛮といい
 いずれも 自然を忘れた
 不幸な人間存在の図式
 生命を投げ出して
 もっとも危険な処に進む勇気なしに
 人間は笑えない
 生命を賭けることを回避しながら
 無難に遊泳している人間共の
 なんという 自己卑下の心!
 なんという ひ弱さ故の卑屈さ!

 死をくぐり抜け その痛みと苦しさ故に
 何度も 何度も発狂し 錯乱し
 その果てに 自己を放棄し
 天空に 全宇宙のふところに
 身を委ねて 涙した人間だけが
 この地上に在ってなお
 一切を 凌駕し
 静謐な笑いのうちに
 不動の心をもって生きられる
 これは野蛮も 文明も 超越した
 原生の叡智 輝く生き様だ

  『弧城から』
 真に真面目なものは
 この社会で 狂死する
 限りないエクセントリズム
 不安を周囲に与えずにはおかない
 ラデカリズム

 常に生真面目な精神は
 河西回廊の果て
 万里の長城の最果てに連なる
 嘉峪関の孤城だ

 孤城から
 全く新しい原生文明がはじまる
 その先の砂漠の中に
 その先の死滅した城塞の跡に
 その先の花嫁のミイラの胸の中に

  『単細胞的思考』
 理性を信じない以上
 私の思考は
 最早や単なる思考ではない
 それは 原型質の思考
 思考以前の思考
 単細胞的思考だ

 生の感情のゆれ動く中で
 培われるこの思考は
 文明を掬わず 透過し
 文明社会を無とみなし
 すべてのその中の権威と原理を
 虚妄と断定して はばからない

 生命エネルギーの
 原生的躍動の中で
 単細胞的思考は
 自らの拠り処として
 一つの聖なる狂気に立つ

  『美しい余計者』
 自然のリズムと親しく語り合う
 高貴にして聖なる精神の未開人よ
 その故に お前は 変人扱いされ
 エクセントリックな性格だと白眼視され
 孤独をかこつ

 本当に生きようとする
 解放されている自己が
 何処に行ってしまった?
 芸術も 宗教も
 技巧や権威に捉らわれ 堕ち
 人間の素朴な感情中心の
 熱いエネルギーの歌唱は
 何処にもみられなくなっている
 
 ああ
 
 原初の芸術!
 生の宗教!
 それらは何ものにも捉われず
 常に素晴らしく 美しい余計者であった!

  『そこから始まる』
 君は全宇宙を実感出来ない
 君は君自身の内蔵に触れてはいない
 君は大腸菌を顕微鏡なしで見てはいない
 君は糞尿を味わったことがない

 人間は殆んど何一つ知りはしない
 自己を取り巻く宇宙も
 自己自身さえも────

 私は自分のことさえ皆目分からないと
 正直になれ
 充分に知り 体験し尽くしていると
 思っていた社会は幻影にすぎないと
 率直になれ

 そこからを
 人間の確かな生き方が始まる

  『無私者』
 日本的精神風土の
 絶望的な閉塞性や
 世界的文明風土の混沌を
 突き破って確立した
 誇り高い自我も
 それが逞しく宇宙環境因子を
 呼吸する時
 期せずして 無私の次元に立つ
 強烈な自我であって
 はじめて 永劫の無私者となれる

  『出家・出世』
 出家するとは
 そして 出世するとは
 本来 この世間と決別して旅立つ
 神聖な行為なのだ
 それなのに
 一体どうしてしまったのだ
 出家した人間共も
 出世した人間共も
 一様に
 ますます 世間の深みにはまって
 うつつをぬかしている
 ますます 御世話がうまくなり
 人の顔色をうかがうのに機敏となり
 世間の風潮を察知するのに敏捷である

 人間の歴史の中で
 本当に出家したり出世した者は
 極くわずかしかいない
 それが余りにも激しいものであるばっかりに
 歴史の頁は
 いつ迄も 刻銘にそのエピソードを
 記している

  『メルトダウンするダイナミック・ロゴス』
 刺をもった思想が欲しい
 どこの巷にも
 気の利いた言葉を語る人々が一人や二人はいる
 小才豊かな人気取り哲学や
 流行歌なみの思想を振りかざす人々に
 類は類を呼び
 魚心に水心の定石通り
 気の利いた軽々しい通人共が群がる

 一言で天下をゆさぶるような
 岩石の思想は何処にかくれてしまったのか?
 一言で死地回生の奇蹟を促すに足る
 ダイナミックなエネルギーを放射する
 芸術は何処に行ってしまったのか?

 脳髄をゆさぶり
 内蔵をかきまわし
 伝統と通念の鋳型の中におさまって
 固まっている人間の魂に
 火をつけ白熱化させて溶解させ
 四方に花火のように飛散させる
 生命の宣言をする
 メルトダウンするダイナミック・ロゴスが欲しい!
 メルトするとき 生命はゆさぶられる!

  『感動するために』
 私の言葉に感動するためには
 君の心に熱い文明への怒りが
 なければならない

 私の思想に共鳴するためには
 君の心に限りない痛み心が
 なければならない

 私の生き様を理解するためには
 君の心に深い懐疑が
 なければならない

 私の生活感に接するためには
 君の心に鋭い恐怖心が
 なければならない

 私の存在に快い共感を抱くためには
 君の心に原生人間の飢えた胃袋の実感が
 なければならない

  『批判』
 伝統と権威と組織の宗教は
 すべて真理への指向性を欠落させた
 形骸の主義である
 熱い魂の神酔いと仏惚れの要素を忘れた
 狡猾な教理である
 教理と寺院が壮大になっていく時
 魂はますます凍ごえ
 凋落していく

 儀式 礼典 修行は
 魂を脱落させた
 空虚な形骸である

 蝉の脱け殻は鳴くか?
 蛇の脱け殻はとぐろを巻くか?

 心の脱け殻は 天に舞う!

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