独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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  同じリーダーであっても        公園小父さん

2017-05-21 11:08:34 | 日記
 公園内を歩いていると、彼の國のリーダーのことを「織田信長みたいだな」という会話の切れ端を耳にした。独裁者ということか。独裁国家か、なるほど。一方のアメリカも日本も民主国家であり、“政治形態”の違いが歴然としている。       選挙が行われ、一国のリーダーが決まる。いずれまた選挙があり、その時再選されても、アメリカ大統領は(三選禁止の条例により)交替しなければならない。日本の総理大臣も長くて三期までである。
 それに対し、彼の國のリーダーは世襲によって統治者がきまる君主制である。自己都合で交替したいと思ってもできないようだ。交替などという考えはおこらないだろう。そのへんはよくわからない。
 いずれにしてもこの差は大きい。民主国家が絶対と思っている者にとっては彼の國のリーダーの言動はいちいち言語道断の仕打ちに映るのが当然である。当然ではあるが、そのリーダーがどういう環境でどういう境遇を経て現在の成立ちに至ったかを無視しつづけているうちは、核戦争を回避するには“話し合い”しかないと世界の識者たちが忠告しても平行線が改まるはずはないだろう。
 図書館で信長のことを見てみた。自分の上に天皇がおられた。信長は大変天皇を敬っている。彼の國のリーダーにとっての天皇的存在は祖父のキム・イルソンや父のキム・ジョンイルであろうか。ともかく、民主政治形態のリーダーと、独裁政治形態のリーダーの根本的な違い、それは理屈抜きの腹の括(くく)り方の違いであろう。これは一考にあたいするはずである。
 信長と天皇の間に幕府があったが、室町幕府十五代将軍足利義昭は信長の後ろ盾で出来た存在だった。まるで権威がなかった。将軍といっても軍事力がないので有力大名を頼らなくてはいけない。越後の上杉謙信が忠誠を誓っていたが、動こうとはしなかった。朝倉義景のもとに一時身を寄せていたが、彼も義昭の心をなぐさめようとお能見物や花見の宴を開く、そんなことばかりしている。義昭は焦るばかりだった。信長の狂気と残忍も、かれの神仏嫌いと共にゆうめいである。大名も及ばぬ武力を振るう延暦寺の数千人の僧兵は兵力の凄さのほかに、人を祈り殺す魔力があると恐れられていた。しかし、そんなことを信じない信長によって、叡山三千坊、老若男女三千人が焼き殺され,焼き払われた。ほかに高野聖数千人を斬った。また、家来の荒木村重の家族や、その家臣の家族らを大量処刑した。一向宗門徒への恨みはすざましく、木曽川河口の長島では二万から三万人を、数年後には越前の一向宗門徒を征伐すると云って四万人を虐殺している。
 当時無敵の強さを誇ったのは武田信玄と勝頼父子の騎馬隊だった。だが信長の、三千挺の鉄砲を三隊に分かれて待ち構える戦術によって粉砕されてしまう。この信長の一斉射撃の戦術方法は、ヨーロッパでもはるかに遅れて発見されているらしい。彼の國のリーダーの核ミサイル戦術と、当時革命的だった信長の三千挺鉄砲の一斉射撃は共通しているものがあるのかもしれない。
 彼の國のリーダーが、愛読書の一冊に『信長公記』を読んでいても不思議はないか。

 五月晴れの公園内を歩く。ツツジが色とりどりに咲いている。サツキはまだ早い様だ。「サツキ躑躅」というくらいだからサツキもツツジ科なのだが、その違いを公園内で知りあった人から聴いた事がある。ツツジは花が先に咲き、葉は後であり、サツキは葉が先で花が後から咲くそうである。つつじは、一枝三花なそうで、サツキの方は一枝一花だそうである。その人は最近見かけないが、どうしているだろう。やがて、ムクゲが咲きはじめる。