独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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ウソを吐く必要のない人          公園ぢいさん

2019-02-09 19:01:26 | 日記
 そんなひとがいるものだろうか。わたしのセンセイがそうである。出逢って六十年になるが、若い頃の四年間は毎日のように出かけ、顔を合わさぬ日はなかった。その後故郷を飛び出し、三十年に四度ほどお会いしたが、私の方が消息ふめいの間が長かったので音信も途絶えがちだったにしても、ほんとうにウソはいらないのである。お会いしても受話器を通してもウソはひつようがなく、森林浴のようにセンセイのことばをあびながら実感出来るのである。
 もちろん、センセイだけではないが、しかしセンセイは、私に“言論の自由”というものを制限なしに許してくださるのである。そういう人は他にいなかった。そういう意味でセンセイは憲法そのものである。思想としてソレを掲げて来たわけではなかったが、日本国憲法第21条の真の意義を証明してくださったひとである。私にとって実感できるものとなったのである。
 私にはそのホウがたいせつなのである。生きて行くうえでそれが直接、空気のつぎにだいじなのである。まず聞いてくれる。まずしゃべらせてくれる。すぐ異をカブせてきたり、さえぎったりはしないのである。そして、ぜんぶ肯定しない場合は、大きな袋でまず受けとめてくれる。
 私以上にセンセイのほうが腹蔵なく話してくださるのである。他の人なら話しに触れる事をはばかることを話してくれる。その話しによどみがないのである。ごまかしがないのである。それを聞いて私も澱みがないように、隠さない様にとなっていった様に思う。
 公園を歩いていても、衣食住いじょうにだいじなことを教わったとおもうのである。しかし当然衣食住を得るために、家族をまもるために生きて来たのは言うまでもない。しかしそのことが幹であったことはなかった。幹は、センセイの教えであった。そうでなかったら、今、いままでで、最低のどん底の一人暮らしをしていられるわけはない。食べる事や、住むことや、着るものをまっさきに考える男で居たら、しょぼくれた老体で嘆いてばかりいたことだろう。
 センセイとお会いすれば、喉チンコがみえるような大きな口で笑い合うのである。お会い出来ないときは、その様子を思い浮かべてひきつったようにわらうのである。思い出には事かかないからだ。偉大なセンセイに疑いをもったことはない。腹のなかみを見せているし、見ているからである。そのうえで、主要三か国の通訳ができ、アラビア語ラテン語、ギリシャ語などにも本国人なみに書いたり話したりできるのである。それなのにセンセイの書く文章には、外来語も和製外国語もほとんど使われない。私のように、なまじ知らない者が、多用する傾向にある。こまったことだ。
 そしてセンセイの天下一品と私が認める日本語である。私が認めてもなんの価値も無いと言うかもしれないが、そういわれても私は感じたまま、今まで言ってきた通りである。“達意の文章”である。澱みがない。隠蔽とは真反対の言葉である。五十過ぎて、脳出血、六十過ぎて今度は動脈瘤という大病をされた。退院してから一年間、話す事も書く事もできなくなり、奥さんの運転する車に乗って風景を見ているだけだったが、そのうちに、奥様の献身的な指導で、また一年かけて話す事、読む事、かく事が、御病気前の八割がた回復するまでになったのである。一昨夜、電話で五年ぶりにお話合いが出来た。堰を切った様にお話をするセンセイがおられた。
 あらためて、センセイをひと言で云い表せば、「ウソを吐く必要のない人」ということになる。ふり返れば五十年まえも同じであった。そう思っていた。センセイの髭の笑顔が見たくなった。