独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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自分の日常や、四十五年来の先生や友人達の作品を写真や文で紹介します。

【(特)寄稿】 自然エネルギー      名久井良明

2018-11-29 17:45:39 | 日記
 二十代前半の私に、「これからのエネルギーは太陽や風や水など自然のものを使わないといけないね。」と語ったのは、『単細胞的思考』を著した師上野霄里である。
 この広くもない日本に五十四基もの原子力発電所があると知って、私は唖然とした。何故こんなに沢山あるかと調べたら見えて来た。原発を誘致すると、運転開始までの十年間に、約五百億円もの交付金が国からその自治体に下りていることが分かった。こんな莫大な金銭を積まれると、重大な危険を孕む原発の事も、放射性廃棄物の処理の難問もたちまち消失してしまう。
 漢字の「民」は象形の「中」であり、「目を針で突かれ盲目にされた奴隷」を表わしている。やはり人は村民、町民、県民、都民、国民におさまって居てはならない。事実や真実を見抜く目を突きに来る“人工作為文明”(よのなか)の巧妙な手から己を隠し、己を離している人だけが隠者や僊人(山に移り住み、老いても死なない人)として、本来、元来の人で居られる。
 本当の事を言い、書き、行えるのはこんな人であって可能なのだ。文明人や社会人とは現代文明礼賛の通念や伝統、常識に丸め込まれて骨抜きになっている劣化人間、又は迷子に他ならない。なんとか賞を受賞して喜ぶ作家や、それをたいしたものとする民衆でいてはならない。言霊は、もともとそんな作家達のものではない。たどたどしい文字で、漢字を間違いながら熱い思いで書く、母シカが野口英世に宛てたような手紙に心打たれる。
 料理人の料理、書家の書、歌詠みの歌を嫌ったのは良寛だ。私達も作家達のそれに惑わされず、自分の内奥の声や言葉に絶大な自信を持って使い表わすべきだ。
 「ますらおの 踏みけん世々の古みちは 荒れにけるかも 行く人なしに」と詠った良寛のように、この現代を荒れ果てた処とみられる人が、意味と価値のある言動に出られる。文明を願う心を私は廃炉にする。
 天然自然の人は大金を積まれても、社会的に名誉名声を得られるとしても、梃(てこ)でも動かされない黄金の真実にみたされているものだ。

  いつの間にか

 文学や芸術は
 いわゆる文芸であってはならない
 それは無力なだけだ
 反骨精神が
 熱く息衝き脈打つ
 反文学 反芸術でなくてはならない

 文学や芸術が
 時代社会の幇間(たいこもち)に
 なり下がっている事実に
 真人は憤る

 文学や芸術は
 超時代 越社会の
 自信に促される行動であり
 人間の栄光そのものではなかったか

 低文化俗文明(じんこうさくい)のこの世は
 空恐ろしい処だ
 この世を批判誹謗していない

 文芸(めまい)は所謂(いわゆる)横ごと語りだ
 風前の灯だ

 こんな壊(え)死の文芸を
 切り離し 葬ってこそ
 生命ある自分を救う事が出来る

 低文化俗文明の人工作為(よのなか)は
 天然自然から脱落陥没している
 マイナス地帯(かんきょう)

 誰も彼もが同人と化したこの世に
 異見 異記 異言 異行の
 異人が出現する

 現代の総体に
 真人(いじん)は惑わされない

 異人(しんじん)のひと言 ひと言が
 虚栄虚像のこの世を
 いつの間にか 覚醒(しんじつ)に導いていく


ふたりの為に、世界はあるの       公園小父さん

2018-11-12 10:40:16 | 日記
 昔、よく耳にした歌のフレーズだが、気が付くと、そういう日々を送る二人がわたしの身近にいたのです。
 最近の言葉で、ジェンダーフリーと言えば、《社会的、文化的に成り立っている性差の克服をめざす考え》なそうですが、芸術家のあいだでは何千年も前からごく普通に存在した話です。彼等は高い精神性を有する人達ですから、とくに弁解や言い訳もせず一緒に暮らしたりします。ホモセクシァルとは又違うのです。
 私の周辺に、日本を代表する思想家とそのお弟子さんがおります。そのお方とお弟子さんが、始発駅の新幹線ホームで、車内に先生夫妻、ホームに彼と私が見送りに立っていた時のことです。じっと、お互いの目を見つめ合って二十分もそのままでおられるのです。先生の奥様は、はんたい側の窓外に視線を投じています。傍で二人の様子を見ている私の方がうろたえるのですが、二人は、周囲にはとんちゃくしません。そのうち、二人の眼に熱いものが溢れだしました。車内にいる先生は、サングラスをしているのですが私には分かりました。羨ましい思いとか、いまいましい感情とかは有りません。ただ、当時は不可解でした、が私には分かる様になったのです。“love with soul”、これはギリシャ時代のソクラテスの頃には、あたりまえに通用していた愛の形と云っていいでしょう。お二人とも家庭をお持ちです。四十代の先生と弟子のNさんは二十四歳。それからずうっと、身は盛岡と美濃に離れても、心は離れるどころか、あらゆる通信手段を通じて連絡を取り指図を受け、其れに応え、四十五年後の現在は、反対に弟子が先生の身を案じて時には、叱ってでも投薬の実行を促しています。弟子は七十歳の今日まで、四十五年間に亘って、先生の原稿の清書やせんせいに関する一切の資料の整理と管理保存を黙々と行っています。
 “愛、あなたと二人 夢、あなたと二人”とハミングをしながら、先生とお弟子はこの四十五年間を過ごしてきたのです。私達は、慣れっこになっているから、何も思わず、二人に言われるまま集まり、二人のたてたスケジュールに従って先生夫妻と再開を喜び、貴重な〝人生論〟や、〝反文明の哲学〟をはいちょうして、その夜は他のお弟子達のギター演奏、アコーデオン演奏を聴いて心を癒し、また熱いものを滾らせるのです。
 事情があって、私が参加しなくなって何年にもなりますが、あの新幹線のホームで目にした光景は、男と男の否人間と人間の魂が反応する涙なのです。ソクラテスとその弟子たちも同じようにしていたはずです。「魂愛」は、知性と深い精神が奏でる音楽、そしダンス。フラメンコやワンステップダンスなのです。
 男と女であっても同じでしょう。しかしそこには私達文明人間が知っている「性」はかならずしも、ないのです。
 米の作家ノーマン・メーラーが『自分自身のための広告』のなかで、「二十一世紀まで解決されずに持ち越される哲学的課題があるとすれば、それは“性”である」と云っていたが、性だけなら、誰も予想もしなかったコペルニクス的転回を見せ解決ズミと観るのはわたしだけであろうか。それは、“愛”の間違いでなかったろうか。エクスタシーは魂の震えをいうのですが、クスリとも、セックスとも関係がないのです。Nさんが、四十五年も続けてこられたのは、何も見返りがなかったからかもしれないと私は思います。Nさんが、先生の何に魅せられたのかは分からなくていいでしょう。いいと思います。
 公園のベンチにひっくり返りながら、私は色んな“妄想曲”を聴いています。お二人とも子供さんも孫さんも大勢おられます。おふたりの健康をいのります。そして、一層の長寿を。ブラボー‼
 

  ロマンス詐欺        公園小父さん

2018-11-10 13:45:52 | 日記
 公園の仲間に聞いたが、“ロマンス詐欺”というのがネット上に現れたという。アメリカの軍人や軍関係を名乗り、日本女性の許にメールが届く。そして、甘いことばを使って金を振り込ませるというのである。アフリカのガーナ人によって、又ナイジェリア人によっておこなわれている犯罪らしい。会社組織になっていて、学校まであり、そこが詐欺集団の予備部隊の養成所だという。
 何もない、広い室内で、五十人位の黒人ばかりが、腹這いや、立て膝でパソコンを操っている、それが詐欺集団の拠点の写真だというのである。アメリカの潜入ジャーナリストが撮ったものだという。
 私は、その話しを仲間から聞いたとき、すぐ、おかしいとおもいましたね。
 「どうおかしいいんだい」
 「どうと訊かれてもね。ただおかしいんだよ」
 「おかしいと、笑うのかな」
 「おなじだよ。テレビ画像で観たのだろう。どうでもなるからね」
 その詐欺集団のなかには、ガーナ人やナイジェリア人がいたとしても、彼等はほんの一握りと私は思ったのである。主役は、アメリカ人と日本人、中国、やヨーロッパも多少はいるでしょう。国際詐欺集団。
 「オジさんは、経験があるみたいね」
 「まあね…」
 「そんなことも…」
 「ばかな、被害者の役回りをさせて頂きましたよ」
 「なんだ、演劇か」
 「……」
 “オレオレ詐欺”も黒幕が何層にも有ると云われている。一番後ろには、中国の格闘家の祖師達のように、何百年にもわたって、絶対に人前に姿をみせたことはないといわれるが、それと共通するものがあるのかもわかりませんね。
 「また、オジさんの妄想か」
 そういったところだ。毎年警察や法曹界、官庁、銀行や金融関係、そしてマスコミや教育界で、何百人と定年以外の退職者が出ている。その中には、腹に一物を持つ人間もおると思いますね。ナンで辞めたか、辞めさせられたか公表される事は有りません。中には、早くから、闇の世界からヘッドハンテングをうけて、指図どおり、機密文書やデータ窃取を計画履行し、不祥事を装って消えて行く者も居ると思う。
 日本の警察は優秀といわれていますが、どうしたのでしょうね。この犯罪は、手に負えないのでしょうか。これらの黒幕たちの幾層にも積み重なった怨念には、かなわないのかも知れません。しかし、それで引き下がってほしくないですよね。
 「オジさん、又、妄想をつぶやいているね。いつも、本を読んでいるとおもったら、そんなこと、考えていたんだ」
 「ただの妄想だよ。少しは、想像力もね」
 トランプさんの後ろにも、ある「意志」をもった人達がいても不思議はないですよね。二十世紀までは、國単位でしたが、現代は、地球規模にその「意志」は拡がったと。よい方向に行ってほしいですね。
 「オジさん、なんて云ったの」
 「だから、妄想だよ」
 公園は、イチョウの葉が色褪せて、アオギリの実も落ちはじめていた。