独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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届くことのない,願い       公園小父さん

2018-10-08 14:42:51 | 日記
「ことば」は、行動に現れる。ただ、言葉には二種類あって、政治家の言葉や、新聞の論説の言葉や、評論家(例外もあります)の言葉は、知識の豊富さや、表現の巧みさがめだつし、起承転結もきまっています。そのことは、大切なことなのですが、においも香りもありません。においと香りは別と,私は思っています。勇み足も、欠点もドクも無いというより、ないように書いています。人のことばは、うっかり漏らす激情がうかがえてこそ面白みもあるのです。脳理解から、心へと下りて来ます。
 それは、人間のことばではありません。文章の教科書の言葉なのです。政治家には、政治家の文章教科書(たしかに政治家は、それなしには、仕事になりません)があり、それを、繰り返し、くりかえし読んだだけの言葉なのです。もうひとつは、日本古来の詩歌にこめられている言霊に近いのですが、ウソのないことばと言うことです。
 例えば、安倍総理大臣ですが、もうそろそろ、ポロッと本音を覗かせるような「人間」のことばで話しても、よろしいのではないでしょうか。他の大臣方がかつて、トンチンカンな言動で、失脚したこともありましたが、それらは、「人間」の言動というより、たぶん、背負っている荷(任)に耐えられず、あえてそうしただけにしか見えません。
 安倍総理大臣は、「ポエム」を書き、述べるべきです。「哲学」とまでは言いませんが、自分のことばで、騙りではなく、語るべきです。知識も言説も、たくみです。しかし、そろそろ、残された三年は、レイムダックなどと云われないためにも、戦後の総理大臣のなかで、リーダーとして「名実」ともに優れた総理大臣であったと言われるためにも、官房長官や、お付きの人達を外した部屋で、二種類あるもう一つの「ことだま」で語ってもらいたいのです。加計問題や、森友問題は政治の問題として触れないことにして(はたして、これに触れないで、ウソ吐きの汚名をぬぐいきれるかどうか)戦後で、最も長期政権を担ったリーダーとして 少なくとも経済的には、日々の国民生活を安心して暮らせる様にしてくれた偉大な総理大臣。
 私は、笑ってはいません。国民に取ってそれが一番なのですから。しかし、このままで終わったら、最悪の総理大臣と言われるようになると思いますよ。ウソ吐き総理と呼ばれ、歴史に、その端正で爽やかなことばで、この國の事を「美しい日本」と詠われた裏側が欺瞞にみちたものだったと「史書」に刻み込まれるようになったらどうなるのでしょう。
 私は思うのです。人払いしたお部屋にひとりになって真情を述べていただきたい。政治家は、二枚舌であり、反面教師の面もあり、偽善者であることはもう誰もが知っています。安倍総理にお願いします。自叙伝を書いて下さい。伝記ではなく、自分で著す「自叙伝」をです。心の奥に仕舞っておられた風景を思い出とともに、起承転結や、巧言令色(口先がうまく、顔色をやわらげて人を喜ばせ、こびへつらうこと)ではなく、中学生程度のことばでいいではありませんか。偉大な安倍さんらしい、国民を幸せにしている日本国の総理が、裃を脱ぐと、こういう事を考えているということを書いて下さい。政治課題、諸問題には触れる必要はありません。触れないで書いて欲しいのです。
 一人の人間として、中学生の気持ちでいいのです。思い出も含めていいと思います。お爺さんの事もいいと思います。欠点を書いて下さい。知られたくない事こそ書いて下さい。嫌いな人間を、書いて下さい。政治に関することは、誰かが書くでしょう。それはそれで、十分意味をなします。のこされた三年の間に、ぜひ、安倍晋三を、赤裸々に語って下さい。書いて下さい。浮動票の人達は、それを待っているかも知れません。もしかすると、加計さんは参院に立候補されるのでは、お、っと、私が、政治に踏み込んではいけませんね。これは、失礼しました。
 安倍晋三という総理大臣の窓は、どこも閉め切ったままです。端正なお姿を見せてはおられますが、ウソでぬりかためられていて、このままでは、悪人にもなれず、ただ、海外に出かける時の成田空港での画像(え)だけがのこります。日本国のウソの多いリーダーとして記憶に残るだけになってしまいます。残念に思えたもので。日がな一日公園にいる男の言うことではなかったですね。