独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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自分の日常や、四十五年来の先生や友人達の作品を写真や文で紹介します。

  万葉讃歌(6)       佐藤文郎

2019-04-17 16:02:22 | 日記
「便乗はいかん」と言った竹さんが意味ありげに笑っている。何か言いたそうだったが、額の前で、罰点をしめした。「もうヨセ」と云うことか。小林さんは、その背後にいて静かに微笑んでいる。丸さんは短い腕で、マルをつくった。そして、マイクを口に唄うそぶりをしながら、しきりに私を手まねきしてしる。
 彼等は「じいさん、あまり張り切るなよ」と言っているようだ。
  上野先生の万葉体験で始まった「東北人論」を自分の事として深刻に受け取ったのは半世紀前だった。そういう意味での「讃歌」だった。しかし、現在は、私はまさしく“万葉党”として復活です。もうひとり国際的な“万葉党”として、米の作家、ヘンリー・ミラーがいます。この人が、ポルノ作家とは、きいて呆れます。
 当時、十七だったが、H・ミラーは、むしろ文学以前に相似する共感者、私の救世主として現れたと確信したものだ。なんと、其の「うえの」が、彼と、当時現在進行形で何百通も書簡を交わし合う友人だったとは! 万葉から産まれた、このときの「東北論」は、真っ直ぐ自分論だった。表現されている東北が、東北人が、その病める姿は、私怨をにじませた民主教育とやらで、ねじ曲がってしまった私自身だった。深刻というより総ての闇に光を点て心の奥底の生々しいひび割れを照らし出したのだった。
 故郷を出て半世紀が過ぎた。父も母もすでに逝った。現在も、今後もそこに戻ることはない。かつてあった熱狂も、より強力なエネルギーに変化した。あの暗がりから聞こえた呻き声はなんだったのか。幼少からの家出は感情から点火した衝動でしかなかった。だから気分が収まれば、安らぐ場所を求めて還るだけだった。
 それらとは全く違う“出立”だった。幼少期からの渦を巻きつづける憎念があった。東北論を読みこれがむしろ解決に結び付く行動を呼び覚ましていたのだ。
 「うえの」はどうだったか。何にも知らなかった筈だ。彼も又自分の事だけで手一杯だったからだ。それが、凄いのである。本物は万事それなのだ。見ているようで視ていない。視ていないようでいて観ている。
 何をしたらよいかわからぬ教師に、教えてやるなどと思う人間に、教わる事など、何も無いのだ。よみかき、そろばん、それだけでいい。できればよい方だ。自分が範を示してこそ、それが、どんなことであれ、熱となって伝わる。実となって結ぶ。「うえの」にはそれがあった。このひとの真の偉大さを今は誰にも分からない。真実が判るには、何年もの、気の遠くなるような年月を経るのである。
 数人は読んでくれたと思う。ありがとう。途中になりますが、予定を変更して今回で終了になります。

▲ 箱船の神話(万葉集のポエジーをメデアとして)
【ノアと彼の三人の息子達と、彼等の妻が箱船から出て地上に立った時、彼等につきまとっていた一切の伝統はなくなっていた。すべては全く新しくつくりだされなければならない状態におかれていた。これは、創造的に生きようとする人間にとって、必須の条件である。今日、果たして我々は、箱船から降り立った状態で、いっさいの伝統と、歴史の死滅した純粋環境の下で生活をはじめているだろうか。
 昨日の恥をきょうまで引きずっていることはないのだ。それは致命的な傷となる。昨日の名誉を、きょうなお誇っているような人間もまた、足下がひどく不安定になっていて、新しいことを敢行するに足る力はないのだ。
 ノアは、ノア自身の先祖とならなければならず、三人の息子達も、今後現れるであろう民族の先祖とならなければならなかった。一切の前例を失ったのだ。すべてのモラルや美徳も消滅した。すべての基準はなくなったのである。
 そこから出発する時、一切の行為は、創造的なもの以外ではないはずだ。何もあたりをキョロキョロ見まわして、人の顔色や、手つきを盗み見する苦労はいらなくなる。自分の言葉で自分の考えを語る自由こそ、唯一の美徳となる。心が裸のまま、言葉と直結して語られる時、どんな人間でも、最大の文学と、至高の宗教、哲学が表現できるのだ。技巧ではない。才能でもない。裸の魂が、何ら飾られず、前例や常識で化粧されることなく言葉に直結するなら、その人間の最も美しく、力にあふれた個性が発揮できるのだ。
 ノアは、今、この立場にたたされていた。この環境こそ人間は、どんなに重傷で苦しみ、不治の病で絶望していても、この環境に入る時にこそ、回生の機運にのることが可能なのだ。
 こうしたおどろくべき環境の中で、人間は、誰でも酔うようになる。感動が連続して彼をおそう。彼はこおどりしながら歓びに満たされ、涙を流して感謝し、嘆き、火を噴くような激怒に支配され、甘さこのうえない情緒に溶けこんでいける。酔うとは酒に酔うことではない。人生全般の事柄に、常識を超えた異常さで感動することなのだ。ぶどうづくりに精を出したノアは、そのことに依って、人生の苦悩を身をもって味わったことをしめしている。しかし、彼が飲んだのは、無責任に、祭りや集まりの際に口にする、いわゆる酒ではなかった。祭りや集まりは、もうどこにもない。それらは、大洪水ですべて姿を消してしまっている。彼は、自らの内部の神聖な感動に酔わなければならなくなってきている。そして、そういった感動は、日毎に彼の味わっているものであった。
 酔うとは興奮することである。感動が、大きく活動し始めることであり、魂が、やわらかく解きほぐされていくことである。人生が劇的になるところには、かならず魂が砕かれて、周囲に美しく華やかに飛散してかたちづくる華麗な徴候が、はっきりと観られる。
 ノアは、歴史を失っためぐまれ人間として、興奮し、発奮しないわけにはいかなかった。先祖をなくした者、親と縁を切ったものとして、どうしても、一種の創造者、一種のゼウス、一種の大先祖にならないわけにはいかなかった。彼は、激しく興奮のるつぼにたたきつけられた。何一つ、既成のモラルに囚われない人間として、自由自在に酔わないわけにはいかなかった。純粋この上ない人間と——————(中略)】

   万葉讃歌 (5)          佐藤文郎

2019-04-14 17:40:54 | 日記
「あまり便乗しなさんな」と言ったのは、竹さんだ。三十代だが、声に独特の響きがあり、ぬけたとは言っても眼のくばりで隠しようがない。しかしいまは、江戸期の『安藤昌益哲学』研究に余念がない。
 便乗と言われても、 私は、上野先生と自分との、この、岩手いちのせき時代が、懐かしいのである。センセイとは言うが、「うえの」が先生なら、とうに忘れ去っている。ステレオタイプの「先生」を嫌ったのは私でもあったが、その偶像を木っ端微塵にしたのは「うえの」自身だった。それだけではない、同時に、私を、拠り所も、逃げ場もないほど追い込んだ。「東北や、東北人について」のくだりを読めば分かるはずである。その時は、絶望的なきもちになった。自分の最も深いところにある悩みだったからだ。その時精神に受けた屈辱的な破壊によってすべてを置き去りに、妻子も仕事も放って飛び出した。屈辱的破壊を受けて、すぐではない、葛藤もあったからだ。葛藤を抱えながら、「うえの」の著書の出版もした。
 私は子供の頃から家出を繰り返していた。そこにはロマンの香りがただよっていた。だが、こいつは違った。西行を真似た,という者もおったが西行さんが聞いて悲しむでしょう。そういうことなら、また スゴスゴと戻るだけだったろう。「うえの」の徹底的な屈辱と破壊によって、救われたのである。他に私が抱えていた長いあいだの心理的ダメージから救える方法はなかったはずである。私はそこから二十五年間、音信不通になった。そんなものどうでもよかった。何か特別な事をしたわけでも、どりょくしたわけでもなかった。が、私は「自然」を発見できて「わたし」になることができた。上野先生のおかげであった。最近出版された『幽篁記』「上野霄里著」(明窓出版刊)を読んで、深い呼吸のうちに総てを忘れて読むことが出来た。「うえの」の言葉は消えて思いとなって心に届いていた。
 今日一日,この命 バンザイ! 
  万葉讃歌は、まだまだつづけます。
 上野霄里著 復刻版『単細胞的思考』明窓出版株式会社(増本利博)2001 
 序文 ヘンリー・ミラ— 上野に就いて 超人間の体質(スーパーヒューマン)
 復刻の辞 中川和也  ———原生のリズムに魅せられて———
 解説 「上野霄里・言霊に憑かれし巨人」
◯ 原生人類のダイナミズム ——原始的人間復帰への試み——
◆ 箱船の神話(万葉集のポエジーをメデアとして)
 万葉讃歌(4)からつづく
【特に東北地方の人間の口の重さ、人の目を盗み見る態度、知っていても知らぬふりをし、出来るだけ事を起こさないようにと努力する、何事につけても消極的な態度の中に、三百年の流刑地での傷の深さを思い知らされる。
 東北人の心と肉体の中に日本人全体の弱さ、悲しさ、痛さ苦しさ恥ずかしさが見られる。九州や関西の旅行者ですら、東北に来ると、東北人のうつろで、干涸び、何か不安をかこって無意識的に身構える物腰に冷え冷えとしたものを身の内に感じるはずだ。そして、そういった印象は、彼等に、東北人を軽蔑する気持ちを抱かせるのではなくて、むしろ、彼等自身の中に奥深くひそんでいた、はるか三百年間の苦しい思い出に繫がる劣等感を呼び起こさせるのである。
 東北人の恥の感覚は、日本各地のあらゆる人間の心の底に沈殿している魂の滓である。東北という環境は、三百年の悪夢を最も忠実に温存している唯一の場所と言わなければならない。東北の人々の間にうたわれる古謡、民謡のあのもの悲しさに包まれたメロデーはどうだ。
 彼等は顔一杯に笑っていても、眼の中だけは、万年氷にとざされていて、いっかな溶けそうにない。彼等が怒り狂っても、やはり眼の中は、うっすらと白々とした霜におおわれている。流刑地で、すっかり身についてしまった歪んだ性格、傷だらけになってしまった精神そっくりそのまま、東北という特殊風土の中で、今日まで伝えられてきている。東北人の権威好みは一寸やそっとではない。病的なくらいである。東北の偉人が、芸術家や宗教家の間によりも、むしろ、軍職や政界に輩出しているというのも、こういった理由からである。個人を持たず、権威に弱く、集団の中で模範的に過ごせる性格が極端に一方に傾いて行った場合、大将や大臣が生まれてくる。しかしこの現象は程度の差こそあれ、どの地方でも似たりよったりである。
 こういった精神的凍土である東北の地で、全く自由で、万葉時代の大らかな発言と行動を使用とする時、当然のことながらひどい圧力を受ける。しかし、凍土の最も下層部にしか、あたらしく生き生きした芽は萌え出てはこないのだ。
 創世記第十章十八節から二十七節のエピソードを読んでみよう。
 「箱船から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナン族の先祖である。この三人はノアの息子達で、全世界の人類は、この三人を先祖として、広がっていったのだ。さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、彼はぶどう酒を飲んで酔い、家の中で裸になっていた。カナンの父ハムは裸の父を見て、外にいる二人の兄弟にこれを知らせた。セムとヤペテは着物をとって肩にかけ、うしろ向きになってあゆみより、父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった。やがてノアは酔いがさめ、末の子が彼にしたことを知った時、彼は言った。〝カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟達に仕えなければならない〟また、つづけて言った。〝セムの神、偉大なる創造者はたたえられるべきだ、カナンはそのしもべとなれ。神はヤペテを繁栄させ、セムの天幕に彼を住まわせるように。カナンはそのしもべとなれ〟」。
 もし、私が従来通り、牧師稼業にせっせと精を出し、何ら心に疑念を抱かず、悩まず、何事も割り切って考えているならば、この聖書の記述を次のように解釈し、説明し、説教するだろう。「ノアは、酒に酔いつぶれて大変な失態を演じた。ハムは、そのような父を見て直ぐさま行動せず、外にいる二人の兄弟に告げた。この場合、行動とは、信仰を持つという行為を指している。それに反し、セムとヤペテは、知らせを聞いて、直ぐさま着物を持って屋内に飛び込んだ。父の醜態を見て父を辱めてはならないからと、肩に着物を担い、うしろ向きに近づいて父の裸体にこれをかけた。
 こうした二人の行動は、神を信じて、信じた通りに生活する人間の典型として、ノアがあとになって賞賛し、祝福しているのであり、ハムは、最初に事実を目撃し、必要な行動に入れる特権にあずかりながら、唯、これを二人の兄弟に告げただけであった。彼はこの際、実行の伴わない信者の典型であり、心に信じようと努めながら、結局、生活全般を通じて信じ切れない不信仰の人間のイメージを彷彿とさせる。
 わたしたちは、セム、ヤペテ、の立場にいなければならない。見ていながら、これに対して適切な処置のとれない人間は、常に敗北者である。
 こういった論旨は、私にとって、まさに、古い自分の写真をのぞくような気分でしか見られない。いささか照れくさい、多少の恥ずかしさ、心苦しさの混じり合った妙な感覚が私を支配する。
 だがこの論旨のおわりの部分は正しいと思う。最初の目撃者でありながら、実行において、後からくる者に先んじられてしまう人がこの世にはなんと多いことであろう。最初に思いつく頭や、一番始めに発見するめぐまれた感覚と機能とチャンスを与えられていながら、それが一寸も実行は出来ない。いやじっこうするにはするのだろうが、多くの人々がやりふるしてからである。こういう人間は、眼があっても、本当にものを見るよろこびを味わえない人であり、耳があっても本当にものを聞くことの許されていない人である。
 彼の口は、美味なものを、うまいとは味わえず、彼の感覚は、快感さえも、その通りに感受することが出来ない。生きていながら死んでいるとは、こういう人間のことをさして言うのである。しかも、この世の中が、この類いの人間で埋まっているということは、否定できない事実である。】万葉讃歌(6)へ

   万葉讃歌 (4)          佐藤文郎

2019-04-12 22:33:11 | 日記
【切腹や仇討ちは、現世の緊張して生きる非人間的な作法に 叶った生き方のつらさから、のがれる手段であって、これを縦糸とし、愛情や、その他の感情をむき出しに出来ないつらさ苦しさからくるヒポコンデリー症状を横糸として織りなす、人間束縛の物悲しくも悲愴きわまりない錦であった。
 それは、土佐の絵師、絵金の描いた生首や、血の吹き出る斬り取られた腕、はらわたの飛び出した屍人、幼児をさらわれていくのを狂乱して見守る母親の、悲惨さを充分含んでいる。
 絵金の絵画は、人間の特殊状況における異常体験の描写である。たしかに、あの三百年は異常体験だ。この期間を経て日本人は、すっかり万葉の精神構造と体質を歪め崩してしまった。この三百年の悪夢の時代以前の人間と、以後の人間とでは、これでも血のつながりのある同一の民族なのだろうかと疑いたくなるくらい大きな相違がある。江戸氷河期は、同時にそこに堅固に築き上げられていた社会の脆弱さを、そこここに露呈していたことも事実であった。間歇的に吹き出た心ある人々の危機感は『自然真営道』のような出版されることのない著作となって結果し、狂歌となって巷に落書きされた。丸山真男が『日本政治思想史研究』の中で、「いかなる盤石のような体制もそれ自体に崩壊の内在的な必然性を持つことを徳川時代について実証することは、当時の環境においてはそれ自体大袈裟に言えば魂の救いであった」と書く時、かくれたラディカルな思想や、アンダーグランドの思想としての狂歌の狙った役割を、期せずして彼は説明したことになる。人間が個人としての次元で凍結していた江戸三百年が人間の手に成るものすべてに危機状態を招来してきたことは想像するに難くない。社会が安定していればいる程、人間の個人としての次元は荒廃の度合いを増していく。社会がその秩序を強めれば強めるほど、個人の領域は絶望的に乱れていく。社会の堅固さは人間個人の脆弱さの証である。確かな個人、即ち『旧約聖書』が繰り返し[昼は雲の柱、夜は火の柱に導かれる]という自然の気道に直結した「私」を抱いた人間は、どのような文明社会の虚飾におおわれた人間をもその仮面を剥ぎ取って脆弱な本質を洞察してしまう。己が目撃した事実を率直に表白することの許されていなかった当時の人々当時の人々は辛うじてそれを狂歌に託したのであった。
この三百年の呪いと傷の痛みは、この宇宙時代に入っても、今なお、日本人の生活の中にたくましく息づいている。伝統とか、日本人の誇りとして、我々が高くかかげ、誇らしく抱いているものは、三百年の冷たい流刑地で身についた習慣であり、歪められてしまった体質であり、いじけた心で信じようとする不具者の意識なのである。しかしわたしは、今ここで、日本人が、この三百年の悲惨な経験をご破算にして、その彼方に健全に存在している、万葉の伝統に立ち返らなければならないことを主張したい。王朝時代も、戦国時代も、その政治形態がなんであろうと、その文化の進展具合がどうであろうと、そのようなこととは無関係に、当時の人間個人は、かなりゆとりをもって生きていた。
 牛乳を飲み、床板の部屋に靴のまま出入りし、筒袖の着物、つまり、上衣とスラックス乃至はニッカポッカー型ズボンをはき、椅子に座り、観音開きのドアの付けられた部屋に、みすと呼ばれたカーテンをはりめぐらし、玄関に当たるところは、西洋の家屋のそれと同じで、ステップ(入り口の階段)があり、ドアまたはカーテンの内側には床板が敷き詰められていて、パッセージ(玄関の内側の部分)があった。
 当時の帽子は、ハンチング、ベレー帽、三角帽などをたやすく連想させてくれるし、男女の愛の表現などもすっかり今日の西洋のそれを想わせてくれる。我々が今日、日本的なものだと、考えていたものは、そのほとんどすべてが、徳川三百年間の異常体験という悲惨さの極限状態の中で身につけ好むようになったものばかりである。床の間の位置と上座と下座の関係は幾何学の公式よりもはっきりしていて、これを破る勇気のある者はいないし、畳に座るという、人体の骨格や筋肉の仕組みから言えば最も不自然で健康のためにも良くない姿勢が、日本人の美徳の一つになっていることは泣くにも泣けないほど悲しい事実だ。三百年の悪夢の中で培われたものではなく、それ以前のものである茶道の自由さ、千利休の自由さ、独創性に富んだ人間らしさは、徳川の世に入って、化石化して、最も緊張度の激しい、恐ろしい環境を繰り広げていった。
 自由人が、生活人のあそびとしてやるならよいのだが、そのような、人間を生かすことのない立ち居振る舞いの作法一切が、一糸乱れずに行われなければならないというところに傷の深さがある。外人が、あぐらをかき、左手の親指と人差し指の先で、茶碗をひょいとつまみ上げて、一寸苦いね、と言ってごくんと飲む態度の中になら、茶も生きてくるが、ゴンチャロフが見て腰を抜かして震え上がった能面のような顔をしてお茶の作法をやられたんでは、みじめで仕方がない。どいつもこいつも、蝋人形のような表情をして茶の作法をやるところに滑稽さは尽きないとも言える。私自身、茶道は大好きだ。茶杓さえ自分の手で、これはと思った竹でつくりあげる私である。だが、だがそれは利休の独創的な生き方の中でのみ受けとめるものである。伝統と組織をつくっている茶道の連中とは、屁の匂いさえはっきり違っている。三百年の悪夢に関係しないものなら、すべて良いものばかり。
 山鹿素行や大村益次郎が目撃した武士達の在り方は、あの時代の人間崩壊のバロメーターであった。土を耕すこともせず、物を造り商売することも、教えることも、戦うこともしない武士達の生活は、文明の痛みをそのまま具現した生き方であった。先祖代々定められた禄高にしがみついて、為すこともなく一生を了る武士達の日々の暮らしは否応無しに形式化しない訳にはいかなかった。社会が生み出す非人間的なしがらみに囚われて、窒息寸前の状態に置かれていた精神の息衝き。形式の重みに耐え、しがらみに囚われて苦しむ悲劇は江戸期を克明に特徴づけている。文明が陥った人間悲劇の極限の一つとして武士階級の生き方を見ることが出来る。今日、社会保障制度のほとんど完備した環境の中で生活が安定している市民の生き方は、武士階級の禄高制度とその悲劇的本質において一脈通じている。生活が社会保障に依って安定すればする程、人間本来の宿命である冒険や実験的要素を孕んだ行動から遠ざかり、予め用意されていた道を、地図を頼りに無難にたどることになる。無難であるということは、人間が己の内奥において自我を放棄したことを意味しているのだ。生活の不安を背負い、汗を流して働き、果敢に挑まなくてはならない未知の前途がある限り、人間は堕落しないでいられる。危機感を失った人間は精神のリズムを乱している。人間の最も肝心なところで重大なものを失っている。武士階級に生きる人々のあの不幸を私は二度と繰り返すつもりはない。全く保証されることなく、ひたすら力の限り生き抜く素朴な人間でいるつもりだ。それ以外に人間はどんなに頑張ってみたところでまともに生きられはしない。野の生物たちに、一体どのような生存の保証が与えられているというのか? そこには何一つそういった気配は見られない。保証がないからこそそれはひたむきに雲の柱と火の柱を見つめて生きる。それより他に生きられる未知がない。どれほど精巧なコンピューターも、渡り鳥やホーミングの本能を具えた鳥や魚の機能を凌駕することはない。自然に服従することではなく、自然の気道を己の生命体の中に取り込むことに依って、文明が見失っている安定に入ることが出来る。
 万葉の人間の大らかさ、自由な精神と、生き生きとした情感、あふれんばかりの語調のなめらかさと炎のような激しさ————私は今、彼等の人間像の中に日本人本来の姿を見出している。 万葉讃歌(5)につづく

   万葉讃歌 (3)          佐藤文郎

2019-04-10 09:30:56 | 日記

  文郎さん
 元気ですね! 言葉、ひとつひとつの中に 大自然のエネルギーが 躍動していましたよ! 君の手紙の中の———、四月、ぜひ おいで下さい! あたたかい日の光の中で あなたと おそらく 最後のかたりあいが 出来るでしょう! この人生で 出合えた頃 とても しあわせでした! 
 人生バンザイ!
 合う日まで————。              上野霄里
     
(水彩でわすれな草の絵が、描いてあり、紅子とは、奥様の雅号でしょうか)

 こころと言葉が一致しているというのは、こういう文のことです。「出合えた頃」とありますが、六十年前です。私は親不孝をかさねただけではないですね。また「最後のかたりあいが———」とありますが、「まだ行ってないのか、お前一人だけだぞ」と至る所からきこえてくるようです。一年に一度、上野先生をかこんで、懇親会がおこなわれます。沖縄から、九州から、四国から,島根県から、盛岡から、衣川から、しかし東京にいて、のんびりしている私は毎回欠席しています。今年は、這ってでも、懇親会と別行動になっても、行くつもりでいます。昔から、私が、呂律が回らず、口籠っていると、先生は、一語聞いただけで、分かるらしく、話そうとしているお粗末な内容を完全な物にして聞き取って下さるのです。恐ろしい位の察知能力なのです。「最後に、かたり合いが」などとはとんでもないです。まだまだ先生には、人生の深淵について教えて頂かなくてはいけません。今日も又、万葉集や万葉歌人について、このあとつづけるのですが、六十年前の作とはおもえませんね。この本を岩手県のいちのせきで、刊行をみたとき、沖縄から北海道、日本全国からこの本を読んだ色々な方が先生に会いに訪ねて見えましたね。初めは出版のことなど、誰も信じないでしょうが、全く念頭になく、先生は広告紙の裏に書いた物を二十枚程、毎日私と、重度の障害があり、椅子に座ったきりの、しかし特別な才能に恵まれた鈴木幸三さんに読んで聞かせていました。しかし、この本の内容は、放っておいても、ひとりで、足が生えて、活字になって、広い世界に飛び出して行く運命と言うか、必然性をもっていましたね。力強い音読に、涙を流したり、励まされたり、そうかとおもうと、自分が云われているのかと、青ざめ、唇の端をわななかせたりしました。奇蹟がおきて、数年後に出版されるのですが、それでも不思議なのは、先生も私もこれで一儲けしようなどとは考えませんでした。何十年経ってもそんな気分はおきません。三十年前、先生の著作をまとめて一億円でどうだ、といって来た人を、先生は断った出来事は懇親会に集まる人達の間では知られている事です。金銭の価値とは別の、金銭では換算出来ない永遠の価値を先生は考えておられるし。すでに得ておられますね。私にもわかります。金銭は使えばなくなりますが、先生から教わったイノチは、エネルギーとしか表現出来ませんが、素晴らしいものです。百%精神的なものです。私が手に入れた魂魄は、だいぶ、輝きも薄く形もいびつですが、それでも永久に清々しい思いで、わが胸の奥で輝き続けるはずです。それでは、そろそろ先生が琵琶法師のごとくに言霊で語る万葉の世界の貴人達に会いに行くことにします。
 上野霄里著『単細胞的思考』
  ◯第一章 原生人類のダイナミズム ——原始的人間復帰への試み——
◆ゴンチャロフの水晶体(万葉集のポエジーをメデアとして)前回からつづく。
 【———彼等は、自らが日本人の原形質であることを、歌の言葉に託して、今日の我々の胸に向かって証言しているのだが、我々の胸の真空管もトランジスターも、とうに切れてしまっている。出力は大きいのだが、肝腎の配線が狂っている。だが一度この社会から葬られ、この世代の最大の敵となりこの世の最低の愚か者となり果てる瞬間から、元通り配線が直り、真空管が働き始める。常識家にとって万葉集は何の意味もない。
 徳川三百年の鎖国の歴史、これはトインビーやウエルズ始め、多くの外国の歴史家たちが、戸惑い悩む不思議な事件であった。この地上に、三百年もの長い期間にもわたって、何千万人(当時の人口)かの人々が独裁政治の下で、何も言わずにじっとうずくまっていた例は他に見られない。思えば、何とも納得のいかない事件で在った。この三百年間、日本人は、陽の当たらぬ牢獄に閉じ込められて服役していたわけだ。何ら正当な理由と罪状なしに、無理矢理に、このじめじめした牢獄に幽閉されていたのである。ロシア人、ゴンチャロフが、会ってその異様さと無表情さ、形式張った中味の無い立ち居振る舞いといったものに、驚き呆れ返ったのはほかでもない、三百年の囚人生活ですっかり人間本来のうるわしい姿と、たくましい機能と、生きているにふさわしい溌剌とした精神を麻痺させられてしまっていた幕末の日本人だったのである。彼は、日本人のなれの果てに出遭った。腰を抜かしておどろいたのも無理は無い。三百年の流刑を了えて戻ってきた囚人が、その時代の感覚をそなえているはずがあるまい。三百年前の生活を、化石のように反復してきた罪人にとって、三百年後の新しい時代が恐ろしく、しかも油断のならないものとして、思わず知らずさっと身構えるのも至極当然のことではないか。
 ゴンチャロフは、そういった、三百年の重労働をつとめあげて、悪魔島から戻って来た、世にも奇怪な囚人に出遭ったのだ。ハリスもビゴーも、日本人に出遭って度肝を抜かれたことを、だらしないと責められないはずだ。自由に生きていた人々にとって、当然、思わずしめしてしまう反応であった。
 徳川三百年の牢獄生活で、日本人はどのようにかわっていったか。恋愛感情を表現することは男子として恥ずかしいことと思うようになり、愛し合って連れ添った仲であっても、妻が、その五十年の夫婦生活の中で納得することは、夫が一、ニ度しか愛情を、それとはっきり示すことはなかったという事実である。そして、その一、ニ度の愛情表現さえ、おそらく亭主本人にとっては、どうかしたもののはずみで、心にもなく取り乱してそうしてしまったのであって、それさえ大いに恥じるといった具合だ。
 男の誇るべきことは仕事だとか、大義に殉ずることだとか、そんなご大層なことを言って、結局は間に変貌していったのだ。
 西洋人が、日本人は我々と違って、肉体の感覚が薄いのかと勘ぐりたくなるほど、平気で、しかもあっさりと切腹をした時代がつづいた。その実、実際に腹など切ってはいない。四十七士の時には、短刀の代わりに、三方に載っていたのは扇子だったと記録されている。そして、切腹人が、儀礼的に、作法に従って扇子を短刀に擬して、おしひろげられた腹に突き立てる瞬間、背後に立っている介錯人の大刀が素速く宙を走り、首を打ち落とした。全く痛みを感じない瞬間的殺人法。
 例え本物の短刀で切腹の座についたとしても、短刀が腹に当てがわれる瞬間に、タイミングよく首が打ち落とされた。武士の情。いい言葉だ。武士は相見互いと固く信じて彼等は互いに助け合ったのだ。痛くて苦しいだろうとよく分かっていたのだ。だから、武士の情がこの上なく美わしいものとして、さむらい達の心を締めつけていた。武士道のリリシズムがここにある。
 だが、この武士の情は、決して口外してはならないものであった。切腹の実状は、つまり、短刀が実際には腹をえぐりとることをせず、死の苦しみにもだえさせないように、介錯人が気を利かしてしまうといった事実は、決して口外されなかった。切腹とは、従って、人間以上の不思議な力に支配された儀式として、部外者の印象に残される結果となった。
 それにしても、死ぬということ、身も心も転倒していて自殺して果てていく者は別として、堂々と、死んでいる切腹人の心境は、大きな謎だ。単なるさむらいの意地だけが仕向ける業であろうか。単なる純粋な忠誠心だけであれだけのことが出来るものであろうか。単なるお家大事といった、今日のサラリーマン意識があれほどの大胆さを与えるものだろうか。いや、決してそうではない。そう考えることは、余りにも感傷趣味に流れた、日本人以外の人間にのみ許さされる解釈の仕方である。我々日本人には、こういった見方が、どのような理由からしても、決して許されてよいはずがない。私は、ここで、はっきりとそのことを言わなければならない。
 武士達のあの切腹とか、それに類した他の大胆不敵に見える生き方もよくよく観察してみれば、三百年の不自然な緊張の連続である生活の中で、当然心に感染しなければならない筈の、ヒポコンデリー症状の一面であり、ヒステリー症状の側面であった。
 仇討ち、自決、出家して世捨て人になる行為、これらは直接的に武士の健康な行為、深い宗教的行為とみなされていた悪夢の三百年は別として、今日、我々は自由な眼でもって、悪質な病気の末期症状とみなければならない。夫婦は決して離婚してはならぬものと信じ込み、愛してもいず、尊敬してもいないくせに生涯連れ添うなどといった生き方も、ノイローゼの重症患者のしそうなことである。社会的義務のために自己を葬り去る。自由人にとって夫婦が一生連れ添っていられるのは、生涯二人が互いに魅力を発見し合い、新鮮な気持ちで愛し合っていける時のみに限られなければならない。そうでなかったら別れるべきだ。自分を殺してまで夫婦になっているなど、牢獄生活よりも辛いものとなる、ましてや子供が可哀想だからなどといって行われる不義は許されてはならない。愛情もないくせに、別れることもせずにじっと我慢しているような、自己のない両親などいない方が、子供は、孤児にはなるとしてももうすこしは、ましな愛情と誠実さにかこまれて育てられる環境に入っていくはずである。親としての妙な想い過ごしはきっぱりと捨てて、もう一度自分をみつめてみるべきだ。こういった偽善の夫婦は、今日いくらでもいる。いや、大半の夫婦が多かれ少なかれこういった要素を皮膚の一枚の下にはらんでいる。いつそれが爆発するか余談をゆるさない。
 そういう訳で、現代人の表情に生気がなく、何をやらせてもびくついた態度になるのも当たり前のことである。三百年の牢獄生活の痛みと歪みは、今日、我々の心身に歴然としてその痕を残している。
 ヒステリックに、腹に短刀を突き立てたノイローゼ気味の主君の仇を討つ時、彼等は、「あなうれし 心は晴るる 気は晴るる この世の月にかかる雲なし」
 とうたえたのは、分かり過ぎるほどよく分かる心境だ。切腹して果てる瞬間、打首にされる瞬間、仇を討ちとったその瞬間、彼等は、生まれてからずっと緊張のしずくめであった状態から解放されて、思わず知らず、ほっと深い吐息をもらしたのである。心の底から、あなうれし———と嘆声をあげることが出来た。
 その点、比較的自由に、自分をさらけ出して生きた町人の一部や、職人達はひどく死を怖れ、土壇場の、打首になる瞬間まで、助けてくれー、と悲鳴をあげ、もがきつづけた。緊張のしどおしの役人達は、何とあさましい根性の奴だと、こういう未練がましい罪人を軽蔑の目で眺めたことだろうが、彼等の心境には、矛盾の渦が坂巻きくるっていたはずである。】万葉讃歌(4)へつづく

   万葉讃歌(2)           佐藤文郎

2019-04-08 11:59:28 | 日記
 年金の仲間はコバヤシさんといいます。時々将棋をさす相手でもあります。若い頃ボクシングをやっていたそうです。鼻の骨が折れているんだそうです。頭もボンヤリとして,意識が遠のいでいくような、しょちゅうそのようになるそうです。しかし将棋は強い。私は一度もかったことがありません。追いつめた、こんどこそ勝ったと思っても、いつのまにかまけてしまうのです。もうひとりの中年氏は体型がまんまるいので、丸サンと呼んでいたらそのまんま丸サンになって、呼べばへんじをするようになりました。あと元ヤーさんの竹さんがいます。めったに姿を見せませんが、歌が好きで図書館に現れた時はかならずカラオケにつきあわされます。「兄弟仁義」とか「とんぼ」が彼の持ち歌です。私はもっぱら「恋人よ」一曲しか唄えません。
 「名文談義」は、もちろん何時もの調子で与太をとばしたのです。私はよくはなしをするので、センセイを知っていて、みんなは“うえの”とよんでいます。彼等の間では一目おかれていて、ふざけた事を普段いっていますが、みな読書好きで“うえの”の著書も読んでいるのです。また、ヘンリー・ミラ―についてもよく知っているのです。しかし普段の会話にはでません。名文も彼等はそんなものどうでもよいのです。文章より大事なものは、それを書いている人間の生活態度や人生経験や行い、そしてそれらに対する情熱であることを知っているのです。文章にはそれが出るというより、出ないようでは文章ではないとおもっているのです。こっちの方が名文とか、あれより、こっちが名文だなど美人コンテストではないのだから、実際そういった人がいました。『単細胞的思考』は私が薦めた訳ではないのに読んでいるのです。ブログに書いた“万葉讃歌”を読んで、「いけず! 途中で止めたりしちぁ、だめン、だめよ,バカン」と丸ちゃんに云われてしまいました。
 そういうわけで、万葉讃歌(2)をつづけることにしました。
 その前に、上野霄里せんせいの、普段着のすがた、仮装行列から離れた所で生きておられる様子をお見せ致しましょう。私宛の葉書ですが、不自由な手で必死にはこんだ万年筆の字体ですが、棲んでおられる世界が、精神のたたずまいが、おのずと伺えるこころ洗われるようなおはがきに思わず……。
  佐藤文郎様
 少しばかり 春の匂いがする風が 吹きはじめました。人間の生命も 虫も 花の生命も 大自然の中では まったく 同じですね。利こうな人間だけが 戦ったり なげいたり いたみ くるしみ ねたみ ののしっていますね! 一度 文化 文明から 人間は 離れなければいけないようです! 毎日 すなおに 物を考えて行く 人間でありたい! このいのち 万歳!
                            霄里 
 ○前回の上野霄里著『単細胞的思考』
第一章 
 ◉ゴンチャロフの水晶体(万葉のポエジーをメデアとして)
——中略につづく。
 【我々が、従来誇っていた、日本人の誇りが単なる幻影に過ぎなかったと自覚する勇気が唯一の前提となって、初めて万葉集が正しく詠まれ、味わわれる、そうでないかぎり、これらのぼうだいな量の歌に含まれた過激な言葉の一つ一つは、或る時代の、得体の知れない人間経験を経て生み出された、極特殊なもの、非現実的なもの、人間生活の限界をはみだしたものとしてしか受け取れなくなってしまう。
 万葉集を、本当に血をわきたたせるものとして味わうためには、先ず、その人間が、自殺をして果てなければならない。今迄の日本人としての抱負の一切をすてさらなければならない。これは激烈な進歩、向上の歩みだ。
 おそらくは、江戸時代の始め頃からであろうが、万葉時代の日本人の心は、大きくゆがめられてしまった。群雄が各地におさまって、創造的な政体と、独創的な支配力を示していた前江戸期には、まだ、万葉の心が残されていた。徳川家康というあの男の示した人格は、現代社会を構成している大半の要素に通じていて、それは、集団をすっきりと、うまい具合に指導し始め、集団体操を続けさせていくことが出来るが、そのために、個人はどれほどの被害をこうむったことか。つまり、個人の創造的な生き方と、集団のすっきりとした在り方は、決して両立することのないものなのだ。畳の上に、四角張って座り、上座と下座が定まった時、人間は、個人の姿を、そのまま露呈することを怖れるようになり、個人の言葉を語ることを罪悪視するようになった。個人はもはや、そのままでは、何ら正当化されず、どのような美徳も生み出したり出来ないものとなっていった。個人は、どの方向から見ても、間違いなく悪であり、不届きな存在としてその身を甘んじるよりほかに仕方がなかった。
 そうした〝個人〟というものにたいするりかいの在り方は、徐々に個人にまつわる一切の価値を罪悪視するようになっていった。個人は弱いものといった最初の感覚は、遂に、個人を核とする一つの巨大な悪魔をつくっていった。個人はもはやどのような立場から見ても正当化されることはなくなってしまった。個人は、れっきとして存在しながら、決して表面にあらわしてはならないもの、絶対にほのめかしてはならないものとしてあつかわれてきている。
 誰もが、個人を持って生まれてきていることは事実だ。そしてそれが例え、死の様相を呈していようとも、そうでないとしても、とにかく、日々の生活の中で、身の内に感じとっているものなのだ。これは否定できない。その事実を認識する心が人間を一層暗くする。日本人の暗さはここにある。そしてこれは、世界中どこに行っても同じであるかも知れない。そういった、個人を犠牲にして成立っている伝統や正義、文化を、一体、何故、誇りにしなければならないのか。これは重大な問題だ。これが納得出来ない限り、人間は、決して、他のどのようなことにも、まともな思索や議論、そして行動をする資格はないのである。
 個人の欠如を見事に正当化しているのが文明一般の働きである。しかも、それを何ら疑わずに信じ込んでいる人間が、今日も大半を占めている。
 〝個人〟は傷つき、亡び、風化してしまっていて、その屍が、累々と人間の精神の内壁にこびりつき、うずたかく堆積している。沖積世、洪積世代の物悲しげな歌が、低く澱み、氷河のペースで流れる流れがある。ひどく緩慢で、同時に、限りなく激しい流れ。
 しかし万葉集の中では、個人が無傷のままで遺されている。傷だらけの人間が無傷なものを眺めてもいたずらに溜息がもれるばかりだ。全く自分とはかけはなれた別天地の生物を眺めるようにこれを眺めている。】次回につづく