独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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自分の日常や、四十五年来の先生や友人達の作品を写真や文で紹介します。

余りにも遅い,春の目覚め      公園小父さん

2018-02-27 21:30:38 | 日記
『私の花物語』を連載している仙台市に住む、三浦由里好さんは、最近ぱったり連絡もとだえているので、どうしているかと、まさか入院でもしているかと想い心配だったが、やっと声が繫がって、「今、自転車に乗っていたのよ、あぶないからね、細い路地に入ったの、どうしたの、そう、原稿でしょう? 忙しくて、ごめんなさいね。送ろうと思っていたのよ」
 三浦さんとは、同郷であり、小学(小学は途中から)、中学、高校と一緒の学校だった。しかし,彼女との思い出はほとんどなく、あすの朝、一番列車で北海道へ家出をする前日、なぜか訪ねて行って、『太陽の季節』という小説が、芥川賞を受賞したこと、そのことがわだいにのぼったことは覚えている。ただ、私には密かに想いを寄せているKという娘(こ)がおり、そのKさんが三浦さんと同じクラスだったのだと思う。その娘も、私と同じ演劇部だった。入部したばかりだった。その娘のことを話したかったのだろうか。
 Kさんとは、言葉を交わした覚えが無いのに、ジョイスの『ユリシーズ』という岩波文庫を借りたのだが、どうしてそうなったか、その経緯(いきさつ)はわからないのだ。ところが、その『ユリシーズ』には落胆させられていた。トーマス・マンの『トニオ・クレイゲル』やヘルマン・ヘッセの『車輪の下』は愛読していたが、ジェイムス・ジョイスは知らなかった。ユリシーズは、ギリシャ神話中の英雄の一人ではないか、現代文学の面白さを知った私には、無要に思えた。しかし、私は、とんでもない間違いを侵していた。後で知ったのだが、これこそ、偉大な著者であり,書かれた本こそ、二十世紀を代表する最先端の文学書だったのである。
 Kさんは、町内ではなく、隣ブロックの町に住んでいて家の商売は醤油をあつかっていた。店主,つまり彼女のお父さんは、いつも前掛けをして、長靴を履いて働いている姿をよく目にしていた。東京のT大出ということで有名だった。
 ずーっと、あとになって、あの『ユリシーズ』は、お父さんの蔵書から、これなら読めるだろうと、中でも,易しそうなものを選んで貸してくれたのだろうと、想像できた。美しい娘だった。容姿はふくよかで、顔も柔和でモナリザを思わせる気品が感じられた。
 それから三十五年後に、千葉県の温泉地で高校の同窓会が行われ、めったに行った事も無いのに出かける事にしたのは、Kさんがもしかしたら出席するのではないかという噂が聞こえて来たからである。当時のままのあの容姿も気品も失っていないKさんが、皆の中におっとりと座っていたのである。自己紹介というものがあったが、Kさんは、私の番になって、私の事を覚えているのだろうかと、それというのも、みんなそれぞれ、なにがしか、記憶にあるものなのに、まったく、そういう様子は無く、かといって、知らない振りをしているような緊張感はなく、自然な様子で、誰だったかしら、と微笑みを幽かに浮かべながら傍らの友人たちと楽しそうに過ごしていたのだった。
 私は彼女と初めて出逢う様にして会えたことが嬉しかった。
 私の変わり様が極端だったという人が居るかもしれないが、例えそうだったとしても、そのために気が付かなかったということはない。本当に、彼女の目は、澄み切っていて、もう最初に目にした通りの三十五年前のまま、自然だったのである。
 「公園小父さん、では、原稿をお送りしますから、よろしくお願いします」
 三浦さんも、変わりなくて良かった。『私の花物語』が近いうちに又皆さんに読んでもらえそうです。

やっぱり,まいにち公園を歩いて、生きています。

2018-02-23 16:54:34 | 日記
 一年間拙い日記を掲載して頂いて、どうもありがとうございました。私にも名前は有るのですが、敢えて,公園小父さんとして、私なりの日常空間が公園を中心としたファンタステックな感じになればと、小父さんの舞台まわしで進めてみたのでした。人が生きて行くということは老人であっても、様々な現実問題があります。現実問題以外に、心の中の問題はこれまた多岐にわたって、よろこびも悲しみも、あるのですが、心の中のつぶやきを文章にする事で、自分なりに、暗い憂鬱な感情にはならずに日々を送られたようです。一年後はどうなっているかですが、同じような気持ちで 公園を歩いているかどうかです。又,一年間よろしくお願いいたします。