春の花の咲き盛る季節の中をウグイスやカッコウ、ヒバリ、トンビ等そして私の知らない種々の鳥達がさえずり私を一層うきうきとさせた。私はウグイスとカッコウがとりわけ好きでうっとりすいこまれるように聞いた。
タンポポやスミレやレンゲが咲き、それら等の中でクローバーの花をつみ、レイを作り、ヤブツバキの花をかき集めて、真っ赤なレイをかけ、近所の子供たちとままごと遊びや鬼ごっこや縄跳びをして遊んだ。
生家のいろいろの花樹の中で特に私の好きな木に、桜の大木があった。
私はこの桜がたまらなく好きであり、私の大の友達であった。子供が三人で手を広げて廻るぐらいの大木に花の咲く風情は、それは見事であった。ゴツゴツした木肌からふっくらと薄桃色のつぼみをぎっしりとつけて、一日一日と開花していく様を私は胸躍るおもいで見つめ、可憐なつぼみの開花する日の喜びは例えようもなかった。
桜の木の下から見上げると、あの可憐な薄紅色の桜の花が、日ごとに華やかに青い空をいっぱいに埋めて咲いていく様は、空に染め抜いた絵模様のように美しく心にしみた。
春の陽に透けて光る若葉の緑も好きだったが、この桜の花が春の陽を受けてキラキラと照り輝いて咲き匂う美しさは、例えようもなく今も鮮やかに甦ってくる。
子供の私にとって、この桜の大木はとてつもなく偉大な存在であった。満開の木によじ登り、ままごと遊びやレイを作ったり鼻の先を花にくっつけてうっとりと花の香に酔い、花に舞い寄る蝶を追ったりした。
木の上から望む国道までの風景は箱庭のようで楽しかったし、花の盛りの間、その下にゴザを敷いて寝ころんだり、本を読んだり、よく宿題をしたりした。私は桜の花の精に心奪われる思いでその薄紅色の柔らかく甘いささやきに酔い、吸い込まれるように戯れ楽しい日々をそのそばで過ごした。
やがて満開を過ぎ、花びらが日ごとに大きくなると風のそよぎにつれてチラホラと花の舞散る日の訪れは淋しかった。ゴザの上に舞散る花吹雪はこと更惜別の思いをかきたて、掌にすくい、花に顔を埋めてはしゃぎ、惜しんだ。私自身桜の花との惜別の舞を舞う花の精になって花の舞散る下で時をわすれて過ごした。
喜びの日々が一日一日あせゆく淋しさが心に痛くしみた。その思いを治してくれる様に次から次と色々の花が咲いた。桜の木の下に咲く真っ白いつつじの花、濃い桃色の八重桜、白いスモモ、真紅のしだれ桃、やまぶき草等々、それらの花の美しさに次第に心奪われ、その中に溶込んでいった。
この大好きだった桜の木が、再び見ることができない悲しみを味わったのは小学校六年の春のことであった。あの真っ白い藤の花が刈払われて姿を消した日と同じように、桜の大木が切去られたのを見た時私はすっかり打のめされていた。それは残酷な程の衝撃であった。子供の私がどんなに嘆き叫んだとしても何の力にもならなかった。
心の中を桜の花びらがハラハラと舞い、悲しく散った。
子供心に、生あるものの、果て行くものの哀れを痛い程知った。
目をとじれば、私の心の故里に、今も春の光の中で桜は咲き続き、花の精はやさしく微笑み、私の中で桜は永遠に舞いつづけ生きつづけているのである。
タンポポやスミレやレンゲが咲き、それら等の中でクローバーの花をつみ、レイを作り、ヤブツバキの花をかき集めて、真っ赤なレイをかけ、近所の子供たちとままごと遊びや鬼ごっこや縄跳びをして遊んだ。
生家のいろいろの花樹の中で特に私の好きな木に、桜の大木があった。
私はこの桜がたまらなく好きであり、私の大の友達であった。子供が三人で手を広げて廻るぐらいの大木に花の咲く風情は、それは見事であった。ゴツゴツした木肌からふっくらと薄桃色のつぼみをぎっしりとつけて、一日一日と開花していく様を私は胸躍るおもいで見つめ、可憐なつぼみの開花する日の喜びは例えようもなかった。
桜の木の下から見上げると、あの可憐な薄紅色の桜の花が、日ごとに華やかに青い空をいっぱいに埋めて咲いていく様は、空に染め抜いた絵模様のように美しく心にしみた。
春の陽に透けて光る若葉の緑も好きだったが、この桜の花が春の陽を受けてキラキラと照り輝いて咲き匂う美しさは、例えようもなく今も鮮やかに甦ってくる。
子供の私にとって、この桜の大木はとてつもなく偉大な存在であった。満開の木によじ登り、ままごと遊びやレイを作ったり鼻の先を花にくっつけてうっとりと花の香に酔い、花に舞い寄る蝶を追ったりした。
木の上から望む国道までの風景は箱庭のようで楽しかったし、花の盛りの間、その下にゴザを敷いて寝ころんだり、本を読んだり、よく宿題をしたりした。私は桜の花の精に心奪われる思いでその薄紅色の柔らかく甘いささやきに酔い、吸い込まれるように戯れ楽しい日々をそのそばで過ごした。
やがて満開を過ぎ、花びらが日ごとに大きくなると風のそよぎにつれてチラホラと花の舞散る日の訪れは淋しかった。ゴザの上に舞散る花吹雪はこと更惜別の思いをかきたて、掌にすくい、花に顔を埋めてはしゃぎ、惜しんだ。私自身桜の花との惜別の舞を舞う花の精になって花の舞散る下で時をわすれて過ごした。
喜びの日々が一日一日あせゆく淋しさが心に痛くしみた。その思いを治してくれる様に次から次と色々の花が咲いた。桜の木の下に咲く真っ白いつつじの花、濃い桃色の八重桜、白いスモモ、真紅のしだれ桃、やまぶき草等々、それらの花の美しさに次第に心奪われ、その中に溶込んでいった。
この大好きだった桜の木が、再び見ることができない悲しみを味わったのは小学校六年の春のことであった。あの真っ白い藤の花が刈払われて姿を消した日と同じように、桜の大木が切去られたのを見た時私はすっかり打のめされていた。それは残酷な程の衝撃であった。子供の私がどんなに嘆き叫んだとしても何の力にもならなかった。
心の中を桜の花びらがハラハラと舞い、悲しく散った。
子供心に、生あるものの、果て行くものの哀れを痛い程知った。
目をとじれば、私の心の故里に、今も春の光の中で桜は咲き続き、花の精はやさしく微笑み、私の中で桜は永遠に舞いつづけ生きつづけているのである。