独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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自分の日常や、四十五年来の先生や友人達の作品を写真や文で紹介します。

 私の花物語     桜の舞(3)     三浦由里好(みうらゆりこ)

2017-02-21 20:41:05 | 日記
 春の花の咲き盛る季節の中をウグイスやカッコウ、ヒバリ、トンビ等そして私の知らない種々の鳥達がさえずり私を一層うきうきとさせた。私はウグイスとカッコウがとりわけ好きでうっとりすいこまれるように聞いた。
タンポポやスミレやレンゲが咲き、それら等の中でクローバーの花をつみ、レイを作り、ヤブツバキの花をかき集めて、真っ赤なレイをかけ、近所の子供たちとままごと遊びや鬼ごっこや縄跳びをして遊んだ。
 
 生家のいろいろの花樹の中で特に私の好きな木に、桜の大木があった。
私はこの桜がたまらなく好きであり、私の大の友達であった。子供が三人で手を広げて廻るぐらいの大木に花の咲く風情は、それは見事であった。ゴツゴツした木肌からふっくらと薄桃色のつぼみをぎっしりとつけて、一日一日と開花していく様を私は胸躍るおもいで見つめ、可憐なつぼみの開花する日の喜びは例えようもなかった。
 桜の木の下から見上げると、あの可憐な薄紅色の桜の花が、日ごとに華やかに青い空をいっぱいに埋めて咲いていく様は、空に染め抜いた絵模様のように美しく心にしみた。
 春の陽に透けて光る若葉の緑も好きだったが、この桜の花が春の陽を受けてキラキラと照り輝いて咲き匂う美しさは、例えようもなく今も鮮やかに甦ってくる。
 子供の私にとって、この桜の大木はとてつもなく偉大な存在であった。満開の木によじ登り、ままごと遊びやレイを作ったり鼻の先を花にくっつけてうっとりと花の香に酔い、花に舞い寄る蝶を追ったりした。
 木の上から望む国道までの風景は箱庭のようで楽しかったし、花の盛りの間、その下にゴザを敷いて寝ころんだり、本を読んだり、よく宿題をしたりした。私は桜の花の精に心奪われる思いでその薄紅色の柔らかく甘いささやきに酔い、吸い込まれるように戯れ楽しい日々をそのそばで過ごした。

 やがて満開を過ぎ、花びらが日ごとに大きくなると風のそよぎにつれてチラホラと花の舞散る日の訪れは淋しかった。ゴザの上に舞散る花吹雪はこと更惜別の思いをかきたて、掌にすくい、花に顔を埋めてはしゃぎ、惜しんだ。私自身桜の花との惜別の舞を舞う花の精になって花の舞散る下で時をわすれて過ごした。
喜びの日々が一日一日あせゆく淋しさが心に痛くしみた。その思いを治してくれる様に次から次と色々の花が咲いた。桜の木の下に咲く真っ白いつつじの花、濃い桃色の八重桜、白いスモモ、真紅のしだれ桃、やまぶき草等々、それらの花の美しさに次第に心奪われ、その中に溶込んでいった。
 
 この大好きだった桜の木が、再び見ることができない悲しみを味わったのは小学校六年の春のことであった。あの真っ白い藤の花が刈払われて姿を消した日と同じように、桜の大木が切去られたのを見た時私はすっかり打のめされていた。それは残酷な程の衝撃であった。子供の私がどんなに嘆き叫んだとしても何の力にもならなかった。
 心の中を桜の花びらがハラハラと舞い、悲しく散った。
 子供心に、生あるものの、果て行くものの哀れを痛い程知った。
 目をとじれば、私の心の故里に、今も春の光の中で桜は咲き続き、花の精はやさしく微笑み、私の中で桜は永遠に舞いつづけ生きつづけているのである。
 


私の花物語     桜の舞(2)     三浦由里好(みうらゆりこ)

2017-02-17 18:26:12 | 日記
  私の花物語   桜の舞(2)
 自然の中に身を置くとき、私は最も素直で明るかった。自然は私にとってどこまでもやさしく広くあたたかかった。私を見る周囲の目はあまり温かいものに見えなかった淋しさを私ははりつめたやるせない思いで自然の温かさに求めていた。
 それは私の生立ちの性(さが)であったのか、先天的性格にあったのか、後天的な原因によるものか、確実なことは良くわからないが、私は先天的に自分の性格が人から愛されないものだとは、とても思いたくなかった。
 子供の私には解らないことであったが、私の母が生後間もなく両親に死別され、養女として祖母に育てて頂いた恩義の中で私と妹は必ずしも歓迎される存在ではなかったこと、祖母にとって何と言っても実の子である叔父の子供達–––姉二人・兄一人・弟一人–––が可愛いのが当然のことで、私にとって自分の存在がどんな立場であったのか、その意味する重みを知る事ができなかった。
 母は生来明るさとやさしさ温かさを持った人であるがそれだけに祖母や叔母、義姉妹たちの間に立って何かにつけ気をつかい、子供たちの喧嘩には心を傷め、特に祖母はどんな場合でも悪いのは私と決め込み母もそうすることで円満に収めてもいたし、一番良い方法でもあった。
 義姉妹とは、いつも仲良く遊びもしたが随分派手に喧嘩もし、泣いたり泣かせたりして祖母や叔母・母たちを困らせたことは度々で、ひどい時は庭の隅にある大きな白壁の土蔵の二重・三重になっている厚い扉の奥の昼でも真っ暗なネズミの出てきそうな所に放り込まれ、ワンワン泣いて泣きつかれて眠って仕舞うくらいまでお仕置きをうける事も三度や五度ではなかった。
 私を土蔵に入れるのは祖母か母でそこから済まながって出してくれるのは叔母であった。
 喧嘩の度々に全ての原因が常に私にあると決めてかかられる事がたまらなく不満であり、悔しかった。それは私が子供なりにどんなに叫んでもどうすることも出来ない宿命的なものにさえ感じられた。子供にはとうてい量り知ることの出来ない大人の心情の中にある厚い壁の重みは、子供の性格・人格の形成においてもこうした様々な形で影響を与えられて行くことを見て私は一言で先天的な性格であると決めてかかれないものに思えてならない。
 むしろ、神から与えられた善魂を、深い愛と慧智と慈しみをもって大切に育て見守るなら、子供はその天性を存分に健やかに生かされ成長するに違いない。
 幾度も、何か理不尽なやるせない思いを積み重ねて成長して行く中で私は誰かわたしを温かく、やさしく包んでくれる人の懐に思いきり飛び込み甘えてみたいと子供心にいつも人恋しい思いの強かった事を昨日のことのように憶えている。父にも(私の五歳の時に戦病死)、母にも思いきり甘えることの出来なかった子供の切ない思いを私は大自然の草木や花々の神秘な美しさの中にゆだねる事で心の傷は治癒され、淋しさの故にその美しさが心にしみ、素直に順応して行けたのであろう。
 花とお話をし、花の心が聞こえてくるような素直な気持ちになれ、ただただ花が好きであった。それは私にとってかけがない救いであった。自然は決して叱らなかったし、責めたり、どなったり嫌な思いをさせたりはしなかった。その中に私が見たものは、温かい大地の母の懐であり、天使の微笑みであり、花の精達のやさしい愛のささやきであった。
 それと同時に、私は春の柔らかい光の中に、永遠の母の微笑を見つけて限りなくうれしく自然に溶けこむことで満足していた。

独りでも,元気です

2017-02-16 20:56:22 | 日記
 私は独り暮らしで、もちろんテレビを見るし、公園でラジオ体操や、太極拳もする。読書もする。絵も描くが、観賞するほうが多い。私は悟っている訳ではないが独りで居て寂しいということがない。しかし、そういうことは口に出せば、人は不審そうな顔でみつめている。独りでは退屈だろうし、気が鬱いで落ち込むのが普通一般の感覚であろう。私は文学や芸術が好きである。そう云うと、ははん、一人よがりの自慢がはじまったとおもわれる。人に云うことではないと思っている。一般にいう読書がすきなのではない。彼らの生き方がすきなのである。彼らは私よりもっともっと寂しい境遇にいて不満を云わず生きていた、気高いというか、生命に満ちあふれた人生を生きていた。これは、宗教や、政治とは関係のない世界観なのである。まず、わたしはそんな男である。こういう類いの話しはこれでおわる。
 今日は私の小学からの友人の手記を紹介したい。『私の花物語』というタイトルで、いままで誰にも見せた事がなかった。発表しようと思って書いたものではないという。懇請して私のブログに掲載することに了解を得た。
 
  私の花物語  桜の舞
   春は光とそよ風にのってやってくる。
 目のさめるような鮮やかな若葉に、柔らかい春の陽がまぶしく透けて、そよ風が樹々の葉を揺らす頃、春はうらうらと、何かやるせない思いをかきたてられ、そのくせうきうきとこのうえもなく心ははずむ思いで、私は一年中で一番好きな花の季節を迎えた。
 野も山も空も緑も、柔らかい春のうらら陽につつまれる光景はこの上なく私を満足させた。
 春は私をやさしく包み、限りない喜びを運んでやって来た。春は私にとってただただうれしい季節であった。
 光の中に私は春の天使を見つけていた。春の天使は、いつもやさしく明るく微笑んでやって来た。
 春の天使は、淡い黄色やピンクの羽根をつけ、光とそよ風に乗ってフンワリフンワリとやって来て、花の周りや私の周りを飛びながら、色々な楽しい話しや歌を歌ってくれた。私は天使と一緒にいつも明るく春の歌を歌った。

  春の小川は  さらさら流れ
  岸のスミレや  レンゲの花に……
  
  菜の花畑に  入り陽うすれ
  見渡す山の端  霞深し……

  桜の花の咲く頃は
  うらら うららと陽はうらら……

  春のうららの  墨田川
  上り下りの   船人が……    等々

 春の天使や花の精達や小鳥と達私はいつも楽しく歌い笑い、戯れ、誰にもわかってもらえない子供なりの何かやるせない思いや淋しい思いを語り、癒されていた。
 私にとって自然は大きな慰めであり救いであった。