独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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放蕩息子の更なる告白  (百四十二話) 佐藤文郎

2019-10-12 23:42:52 | 日記
 「文明人間」の避難場所
いつ停電になるか、心配しながらでしたが、何とか間に合いました。「緊急避難情報」。携帯のブザーが何度も着信する中。打ちながら、運命論者みたいに文明人間の片割れとして、背中から、土砂が押し寄せて来ても当然の報いに思えて来たのでした。さて、これから避難と言っても、何処へ行こうか。

 人間は宇宙の真心によって   上野霄里
  四章  遊び
 観照者としての生き方はゲーム
 に過ぎないが 自分の中に入って
 生きる行為は修行である
        23・4・14  うえの
 

  『松に習え』
 芭蕉はいった
 「松のことは 松に習え
 竹のことは竹に習え」と
 文明意識は 松の心を忘れ
 竹の主張を無視する
 人間は平和を生み出すことが出来ない
 高貴な生き方も生み出すことが出来ない
 平和を生み出すのは
 平和そのものである
 高貴さを生み出すのは
 高貴そのものである
 自分を一番良く豊かにしていくのは
 自分という名の自分自身である

  『死の舞踏』
 愚かな魂よ
 お前は流行の中で
 何かを創造したと錯覚している
 自分の脚で翔んだと自覚している
 お前はその実
 文明に騙されているのだ
 伝統と因習の方式に叶った
 既成の詰め合わせに従って

 跳ねただけではないか
 何一つ生み出すことのない
 不毛な結果しか見ることのない
 文明紳士達の
 ちんまりまとまった ソツのない
 死の舞踏よ!

  『その前に』
 君は人生が嬉しくなる前に
 友をすべて失わなければならない

 君は自信に満ちる前に
 両親や兄弟を忘れ去らなければならない
 
 君は真人として誇り得る己である前に
 文明社会から脱落しなければならない

 君は 自足の生き方に入る前に
 伝統の簒奪者にならなければならない
 偉大な一個の自己完結的人間となるために
 人間は 一度
 文明圏で
 伝統の前で
 権威の前で
 正義の前で
 富の前で
 死に果てなくてはならない

  『達人』
 自然と親しく対話の出来る
 原生の感情を
 文明社会の規則人間は憎む
 自然環境因子を
 己の内外に自由に出し入れの出来る
 原生の肉体を
 文明社会の公式人間は 恐れる

 見よ 仏像の背後に描かれている後光を!
 キリストや聖者の頭上に描かれている光の輪を!
 あれらは 一様に
 万有と己の生気を合致させた人間に
 みられる現象なのだ
 地上二メートルを 卓越している人間は
 ひと呼吸 ひと呼吸
 宇宙の全域を己の中に取り入れている

  『原生回帰の知』
 文明の知性は神の愚かさに敗れる
 とバイブルはいう
 事実
 文明の知性は
 全円的人間の真現象を捉えるには
 あまりにもその分離能が低過ぎる
 原生叡智は
 非文明の要素だ
 反文化の体質だ
 無客観の荒びた姿勢だ
 故に
 原生の叡智は
 至高の知となる
 極北の知
 無明の檻を打ち破り
 原罪の縛目を断ち切る
 激烈な原生回帰の知だ

  『処刑される』
 予言者の前に
 言葉を売り出してやろうという
 商人が現れると
 予言者の能力は精彩を失ってしまう
 芸術家の前に
 作品を売り出してやろうという
 商人が現れると
 芸術家の才能は翼を失ってしまう

 昔は
 仙人や予言者や
 ラスコーの洞窟に住む
 画家達に
 商人が群がらなかった
 今日
 美しい才能は商人の手で処刑される

  『人間を活かす』
 自らに正直な態度を
 キエルケゴールは
 実存的誠実さと形容した
 社会的誠実さばかりが
 気がかりで
 自己自身には 嘘のつき放題
 現代人間────

 社会的誠実さは人間を亡ぼす
 実存的誠実さは人間を活かす

  『試される』
 主義の下で
 人間の意地が試される────
 
 集団の中で
 人間の自我欠落の度合いが計られる────
 
 科学の前で
 人間の小知恵が測定される─────

 宗教の中で
 人間の率直さが見分けられる─────

 虚無の中で
 人間の偉大さが理解される─────
 
 自然の中で
 人間の叡智が確認される─────
 
  『開眼する迄』
 文明に抗し
 文化と闘い
 理性社会に背を向けて生きた
 果敢な誠実心は
 しばしば
 自己を称して
 大愚といい
 愚禿といい
 風来坊といい
 風狂といい
 風癲といった

 自らを無宿者に仕立て
 無住の乞食に追いやり
 狂態をまとってさすらうことにより
 永劫の安住にひたった
 無限の悟りに開眼した

  『失われたものに』
 かってプラトンが
 詩人に対して抱いた
 「聖なる恐怖」は
 一つの畏敬
 一つの正当な認識
 一つの開眼
 一つの明晰な理解────

 彼にとって詩が象徴している芸術は
 手に負えぬ感化力を伴っていた
 人々を一瞬にして質転換させる
 魔力を秘めていた

 真の芸術のこの危険性────
 プラトンの心に恐怖を与えた
 この壮絶な狂態としての
 芸術の生き様
 だが今日
 芸術は見事にプラトンの裏をかいた
 芸術はなんら恐怖の対象ではない
 作品を見ても
 人々は一向に驚きもせず
 心をふるわすこともしない

 文明人間は
 不幸な免疫性を身につけてしまっている
 ニーチエの思想に触れ
 シャカの言葉に接し
 キリストの生き様を知っても
 いささかも 動じない

 これは 憂うべき鈍麻
 絶望的エポケー
 悲しみに満ちた無知
 悲劇的なまでの無気力

  『道』
 「道」─────
 それは鮮烈な輪廓を持つ自我を崩して
 超微粒子と化し
 宇宙環境因子と冥合させる
 知恵の生き方

 西欧の精神山地に
 ひときわ群を抜いてそびえている
 強烈な自我の高峰は

 ルソー、キエルケゴール、ニーチエ
 だが 彼等には
 虚無への溺れがなかったか

 「道」は これらの巨峰を切り崩し
 全く平坦にしたうえで
 真実の霊峰を隆起させた
 文明の希望も虚無も呑み尽くしてしまう
 霊峰を そびえさせた

  『修行』
 芸術の修得を修行の場と混同している日本的心情
 仏教から発生した修行が
 行の分野にも入り込んできた
 技術の確かさと
 人間性の確かさが同一時空で問われる習慣の中で
 日本的生活は固有のものとなる
 だが
 その言葉の真実の意味における修行は
 技術の錬磨と何ら関わってはいない
 乾坤無住の
 ひたすら自由な魂と
 それにつきまとう生活だけが
 修行によって
 遊びの生き方を
 鮮烈にする
 明確にする
 余裕ある行とする

  『堕落芸術』
 強烈な色彩と造形で
 人々を圧倒する画家や彫刻家がいる
 だが それらの作品のすさまじさほど
 彼等自身は 激しく生きてはいない
 唯、作品に無反応な人々を
 ひきつける手段として しきりに奇抜さをてらう
 芸術家と作品の二面性は
 今日 常識のこととして誰一人気にとめないが
 私は これを悲しむ
 作品は人間の反映でなければならず
 人間は作品を裏切ってはならない

  『仲間入りが出来る』
 本当に自分を正しく表現したかったら
 心から自分らしい生き方をしたかったら
 骨の髄から誇り溢れる生き様をしたかったら
己の身心にこびりつている文明感覚を
 徹底的に打ち砕け─────

 己の言葉を
 この世の中で 無難に通っていた言葉を
 粉砕せよ─────
 己の意識を完全に錯乱状態に追い込め!
 この時 人間は
 神々と言う名でよばれている
 仲間入りが出来る

  『プロクルステースに気をつけろ』
 芸術家よ────
 プロクルステースのベッドに気をつけろ
 自分達の好みや
 安っぽい金張りの美徳などを掲げて
 君の脚を断ち斬り
 君を無理矢理引き伸そうとする
 
 芸術家は
 自分自身の声で自分自身の歌しかうたえない
 
 それ故に
 芸術家よ
 他人に命じるな
 他人に命じられるな
 見よ─────
 プロクルステースは
 芸術の暁に
 ドルメンの陰で
 ラスコーの洞窟で
 処刑されてしまっている

  『遊び』
 ほとけやかみさまという
 外側の幽かな存在を度外視すれば
 人間現象は
 あらゆる意味において
 手段である正当性を失う
 方法である意義を失う

 手段でもないものを
 方法でもないものを
 まずはじめに
 手段と方法にすりかえ
 ついでに
 手段と方法を
 目的にすりかえてしまった文明────

 人生は それでもなお
 遊びそのものなのだ
 手段と目的を
 方法と達成を
 はるかに はるかに 凌駕した
 遊びそのものなのだ

  『無明』
 印度で高邁な思弁哲学であった仏教は
 中国で社会参加の知恵と化し
 日本で形式宗教と化している

 パレスチナで地下運動であったキリスト教は
 ローマ帝国の版図で権力と化し
 現代世界で道徳と化している
 だが
 シャカは一個の
 天上天下 唯我独尊
 キリストは一個の
 天駆ける自由な精神の受肉であった

 仏教寺院はシャカの言う無明を失い
 教会はキリストの言う白く塗った墓の中の
 腐り果てた骨になっている

  『呼びかけてくる』
 理性的人間は孤立している
 社会とべったり癒着していながら
 限りなく孤独だ
 
 感情豊かな熱い感性の人間は
 社会から断絶し 孤高の姿勢を保ちつつ
 いささかも孤独ではない
 社会的な孤独を誇りながら
 万有と見事に交わっている
 花も雲も
 山も川も
 人間も細菌も
 すべてかれにとって「あなた」であり
 対象は彼に呼びかけてくる
 石ころ一つについても
 これに愛着し
 まんが本の切れはしの一言半句に
 感動し
 枯れ木の造形に心打たれ
 虫の這うのに宇宙の言葉を聴く

  『人生万才の生き方』
 私がこれほど迄に
 熱中し 暴れ狂い歌い絶叫しているのに
 君達は ほんのわずかの関心を抱いて
 周囲に群がり
 これに共鳴し参加し生命を賭けてくれないと嘆く人々よ

 君は未だサーカス業から脱けきっていない
 本格的な生活者は
 他人を気にしない
 ひたすら 己自身のことで手一杯だ
 自己を眺め 自己の言葉に酔い痴れ
 自己の壮大さ 卓越した偉容に
 唯々 感動し 見惚れて
 一生を了る
 
 この時 他事多難な生涯が
 バラ色に輝き
 爽やかで 快適で
 人生万才を何度もつぶやき
 もったいない位に美しい人生を
 一瞬の間に失っていく
 私は一瞬一瞬を
 嬉しさを飲み干しつつ生きている

  『原生の技巧』
 野辺の花は 自然である故に
 時空のプログラムの中で
 芽生え 咲きほころび萎んでいて
 活け花は造花と自然
 花器の中で 剣山の上に立ち
 唯 咲くだけ
 芽生えと萎えの時間は
 切り取られて 忘れられる
 永遠に咲きほころぶ様を訴えようと
 一瞬の姿を剣山の上に晒す

 文明は造花の自然
 技巧と作意の天然
 原生の技巧は
 自然を天然のまま
 いささかも壊さぬ技巧のことだ
 
  『死せる赤児』
 じぶんが何を欲しているか
 忘れてしまった文明人間は
 あたかも
 泣き疲れて ぼんやりしている赤児のようだ
 もう二度と泣きじゃくって
 ねだることをしない幼児は
 天使の心を失ってしまった
 死せる赤児────

 もし
 終生 初々しい
 生気に溢れる赤児でいたかったら
 自分が何を欲しているか
 もう一度はっきりと想い起こすことだ
 そのためには
 理性は邪魔になる
 生の感情のみが 彼を救う

  『アメーバーを見る』
 極度に洗練されてきている
 文明人間の精神
 それは真実の光を目撃しても
 一向に衝撃を受けない
 鈍麻した無反応の精神
 
 反応を忘れた 精神風土は
 不毛の凍土
 常闇の世界

 底には奇蹟も神話も生まれず
 唯、黙々とうごめく
 食って糞を放り出す生物
 文明人間共が悪臭を放ち
 群がっている
 ────私はそこに顕微鏡下の
 アメーバーを見る

  『より高い生』
 死に追いつめられて死ぬのは
 存在の可能性を断ち切られた
 いわば処刑された死だ

 生きながら
 しかも逞しく生きながら
 自らの手と意志によって断つ死は
 枯凋でも滅亡でもない
 それはより高い次元への誕生なのだ

 豪快に生きたまま死に突入することにより
 人間は一層威厳に満ちた
 高邁な生活者として生きられる

 死に追いつめられるより
 死を追いつめよ
 生を追いかけるより
 生に迎えられよ

  『例えようもなく悲劇的な』
 どんなに人間が
 文明の快適な生活に酔いしれていても
 人間の生命の
 肝心な点では
 宇宙の素朴なリズムに結び付いている
 宇宙の素朴なリズムに結び付いている
 それが生命なのだ
 文明の便利さを楽しむ心は
 溺れ 妄想している心だ
 生命からずり落ちた
 酔い痴れる麻薬患者の痴態だ

 文明という名の
 人間汚染
 原生性破壊─────
 人間は今
 例えようもなく 悲劇的な
 文明歴史の中の犠牲者なのだ

  『ハレの人間』
 川に泳いで
 流れを意識するのは
 鈍麻した意識による
 日常性(ケ)との接触にすぎない

 川に泳いで
 流水の中に宣託と意志を感じるのは
 めざめている意識による
 祭り(ハレ)の体験である

 ハレの体験の中で
 キリストは変貌し
 山伏は山入りして行をおこない
 木食上人は生きながら地下に埋められ
 フランシスは乞食と衣服を交換し
 老子は函谷関の彼方に姿を消し
 モーゼはニボ山に登り
 ノアは箱舟に入り
 ヨハネはパトモス島の岩窟に入り
 エノクは天に向かって歩きはじめた
 見よ!
 エノクは今も
 神と共に天上を歩いているのだ!
 彼は常にハレの人間なのだ


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