実は、前回書いた筆者の拙文の中に「センセイの、天下一品と私が認める日本語…」と書いたことについて、図書館で知りあった同じ年金仲間が、「そういう貴重な文章をぜひ読んでみたい、なぁみんな(笑い)」と言い出した。(そんな物あるわけがないと顔にかいてある)天下一品のことだが、たしかに、言うだけなら、“乞食の粥”には米粒がないと云うからな」
「重湯よりわるい、湯(言う)だけ、と云うことか」と、もう一人の中年。
「そうだよ、じいさんが、天下一品と太鼓判を押した日本語を、その出典も合わせて紹介しなよ。漱石よりも、鴎外よりも名文だと云う事にならないと…」
「お望みとあれば紹介しよう。名文とは,こういう物のことを云う、唯一無二さ。そして、語録ノートから披露するとしよう。千を下らない例文の中から一文をここに掲げることにする。
「勿体つけずに、前置きはもういいから、早く,始めた、はじめた、迷文でなければよいが…」
じつは、こういう書き出しで先生の『砂嘴(さし)のアレゴリイー』という文章を用意したのでしたが、どうしたわけか、そのブログ原稿が“投稿”できなかった。機器が受け付けなかった。何度やってもできなかった。(また、イタズラか?)とも思った。我が身とおなじでPCも古ぼけたので愈々がたが来たかと思いもした。冗談だが……。
そんなことで十日ほど経った頃、思いがけないことが起きたのである。このたびの、新元号が発表になったのである。新元号が発表になっただけなら別段どうということもないのだが、その『令和』が〖万葉集〗からの典拠であると知って、老いぼれのPCに活をくれて、もう一度再投稿してみようと思い立ったのである。この時点でどうなるかはまだ分かりません。やってみるだけです。
そのセンセイとは、上野霄里先生のことです。丁度今から五十年前に出版された本です。その時からまた四十年後に、東京中野にある「明窓出版」という出版社から復刻された『単細胞的思考』。一章から九章まであるのですが、その第一章に、先生ご自身が万葉集と出会われた時の感動的な読後感想を書いておられます。もちろん、こちらもダイヤモンド級の名文ですので、差し替えてこちらに致すことにします。
筆者の前座役はこのへんで終わりにいたします。霄里先生の内奥からの歓びに溢れた万葉集讃歌に触れてください。紹介するのはほんの導入部だけですが、これから原文で当たる方も現代文で通読される方も、かならずや参考になるのではと思います。その独特で特異な感性と理解の深さに驚かれるでしょう。そうです。まずともにその新鮮な広がりを見せた大らかな世界にびっくり仰天してください。
機械の調子よ、持ち直してくれ! と祈るばかりです。(掲載については、昨日、上野霄里先生に連絡を入れております)。
○第一章 原生人類のダイナミズム ———原始的人間復帰への試み——
◆ゴンチャロフの水晶体(万葉集のポエジーをメデアとして)
【とても寝ていられないくらい嬉しいのだ。この感動、この興奮、この新鮮な気分はどうだ! 長らく求めていた真の友に出遇ったよろこび…まさにこれだ。
今朝は、外はまだ薄暗いというのに起きてしまった。とても寝てはいられないぐらい嬉しいのだ。何という心の軽やかさだ。 何と快適に血液がかけめぐっている身体だ。何と心臓の調子がいいことよ! まるで、天国のパスポートを手に入れ、ヴィザを手に入れたような幸せな心境である。
万葉集! 万葉集の中の短歌は、以前にも、何度か読み、諳誦し、歌人の名前のいくつかも口馴れていた。だが、こういったものが、今までは、一寸も私の実生活には結び付かなかった。
山部赤人と口ずさんでみても、紀郎女と口ずさんでみても、それは全く私個人とは無関係であった。第一、万葉の歌を教え、講義する教師の表情や言葉が、実にやつれ、しなびたものであった。どうしてこんな面倒くさいものをやらねばならないのだろうと、不平不満のみがつのっていった。
万葉集は私にとって、ひどく退屈きわまりないもの、難解なもの、いやに乙にすました、気取ったものとしてしか映らなかった。王朝時代の朝廷貴族が行った文化大事業として編纂されたものであって、それも長年の歳月が費やされ、四千五百首にものぼる歌があつめられているという程度にしか理解していなかった。
貴族達がうたった歌となると、当然それは、今日流に置き換えて考える時、ひ弱で、理屈っぽく、むやみに権力をかさにきた、インテリどものあそび事のように想像してしまう。私も長らくそう考えていた。王朝時代のあの大らかさ、自由さと口では言っても、それには、決して、実感がこもることがなかった。
たまたま、地方の歴史にまつわる、みじかいエッセイを書くので、引用しなければならない短歌を、万葉集の中にさがしていた。目次がなく、索引がないので、上下二巻に分けられている万葉集を一頁一頁丹念に開いて、目を通していかなければならない羽目になった。しかしそれが大いに幸いした。エッセイを書くことに対する熱意もさることながら、思わず知らず声を大にして、向いに座っている妻に読んで聞かせ、その大意を、私流の激しい口調と、洪水のような量の単語の数で、表現する始末だった。
実に一つ一つの短歌が激しさに溢れているのだ。貴族が編纂したとはいえ、それは決して貴族のあそびではなかった。乞食さえ、堂々とうたっているではないか。自分のはらわたが、死んだ後、塩辛になって天皇の口をたのしませるとうたっているのだ。これが、きれいごとの、うわべをかざった御上品な作品と言えようか。夫を流罪にされた犯罪人の妻も、まるで、紅海のほとりに立ったモーゼの姉ミリアムのように、何らはばかることなく胸一杯にうたっている。夫を取り去られた妻の怒りと悲しみが、その歌の、印刷されている頁が破れんばかりの激しい口調でうたわれている。
万葉の歌人達は、恋にも情事にも、何ら、言葉に衣を着せなかった。堂々と心のたけを歌にあらわした。実にすばらしい時代だった。そして、これを書いた文字は大陸の文化を盛った漢字であって、当時の一般庶民には手のつけられない代物であった。さしずめ、今日に例えるなら、日本人が、フランス語かラテン語で作品の一切を書いて出版したということになろうか。
大衆性などといった問題は一切眼中になかった。そこに、万葉集の永遠性が見られるのだ。
もし、万葉集が、当時、誰にも彼にも分かるものであったとしたら、今日、全く無意味なものになり果てていたことは間違いない。そういった大衆へのアピールは全くしていない。
今日、真の実験的文学や、他の諸芸術、諸宗教が一般的でないとしても、この意味で考える時、充分、そこには正当性があると言わねばならない。結局、目の前の死人にわからせようとして、その意図に当てはめられて書かれる文章は、各時代を通じて、生きている人間に納得させる力を放棄しなければならない運命を負っているのだ。
敏達天皇以後の、仏教に熱中し、驚喜した時代は、日本が若々しく成長し、たくましく生い立っていく時期であった。日本全体は、特に、為政者達は、急進的な開国論者であり、国際的視野の持主で合った。明治維新のそれよりも。比較的に言えば、その度合いは、はるかに上のはずだ。一体、どうして、あの時代の人達はあのように自由で、言葉が心と直結していたのだろう。現代の人間が、何事も控え目で、言うことが心と裏腹で、すべてが仮装行列のようになっているのは、どうしてであろう。いつ頃から我々は。万葉時代の素朴さを失ってしまったのか。もし、今日、万葉の貴人達、それも乞食も犯罪者の妻も含めてのことだが、彼等と同じ生き方をするなら、大馬鹿者と罵られ、単純過ぎるとわらわれるだろう。事実、世界中の偉大な魂の持主は、古い時代の自由さを失わずに生活してきたので、このような不当なそしりと待遇を、ほとんど一人の例外もなしにうけている。
私は、今迄ずっと日本人であることを拒否しつづけてきた。本当に生きるために、じぶんが自分の主人として、最も自分らしく活きるためには、日本人としての美徳は害であることを悟っていた。だから、文明の最悪の反逆者、伝統の最大の不穏分子として自らを任じてきた。だが今、私の考え方は、少しかわった。万葉集の自由なたましいの息吹に触れてかわってきた。私は最も日本人らしく生きようとしているのだ。私は、最も伝統を重んじる理想的な保守主義なのだ。いや、ずうっと前々からそうだったのだ。私は万葉時代の素朴で大らかな精神と、燃えるような躍動と、煮えたぎるような感覚の自由な振るまいを身に付けている。私は、万葉集の素肌に、こうして触れることに依って、日本人であるという事実に、限りない誇りを抱けるようになった。私は、生まれながらにして、万葉の歌人達の、あのセックスの強烈な匂い、感情の自由奔放さが身についていた。不幸にして、死人で埋まっている現代にあって、私のそういった美徳と長所が、調子のよ過ぎる私の良心の不注意であやうく摘まれてしまうところであった。
私自身、私の全生涯を通して、四千五百首の熱烈な歌を大らかに、口を大きく開いてうたわなければならない。私はそのために生まれてきたのだ。それ以外に、私に生まれてきた目的と意味はない。私は、私なりに生きようとすれば、どうしても、万葉歌人の狂乱と人生謳歌におち込んでしまうことは火を見るより明らかなことだ。
私は、それをひどく喜んでいる。これは私に与えられた特権だ。私は、これを大いに誇らなければならない。
万葉集の一つ一つの歌をあじわいつつ、私は、思わず知らず、ポロポロと涙をこぼしてしまった。何と言うダイナミックな情感だ! 何という美しい人間の感動だ! これらがすべて、歌の端々に溢れ、漲っている。この尊いエネルギーを、当時の一般人達に分からせようとして、少しでも減らしてよいという理由がどこにあったろう。
私もまた、今日、私の時代に在って、私の書くものの中に濃縮されている人間回復、死人回生のエネルギーを減らして迄、大衆にもてはやされるものにさせようとは毛頭考えない。私が万葉歌人と、その編纂者達と同じ心境に立って悪いという理屈がどこにあるというのか。心のままに万葉の歌の一つ一つを、想いのたけを尽くして語り、詠み、味わっていくつもりだ。心ある読者ならば、私とともに、心洗われよ。真理を尊いものと信じている人ならば、力を与えられるがいい。人生に意味を持たせたい人は、何かを掴みとるがいい。自分が自分自身でありたいと願っている人は、ここで、万葉の言葉の魔力にふれて、奇蹟に近い体験をするがいい。——中略——】(まだまだ先生のメッセージはつづきますが、私の紹介はここまでにします)。
「重湯よりわるい、湯(言う)だけ、と云うことか」と、もう一人の中年。
「そうだよ、じいさんが、天下一品と太鼓判を押した日本語を、その出典も合わせて紹介しなよ。漱石よりも、鴎外よりも名文だと云う事にならないと…」
「お望みとあれば紹介しよう。名文とは,こういう物のことを云う、唯一無二さ。そして、語録ノートから披露するとしよう。千を下らない例文の中から一文をここに掲げることにする。
「勿体つけずに、前置きはもういいから、早く,始めた、はじめた、迷文でなければよいが…」
じつは、こういう書き出しで先生の『砂嘴(さし)のアレゴリイー』という文章を用意したのでしたが、どうしたわけか、そのブログ原稿が“投稿”できなかった。機器が受け付けなかった。何度やってもできなかった。(また、イタズラか?)とも思った。我が身とおなじでPCも古ぼけたので愈々がたが来たかと思いもした。冗談だが……。
そんなことで十日ほど経った頃、思いがけないことが起きたのである。このたびの、新元号が発表になったのである。新元号が発表になっただけなら別段どうということもないのだが、その『令和』が〖万葉集〗からの典拠であると知って、老いぼれのPCに活をくれて、もう一度再投稿してみようと思い立ったのである。この時点でどうなるかはまだ分かりません。やってみるだけです。
そのセンセイとは、上野霄里先生のことです。丁度今から五十年前に出版された本です。その時からまた四十年後に、東京中野にある「明窓出版」という出版社から復刻された『単細胞的思考』。一章から九章まであるのですが、その第一章に、先生ご自身が万葉集と出会われた時の感動的な読後感想を書いておられます。もちろん、こちらもダイヤモンド級の名文ですので、差し替えてこちらに致すことにします。
筆者の前座役はこのへんで終わりにいたします。霄里先生の内奥からの歓びに溢れた万葉集讃歌に触れてください。紹介するのはほんの導入部だけですが、これから原文で当たる方も現代文で通読される方も、かならずや参考になるのではと思います。その独特で特異な感性と理解の深さに驚かれるでしょう。そうです。まずともにその新鮮な広がりを見せた大らかな世界にびっくり仰天してください。
機械の調子よ、持ち直してくれ! と祈るばかりです。(掲載については、昨日、上野霄里先生に連絡を入れております)。
○第一章 原生人類のダイナミズム ———原始的人間復帰への試み——
◆ゴンチャロフの水晶体(万葉集のポエジーをメデアとして)
【とても寝ていられないくらい嬉しいのだ。この感動、この興奮、この新鮮な気分はどうだ! 長らく求めていた真の友に出遇ったよろこび…まさにこれだ。
今朝は、外はまだ薄暗いというのに起きてしまった。とても寝てはいられないぐらい嬉しいのだ。何という心の軽やかさだ。 何と快適に血液がかけめぐっている身体だ。何と心臓の調子がいいことよ! まるで、天国のパスポートを手に入れ、ヴィザを手に入れたような幸せな心境である。
万葉集! 万葉集の中の短歌は、以前にも、何度か読み、諳誦し、歌人の名前のいくつかも口馴れていた。だが、こういったものが、今までは、一寸も私の実生活には結び付かなかった。
山部赤人と口ずさんでみても、紀郎女と口ずさんでみても、それは全く私個人とは無関係であった。第一、万葉の歌を教え、講義する教師の表情や言葉が、実にやつれ、しなびたものであった。どうしてこんな面倒くさいものをやらねばならないのだろうと、不平不満のみがつのっていった。
万葉集は私にとって、ひどく退屈きわまりないもの、難解なもの、いやに乙にすました、気取ったものとしてしか映らなかった。王朝時代の朝廷貴族が行った文化大事業として編纂されたものであって、それも長年の歳月が費やされ、四千五百首にものぼる歌があつめられているという程度にしか理解していなかった。
貴族達がうたった歌となると、当然それは、今日流に置き換えて考える時、ひ弱で、理屈っぽく、むやみに権力をかさにきた、インテリどものあそび事のように想像してしまう。私も長らくそう考えていた。王朝時代のあの大らかさ、自由さと口では言っても、それには、決して、実感がこもることがなかった。
たまたま、地方の歴史にまつわる、みじかいエッセイを書くので、引用しなければならない短歌を、万葉集の中にさがしていた。目次がなく、索引がないので、上下二巻に分けられている万葉集を一頁一頁丹念に開いて、目を通していかなければならない羽目になった。しかしそれが大いに幸いした。エッセイを書くことに対する熱意もさることながら、思わず知らず声を大にして、向いに座っている妻に読んで聞かせ、その大意を、私流の激しい口調と、洪水のような量の単語の数で、表現する始末だった。
実に一つ一つの短歌が激しさに溢れているのだ。貴族が編纂したとはいえ、それは決して貴族のあそびではなかった。乞食さえ、堂々とうたっているではないか。自分のはらわたが、死んだ後、塩辛になって天皇の口をたのしませるとうたっているのだ。これが、きれいごとの、うわべをかざった御上品な作品と言えようか。夫を流罪にされた犯罪人の妻も、まるで、紅海のほとりに立ったモーゼの姉ミリアムのように、何らはばかることなく胸一杯にうたっている。夫を取り去られた妻の怒りと悲しみが、その歌の、印刷されている頁が破れんばかりの激しい口調でうたわれている。
万葉の歌人達は、恋にも情事にも、何ら、言葉に衣を着せなかった。堂々と心のたけを歌にあらわした。実にすばらしい時代だった。そして、これを書いた文字は大陸の文化を盛った漢字であって、当時の一般庶民には手のつけられない代物であった。さしずめ、今日に例えるなら、日本人が、フランス語かラテン語で作品の一切を書いて出版したということになろうか。
大衆性などといった問題は一切眼中になかった。そこに、万葉集の永遠性が見られるのだ。
もし、万葉集が、当時、誰にも彼にも分かるものであったとしたら、今日、全く無意味なものになり果てていたことは間違いない。そういった大衆へのアピールは全くしていない。
今日、真の実験的文学や、他の諸芸術、諸宗教が一般的でないとしても、この意味で考える時、充分、そこには正当性があると言わねばならない。結局、目の前の死人にわからせようとして、その意図に当てはめられて書かれる文章は、各時代を通じて、生きている人間に納得させる力を放棄しなければならない運命を負っているのだ。
敏達天皇以後の、仏教に熱中し、驚喜した時代は、日本が若々しく成長し、たくましく生い立っていく時期であった。日本全体は、特に、為政者達は、急進的な開国論者であり、国際的視野の持主で合った。明治維新のそれよりも。比較的に言えば、その度合いは、はるかに上のはずだ。一体、どうして、あの時代の人達はあのように自由で、言葉が心と直結していたのだろう。現代の人間が、何事も控え目で、言うことが心と裏腹で、すべてが仮装行列のようになっているのは、どうしてであろう。いつ頃から我々は。万葉時代の素朴さを失ってしまったのか。もし、今日、万葉の貴人達、それも乞食も犯罪者の妻も含めてのことだが、彼等と同じ生き方をするなら、大馬鹿者と罵られ、単純過ぎるとわらわれるだろう。事実、世界中の偉大な魂の持主は、古い時代の自由さを失わずに生活してきたので、このような不当なそしりと待遇を、ほとんど一人の例外もなしにうけている。
私は、今迄ずっと日本人であることを拒否しつづけてきた。本当に生きるために、じぶんが自分の主人として、最も自分らしく活きるためには、日本人としての美徳は害であることを悟っていた。だから、文明の最悪の反逆者、伝統の最大の不穏分子として自らを任じてきた。だが今、私の考え方は、少しかわった。万葉集の自由なたましいの息吹に触れてかわってきた。私は最も日本人らしく生きようとしているのだ。私は、最も伝統を重んじる理想的な保守主義なのだ。いや、ずうっと前々からそうだったのだ。私は万葉時代の素朴で大らかな精神と、燃えるような躍動と、煮えたぎるような感覚の自由な振るまいを身に付けている。私は、万葉集の素肌に、こうして触れることに依って、日本人であるという事実に、限りない誇りを抱けるようになった。私は、生まれながらにして、万葉の歌人達の、あのセックスの強烈な匂い、感情の自由奔放さが身についていた。不幸にして、死人で埋まっている現代にあって、私のそういった美徳と長所が、調子のよ過ぎる私の良心の不注意であやうく摘まれてしまうところであった。
私自身、私の全生涯を通して、四千五百首の熱烈な歌を大らかに、口を大きく開いてうたわなければならない。私はそのために生まれてきたのだ。それ以外に、私に生まれてきた目的と意味はない。私は、私なりに生きようとすれば、どうしても、万葉歌人の狂乱と人生謳歌におち込んでしまうことは火を見るより明らかなことだ。
私は、それをひどく喜んでいる。これは私に与えられた特権だ。私は、これを大いに誇らなければならない。
万葉集の一つ一つの歌をあじわいつつ、私は、思わず知らず、ポロポロと涙をこぼしてしまった。何と言うダイナミックな情感だ! 何という美しい人間の感動だ! これらがすべて、歌の端々に溢れ、漲っている。この尊いエネルギーを、当時の一般人達に分からせようとして、少しでも減らしてよいという理由がどこにあったろう。
私もまた、今日、私の時代に在って、私の書くものの中に濃縮されている人間回復、死人回生のエネルギーを減らして迄、大衆にもてはやされるものにさせようとは毛頭考えない。私が万葉歌人と、その編纂者達と同じ心境に立って悪いという理屈がどこにあるというのか。心のままに万葉の歌の一つ一つを、想いのたけを尽くして語り、詠み、味わっていくつもりだ。心ある読者ならば、私とともに、心洗われよ。真理を尊いものと信じている人ならば、力を与えられるがいい。人生に意味を持たせたい人は、何かを掴みとるがいい。自分が自分自身でありたいと願っている人は、ここで、万葉の言葉の魔力にふれて、奇蹟に近い体験をするがいい。——中略——】(まだまだ先生のメッセージはつづきますが、私の紹介はここまでにします)。
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