独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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放蕩息子の更なる告白(百三十一話)  佐藤文郎

2019-05-06 00:32:09 | 日記
 私の身に起きた出来事に対して、同情がほしいがため書くわけではないのです。唯一点、あまりに不可解な出来事ゆえに、上から透明ラッカーを吹きつけておいて、その出来事である意味不明な絵柄を固定化したいだけなのです。そうすれば、時間をかけてみたい時に取り出して見られるし気分が変われば判る時もあるだろう、その程度のことなのです。とはいっても、この事では多方面に影響がでてしまったので、そういう方々にも、弁解じみたものになるのですが、目の前の霞が少しは晴れるのではないかと思うのです。どうしても、一方的な言い方になってしまう。問いに答えずに、語るに落ちる式にならざるをえないのです。
 過去には、理不尽な事件に巻き込まれ、陥穽にかかっても黙したまま逝った偉人はたくさんおった。私は偉人でも歴史上の人物でもないので、知りえたことをそのまま記すことにする。話を聞いた結果益々判らないということになるかもしれないが、それは時間の経過で判るようになるかも知れないと申し上げる他はない。
 私は出版業という、社会的責任を負う職業を営んでいた。人間性は、いたって軽薄、いやそれでは誤解を生じるから、経営者として社会的に貢献しようとまではしてこなかったという意味です。そんな責任を感じたりするには不向きな人間であった。ならば、なぜそのような職業を始めたのかと大抵の人は問い返してくる。その通りである。私の性質を知る草葉の陰の母なら、明確にその答えを出せる筈である。
 六十五で一切の職を離れて、やっと書きたい物を始めようと思っていたら一本の留守電から、ひょいひょいと始まってしまったのである。私は、ひとり出版社を始めていた。それは、最後までひとり出版社を通すつもりであった。ひとりで充分だった。どういうことか? まず、出来映えはどうであれ、自叙伝を一冊上梓することができた。これは前編で、後半生の物は後編として冥土の土産にもっていくつもりで準備を始めていた。そうです。データーだけで、上梓は考えてはいなかった。前編を造るのに、それまでの蓄えを全部放出してしまったので、もう終わり、素材だけは誰にも負けないオリジナルに富んだものがある。あとは心ゆくまで誰も書いた事のない物(作家ならだれでもそう考えるかもしれない)をと悠然と辺りを睥睨する感じで暮らしていた。
 不可解な話をはじめる前にフランツ・カフカの『変身』という作品があるが、状況的に非日常性がよく似ていると思うので記しておく。
 『変身』はH・ミラーよりも、漱石よりも、太宰治よりも前に、一級上の、親戚のF雄がある時訪ねて来て、進駐軍のキャンプの話や、東京外語受験のことや、花川戸の娼婦のあれこれ、それに「米軍の輸送機で、仙台から北海道まで数日後の何時何分、この上空を飛ぶので、かならず手を振れよ」と話した。私は、言われた通りに上空を仰いで待ったが時間がすぎても音も機影も聞こえないし見えない。その時、家の裏門から入って来たのが飛行機で飛んでいるはずのF雄だった。「やあー、すまん、すまん、予定が変更になった。今度また時間が決まったら教えるから、それで、ほら、この本読んでみな、こういうものを読まないと、東京外語大学へは入れないぞ」といって渡してくれたのがカフカの『変身』だった。容易く手に入る物ではないといい、定価よりも多めの代を払ったことを憶えている。東京外語は受験科目に数学がないというので、少しは気持ちが動いたが、本気になって目指した訳ではない。
 そのカフカを、その当時手に入る物を読んでいった。しかしH・ミラ—が現れるまでのことだった。カフカの作品を読んでいると、内容は行き詰まり,苦しさに息も詰まった。それに比べミラ—は、私が主に教師との軋轢からうけた心理傷害を癒し、壁を取り除く一助になったし、やがて上野霄里先生へと導き永遠の進路を邁進する事になる。
 そして、私はあれ程賞賛していたカフカをつれない仕打ちで見限ったのだ。「ある朝、主人公のザムザが夢から覚めると。巨大な一匹の毒虫に変わっている自分を発見する。」私も朝になったら、予告無しに、その毒虫と同じ存在にされていた。私は、確かに自分が毒虫になった自分の姿を発見したのである。
 今、メデアでフエィクのことが語られている。しかし私のような状況に陥った人の事を取り上げたことは聞いた事がない。それは、語れない様にされているからである。ひとそれぞれで、語らない方がいい場合もある。口を塞がれている訳ではないのなら話しは出来る。しかし話した後の事を考えて、その影響や、波及の仕方を考え思いとどまるのかもしれない。
 私は、芸術や文学で、世界の一流の諸先輩達へと思いを馳せるとき、腰抜けが一番の駄作をうむ原因であり、様々な配慮が光を遮断するカーテンになってしまうことを、彼等の言葉から知るのである。「おい,若いの、お前さんの思った通りにやってみな、そういうものなら、読ましてくれや、批判や評判を気にするんだったら書くのも描くのも止めてしまえ!」 そう聞こえてくるのである。
「コンクリート詰めにされ、海の底に沈んだ訳ではないだろう。知りえた情報が少ないからと言って、もたもたすると、身元不明の遺体で側溝から見つかるハメにならないとも限るまい。生とはほんの一瞬の出来事さ。物書きなのに、自分に起きた事なのに、不可思議な事柄や、理不尽な物事を黙って見過ごす奴がいるか! 男なら金玉を下げているだろうに、それともチヂんで、皮の間に埋まってしまい上がったか?」これは、こういう様に悔しい思いで、あとはその思いを後輩の私に託して人生を途中で退場して行かざるをえなかった詩人仲間達の声が、私の耳に私の心内に届くのであった。   
【クニが 要注意人物として リストアップしていない訳はない。コウアンは よこの繋がりが 不十分 だから 情報が それぞれの部署のものだけで 一貫したものがあるワケでは ない。重要人物でもないマトは 下部の処置に まかされている。 しかし 手を抜く訳には いかない。だから 下部は フェイント(見せかけの)作戦を アミ出す事になる。あき巣や 窃盗や 盗聴 盗撮で あげられた事があり 落ちる所まで 堕ちた者達が いいのだ。いまは ホームレス状態になりかけている者がいい。彼等は つながりが ないから 情報が漏れる心配がいらない。そういうのを 使い捨てにつかう。
 的に対しては たえず見張られている意識を 植付ける。神経をハリネズミ状態にするのが理想。予算が少ないので それぞれで 創意工夫が必要 君達が ハリネズミになる必要は ない。】
「なに独りごと言ってるんだね」
「小林さん、この間の、あの美濃囲いには参ったナ」
「どうしてどうして、丸さんの、棒銀、あの奇襲戦法は鋭かったよ。あぶなかったァ」
「いえいえ,年季がちがいますよ。どうなりました,便秘は。このあいだは言わなかったけど、“金足農業形”と、例のロダンの“考える人形”とあるんですよ。便座に座ったときの体勢ですよ」

「へー、また丸さんの頓知かい、それで?」
「あの通りなんです。金足は、夏の甲子園観たでしょう。試合に勝利して、校歌をうたう様子。あの選手達の上半身をのけぞらせた姿、あれを便座で同じ様にする。ロダンの考える人はわかりますね。便座で,あのポーズで事をおこなう。顎には右手を当てても,当てなくてもいい。医者はそれぞれちがう。一方の形しか知らない。俺はどっちもやってみた。その日によって良いときと思わしくないときがある。大概、金足形で、チューブからしぼりだすように出て来る。だが、にっちもさっちも行かなくなる時がある。その時、もう一方をやってみる。てきめんですね」
「どうだ,この丸さんの、勝ち誇ったような姿。この仕種や表情を便座にすわってやるんだろうな」
「いや、冗談ではなく、ほんと小林さん。ぜひ、昔、スパーリングをやったときのことを思い出して試してみてください。ほんと、闘争ですよ。じいさんが来た」
「じいさん,空き巣、まだつづいているの? 以前T大法科を出た子と知り合って話したことあったが、フェイントだと思うよ。やつら、よくやるんだ」
「うん。そんなところだよ。四十代ぐらいの女を近所で二人見かけたが」
「すっぴんでしょう」
「それそれ、顔をそむけて、おかしいと思った」
「いや、途中、トイレで化粧するんだよ。上着をひっくり返すと別人に早変わりさ」
「そうと決まった訳でないだろう」と、小林さん。「オレが思うに,じいさんは、むしろ何かに護られているんじゃないか。まもっているとすれば、出版社をぶっ壊した連中とは別組織か」

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