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blueswave 's MIND DROPS

まもろう憲法9条、生かそう憲法25条!

深読みしすぎ?

2013-05-16 13:46:21 | 政治・社会

 先日このブログで、最近の一部週刊誌の目に余るエロ広告は憲法の「表現の自由」への規制を求める機運を作り出そうと故意にそうしているのではないか、というような意味のことを書きました。 維新の会の橋下共同代表の従軍慰安婦問題にかんする暴言や居直りの態度にも、私は似たような狙いがあるように思います。それは、自民党に対する援護射撃ではないか、ということです。

 橋下氏の暴言の数々があまりにひどいので、自民党や安倍氏がマトモに見えてくる。有権者の目にそのように見えれば、自民党の議席がもっとふえて、憲法「改正」のハードルである国会議員の3分の2を超えることも悠々可能になる。いわば憲法「改正」、軍国主義国家の再現への道を開くために、維新の会はそのための「捨て石」の役割を果たすつもりではないか、と思えてきたのです。 さらにいえば、その結果維新の会は弱小政党に落ち込むかもしれないが、そこはしっかり自民党が面倒を見てくれる。そんなことまで青写真が出来ているのではないか、と考えてしまうのです。 これって、深読みしすぎかな?

 

 きょうの1曲。話のテーマとはまったく関係ありませんが、ボニー・Mの歌で「バビロンの河」。スエーデンの白人コーラスグループ・アバの黒人版、といった感じで、ノリのよいハーモニーが魅力です。いかがわしい感じの男がなぜか存在感あり、です。

Boney M - Rivers Of Babylon (1978)


お~い! 戦争はとっくに終わってるぞ~!

2013-05-14 17:46:44 | 政治・社会

  安倍内閣の侵略戦争美化発言が後を絶ちません。安倍首相はアジアへの戦争を侵略戦争だった、と認めようとせず、あるいは従軍慰安婦問題でも誠意ある謝罪をしない、という態度で「侵略という言葉の定義は学問的にも国際的にも定まっていない」という屁理屈をこねくりまわしてなんとかごまかそうとしています。高市早苗政調会長は「侵略という文言を入れている村山談話はしっくりこない。靖国神社参拝をここでやめたら終わりだ」という発言をして党内外から眉をひそめられています。

 さらに、閣内ではありませんが同じ改憲勢力である維新の会の橋下氏にいたっては「あれだけ銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命がけでそこを走って行く猛者集団、精神的に高ぶっている集団に休息を与えるために慰安婦制度は必要だった」というような発言を公然としています。命がけで闘う兵士に、やすらぎやいやしが必要だからといって、そのために女性が意に沿わない辱めを受けてもいい、ということには断じてならないでしょう。こんな非人間的な男が政治にたずさわる資格など微塵もない。即刻政界から追放されるべき鬼畜である、と言いたいと思います。

 このような戦前の天皇崇拝の軍国主義思想に脳内を支配されている政治家たちに言いたい。

「お~い、戦争はとっくに終わっているんだぞ~!」

 戦争が終わったことも知らずに南の島の密林の中で隠れ続けていた旧日本軍兵士じゃないんだから、いいかげんに現代の世界の流れを理解してほしいものです。このままでは日本は世界中からバカにされる、ひとりよがりの井の中の蛙になってしまう。真の愛国とは、戦前の軍国主義の復活をめざすこととは相いれないと思います。

   (jnktさん、鉄ちゃん爺やさん、ごめんなさい!)

 

 追伸=本日(15日)の新聞によると、維新の会のもう一人の代表・石原慎太郎氏は橋下氏の発言を擁護して、「軍と売春はつきもので歴史の原理みたいなものだ」、と述べたそうです。強制的に慰安婦をさせられた人と売春を同列視する石原氏に強い憤りを感じます。維新の会は人間性のかけらもない国家主義、軍国主義の団体だということがあらためて示されました。彼らには政治も平和も愛国心も語る資格などない、と思います。

 

 きょうの1曲。終戦を知らずに密林にひそむ人のこと、ではありませんが、「森の人よ」。喜納昌吉とチャンプルーズにソウル・フラワー・ユニオンの面々が加わっています。喜納さんは好きだったのですが、民主党の議員になってしまい失望しました。それでもこの歌や「花」など、おおらかな歌は大好きです。

喜納昌吉&チャンプルーズ, SOUL FLOWER UNION - 森の人よ


おかしいぞ、と思っていること

2013-05-09 23:09:09 | 政治・社会

  「一票の格差」を正せ、とよく言います。 「0増5減」とかあれこれ各政党から提案がされていますし、新聞紙上にはこの問題を早急に解決せよ、というような意見広告も再三掲載されています。 たしかに1票の重みが選挙区によって大きく差があるのは問題であり、正さなければいけないとは思います。

 しかし私はそれよりももっと重大な問題が放置されているのに、その問題から国民の目をそらすために「一票の格差」問題に大騒ぎしているように思えてなりません。その問題とは小選挙区制です。第一党が3割とか4割とかの得票で8割もの議席を得ている、という現実は「一票の格差」よりもはるかに国の政治をゆがめているのではないでしょうか。

 

 もうひとつ。最近の週刊誌、特に発行部数のトップを争う「現代」と「ポスト」の2誌のひわいさの競い合いは目に余るものがある、と感じています。新聞に掲載されている広告しか見ていませんが、その広告の見出しの中には、「袋とじ」とか「女性器研究」などという文字にするのもためらうような活字が毎週のように躍っています。このような記事を載せる方がよく売れるのだそうですが、女性が目にしたらセクハラになるのではないか、と思います。

 そしてそれ以上に私が危惧しているのは、こんな週刊誌は取り締まれ、とか、表現の自由を保障する憲法を変えるのもやむをえない、という声があがってくるのではないか。いや、自民党などはそれを待っているのではないか。そのために野放しにしているのではないか。 もっと考えれば2誌がおとりになって表現の自由に切り込ませ憲法「改正」の口実づくりに協力しているのではないか、とまで考えてしまいます。憲法の中でも表現の自由は最も重要な部分の一つだと思います。憲法「改正」の口実を与えないためにも出版業界の節度ある行動を求めたいと思います。 

 

 きょうの1曲。約40年前にちょっとだけヒットした曲、「ミート・ミー・オン・ザ・コーナー」。イギリスのフォーク系のバンド、リンディスファーンの演奏です。ハーモニーがきれいで好きな曲でした。

Lindisfarne ~ Meet Me On The Corner


暴走中年

2013-04-27 23:55:55 | 政治・社会

  東京には「暴走老人」と自称する迷惑な老人がいるようですが、安倍総理の暴走も歯止めがきかなくなってきたようです。

 明日28日には1952年4月28日にサンフランシスコ条約が発効し、日本の主権が回復した記念すべき日だとして「主権回復の日」式典開催を、多くの国民の反対を押し切って強行しようとしています。とりわけ沖縄県民にとっては主権回復どころか、平和条約によって日本から切り離されアメリカの施政下に置かれた「屈辱の日」として全県をあげて怒りと抗議の声を上げています。にもかかわらずしゃにむに式典の実施にこだわり、しかも天皇を出席させて国家的行事に仕立て上げるという、「憲法違反ともとれる天皇の政治的利用」という二重に許しがたい暴挙となっています。

 ジュネーブで行われている核不拡散条約再検討会議では、核兵器の非人道性を指摘し核兵器の不使用を求める共同声明に、賛同しない、という態度を表明しています。「いかなる状況下でも核兵器を使用しない」との表現に同意しない、とのことですが、これは核兵器の使用も認められるべきだ、と言っていることになり、被爆国としてはありえない態度だと思います。

 憲法「改正」問題では憲法9条を変えて戦争ができる国にする、という自民党の方針を実現しやすくするために、憲法改定の発議には国会議員の3分の2以上の賛成が必要、と規定している「憲法96条」を、国会議員の2分の1以上の賛成で発議できるように変更しようとしています。憲法というものは時の政権の意向で安易に変更できるのは好ましくないことから条件を厳しくしてあるわけで、国家の品位にかかわるものです。正々堂々と論議することを避ける、せこいやり方と言えるでしょう。

 さらに、靖国神社参拝問題では、北朝鮮の威嚇に対して、緊張緩和と対話解決のために協力すべき中国や韓国をわざわざ敵に回すような強硬な言動を行って、アメリカから苦情を出される始末です。実に機を見ない、外交能力の欠如を示す愚かな態度と思います。「国の為に尊い命を捧げた英霊たちに対して尊崇の念を表するのは当たり前のこと」、とつっぱねていますが、問題はそこにあるのではない。私はその思いを否定するものではありません。靖国神社そのものがあの太平洋戦争をアジア解放のためにたたかった聖戦である、というような、侵略戦争とは認めない思想を絶えず発信し続けている、いわば軍国主義の総本山のような神社であることが問題なのだ、と考えます。そして中国が友好国である北朝鮮の身勝手を苦々しく思うように、日本の突出ぶりをアメリカが警戒する日が来るのもそう遠くないのでは、と感じています。日本がアジア諸国から警戒され、世界各国から眉をひそめられて孤立化の道を進むようになるとしたら、それは愛国とは正反対の亡国の道となりかねません。このような愚かな道に進まぬよう、今のうちにしっかり芽を摘んで、根絶やししておかないと後悔するでしょう。

 

 きょうの1曲。長崎市出身の若きシンガーソングライター、果里(かりん)さんの渾身の1曲。「重たい銃」。じっくりお聞きいただきたいと思います。

 

 

 

 


名前はポチという

2013-04-12 09:58:54 | 政治・社会

  先日8日付の各紙によると、現行の日米安保条約の合意署名(1960年1月)が当初もくろんでいた日程より大幅に延期された背景に、1959年3月に下された「米軍駐留は憲法9条に違反する」と断罪した東京地裁によるいわゆる「伊達判決」が大きく影響していたことが米政府の解禁文書で初めて明らかになった、と報道されています。

 1957年。米軍立川基地の拡張計画に反対するデモ隊が基地内に乱入した事件で、東京地裁が上記のような理由で「無罪」判決を出したのですが、アメリカ政府は日米安保の改定に支障が起きることをおそれ、最高裁長官田中耕太郎氏に判決をくつがえすよう求め、これに最高裁側が応じたことの経緯が詳細に文書で残っていた、というのです。

 最高裁の田中長官は東京地裁から高裁を飛び越えて一気に最高裁に「跳躍上告」させ、さらに裁判官全員に働きかけて、「安保条約は司法審査の対象外である」として全員一致で無罪判決を破棄。 あらたに有罪とするとともに、裁判所がこの種の争議で違憲かどうかを判断することを回避する前例をも作りました。また公判日程などもアメリカ側に伝えていた、とのことです。

 このような文書が明らかになった翌日、朝日新聞の川柳欄に次のような投稿が掲載されました。実に見事、よくぞ言った! と感心しました。

   「憲法の番犬  名前をポチという」

 日本政府と、その意向を受けて行動する、「憲法の番人」と呼ばれる裁判所がアメリカの言いなりになって尻尾を振るポチだった、という痛烈な風刺だと思います。そして、私の見落としかもしれませんがこの文書公開の記事は朝日新聞の長崎版では8日にも9日にも報じられていません。デジタル朝日とかいう電子版なら読めるようですが、一般読者には知らせていないように思えます。

 しかも、この記事を報道している大手新聞やテレビなどのメディアそのものも幹部が再三、安倍首相と会食を共にしている、という民主主義国家ではありえないような権力との癒着がつづいていることが11日付の「赤旗」で報じられています。もちろんこんな記事は一般のメディアでは報道されるはずもありません。こんなことをしているからマスコミもポチになってしまうのでしょう。

 

 このように権力というものは私たちの目の届かない所で真相隠ぺいや権力との癒着迎合を進めているようです。消費税増税を強力にアピールして国民を誘導する大手メディアを信用していたら、とんでもない日本に連れて行かれそうです。ご用心!

 

 きょうの1曲。私が好きなソウルグループ、スピナーズで「アイル・ビー・アラウンド」。 ボーカルの人、誰かに似ているな~、と考えました。分かりました。お笑いコンビの「さま~ず」の人に似てませんか?

The Spinners - I'll Be Around