
渚の人の家の庭は今、躑躅や紫蘭、鈴蘭などのほかに、小さなピンク色の薔薇(写真参照)が咲き出した。また庭には丸いテーブルぐらいの大きな株の皐があるけれど、これはまだ開花の助走段階というところ。どういうわけか、皐が咲くのは毎年遅い。紅白の2本の梅の古木と、植えて5年目の2本の杏(品種=新潟大実)の木は、それぞれ実を蓄え、豊かにも瑞々しい葉を繁らせている。これらに混じって、この5月の上旬、「ウッタード」と「ティフブルー」という品種の2本のブルーベリーの木を植えた。これは、長男一家がゴールデンウイークに拙宅へ来た際、娘の誕生を祝し、ささやかな記念樹としたもの。ちなみに2本の杏の木は、次男一家の娘たちの記念樹である。
サンテグジュペリの『星の王子さま』の21番目の話は、王子さまとキツネが薔薇の美しさや育て方などを話し合う場面で、渚の人が大好きなところ。王子さまはすでに1本の薔薇と大切な「アプリボワゼ」している(心のつながりをもっている)ことから、たくさんの薔薇を前にして「あんたたちは美しいけど、ただ咲いているだけなんだね。」ときっぱりいう。多くの薔薇に厳しいことをいった王子さまは、キツネのところにもどってきて、さまざまなやりとりをするのだが、このふたりの会話が、21番目の話のクライマックスになる。
「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」「かんじんなことは、目に見えない」と、王子さまは、わすれないようにくりかえしました。「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」(故内藤濯訳)。「アプリボワゼ」はフランス語の原語で<apprivoiser>、ペンギンブックスのキャサリン・ウッズ訳の英語では<tame>を使用している。日本語にすると「飼い慣らす」とか「絆をつくる」となり、今や古典的な内藤濯(あろう)も、あるいは柔らかい訳で定評のある池澤夏樹も、こうした訳語にしているものの、渚の人は「心のつながりをもつ」が適切のように思う。
もう一つ重要なこと。内藤濯の訳では、ポイントとなる発言の一つ(王子さま)が「あんたたちは美しいけど、ただ咲いているだけなんだね。」となっているけれど、池澤夏樹の訳では、「きみたちはきれいさ。でも空っぽだよ」と訳している。キャサリン・ウッズも<You are beautiful,but you are empty>と英訳する。サンテグジュペリの原書(フランス語)を持ち合わせていないので、彼がどう書いているかは不明だけれど、「きみたちはきれいさ。でも空っぽだよ」(You are beautiful,but you are empty)には、千鈞の重みがあるに違いない。なるほど地球上の「うわべ」だけ飾った現代人の多くは、心の中身が「空っぽ」(空虚)なのかもしれない。
5月中旬、「第14回『草枕』国際俳句大会」実行委員会事務局及び熊本市文化国際課から、11月13日金)と同月14日(土)両日、熊本市内で開催される同会の選者(事前選並びに当日選)と二日間の出席を依頼され、会の趣旨と内容を聞き、これを受諾した。1泊2日または2泊3日の熊本行(出張)になろうか。なお、4月25日(土)の東京新聞(夕刊)の「詩歌への招待」に、「銭湯絵師」のタイトルで拙作が7句掲載されたので、そのうち3句を本ブログに転載してみよう。拙い小文が付いているけれど、これは省略する。同時に掲載されたのは、私のほかに岡島弘子の「若菜のことば」(詩)、田島邦彦の「土竜」(短歌)だった。
霾晦(よなぐもり)富士を攻めいるペンキ絵師 須藤 徹
蝶のよう銭湯絵師の胼胝(たこ)の手は 同
亀鳴くや実存の顎外れいて 同
(2009年4月25日(土)の東京新聞「詩歌への招待」に掲載された拙作「銭湯絵師」7句から3句転載。)
サンテグジュペリの『星の王子さま』の21番目の話は、王子さまとキツネが薔薇の美しさや育て方などを話し合う場面で、渚の人が大好きなところ。王子さまはすでに1本の薔薇と大切な「アプリボワゼ」している(心のつながりをもっている)ことから、たくさんの薔薇を前にして「あんたたちは美しいけど、ただ咲いているだけなんだね。」ときっぱりいう。多くの薔薇に厳しいことをいった王子さまは、キツネのところにもどってきて、さまざまなやりとりをするのだが、このふたりの会話が、21番目の話のクライマックスになる。
「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」「かんじんなことは、目に見えない」と、王子さまは、わすれないようにくりかえしました。「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」(故内藤濯訳)。「アプリボワゼ」はフランス語の原語で<apprivoiser>、ペンギンブックスのキャサリン・ウッズ訳の英語では<tame>を使用している。日本語にすると「飼い慣らす」とか「絆をつくる」となり、今や古典的な内藤濯(あろう)も、あるいは柔らかい訳で定評のある池澤夏樹も、こうした訳語にしているものの、渚の人は「心のつながりをもつ」が適切のように思う。
もう一つ重要なこと。内藤濯の訳では、ポイントとなる発言の一つ(王子さま)が「あんたたちは美しいけど、ただ咲いているだけなんだね。」となっているけれど、池澤夏樹の訳では、「きみたちはきれいさ。でも空っぽだよ」と訳している。キャサリン・ウッズも<You are beautiful,but you are empty>と英訳する。サンテグジュペリの原書(フランス語)を持ち合わせていないので、彼がどう書いているかは不明だけれど、「きみたちはきれいさ。でも空っぽだよ」(You are beautiful,but you are empty)には、千鈞の重みがあるに違いない。なるほど地球上の「うわべ」だけ飾った現代人の多くは、心の中身が「空っぽ」(空虚)なのかもしれない。
5月中旬、「第14回『草枕』国際俳句大会」実行委員会事務局及び熊本市文化国際課から、11月13日金)と同月14日(土)両日、熊本市内で開催される同会の選者(事前選並びに当日選)と二日間の出席を依頼され、会の趣旨と内容を聞き、これを受諾した。1泊2日または2泊3日の熊本行(出張)になろうか。なお、4月25日(土)の東京新聞(夕刊)の「詩歌への招待」に、「銭湯絵師」のタイトルで拙作が7句掲載されたので、そのうち3句を本ブログに転載してみよう。拙い小文が付いているけれど、これは省略する。同時に掲載されたのは、私のほかに岡島弘子の「若菜のことば」(詩)、田島邦彦の「土竜」(短歌)だった。
霾晦(よなぐもり)富士を攻めいるペンキ絵師 須藤 徹
蝶のよう銭湯絵師の胼胝(たこ)の手は 同
亀鳴くや実存の顎外れいて 同
(2009年4月25日(土)の東京新聞「詩歌への招待」に掲載された拙作「銭湯絵師」7句から3句転載。)