須藤徹の「渚のことば」

湘南大磯の柔らかい風と光の中に醸される
渚の人(須藤徹)の静謐な珠玉エッセイ集。

意識のさわり text 108

2007-07-29 10:46:53 | text
吉本隆明著の『定本言語にとって美とはなにか』(角川ソフィア文庫/ⅠⅡ)の中で、ことばを「指示表出」と「自己表出」の二つに大別し、そのうえで後者を「意識のさわり」というレベルにおいて、次のように記す。

「言語は、動物的な段階では現実的な反射であり、その反射がしだいに意識のさわりを含むようになり、それが発達して自己表出として指示性をもつようになったとき、はじめて言語とよばれるべき条件をもった。」(第一章「言語の本質」)

「意識のさわり」という吉本隆明のことばは、いい得て妙な表現である。私はこれを、人間が何か自分とは異なる客体から、もろに影響を受けて反応する場合の「意識のざわめき」というように理解している。彼は、こうも示唆する。

「海が視覚に反映したときある叫びを<う>なら<う>という有節音を発するはずだ。また、さわりの段階にあるとすれば、海が視覚に映ったとき意識はあるさわりをおぼえ<う>なら<う>という有節音を発するだろう。」(第一章「言語の本質」ⅠのP38))

私はこの「意識のさわり」こそが、人間が対象をはじめて客体化し、それを自己との関係性の中で、徐々に認識する行為と考える。つまり吉本隆明流にとらえれば、この「意識のさわり」があった瞬間にこそ、「指示表出」から「自己表出」に流露する対象理解への意識の流れができるのではないかと思う。

ヘレン・ケラーの伝記の中に、サリバン先生から掌に迸る水を初めて<WATER>と教わる感動的な場面があるけれど、たとえ対象との視覚的かつ聴覚的な出会いがないにせよ、どんな人間でもこうした「意識のさわり」がある。むろん、このときヘレン・ケラーは<WATER>という有節音の一音たりともを発することはなかった。「対象化」(認識)という「意識のさわり」は、人間の優れた普遍的な資質だ。

そういうわけで、この吉本隆明著の『定本言語にとって美とはなにか』をじっくり時間をかけて(1年から2年ぐらい)、皆で講読しようと思う。以下にその内容を記してみよう。席数に限りがあるので、お早めのお申し込みをお願いするしだい。(本ブログの「コメント」からの申し込みも可。)すでに熱心な方々からの参加申し込みがきている。なお、第1回目は、この本の精神と価値、又講読の方向性と方法など、全体的な見取り図について協議する予定だ。

・日時 平成19年8月5日(日)午後1時から(定刻15分前にご入室下さい)。
・場所 大磯町立ふれあい会館会議室(大磯町大磯937-4/電話0463-61-2188)。
*大磯駅を出て、線路沿いの坂を平塚方面へ徒歩五分。ガードが目印です。
・内容 『定本言語にとって美とはなにか』(吉本隆明著)を解析する。(第1回)。
・使用テキスト 角川ソフィア文庫の同著2巻(2冊)*書店にてご購入下さい。  
・講師 須藤 徹(ぶるうまりん俳句会代表)ほか。
・主催 ぶるうまりん俳句会(「俳句/W.W.W.」)。
・句会 講読会終了後、午後3時より句会を開催。3句提出。(1句はテーマ「太鼓」にてご出句願います。他2句は当季雑詠。)
■会費千円。
●お申し込み・お問い合わせは、ぶるうまりん俳句会へ。(〒255-0001 大磯町高麗2-3-34 電話0463-61-6014 e-mail toru@mh.scn-net.ne.jp 須藤徹宛)。*要ご一報。

写真は、会場の「大磯町立ふれあい会館」から徒歩約15分で行ける照ヶ崎の岩礁。ここはアオバトが飛来することでも有名である。この海を見ながら、吉本隆明の同著の「海が視覚に映ったとき意識はあるさわりをおぼえ<う>なら<う>という有節音を発するだろう。云々。」の場面を思い起こしてみるのもよいのではないか。

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