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須藤徹の「渚のことば」

湘南大磯の柔らかい風と光の中に醸される
渚の人(須藤徹)の静謐な珠玉エッセイ集。

ハイデガーの『存在と時間』全83節を読む─第8節〔論究の構図〕 extra A- 08

2013-01-12 19:04:31 | extra A

[マルティン・ハイデガー『存在と時間』/序説「存在の意味への問いの究明」・第2章「存在の問いを検討するばあい二重の課題。探求の方法とその概略」・第8節「論究の構図」/1969年8月30日第11刷の桑木務訳岩波文庫]

存在の意味への問いは、最も普遍的で最も空虚です。しかし同時にそのなかには、それぞれの現存在への固有の最も鋭い単純化の可能性が含まれています。

Die Frage nach dem Sinn des Seins ist die universalste und leerste; in ihr liegt aber zugleich die Moeglichkeit ihrer eigenen schaerfsten Vereinzelung auf das jeweilige Dasein.

第8節「論究の構図」で、序説「存在の意味への問いの究明」が終わる。ドイツ語原文で、わずか34行である。桑木務訳岩波文庫においても、23行しかない。要するにハイデガーはここで、これから『存在と時間』で展開する仕事の内容を、ざっと記述するだけなのだ。短いので、本節のみ桑木務の訳文を全文転写してみよう。結局未完に終わってしまった『存在と時間』であるけれど、ハイデガーの構想の骨格は、おぼろげながら見えてこよう。訳文は改行なしだが、読みにくいので、適宜分けてみる。文中の「/」は、改行を意味する。

「存在の意味への問いは、最も普遍的で最も空虚です。しかし同時にそのなかには、それぞれの現存在への固有の最も鋭い単純化の可能性が含まれています。『存在』という根本概念の獲得とそれによって促された存在論的な概念化ならびにその必然的な変転の略図は、具体的な手引きを必要とします。存在という概念の普遍性は、調査研究の「特殊性」と矛盾しません。」

「──すなわちそのなかで存在の了解と可能的な解釈のための視界が得られるべき、現存在という一定の存在するものの特別な解釈によって存在概念へと進むことと存在の概念の普遍性とは矛盾しません。しかしこの存在するもの自身は、みずからでは「歴史的」であり、したがってこの存在するものの最も固有の存在論的なX線検査は、必然的に、『歴史記述的』な解釈となるのです。」

「存在問題の検討は、こうして二つの課題に分けられ、これに応じて、この論文の構成も二つに分けられます。」

「第一部。時間性へ向けての現存在の解釈および存在についての問いの先験的視界としての時間の解明。/第二部。存在時間性の問題を手引きとする存在論の歴史の現象学的解体の概要。」

「第一部は以下の三篇に分たれます。/第一篇。現存在の予備的基礎分析/第二篇。現存在と時間性/第三篇。時間と存在/第二部も同様に、三つに区分されます。/一、カントの図式論と、存在時間性という問題提起の前段階としてのカントの時間論。/二、デカルトの「われ思う(コギト)、われ在り(スム)」の存在論的基礎と、中世存在論を『思考するもの(レス・コギスタンス)』という問題提起へと引継ぐこと。/三、現象的地盤と古代存在論の限界の決定点としてのアリストテレスの時間に関する論文。」

白梅や照見五蘊皆空  須藤 徹

 


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