須藤徹の「渚のことば」

湘南大磯の柔らかい風と光の中に醸される
渚の人(須藤徹)の静謐な珠玉エッセイ集。

現在という時の外で text 116

2007-10-13 02:01:14 | text
ピエール・ガスカールの傑作『けものたち・死者の時』(渡辺一夫・佐藤朔・二宮敬共訳)が岩波文庫版として、このほど出た。大江健三郎の初期作品群に大きな影響をあたえたといわれるこの作品を読んで、身の震えるような感動を覚えた。自然の写実的描写がいつしか幻想に変幻し、それがある詩的イメージに止揚されるのだ。

「しばらく前からペールは、この果樹の木立に近づくにつれて、耳慣れないざわめきがするのに気づいていたが、それがやがて大きくなり、何の物音か判ると、驚いて足を止めた。それは、眼の前に拡がった海のように、波立ち、ざわめいているのだった。深い吐息、擦れ合う音、色々にすすり泣く声にそっくりな嘶きなどが、鎖の触れ合う響きに混じって聞こえたが、他方、いたるところで、乾き切った夏の地面をあわただしく蹴る蹄の音が響いて、木立の下で、重くとろとろした空気に閉じ込められた匂いが何であるかを知らせていた。」(馬)

これらのセンテンスを読めば、ピエール・ガスカールの詩人気質の鋭敏な感性がどれほどのものか、理解されるだろう。つまり馬の声が浮き上がるようだし、それにつれて目の前の世界が幻想的に立ち現れる。馬の声が海に変容する瞬間もあり、その声と音に混じって象徴的なイメージが斬新に屹立する。すなわち、馬はよく読めば人間のようでもある。「木立の下で、重くとろとろした空気に閉じ込められた匂いが何であるかを知らせていた」の一節は、馬に重ねられた人間の絶望的な、ある極限状況のようにも読める。

この「馬」という短編の中で「現在という時の外」ということばがあって、いたく胸に響いた。じつに詩的であり、また哲学的でもあるこのことばは、さまざまなイマジネーションを私たちに思い描かせる。「現在は時の外にある」とピエール・ガスカールが定義したその意味の芯には、唯一「現在」だけが、人間に自由をあたえる「神の思し召し」の領域だ、ということを私たちに示唆するのであろうか。