2013年6月9日(日) 晴れ、 単独 (日留賀岳から見た、鹿又岳。最初、見たときはどれが鹿又岳かよく判らず。鹿又岳に実際に行ってみて初めてそれがどれなのかよくわかった気がした。逆s時の塩那道路の一番左、消え入る先の低い所が鹿又岳だ思う。)
日留賀岳山頂から5人の登山者の皆さんに見送られて、北方面のヤブに足を踏み出した所からの続きです。
最初、山頂からどこに降りて行っていいかもよく判らなかったが、冷静に良く見ると、控えめに踏跡がうっすらある斜面があったので、そこを降りていく。最初は予想以上に明瞭な踏跡が少し続くも、その後シャクナゲ、コメツガ、笹、倒木などに行く手を邪魔されるヤブの稜線となる。最初は潅木の中をくぐるようなヤブ漕ぎになるが、どうしようもないような蜜ヤブでもない。冷静に探せば、踏跡は程度の差こそあれ塩那道のヘアピンまで有った。進む踏跡がよく判らず、右往左往する局面は1、2回程度。それもすぐ解決した。 ヘアピンカーブに降り立つまでのこの稜線のヤブは、歩行障害ヤブではあるけれど、通常ヤブを歩いているレベルの方は全く臆することのないレベルだと思う。かと行って、すらすら走行できるレベルでもなかったが・・・
(日留賀岳山頂からすぐのヤブの稜線。こんな感じがヘアピンカーブ直前まで続いた。 P↓ )
この日留賀岳北側の尾根、生えている灌木はそんなに高くないので、ある程度眺望がきくのがいいところ。こんなにきれいに日光から会津への山々が見渡せる。 p↓ 爽快でもあるし、進む方向がわかるので、道を失うというような恐怖感がない。
このヤブ尾根、ハイマツのようなものもある。本当にハイマツなのかどうかは、わからない。このような少ピークをヤブをかき分けながら3,4回越えて行く。 (p↓ ) 山頂から10分くらい歩いた所で、昭文社の地図がザックのポケットに無いことに気づく。落としちまった、核心部の詳細地図は地形図コピーを見ているので問題なし。帰りに見つけられたら拾って帰ろう。
日留賀岳山頂か歩き始めて約25分北進して、下りの傾斜が急になる。と同時にヤブの密度もそれまでより少しばかり密になったような気がする。結構な急斜面を木々や笹をつかみながら、下っていく。しばらく急に下って斜面が緩やかになると、ヤブも笹主体の歩きやすいものになり、無事塩那道路のヘアピンカーブ地点に到達することができた。山頂から約50分。
急な下り斜面あたりから振り返りみた日留賀岳(左)と歩いてきた稜線。 P↓
急な下り斜面あたりで咲いていた。
ヘアピンカーブがだいぶ近づいてきた地点。向こうにこれから進む尾根と、目指す鹿又岳方面が見えている。シャクナゲをかき分けて進む。
ヘアピンに到着。
塩那道路に出て振り返り見た日留賀岳(一番左のピーク)と辿ってきた稜線が見える。P↓
塩那道路は所どころ大岩の崩落があるも、おおむね優良な路面状況、管理されている会社の方は自動車走行をされているようだ。後で知るのだが、ここは歩行するにしても通行禁止らしい、なな”の場合、ゲートから入ったわけではないので、ご勘弁を・・・ 進む先に鹿又岳の前衛峰が見えてくる。 P↓
進路左(西方面)に広がるパノラマ・・・ 遠くは七ヶ岳だろうか。
ヘアピンから緩やかな登り傾斜か平坦道を20分ほど歩くと、(東側尾根側)斜面にかなり高い擁壁が続き、そこに何本か作業用のはしごが掛けられて固定されていた。鹿又岳まであと直線距離250mくらいのはずと考え、4,5本めに出てきた梯子を伝って擁壁の上に上がった。(p↓) ここで、右ふとももに軽い違和感、突っ張るような感じ。前回これを感じたのは大平山の山頂部以来。今日歩き始めてから5時間経過、途中ヤブ尾根歩きもあり、そのような中で多少精神的に焦って早歩きと、変に太ももを上げて歩いた時に起きる症状のようだ。擁壁の上で、アンパン休憩、太ももをさすってマッサージ。太ももの違和感はその後少しゆっくりしたら治まった。
擁壁の上で小休止してから、先が大変だった。尾根上に登る為に、斜面に取りつく形。斜面をすんなり登れたのは、最初の15m程度、そのあと何処をどう巻いても、かなり濃密な太い木々の激ヤブが上方の斜面一帯に広がっていた。そんな中でも一番マシと思われる所をめざして覚悟を決めて突っ込んでみる。(P↓) 枝のヤブが密過ぎて先に広がる空間が見えてこない。枝にかなり太いものも混じり、あまりしならないので、枝をまたいだり、踏んづけたり、強引にかき分けたり、体を斜めにして空間を作って進んだり。。。1m進むのに苦労するあり様になる。 これは、白根山前衛の外山直下で西に進むルート取りをまちがえた時の蜜ヤブより酷いかな、とか考えながらもも少しずつ進む。何分か格闘すると、見えていなかった前方に空間が見えてきた、早くも稜線上の近くに来ているようだ。ふと、その時、胸に下げているホルダーの中のカメラが無くなっているのに気づく。ガーン!!。かなりショック、今日のここまでのデータが消えてしまうし、これからも写真が撮れない。この激ヤブの中の数分間で落としたのにまちがいはないのだが、また戻るにしても来た箇所を正確に戻れる状態でもない。今、居る場所、稜線上付近、目指す北東方向はいったん低くなって行っていた。鹿又岳山頂があと200mちょっと先のはずが、今いる場所よりその辺が低いのであれば、この一帯はニセピークだったのかも。東方向すぐ先に顕著なピークが樹間のすき間から少し見えたけど、味わっている気分でもない。すっかり意気消沈してこの場所から元来たはしごまで戻ることにした、当然カメラ探しはするつもり。探しあてられる自信はほとんど無い。1m進むのにやっとの密ヤブで枝に引っかかっているのか、地に落ちているのかわからない黒のカメラを探しながら右往左往する。どうしても諦めきれず、枝を乗り超えまた少し怪しい地点をあと戻りしたり・・・。探索しながら歩くこと5分ほど、地面に落ちていた自分のカメラを発見!!。 かなり、嬉しい、大きな声を出してしまった。
カメラの落ちていた場所。(P↓ )上の写真との違いはほとんど無いか・・・
カメラを喪失した時点で、鹿又岳登頂の目標はどうでもよくなっていた、帰り始めをしなければいけない時間も近づいているし、帰りはまた日留賀岳までヤブの稜線を今度は登り主体で辿らなければならないのだ。今日は撤退・・・そんな気分が漂っていた。カメラを見つけて、もう少しだけ鹿又岳と付き合ってみよう、そんな気が起きてきた。そしてなんと、特筆すべきは、カメラ発見場所近くの身の入れ場所もないような激ヤブの中でひとつだけ、ピンクの目印があった。こんな所を歩く人とは・・・
ニセピーク周辺のはしごの上で20分使ってしまった。また塩那道に戻り、北上。すぐに鹿又岳と思われるピークが見えてきた。手前は道路脇に設置された避難用の施設か?
あれが、さっき中でもがいていたニセピーク1846P。 P↓
例のはしごからほんの少し歩くと正面に目指す鹿又岳ピーク部が見えてきた。なあんだ、もうちょっとはしごから先、林道を歩けば、簡単だったのに。こうやって見た時点では、”もうすぐ、簡単に達成だねー”と思った。それがとんでもない間違いだったのにもうすぐ気づくのも知らずに・・・
日頃ヤブ尾根歩きをしている者の定石として、ピークに向かうのに、尾根通しでアプローチしてみた。適当な斜面から取りつき、すぐ広い尾根上に乗る。そこはシャクナゲ、ネマガリダケ、コメツガ、ハイマツ?などの混合超密ヤブだった。(P↓ ) 踏跡などは全く無い。方向感はつかめるので、少しづつヤブを突破して頂上らしき地点に向け進む。できるだけ同じヤブでも突破しやすそうな笹の密度の高そうな地点を探しながら進むも、すぐその先、ハイマツのような木々にさえぎられて、また難渋する展開。時にシャクナゲなどの枝の上に乗って足が地に着かぬ空中戦となる。尾根に乗ってから正味直線200m未満の距離をつめるのに、嫌になってしまうほどの密ヤブ、充分堪能できた。無理に足を上げて歩くので、今度は左太ももあたりが同じような違和感、いかん、いかん。このヤブのどこかで鈴を持って行かれた。今日は、モノを失くしまくりだなあ。
鹿又岳ピークは20mくらい先の地点、ここまでで山頂に来たことにちゃって、たそがれ”さんたちには鹿又登頂と報告してしまおうかな、ダメかなー、とか思っていた地点。 なんでそんな事を思ったかというと、この期におよんでもまだ激ヤブが続いた為。
林道から取りついてヤブを漕ぐこと約25分弱、山頂にようやく到着。山頂部のちょうど中心あたりに木で組まれた△やぐらのようなものがあり、案の定その下に三角点があった。三角点を見つけてこれほど嬉しかったのは、おそらく人生初。
山頂も、その周囲のちょっとした移動も困難なほどヤブっぽい。三角点の周囲だけかろうじてヤブは穏やかといった状態。眺望は360度で、男鹿、大佐飛の方面が望むことができた。時刻は12:01、復路でも同じヤブ尾根を戻らなければならないことも考えると、そうゆっくりもしていられない時間。充分な達成感を手土産に復路につく。
山頂から、北方向の眺望。
鹿又岳山頂からの下り、来た斜面と同じような箇所を戻るか、林道に一番近道のヤブを下るか。悩んだが、どこに向かう踏跡もないので、一番安全策、来た稜線沿いを辿ることにして進む。帰りは往路での学習もあってより東斜面沿いにルート取りをして、それでも途中、ハイマツ?やらシャクナゲに邪魔されてようやく塩那道に復帰した。この鹿又岳トライから林道道復帰まで、50分かかった。ふー、
鹿又岳からの帰り、日留賀岳を見ながら進む、あそこまで登り返すのか。(P↓ ) こう見ると、ヤブなどなく簡単に走行できる笹尾根に見えるんだけどなあ。・・・ どんなに遠くに見えても今やらなければいけないことは、そこまで歩くこと。 I must go on.
ヘアピンまでは歩きやすい路面なので早歩き。ヘアピンからまたもヤブ尾根に復帰。さっき鹿又岳周辺で下品なヤブを漕いだので、全然優良なコースに思える。ヤブをかき分け登りつめ、平坦な稜線移動に移行するあたりで落ちていた私の地図を発見、回収。よかったー。
日留賀岳手前のニセピーク、手前に超えて行くシャクナゲ。
14時までには到着したかった日留賀岳に7分遅れて到着。日留賀岳への登り返しでは、体力的にはきつかったとか、もうダメ感はでなかったが、障害ヤブもけっこうあり、また自然に体力も消耗していたのだろう。やっと着いた山頂にはハイカーさん2人組が休んでいた。ここで小休止、自分としては、かなり安堵感が漂う。少しやすんでいると今自分が辿って来た稜線上に登山者1名を発見、登りはじめに登山者名簿に男鹿岳まで行くと書いてあった鹿沼のかただろう。
山頂からの眺め、男鹿山塊。大佐飛山もいつか行かなければならない。 雄大な山塊を心に映して下山開始。・・・
1514m周辺に向けていったん緩やかに登りかえす局面が出てくるあたり。歩きも9時間に近づき結構この登りがこたえる、ペースは落としても粘り歩き・・・。鹿又岳直下で感じた左太ももの違和感もその辺だけの症状ですんだ。このあたりで、本日初めて額から汗が垂れてきた。
時間と追いかけっこの下山。樹林帯の森を下っていく。この辺も新緑が綺麗だった。
林道でも時間と追いかけっこ、早歩きで歩く。もう午後4時台だ。Yさんへの返信メールを打ちながら歩く。
コース: 日留賀岳山頂 9:30-10:00 塩那道ヘアピン 10:54 1846P周辺探索 11:15-11:34 鹿又岳 12:01 日留賀岳山頂 14:07 小山さん宅 16:34
16:34小山さん宅に無事到着。あー長かった、でも面白かったー。というのが実感。水分は1.8L消費。ちょっとしゃりバテ気味、もっとうまく栄養補充しないとダメだ。でも自分のレベルとしては、本日の歩きは達成感でいっぱい。日留賀岳初歩き、鹿又も初登頂。珍しい三角点も見られた。 途中、地図、カメラ紛失は今後の反省材料。カメラ発見は本当にラッキー、ほとんど諦めていた。すず紛失はしょうがないや。
今日はこの山域への実質デビュー戦だった。今後、男鹿岳や黒滝山、大佐飛山、その他もいろいろ登る局面もあるだろう、今日歩いてこの山域をこの目で観ての位置関係や、雰囲気がつかめた。今後に生かそう。
日留賀岳から塩那道路までの稜線のヤブは、かわいい程度だったが、鹿又岳南の1846Pや鹿又岳本峰は人の歩くヤブ尾根ではないな、ちょっと密すぎた。結局鹿又岳には何とか登り切れたけれど、これはたった200mちょっと先にピークがあるとわかっていたから、これがいつまで続くかわからないヤブ尾根だったら絶対進んでいけなかったと思う。
小山さん宅で、農作業をされている家のかたにご挨拶などをしていると、先ほど日留賀岳山頂から姿が見えた、ヘアピンからのヤブ尾根上を歩いていたと思われる登山者が降りてきた。登山名簿を見たときには、コース内容からして自分より高齢の人だと一瞬の内に思ったが、降りてきたその方、結構若めの風貌。”男鹿岳に行きました?”と聞くとやはりそうだった。そのかた30台半ば、昨年偶然登った備前楯山で山にはまってから1年で栃木100のうち、今日で99座踏破したそうで、まずはびっくり。 今日は男鹿岳手前で板室方面から歩いてきたおじいさんとすれ違ったと聞いてまた、びっくり。その人、自分はすれ違わなかった、何処に向ったのか? その鹿沼のかた、昨年夏は塩那道から大佐飛山に行ったそうで、様子を聞くとどうも超激ヤブのようだ。ヤブに足をとられ、一歩進むのに苦労する局面の連続で、その山行後、しばらく足が痛くて山に向えないほどだったと言っていた。たそがれ”さんどうします? なな”はそんなでは、ちょっと自信がないなー。
帰宅したらやはりシャリバテ気味でぐったりだったが、なんだかんだ有って、思い出に残るいい1日となった気がする。 ■■
小山さん宅のお借りした駐車地から、帰り支度をしながら幸せな気分で高原山? 方面を眺める。
日留賀岳から鹿又岳へピストンとは恐れいりました。
1846峰も探索してですから凄いですよ。
カメラや地図を探し当てるのも私だったら無理です。
私も以前板室から5時間かけて塩那道路から藪に突入した時にいきなり両足が攣ってどうなることかと思いました。
数分してなんとか治まって、二度と来るのはゴメンなので力を入れずに何とか登りました。ホント激やぶですよね。
ちなみにその時ペットボトルを落としましたが探しもしませんでした。
そうは言っても、男鹿まで行ってピストンしてきた青年もいたわけで・・・。それに、野球親爺さんがよくやる周回(オロ山経由、塔ノ峰への周回)などのほうが私としては驚きですけど。
カメラや地図を拾えたのも、落とさなければよかっただけで、自分の対策が甘かったです。
板室から5時間かけてヤブ入りしたのは、記事になっているのでしょうか。あとで探して見ます。私はそちらの方が気になりました。
鹿又岳の稜線の激ヤブは笑っちゃうレベルですね、高薙山のそれが、清く正しいヤブに思えました。消耗した足で歩きずらいヤブの中を無理にもがくと、太ももにつっぱるような違和感が出ることも最近悟ってきました。
日留賀岳から先の様子がよ~くわかりました。
自分は歩くことのない世界のようですね。ヤブにはまって二進も三進も行かない状況ではおそろしい。さらに、次から次へと物をとられていくのではたまりませんよ。
アブがいなくて良かったですね。私も、アブのベールがなかったら鹿又岳も視野に入れていたのですが、アブのおかげではまり込まなくてよかったです。
男鹿山塊を初めてで、日留賀岳から鹿又岳を登られたのは、素晴らしい。
1846ピークの西側擁壁に今時は梯子がかかっているとは、驚きです。塩那道路は廃却したにもかかわらず、林業か治山関係者が依然として出入りしているのですね。道路の補修費用もかさむでしょうに。鞍部に立派な小屋まで設置しているとは??です。
1846ピークの西斜面は私も初めての時に、鹿又岳と間違って取付き、20メートルほど登って諦めました。そして北鞍部から1846Pに登りなおし、三角点が見当たらず、不安に思いつつも鹿又岳登頂と報告しました。
翌週に山部さんに間違いを指摘され、2週間後に三角点峰の鹿又岳に登り直したことを思い出しました。
この斜面に取り付いた経験は、大きな財産になること請け合いです。何故なら、この激藪は栃木では最上級だと思います。栃木の山の藪はこれ以下だと思えばどこでも行けます。
鹿又岳には南鞍部から尾根沿いに藪を漕いで登られたのは素晴らしい!!
簡単なのは、三角点の真北、鹿又岳の「又」の下から取り付くと薄い踏跡があり、20分あれば山頂を比較的楽に踏めます。
前日にほぼ同じルートで鹿又に登りました(ヤマレコにアップ済)。私が登った時はガスってて残念でしたが、、。イワカガミとかシャクナゲとか、全く同じ構図の写真を撮っていて面白いです。
しかし、、初男鹿山塊でこのルートを選ぶのは凄いです。良い嗅覚をお持ちですね。
鹿又岳は自分が行けたのだから、たそがれさんも行けますよ。ただ、それに価値を見出せるかどうかが問題ですが。
その南1846Pのヤブはもっと濃かったです、そこに到達する山部さんも烏ケ森さんもすごい。
たそがれさんのアブ記事を見て、当日、往路復路2度づつ防虫スプレーを顔、体に散布しました。おかげで、顔の周りには飛び回ってましたが、刺されることはなかったです。
この山域も歩いていくと、くせになりそうですね。
鹿又岳はネット情報など予備知識ほとんど無しで出かけて、帰宅してから、かえって気になり、烏ケ森さんの1846Pに間違って到達した記事や、山部さんの記事を見ました。
今回ばかりは予備知識が無かったので、結果としてかえって楽しめた気がします。
1846Pの激ヤブはなかなか忘れられそうにないですが、また改めて1846Pに北側から行ってみたい気も少ししてきました。でも、男鹿岳や大佐飛のほうが先ですね・・・
鹿又岳に南鞍部から尾根沿いに行ったのは、一番歩きやすいのではと思ったからなのですが、終始シャクナゲなどの樹木の蜜ヤブに邪魔され結構じりじりしました。これも少しすると、良い思い出になるはずです。
”この斜面に取り付いた経験は、大きな財産になる”とのコメントを励みに、これからもヤブ尾根歩きをしていきたいと思います。
コメントありがとうございます。
1日違いでほぼ同一コースを同じ山へ向うとは、奇遇ですね。特にめったに人の行かないようなルートだけに・・・
あとでヤマレコに訪問して、記事を拝見させていただきます。
あの山塊、私は初心者ですので、今回はよくよく勉強になりました。
ノラさんはストックをやられましたか。どうしてもあのヤブの状況ではもっていかれてしまうのでしょうね。
1846pの薮は栃木1級薮などとは、露知らず、行ってしまったのもいい思い出になります。
ノラさんも戦歴がすごいですね。塩那道路から大佐飛は、鹿又岳ほどではありませんか。それなら私でもいけるかも。
もし、その4人でいく場合は体(幅)の大きい順に進んでもらい、ヤブが倒れた4番目を私が歩かせてもらいます。(笑